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2005-11-29 面白いサイトを見つけんなよ。

akogina2005-11-29

恐怖の存在 - Deep Isolated (下) 恐怖の存在 - Deep Isolated (下)を含むブックマーク 恐怖の存在 - Deep Isolated (下)のブックマークコメント

以下の内容は1994年 現代妄想社出版 阿漕田クニオ著『ブログのへとアレ - ブログに対する民俗学的アプローチ』に収録された阿漕田氏とA.Sirouts博士の対談の内容を転載したものです。

※まだ、「恐怖の存在 - Deep Isolated (上)」をご覧になっていない方は順を追って11/28付けのエントリからお読みください。

二人の話はやがてコミューンの話題から徐々に、一見、非コミュでありながら非コミュとは全く異質な"Deep Isolated"の存在について進んでいきます。

- 阿漕田:では、非コミュの中にはコミューンを形成する必要性を全く感じないグループが存在するのですね?

- Sirouts:ええ、確かに非コミュの持っているコミュ欲求は個人差が多く、高いものも居れば極端に低い者も居ます。しかし、いずれにしろ殆どの非コミュは多かれ少なかれコミュ欲求を必ず持っています。ところが最近の研究において非常に特異なコミュ属性群が存在することが徐々に明らかになってきました。

- 阿漕田:それはどのようなコミュ属性でしょうか?

- Sirouts:おめぇ、口臭ぇなぁ。まぁいいや。それは全く・・・完全にコミュ欲求を予め持たない存在です。彼らの行動様式は一見、通常の人々と同じ、むしろ非コミュや非モテなどの他のコミュ属性よりも社会的にうまく立ち回ることができるくらいです。

- 阿漕田:人と関わりを持たないことに耐えられる人間なんて本当に存在するんでしょうか。一応、民俗学を学んだ者としては信じられないのですが。歴史的にも社会的に孤立していた山の民やタタラ集団、隠れキリシタンもコミューンを形成していましたし・・・。

- Sirouts:確かにおっしゃる通り、彼らは近代以降からはじめて人類学的に確認されつつある、本当に新しい存在です。これは推測ではありますが、彼らは近代以降の都市環境における人口の過剰な密集による人工的ストレスが生み出した、新たな適応種だと思われます。特徴として、先程述べたとおり、彼らは全くといって良いほど、対人関係を必要としていません。だからといって、臨床的なサンプルである境界例や解離性の人格障害、もしくは高機能性自閉症などのカテゴリには当てはまらないのです(G/N比:0.5)。あくまで、親密な人間関係を必要としないニュータイプなのです。

- 阿漕田:コミュ欲求が無いということは彼らはひきこもっていたりするのでしょうか?

- Sirouts:そこが面白いところで、一見、世間との関わりを断っているように見える「ひきこもり」(まぁ、これは生活形態の呼び名ですが)の人々も実はネットやメール、テレビ・ラジオ、漫画、アニメなどの擬似的仮想コミュニケーション媒体中毒であることが殆どなのです。つまり、断絶しているように見えた彼らも実は、我々も避難壕では非常食を細々とかじるように、擬似的なコミュ媒体でコミュ欲求を細々と充足させているのです。ところが、ある種の新世代である彼らはそのような欲求を最初から持ち合わせていませんので、そのような引きこもる必要性もありませんし、またそのようなメディア媒体に侵されることもないのです。

- 阿漕田:ひきこもらない上に、メディア中毒にもならない、そんな彼らの何が問題なのでしょう?

