理想に住む

自分で満足する人生は選びとれない。

不条理があって、流される人生。

でも、主体的に選んだと思わないと納得も出来かねるのか。

自分の人生を全力で生きるとはどういうことなんだろう?

不平不満も時には言うかもだけど、前向きに生きるには?

というか、欲望の問題で、普通人は金に対する欲には上限があるのかないのか?

欲望がかなえられるとはどういうことだろう?

現実と欲望の落差はストレスになる。

しかし、思った通りの人生でも飽きる(のか、転落におびえるのか?)

どんな状況であっても変わらない自分って何だろう?ないのか?

人生に選択肢があるって贅沢である。

でも、どん底の人生は、これ以上悪くなりようはなくって、浮上するだけ?


自分に肯定感を持つってどんなことだろう?

僕は実のところ、僕がこんなひどい扱いを受けるほど悪者じゃないもん?と余りの事には現実を受け付けない回路がある(ワハハ)。

現実を受け入れない→これから現実を変えていこうと思える動機となる。

でも、ひどい現実は現実として受け入れないと、今後の方針を作る作戦を間違う。

相手はどこを見て、何と照合して、僕を悪いと持ったのか?そいつを潰すぜ(キラッ

で、ほぼ間違いがないからちょーぜつ楽観的な自分も出来上がっていると思っているのだが。環境も恵まれているけど♪

何が起こっても受け入れられないと、心が苦しい。

起こったことはすべて正しいと思ったら、結構楽になる回路はあると思うんだけど?

ひどさを拒否する黒い気持ちはあんまり長居したくない。

やることやっていたら、私のせいもあるけど、運命のせいだ。

全て私のせいだと思ったら、自尊心の毀損程度が激しい。

そこで、全部人のせいにしても、自分のミスを繰り返すことになるので、それも不味いんだけど。

なんだか僕回路だと、運命を受け入れるってことはパワーになるんだな。反発心?何もないよりあったほうが楽しい?

これから現実を変えると思って、理想に心を住まわせて、現実の黒さをまともに受けようとは思わない。

いや、いつぞやは頭は納得して心は、体重は減りましたけどね。

なんだか、現実を仮想において、過程において、結果を見据えるというか、うーにょ、前回の記事が私の今までの限界点だったので突破しようとすると上手く言えないのだが?

人生塞翁が馬、今の時点のだめ、は将来のだめとは全く関係がない。

サルトルの今から見たらの滑稽性、時間に耐えられなさ、今の可能性は、未来の正しさと関係なく、限界である今にどれだけチップを重ねるか?

今の正しさに没頭しようにも、今って不満だらけで、自分の思い通りになる理想でなくて、理想に近づいていると思うのが楽しい。

(で、僕は遠ざかったという設定の覚えがない楽観性)

全く遠ざかったと思わない程度にかなえられる千里の道の一歩を目標としているんだろうとも思う。

難しいことは将来に任せて、現在は棚上げするのがベストである領土問題なときもあるそうで、遠い目標、理想を立てないのは息苦しさになるのかな?

僕は考えることをしたい。

仕事にはできなかったけど、余暇時間で追及できて、求める理想の本質が全く叶えられない欲望ってあるのか?

宇宙飛行士になりたかったとき、宇宙飛行士の何に魅かれたのか、因数分解すると、身近にないか?

今持っているもので臨機応変に火星から帰る。

臨機応変を必要として目標を達成する仕事はたくさんありそうだ。

理想に全く近づかない現実はそりゃ嫌になるだろうなとは。

って、どうも僕は実存主義者っぽく、承認欲求がよく分からないけど。

相手のために金と時間を費やして感謝されないこともあるだろうとしたら、自分の思い通りにならないものに没入する、コストと利益が釣り合うかぎりにおいて追及すべきじゃね?

自分の意見の押し付けをやらないと、それなりに友達はできるんじゃねと思う、ブログネタの友達ゼロが説得力無しで言うのであった。

リアルで飲み会企画メール(ライン)を今週中にたぶん出すであろう秋津君で、補償はあるから余裕なんだけど。

で、思い出したんだけど、物語三昧オフ、7月のようにも言っていたので、内輪でやるんだろうか?狙っていたので少し残念。

いや、都合付けられるかというと、かなり無理なんだがっと。

ついでに某氏にファンレター出そうかと、あれ見返してきちっとした感想をと思うと、ハードルが上がりすぎてしまった、、、

と、私が楽しいのかが問題なのだの世界は楽です。