個々人が哲学を学ぶ事は、日本全体の幸福の総和を最大化する?

昨日読んだ、富山和彦と松本大の「この国を作り変えよう〜日本を再生させる10の提言」。

この国を作り変えよう 日本を再生させる10の提言 (講談社BIZ)

この国を作り変えよう 日本を再生させる10の提言 (講談社BIZ)

社会保障制度の問題、中央と地方の問題、既得権益と格差の問題・・・
民主政の枠組みの中で「多数派」の中高年世代が、「少数派」の若者や子供たちの権益や利益を奪うという、「世代間の利害対立」がある。

そしてそれに付随して、国民が感じる不安には2種類あるという。
一つは、既得権益層を握っている人たちがそれを失うことに対する不安。構造改革に対する抵抗勢力というのは、これである。
もう一つは、既得権益とは無関係の人が感じる、将来に対する漠然とした不安。
この二つをごっちゃ混ぜにしてはいけない、というのである。

年金制度にしても、破綻させてしまったら現在年金を受け取る層はどうなってしまうのか?という議論しかされていないが、
仮にこのまま継続したとして、将来、その年金を支える層の負担はどうなるのか?という現在と未来の比較がなされてないように、
今の世代の「最大多数」の幸福と未来世代の「最大幸福」との深刻な相克という課題なのであろう。

確かに、「将来の幸福」と「現在の幸福」のどちらをとるかと言われれば、人は「現在の幸福」をとるであろう。
金融の世界でもディスカウントキャッシュフロー(DCF)、現在の価値と将来の価値は異なり、将来になればなるほど不確実性が増す分、その価値はディスカウントされるという考え方があるように、現在の価値のほうが高いのである。
一度手にした地位、資本、権力は放したくなく、未来永劫自分のもとに留めて置きたい。
これはもう、人間の本能といってもいいかもしれない。
個人レベルでは、自分の所に力、金、権力を溜めておくことが自らの「最大幸福」になるのだが、国単位で見れば、それは「日本全体の幸福の総和を最大化すること」には繋がらない。
地位、資本、権力を次の世代に委譲すること、それこそが日本全体の幸福の総和を最大化することに繋がるのであろう。

それができるかできないか、例えば自分が年老いたときに地位と権力を次の世代に委譲できるか、それはもう人の「器」によるところなのかもしれない。
何のために生き、何のために働き、後世に何を残すのか、確固たる哲学を持って日々生きているか、によるのかもしれない。

だから、最後に一言。

個々人が哲学を学ぶ事は、日本全体の幸福の総和の最大化に繋がるかもしれない、と。