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1125 小説を発表することにしたよ!

以下2010年11月25日のエントリーですが宣伝のために当面いちばん上に転載しておきます。なお、ダウンロードページはこちら→


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生麺工房鎌倉パスタは株式会社サンマルクホールディングス傘下の株式会社鎌倉パスタが経営するパスタ屋で本社は親会社と同じ岡山市北区平田173−104を所在地とするもので、どのように鎌倉と関係しているのかわからないと思っているとサンマルクホールディングスはすし処函館市場や広東炒飯店なども運営しているらしく、地名をつければいいと思っているふしがどこかにあるようだということがわかったしそもそもサンマルク自体が「ハイチ中部、アルティボニット県南部の港湾都市」であるならば、小会社の冠に地名を配すなどなんでもないことなのだろう。あっぱれ讃岐というものもあるようで、讃岐といえば私は丸亀製麺が大好きでサラリーマンである時代には週に3も4も下手をしたら5も行ってうどんをすすっていたわけだけど知るだけでも市内には讃岐製麺、坂出製麺というものもあって、どちらも劣化コピーにしか見えないから勝負にならないからいいけれど、岡山の人は土地の名が好きなのかもしれない。神戸元町ドリアなんていうところもある、と思ってググればまさにサンマルクホールディングス傘下の一つだった。

それにしても日曜の晩、いつものように夕飯ジプシーになった私たちは映画館でアンドリュー・ニコルの『TIME』を見たあとにどこで飯を食えばいいのかと迷いに迷い、当て所なく車を流し続けた結果、生麺とかあるし多少はおいしいんじゃないか、という私の提案のもとで生麺工房鎌倉パスタに入ったのだけど、メニューの写真ではおいしそうだったあれやこれやも出てきてみれば貧相な盛り方で、食べてみれば雑な味付けで、何一つ面白いところなく食ってすぐさま出た。最近、たまにトマトのシンプルなパスタを作っておいしいおいしい言っていたからちゃんとした店のそれはどんな感じだろうと同系統のパスタを頼んでみたのだけど不遜ながらこれなら私が作るものの方が残念ながらよほど滋味に溢れておいしいと思ってしまったわけで、それにしてもなんで鎌倉なのか、公式サイトを見ればわかるかもしれないが行く気にもならないので謎は謎のままだけど、鎌倉でパスタとなると私の記憶は即座にタベルナロンディーノにアクセスしてしまうわけで、私はあそこで食べる一つ一つが本当に好きで、いつか恋人を連れて関東に行く用があった暁には絶対に行こうと決めているのだけど、あそこで食べた味、過ごした思い出深い時間すらも毀損されてしまいかねない不当な命名が日曜の晩のあの店にはあるわけでそう簡単に許すわけにもいかないような気もするし許さないということがどういうことなのかはまったくわからない。二人で出した結論は以下の通りで、食べるならある程度ちゃんとしたところでちゃんとした対価を払って食べよう、そうでないならば一切食わない、どうしても腹が減るなら減る腹を埋めるためだけに存在するようなファーストなフードの店で食えばいいじゃないか、ということだった。贅沢だろうか。もしかしたら贅沢かもしれない。

マズローの欲求段階説ではないけれどそれかもしれないけれど、ある程度のところ生活の安定、安定と呼べる代物ではいささかもないにしても、生活が十分にできるという状態にあると贅沢になるのか、そこで初めてこの感情が生まれてくるのか、むなしさを私はいろいろなところで覚えているらしく、今日も一日精神的な虚脱状態のようなものに支配されていて難儀したのだけど、なんだか、何を目標にして日々を暮らしていけばいいのかがよくわからないような感覚に苛まれていて、苛まれていてといっても今日がたまたまその日にあたっただけかもしれないけれども、いや、違う。むなしさとかは関係なくて、なんというかそうかあれかもっとメリハリをつけて時間を過ごしたいなと、そう思っている。日々、なんとなく忙しくてなんとなく仕事が続いて一日が終わって、眠い目をこすって映画を見て途中で寝て朝うまく起きられなくて開店までに焦ってなんとなく忙しくてのループをループしているだけで日々が過ぎていってしまうようで、こんな状態は私は望んでいない。一日の24時間に何をどう投資してそこからどんなリターンを得たいのか、もう少しばかり明確にしていかないと、このままダラダラと年ばかりを食ってしまいそうでそれが怖い。