- Sirouts:重要なのはそこなのです。やっとおめぇも分かってきたな、ハゲ。人間というのは古代から社会というグループを形成することによって生き残り、発展してきた動物です。しかし、"彼ら"はそのような前提を根本から崩してしまうのです。社会的ルールというものの殆どはこのような人間関係・社会性を維持する上で便宜的に作られてきました。誰だって、怒られれば凹みますし、人に喜ばれれば嬉しいものです。このような対人的な感情における、ギブ・アンド・テイクがある意味、直接的な利害関係のない他者と他者を結び付ける社会性というものを生み出す役割を担ってきました。ところが、このような当たり前だと思える「人間的な」基本ルールが彼らには全く通用しないのです。ですので、精神的に社会的拘束を受けている我々の目から見ると、彼らの精神構造は全く異質であり、地上とは全く異なる光の射さない深海に棲む、まるで得体の知れない生物のように映るのです。

- 阿漕田:それで、彼らを"Deep Isolated"と名付けたのですね。

- Sirouts:そうです。また、このIsolatedという言葉には"社会とはまったく切り離された"という意味も込めてます。というか、これがメインなのですが。彼らは人間的な関係性を必要としない分、非常に強いのです。深海の生物が高圧に耐えられるようにね。

- 阿漕田:といいますと?

- Sirouts:普通の人間なら、他人を傷つけたり、ルールを破ったりするなどの行為は心理的抵抗を伴います。「人に対して、その人が嫌がるようなことをする」という反社会的行為は、通常なら相手の不快な表情・反応が意識・無意識的にすぐに連想されて、心理的ブレーキがかかります。ところが、そのような”イヤがられる”恐怖をDeep Isolated(ここからはD.Iと略して表記)は持たないのです。これは非常に恐ろしいことです。私たちは他者から拒絶されることを本能的に避けますが、彼らはこの”本能”をもとから持たないため、他人に対して"何でも"できるのです。これは高所に対する反応と似ています。高飛び込み台の上に立った時、我々は飛び降りても安全であることを知りながら、飛び込むことに恐怖を感じます。ところが、D.Iは恐怖をもとから感じませんから、安全であることさえ知っていれば躊躇なく飛び込むことができるのです。これは法律によって個人の行動が制限されている現代においても非常に危険なことです。法によってある程度、統治されているとはいえ、我々の社会は完全な法治形態ではありません。法と法のスキマは信頼や約束というものによって支えられています。この暗黙的ルールを破った者には社会的制裁が加えられ、それは肉体的なものではなく、社会性を持つ動物として非常に耐えがたい罰が与えられます(いわゆる村八分のような)。ところが、D.Iは社会性も持たないわけですから、そのような制裁も全く意味を持たないのです。

- 阿漕田:つまり、彼らは便宜的には”自由”ということですか?

- Sirouts:全く、そのとおり、ハゲで口臭いわりによく理解した。おりこうおりこう。犬やオオカミがグループを形成することにより、狩りを効率化しているのとは逆に、猫科動物はひとりで生きぬくすべを持つ動物です。いわば、犬の社会である我々の社会に彼ら”ライオン”が紛れ込んできたのと同じ状態だと言えましょう。彼らはコミュ的障壁を屁とも思わないので、逆に言えば我々が苦痛に思える行為もやすやすと為し得るのです。「無杖は無情に通ず。」この言葉はまさに彼らに相応しい言葉と言えます。社会的軋轢を知覚しないということは社会において圧倒的強さではありますが、逆に言えば、彼らの目には誰も映っていないとも言えます。彼らは誰も愛しません。これは我々との決定的な違いです。

- 阿漕田:彼らと我々とのあいだには具体的な行動形式の違いはあるのでしょうか?

- Sirouts:彼らがむしろ、我々よりも社会的にうまく立ち廻れるのもそこにヒントがあります。彼らは自らのコミュ欲求からではなく、モノマネとして社会的行動を実行します。これにより、なまじっか感情によって社会的行動を起こす我々より、彼らはモノマネをただするだけですから、スムーズに社会的行動をする"フリ"ができるのです。そのコピー精度は殆ど完璧と言えるようなレベルであることが多く、殆どの場合、彼らがD.Iなのか普通の人なのかを見分けることは不可能でしょう。ただし、他者に対する感情移入能力を精密に計測できる"フォークト・カンプフ法"などが実在すれば別ですがw。

- 阿漕田:(自分だって「w」使ってるじゃん)では、最後に。我々はD.Iという存在とどのように付き合えばいいのでしょう?

