レイソ先生の被言及性について考える(中途半端エントリィー)

ウソ、やっぱ考えない。・・・いや、考える
うー、やっぱりやめる。
つーか、レイソ先生はもともと みんなが先生の発言について言及したくなるオーラをナチュラルボーンで既にお持ちで、なんつーか、そのカリスマ性の源というのは解析しにくいなぁというのが印象ですよ、えぇ。たぶん、その文体やコンテンツにちりばめられた人格性っつぅもんがチョット特殊(誉めてます)なんじゃないかと。あくまで自分の印象ですけど、感情、というか表情みたいなもんがこう、見えないというか、仮面*1のように、見る側によってどうとも取れるみたいな謎な多義性みたいな感じが先生の文章には秘められていて、たぶん、そのカリスマ性というのは北野たけしや岡本太郎みたいなスゲェだろうけど、この人何考えているんだか良くわかんない という解釈のノリシロみたいなモンを生み出して、ある種の畏怖を閲覧者に抱かせるんじゃないかなぁとか思うよダンカンバカ野郎。

*1:今思いついた!マスカレイソってどう? どう?じゃねぇようなぁ・・・