非属の才能
彼女らの会話では、「だよねー」「てゆうか」で安直な同意と強引な話題の切り替えがくり返され、「やってらんないよね」という空気さえ崩さなければ、相手の話なんて聞いていなくてもかまわないのだ。
ましてや、「あなたはいまこんなこと言っているけれど、本当はこうなんじゃないの?などという深い心のやり取りなどほとんどない。これでは孤独になって当然だろう。
友達っていうのは、困ったときに助けて、助けられて、の関係だと思う。
「魔性の子」(小野不由美)の広瀬君は心を許せる友達になる前の、たわいない時間をすごすのに我慢できなかったそうだ。
私はどうも、たわいない時間を過ごさなくても困ったときはそれなりに助けてもらえるし、助ける関係を築けるつもりであった。
困ったこともない、困ったことを相談されたこともないのを不思議に思わなかったせいだが、どうも友達はいないかもしれないと思い始めている。
(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20090318/t)
私はわがままである。ぼけっとしたいとき、本を読みたいときに、ほかの事に煩わせられたくない。
さんざん書いてきた通り、僕はかなりの変人だし、流行とかみんなの常識なんてお構いなしに自分力全開で生きているが、心を許せる友達に事欠かないし、少なくとも直接関わった人のなかに僕を悩ます敵はいない。
私に悩ます敵はいないし、心を許した友達はいる。ただ、向こうが私に心を許してくれてのか。
両親がいるの。家があって友達がいるの。本当に絶対いい両親でいい友達だったか聞かれると困るけど、それはあの人たちの責任じゃない。わたしは貧しい人間で、だから貧しい人間関係しか作ってこられなかった。
月の影 影の海 小野不由美
私は自分のための時間より人間関係に割く時間を増やすべきか、悩んでいる。その時間のバランスについて、この本は参考にならなかった。
人間関係に重きをおきすぎる人には問題提起の書かもしれないが、少し対象読者とは外れたようだ。
いままで、集団のためにはそれなりにリソースを割いているつもりで、孤独を感じていなかったし、理想の状況を勝手に想定し、ないものねだりをしているのかも、と思う。
一方で、大人になると損得なしの友達できないよ、みたいなことが頭をよぎるが、いまからでも友達できるかなと思う。
また、ないものねだりすると、宗教にはまりそうで怖いと、理性がささやく。
大人は皆孤独に耐えているのではないか、と思うんだが。