パソコンに向かったら向かったで本当に、私はいったいどんな目的でたまるフィードを処理しているのだろうかと、あほらしくて仕方がない。岡山という地方都市で飲食店を営む、という状態は簡単に視野を狭めてくれそうだから、もっと広い視野で、自分たちとは異なるパースペクティブを得るために、とかなんとか、それらしいかそれらしくないかは別として理由なんていくらでもつけられるけれど、だからといってはてなブックマークの人気エントリーをさらっていって私にいったいどんな関係があるのだろうか。そこから何が得られるのだろうか。なぜ私は見も知らぬ、本来ならば興味もないアルファブロガーのブログを見てほおほおと頷いたりしなければいけないのだろうか。書物に当たれ。それでいいじゃないかと、思うのだけど、やはりこれは私にとって簡単に手に入る逃避なのだろう。なんでフェイスブックに張り付いて別に興味もない友人の近況にいいねを押さねばならぬのか。それを知って、私の生の何がどう豊かになるのだろうか。なぜ、見た映画の感想をどう「友達」たちに伝えようとあれこれを考えたりするのだろうか。あるいは140字の制限に、何を制限されているのだろうか。馬鹿らしい。自分の文章を自分だけで書けばいいじゃないか。極めて虚しい。だから、だからといって、なんで私はここに向かうのか。ブログにこんなことを書いて、下がる溜飲もないし、得られるものもないし、何を吐き出して、気分をよくしようとしているのか。この文章を書いている今のこの感じは嘔吐の様相にとても近くて、ゲロを吐いて、マイナスをイーブンかイーブンに近いマイナスの状態に戻すだけで、何も私を引き上げることはない。指の運動とはよくいったものでタイピングされていくこの指が、なんだっけ、よくわからなくなった。


タバコを吸っている。閉店して、店の本の部屋で小さな灯りをつけて、向こうには川が流れていて、「カタカタしてから帰る」と言って彼女を帰らせた店でビールを飲んでタバコを吸いながらこの文章を書いている。橋をたまに車が通っていく。音がそれを知らせる。今日、別にまずいことは書いていないとは思うけれど、いつかこういった嘔吐がもとで問題を起こしたりするような気もする。周囲との軋轢を生むきっかけになったりするような気もする。それはそれで別にいいしそもそも周囲ってなんなのかわからないしそんなものは幻のような気もするし実際にいざそうなったら後悔するだろうけれど、考えてみればこのブログとて、そういった問題が生じたことで始められたというか、移転を強いられて始まったのだった。2006年の夏ぐらいのことだった。大学3年の夏休みのことだった。私は脅迫めいたことをされていた。毎朝起きれば10件とかそれ以上の着信が残っており留守電にはゴリゴリの関西弁で100万円がどうのこうのというメッセージが残されていたりもした。そういった状況で、それまでやっていたブログを閉鎖して新しいアカウントを取得してこの場所を始めたのだった。あほらしい始まりだった。同じことがいつか起こるかもしれないし起こらないかもしれないしどうでもいいんだけどとにかくこんなところにしょうもない文章を打っている場合ではないというか、こんなことじゃいけないんだった。何か、とても気がふさぐ。私には何もないような気がしているがこれは思い過ごしで、「私には何もない」だなんて、そんなことを言ったら斬首の憂き目にあうだけだからしないのだけど、本当に、いい加減こんなことじゃないけないんだと日々思っている。行動を、作業をし続けなければいけない。ところで以上のこれらは贅沢者のたわごとだ。