- Sirouts:人口率から言えば、彼らに遭遇することは宝くじに当るより低いでしょう。それでも遭遇した場合は・・・。まぁかかわらない方がいいんでないの(こう言いながらハナクソを阿漕田氏の額ににしくりつけるSirouts博士)。

- 阿漕田:おめぇがD.Iじゃん・・・。

編集後記 - 今回の転載にあたり。 編集後記 - 今回の転載にあたり。を含むブックマーク 編集後記 - 今回の転載にあたり。のブックマークコメント

当ブログでは社会に対する警鐘的意味合いも込めて、阿漕田氏の著書の対談部分を転載させて頂きました。しかし、まだ皆さんにお知らせしていない事実があります。

今回、転載させて頂いた『ブログのへとアレ - ブログに対する民俗学的アプローチ』の著者である阿漕田クニオ氏ですが、実は氏は2001年7月に既に亡くなっています。それも病死や事故死ではなく、何者かによる殺害によるものでした。ここでは詳細を控えますが、殺害現場の様子は酸鼻を極めるもので、当時編集者であった私も少なからぬショックを受けていました。

これをご覧になる皆さんは、なぜ日本における民俗学者の第一人者である、氏が殺害されたにもかかわらず、大きく報道されなかったかと疑問に思うかもしれません。これから、そのとある"事情"をご説明しようと思います。

         

殺害現場である、氏の書斎の壁には、ある謎めいたメッセージが残されていました。以下はその引用です。

こんにちは こんにちは ぼくはまちちゃん

ぼくはこども

あたらしいこども

くらく ふかい ところからやってきたんだ

おじさんのともだちがぼくになまえをくれた

ぼくはこども

あたらしいこども

ぼくとおにごっこしよう 

ぼくをつかまえてごらん

      ふるいニンゲンたちへ

(※このメッセージはその後の鑑定で、氏の肝臓の血液で書かれたものであることが判明しました。)

犯人が示す、この"おじさん"というのが阿漕田氏を指すのであろうという見解は一致したものの、その"ともだち"が誰を指すのかはまだ結論が出ていません。

当時、警察は氏の研究グループに所属していた研究生 S山Y範(仮名・当時19歳)が事件当日から失踪していることから、最重要参考人の候補として挙げていたものの、のちにS山が、ある警察官僚の親族であることがわかり、捜査本部への圧力などにより、その後の捜査・マスコミへの報道は控えられたようでした。なので、未だにS山の足取りは捉えられていないようです。


最後に、今回の再掲について A.Sirouts博士から寄せられたコメントで締めくくらせて頂きたいと思います。

わたしたちは忘れてはいけないのかも知れない。

彼らにとって、この世界は単なる"大きな実験場"でしかないことを。

                    - A. Sirouts

                <編集部>

G/N比:ほぼ0

桃尻娘と雑感男 桃尻娘と雑感男を含むブックマーク 桃尻娘と雑感男のブックマークコメント

  • スマンです。

また長くなっちゃいました。

  • めんどいし、

あまりブクマされないので、以前の形式に戻します。おぇ

  • 結構

マジメに書いてます。

  • おまえらは(失礼)

アレか。あの雑感読んどいて、なんのバトンも飛んでこないというのはどおゆー(ry

  • うぇb上

非コミュ確定。

  • 有料オプ

入れてみたんだけどよくわっかんあい

  • 一応

加藤あい入れてみた。

思ったよりちいさいじゃねえか!

\(*^_^* \

  • てst
24人の加藤あい

24人の加藤あい

  • 「DWS(デーサイ)は

読み手市場への書き手の復讐」

とかいうハナシ書こうかな・・

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