ネガティブ?
何故「TRPG論考」にはネガティブなテキストが多いのか?と思うことがたまにあります。
正直、興味深いとか、役に立つ立たない以前の話で、ワクワクしてくることが少ないのです。
セッションをやろうというモチベーションを刺激するわけでもなく、
知的好奇心を刺激することもそれほど多くはありません*1 *2。
むしろ読む進めていくと、意志疎通の難しさ、共通認識を持とうとすることの難しさを、ひしひしと感じてヤル気を失くすことの方が多いです。
おかしい。僕が遊んでいる TRPGはとても楽しいものなのに、と。
個人的にはネガティブはネガティブを引き寄せるのではないかと思っています。
そしてネガティブを払拭するためには、(ネガティブな面を直視した上であえて背を向けて)ポジティブな面を見るようにするのが、一つの建設的な選択肢だと考えています。
と、そんなことを考えていたら、そもそもネガティブに捕えてしまう僕自身がネガティブなのかもしれない、と思うようになりました。
イカン、これはイカンのです。
それならば読まなきゃいいという話もあります。
しかし困ったことに「もっとラクに楽しく」遊ぶための実利的なテクニックについては興味があるのです。
今も楽しいけど「もっとラクに楽しく」遊びたいという欲望を常に抱いているのです。
また「楽しくTRPGを遊んでいる」という話は、自分も楽しく遊びたいという気持ちを適度に刺激してくれます。
だからついネットを巡回してしまうのです。
というわけで。自分なりの心の区切りのつけ方として、最近は「TRPG」と「TRPG論考」は1ジャンルに対して、アプローチ方法が異なる別の「遊び」なのだと思うことにしました*3。
そう考えると少し心穏やかな気持ちになれます。
しかしまだたまに割り切れない気持ちになるのです(←いまココ)。
スルー能力が低いのかもね。
・・・とか考えていたら、やにお先生の名著に心洗われました。
追記
結局のところ「新しい発見ができた」または「共感ができた」のいずれかでないと興味を持ちづらいというだけのハナシかもしれません。