0115

2011

その年のことをこの日付から書き始めることが姿勢として正しいものなのかどうかはよくわからないのだけど3月11日、3月の1日から始めた出社拒否2週目の後半のその時間、私は部屋のソファに座りずっとそうしていたようにPCの画面を眺めていて、そのときはちょうど、タイムライン上にあった何かに触発されて青山真治の『ユリイカ』と『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』を見に行った何年か前のテアトル新宿のオールナイトの晩と朝を思い出していたところで、その日付を調べてそういったことに関してツイートをして、それが反映したかされないかのタイミングでタイムラインの空気が一変して、何かが起こったらしいということを知った。家族と連絡を取り、友人たちの安否が一つずつ確認され、それから本社の人事部から「リスケ」との連絡を受けた。夜、気があまりに滅入ったので外の空気を吸いに本屋まで出て、店に入るか入らないかするとき、自分もいつ死ぬのかわからないという簡単な事実に突き当たった。死ぬときに満足できないとわかっている人生を歩み続けるのは人生にとって非礼にもほどがあるのではないかという、あまりに単純な、そしてこれまでも繰り返してきたのとなんら変わらない自問を、それまでとはまるで異なるリアリティとアクチュアリティの中でおこなった。自分がとてもシンプルな人間であるということがよくわかった瞬間だった。


それから数日はひたすらにいたずらにツイッターとUSTを見続けていた。画面の向こうの様々を見ながら、これまでに味わったことのない深刻な気分をまとい続けていた。それが私の震災体験のほとんどすべてだった。とても遠かった。


週が明けて会社に復帰した。相変わらずバカみたいな気分だった。東日本の分まで、という言葉が朝礼等でよく聞かれた。意味がよくわからなかった。

3月の後半の夜半、彼女から電話があり、かいつまむと一緒に店をやらないか、という話だった。2日考えてやることにした。

もともと私は東京に戻る予定だった。そのために社内異動の募集に手を挙げて2月に面接に行っていた。それは落ちて、うんざりして、それから3月の12日が他の部署の面接予定日だった。出社拒否をしていたこともあり、あと一日早く向こうに行っていたら、と、このことを私はアンビバレントな心持ちで考えることになった。行っていて危険な目に遭わなくてよかった、行っていればより当事者性を獲得できたかもしれない。自分が本当に、軽薄な生を生きているということが確認された。

それで、だから、12日の面接がたしか4月1日あたりに「リスケ」されたことにより店の話を受けることができた、という可能性が高く、念のためと帰京のために受けた面接はたぶん通っていた。そのときは彼女を連れて東京にゆく予定だった。東京にいって、いいのかなと思いながら毎日を高層ビルの一室で過ごすはずだった。

いずれにしろ、そうはならず、4月、今まで見たことのない大きな金額を居抜きの代金として人に渡した。半ば、上司に退職を伝えた。6月の開店に向け準備を始めたが、夜まで仕事はあり、どういうスタンスでそれに参加していいのかよくわからなかった。いろいろな人が手伝いに来てくれた。ありがたく、申し訳なかった。

5月、これまで触ったことのなかった道具を触り、棚を設置したり、壁や板を塗ったり、大工さんに入ってもらったり、家具や雑貨を購入したり、食材を購入し試作したり、そうして20日ごろ退職した。上司や事務の方に謝意の表明として高島屋で買ったハンカチーフを渡した。10日間、焦りながらさまざまをおこなった。


6月1日、オープンした。人が来て、私が作成した飯を食ってうまいと言い、金をくれた。これはすごいことだった。そこから先はあまり覚えていない。10年欠かさなかったフジロックに行かなかった。かわりに夏は堤防に座ってビールを飲んだ。彼女とは一生分とも思える数の喧嘩をした。ライブやイベントの話がいくつかあり、それらがおこなわれた。12月に来てくれたノックの帽子屋のノックさんがいた3日間が半年のハイライトとも思えるほどに心地よかった。また、たくさんの人と知り合った。岡山にもこんなに人がいたんだということが知れた。いい出会いもいくつもあったような気が勝手にした。

