カウンセリング体験記4

25年前にカウンセリングを受けた時の経験談を、18年くらい前書いた文章を、ほぼ丸写しにして綴っているのだけど、困ったことに、書いたものを一部紛失していて、vol.5とvol.6が無い。
vol.5は普通の絵画療法についての続きを書いたんじゃないかと思うけど、vol.6は初めて“催眠療法”で絵を描いた時のことを書いていたらしい。
実は現在の記憶では、初めての“催眠療法”の回と2回目の記憶がごっちゃになっていて、同じ回に続けてあった出来事のような気がしていたのだけど、残っている文章のvol.7に2回目のことが書いてあったから、そこに書いていないことだけが1回目だったのだろう。
そのように記憶を整理して、“催眠療法”第1回目のことを書いていこう。

カウンセリングを受け始めて、半年くらい経った頃だったか、J先生が、「催眠をかけて絵画療法をしたことがある」という話をしてくれた。
J先生は、私の仕事が教師だから、純粋にクライアントというよりは、カウンセリングの研修も兼ねてカウンセリングを受けている、教育分析のような意味合いもあると思ってくれていたようで、カウンセリングの方法について説明してくれることもあった。その中での話。
私は、催眠をかけられたことはなかったけれど、母がカウンセラーだったからか、何となく催眠(テレビでやるよいな“催眠術”ではなくて、心理療法とかでの催眠)のことも知っていたのだと思う。当時自分は、「催眠(も催眠術も)は、(私が自分で)かからないようにしようと思えばかからないし、かかろうと思えばかかる自信がある」とか豪語していたような気がする。
私はJ先生の話を聞いて、「催眠をかけての絵画療法」にすごく魅力を感じた。それで、私もやってみたいと話して、催眠をかけてもらうことになった。
催眠をかける時には、私は目をつぶって体を楽にして座っていて、先生が「手が〜〜なります」とか「足が〜〜なります」などと言って、その後、見える光景(先生が見せようと思う光景?)を話していったのだったように記憶している。本来は、先生の言葉に合わせてその光景が見えていくのだと思うのだけど、私の場合、ちょっと違った。先生が初めに言ったのは森の中ということだったと思うんだけど、私に見えている光景は、その先に勝手に進んでいってしまう。そんなことは知らない先生が、森の光景の続きを話すので、それが聞こえると先生の言葉に合わせるように光景が引き戻される感じになる。それが、いたく気持ちが悪かったのを覚えている。
でも、初めての催眠だし、そのまま先生の指示に従っていた。そして、先生が潮時と判断したのだろう、目を開けるように指示されて、鉛筆を持たされた。
催眠状態で絵を描くということは、自分の意識的な意志で描くというより、“無意識”が描くということ。どんな絵を描くのか…期待でドキドキ…のはずだが、この時の私は“無意識”が何だかすごくふて腐れているのを感じた。描く気がないのに、無理矢理鉛筆を持たされた、という気持ちが伝わってきた。
「伝わってきた」という表現は変かな? 意識も無意識も私なのに。でも、他に適切な表現が見つからない。無意識が感じていること、考えていることは、テレパシーのように伝わってくる感じがする。
とにかく、ふて腐れた無意識は一応鉛筆を持ったけれど、いかにもやる気無さげ。しっかり鉛筆を持たずに、ひどく薄い筆圧で、紙の左から右に向かって線を引いていく。意識の方は、見えているけれど、催眠中は手を動かす権限は無意識にあるらしい。ずっと引いていって紙の右端に近づいても、止まる様子が無いもので、
「あ、紙からはみ出しちゃう!」
と(意識が)思ったら、
ポンッ!
と、手が鉛筆を投げ出した。
無意識が怒ったのだ。しかも、
「今までも、いつも、いつも、こうだった! もう嫌だ!」
みたいなことを、無意識は叫んでいた。
その後の細かいことは忘れたけれど、J先生に催眠を解いてもらい、私は催眠中に感じていたことと、「無意識がこう言っていた」ということを話したのだと思う。
この日はどのように終わったのかも、覚えていないのだけど、「描く気のない無意識に、無理に絵を描かせるのは良くない」とか「無意識が描く気になるまで待ちましょう」みたいな話になったのではないかと思う。
さて、その次の回は?