考える生き方
この本は藁である。でも、全く地図がない道を模索するのと比べて、心強く思うし、こんな考えを持った人がいるということは、それと比べて自分の位置が測れる。
さて、自分の可能性がなくなった時、自分は絶望と向き合ってどういう答えを出すのだろう。
(追記)
著者が持てるネタのすべてを尽くす、著作1冊目の本が私は好きなのだが、そういう小ネタもあふれている。
私が前回の記事で「ある一つの価値観の無力」と書いたのは、書き始めでは、オチをそう書こうと思ったのだが、筆が滑ってどっかいった。
ある一つの価値観だと、その一つの価値観に惹かれる一部の人しか取り込めない。
多様な価値観の持ち主にとって魅力があるとはどういうことか?といことを転がしていこうと思ったのだが、さらにこの先は以前書いた資本主義で拾いきれない価値観で引っ張って資本主義を補完する価値にするのか、置き換えるのか、と転がそうと思っていたんだけど、そこまで読めた人はいるのだろうか。
finalventさんが曰くありそうに書くことも、連ツイで同じことをしゃべっているはずなのに、私にとっては繋がらないことも多い。
で、ある概念は隣り合って他の概念があるのだが、隣の概念まできちっと詰めて言ってもらわないと、若い人には分からないのねん。
自分の症状だとさらに半月ほど精密検査をして障害者認定をすれば、行政援助を得られるかもしれないとのことだった。
どうしたらいいのか悩んだ。
理性的に考えるのなら、障害者認定してもらって、援助を受けたほうがいい。しかし、そうなる自分がまだ受け入れられず、怖くてできなかった。
以前、私が刺さったと書いたところである。これを自分のこととして、あーベントさんはこれから転じてこう考えたのか、と比較できるんだけど、無病息災の人は、病気になるって良くあることだよね、と切り捨てるんだろうな、よくあることをうじうじ書くな。
で、私はベントさんが山本七平の菜根譚に思い入れがあることを知っている。
先日、この本は、ブロガー本だからブログ論とから始まったという話(参照)を書きましたが、他の部分も、現在のような自分語り的スタイルではなく、個別の議論のような体裁で書き進めていました。そしてそれぞれに一例として自分の体験談を混ぜていくというスタイルです。が、どうしても体験談を書き進めていくうちに、「うぁ、これはつらい、書けない、もうだめ」という事態に陥り、「さて、どうしましょうかね」ということになりました。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2013/03/finalvent-fa5b.html
極東ブログに書かれていたことから推測するに、山本七平の菜根譚のように、本を書こうとはしたんだと思う。はっきり教訓を書いて。
そうすれば、もっと分かりやすくなったんだと思う。正直、自分の経験のない部分は冗長に感じるし。行間が狭い気もする。
その状況になった時の他のパターンが見えて、あえてそれを選んだ重みが分かるようになっていれば。
例えば、眼前に置かれたコーヒーカップをコーヒーカップだと認識し、それを「コーヒーカップ」という言葉で呼ぶことは難しいことではない。それは私たちの生世界(生活世界・日常世界)の機械的な部分で成り立っているし、言語というゲームとして見ても容易である。(略)
また、「愛」は、愛を実践した人の生涯をなくしては意味をなしえない。
https://cakes.mu/posts/7477
結局「考える生き方」で示したのは、名も無き人が生きる、ってことを実践した人の生涯を例として示したんだと思う。
(さらに言えば、市民の生き方なんだろうけど)
世間的に社会的に、自分の人生に意味はないとしても、自分の内面から見れば、それなりにある種の手応えのようなものがあれば、それを支えに生きていける。
ベントさんはこれを支えに生きたのか、じゃあ、わたしはどうしようかとするわけです。
(私のブログにぼちぼち書いてきましたが)
私が死んでも、この世界は続くし、この世界に新しい人が生まれて、その人たちがきっと希望の火を灯す。
自分がこの世界に絶望の呪いを投げかけて自己満足するのと、若い人たちの希望を信じるのがどっちがいいか。
自分の希望がなくても、誰かの希望信じたほうがいい気がする。
まだ自分の希望を捨てきれない自分にとっては、よく分からない言葉である。
将来、絶望に直面するだろうときに、このカードを持っている。
それがいいことなのか、悪いことなんだろうか?
藁である。でも、藁があるってことは、全く地図がないのと比べて心強く思っているのである。
私はまた別の道を探すにしても、そこから思考を始める北極星となる一点があるとないとでは0と1である。
さらに言えば、病気のことにしても、可能性のことにしても、みんな悩んだことなのだと分かれば、気楽になりません?
初めの1冊目の小ネタとしては、
漁師はそれが海と生きるということになる。(略)
それでも嵐で遭難者は出た。彼の父もそうした海難事故で亡くなったとのことだった。(略)
彼の日常を見ていると、「海に出ることが可能なら、海に出なくてはならない」という絶対的な職業倫理のようなものが感じられた。
気迫というのではない、それが当たり前すぎることで、一切の疑いがない。
死ぬかもしれないのに、海に出続ける漁師って何よ、なんか新しい概念で考えが浮かびそうである。
英語の簡単な教科書は、For Dummiesシリーズで学べとか、英語情報を一つ選ぶならニューズウィークか、とか。
仕事は分業、というのも最近の資本主義ネタと絡めて何か浮かぶかな、とか、
でもやっぱり一番面白いのは、最初と最後の章だけどね
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