営業面としては、いくつかの雑誌に新店ゆえに掲載してもらったこと、場所柄観光客が見込めること等の要因が重なり、11月までずっと忙しかった。休日等、あまりに忙しい日には多くのお客さんを失望させ、彼らは二度とは来てくれないだろう。それでも、この場所で金を得て十分に生活していけると知った。ただし、12月になって売上が急減した。それを寒さのせいだと私は言うが、ただ単にビギナーズラックが終わっただけの話かもしれない。あたたかくなればある程度わかるだろう。


楽しかった。こんな生き方が自分にもできるのだということが新鮮な驚きだった。サラリーマンのときには人生は塞がれていると思っていたが、自営業を始めて、たとえこの店を畳まなくてはいけないことになったとしても、組織に隷属しない形で何かしら生きていくすべはあるんじゃないかと考えるようになった。それは前向きな発見だった。


そういったもろもろの事情により2011年は映画も見ず、小説も読まず、音楽もあまり聞かなかったので去年のようなベスト10とかにはならないのが悔やまれるというか、今年はもっとそういったものに触れる時間を多く取りたい。何より、小説を書きたい。


■本

・米澤穂信/夏期限定トロピカルカフェ事件

・佐々木俊尚/キュレーションの時代

・平倉圭/ゴダール的方法

・磯崎憲一郎/赤の他人の瓜二つ

・青木淳悟/私のいない高校

・高橋源一郎/さよなら、ニッポン

・トマス・ピンチョン/競売ナンバー49の叫び

・フランツ・カフカ/審判

・東浩紀/一般意志2.0

・長谷川町蔵 、大和田俊之/文化系のためのヒップホップ入門


カフカ以外は初読。あまり小説を読まなかったらしい。数年前の私が見たら「こんなふうになっちゃうんだ」と失望するかもしれない。しかし残念ながらここに挙げたものはどれもすばらしく刺激的で私をうれしくさせた。

米澤→たどり着いた彼のその認識が重かった。佐々木→あたらしい時代を私は歓迎した。平倉→刮目させられた。磯崎→迷い込んだ。青木→薄ら寒かった。高橋→わくわくした。ピンチョン→出来事が目の前で起こっていた。カフカ→目を離せなかった。東→夢があった。ヒップホップ→すっきりした。


■映画

・キック・アス(マシュー・ヴォーン)

・アンストッパブル(トニー・スコット)

・ヒアアフター(クリント・イーストウッド)

・冷たい熱帯魚(園子温)

・ソーシャル・ネットワーク(デヴィッド・フィンチャー)

・人生万歳!(ウディ・アレン)

・ゴダール・ソシアリスム(ジャン=リュック・ゴダール)

・東京公園(青山真治)

・スーパーエイト(J・J・エイブラムス)

・モテキ(大根仁)


新作だけにするつもりはなかったが結果的にこうなったことは2011年の乏しさを如実に物語る。本当に映画を見られなかった。見る環境とリズムが整えられなかった。しょうがないといえばしょうがないが、それにしても、もっと映画に心躍らされたい。というかシネマヴェーラに行きたい。かつてのように。

キックアス→多分に漏れずヒットガールに釘付けにされた。アンストッパブル→エンドロールを見つめながら涙が止まらないことが不思議だった。ヒアアフター→考えてみたけど特にこれといってどうということもなかったかもしれない。冷たい熱帯魚→人がたくさん死んでうれしかった。ソーシャルネットワーク→大学って楽しかったなと思った。人生万歳→久しぶりにウディアレンで万歳した。ゴダールソシアリスム→客が一人だけだった。東京公園→映画があってよかったと思った。スーパーエイト→これも考えてみたら特にどうということもなかった。モテキ→動揺しながらこれでいいんだと思った。

