「失敗の本質」を教えない教育

身近な某氏が危機っていて、それならどうしたらいいのか、押し付けにはならないように注意しつつ、提案してみる秋津君。

というか、学生のころの選択肢について考えているのである。

勉強しなければいけない、に対して、だーらだらしていけないなあ、のという戦いがあって、思い返して他に重要な選択がないようなきもした。

辛いこと、どっちを選んでも大事なものが零れ落ちるジレンマの選択をしたことがない。

流されるママが常態で、某氏もそれ、時間のあることだからというか、何も考えていないわけじゃないけど、ただ手をこまねく例が多いような秋津君の身近であった。

人生を選んだのって、就職試験ぐらいで、あとは、やらなければいけないこと、をできるだけの実行、(中学、大学受験は偏差値輪切り(でもないけど、大学はどうして私立に行かないのと言われたランク下にしたし、

ネットでMARCH以上とか聞くけど、正直な話どこ行ってもしっかりした人はいるし、馬鹿はバカ、人を見る目がないのを言い募っているだけではの負け惜しみであった)

世間の価値観と自分の価値観の対立というには、自分の価値観がしっかりしてきたのって、いや、未だに残業して潰れかけるし、しなければいけない教から抜け出せない。

自分の限りある資源、時間からどういう人生を送りたいのか、どういう人生を送りたいかのイメージに自分をあわせている感で、無理目になって合わなくなっても落ちるだけ流されるだけっぽいの、気のせいかな?

手段をいろいろと変えれないの、失敗の本質を連想する。読んでないけど。僕は子どもにどういう決断をさせたいのか(?)

起こっていることはすべて正しいまでは私と一緒だけど、そこから自分はどう這い上がるのかの選択肢が私より狭いのが目につくというか、

意欲がないというか、この状況をひっくり返す人生への信頼がないというか、そもそも選択があることを考え付かずに困ったなあとたたずむだけ、に見えるんだよね、傍から見たら。

僕らの社会主義 (ちくま新書 1265)

僕らの社会主義 (ちくま新書 1265)

これは★4つ半でおもろかった。感想書きます。

年収35万円で、人に食事をおごってもらう面白い話をすることを心掛けていたとか、そういうことは私でも発想がないというか、発想があるってどういうことなんだろうというか、人生にはパンだけではなく自尊心がないといけないやん。とかいろいろ広がりがありました。


相方が体調崩して、僕に家事がほとんどな縮小更新でした。