東京公園がもっとも私を打った。


■音楽

・dakota suite / the hearts of empty

・S.L.A.C.K. / 我時想う愛

・小西泰寛 / 私は歩く

・Animal Collective and Vashti Bunyan / Prospect Hummer

・atlas sound / logos

・derek bailey / improvisation

・bon iver / bon iver

・N’夙川BOYS / LOVE SONG

・渚にて / こんな感じ

・kraig grady / our rainy season - nuilagi


日々店で流している音楽は厨房にいるとあまり聞こえないし、なんせカフェなのでカフェっぽい雰囲気を出さなければみたいなところもあり、必ずしも聞きたい音楽が流れているわけではない。その中でドローンはかなり掛けていてたまに苦情をいただく。本当はヒップホップをもっと聞きたい。年の暮れの方に鮮度のいい音楽を教えてくれる流しのCD屋さんと知り合って、今後いろいろなものに出会わせてもらえるとうれしいと思っている。

dakota suite→何を流そうかと迷ったらこれを流した。スラック→今年もなんやかんやスラックが一番響いた。小西泰寛→岡山のペダルスティールギターの若い人で、演奏も歌もすばらしく心地よかった。animal collective→アニコレとvashtiさん(読み方わからない)がこんな化学反応を起こしていたとはというので喜んだ。derek bailey→この作品に限らず、相変わらず私を落ち着かせた。bon iver→やさしかった。N’夙川ボーイズ→モテキで知って買ってロックンロールは鳴り止まないんだなと思った。渚にて→高校生の時分に買ったもののよさを今頃になってわかった。kraig grady→ドローンに高揚し胸を躍らせた。

総じて特に思い出深いというものがない。


以上2011年のまとめでした。

0111

2012

いいねいいねというのはやはりよくないというか面白くなくて、よくないものにはよくないと言っておかないと本当にいいと思うものが死んでいってしまうような気がする。だからあんまり簡単に「いいね!」とやらないようにしたいところだけどうら若い見目も麗しいような女子があけましておめでとうございますとか新年のあいさつをしていればつられて「いいね!」を押してしまうのが人情というものなのかもしれないなと、一方で思うわけだけどいいねの安売りはやはり、つまらないものの是認はやはり、よきものを脅かすような気がしてならない。仲良しこよしもいいけれど、もっとヒリヒリした時間を過ごしたいんだと、もうずっと同じことを考えているのだけど、インビジブルなしがらみに勝手に拘束されて私は笑顔を絶やさない。笑顔の安売りも、それから本来必要のない空気を読む行動も、どれも自分に跳ね返ってくるのだと、そういうことを年末から年始にかけて考えていた。

年を越して、どうも人々はそれだけで自分が変われるような、そんな都合のいい考えに支配されがちだけど実際はなんも変わらないんだということをいったい、なんかい年を越したらわかるのだろうか。年をまたいだって人は一つ数えで年が増えるだけで、それがチェンジってことだよとか言えるような厚かましさの人であればオーケーだけど年が変わって今年はこれこれこういうことにチャレンジしてみたいですだなんて、年越しを契機にするしかないようなモチベーションじゃなんも変われるわけがないんだよ。などと新年からフェイスブック等を見ながら私は思わなかった。私に関しては2012年の本年は店を軌道に乗せて安心した顔してフジロックに行きたいです。あとは最近すごく「楽しい」が楽しめないので楽しくない感じを明るく表明していきたいです。今年は私は変われるような気がする。


いよいよ、何を言っているのかわからなくなってきた。新居は快適である。wimaxの電波が微弱すぎることを除けば。であるが今日PC持って帰ってきてネットに接続を試みたところBBUserというやつがロック掛からずに飛んでいたのでそれで接続することにして、そうしたら快適ぬるぬるなのでハッピーである。

おとといだったか、もっと前だったか、2年間使っていたDELLがいよいよ動かない状態になったので初めてのMacにすることにしてMacBook Airを買った。MacにしたのはオシャレそうということもあるけれどiPod持ってるしiPad持ってるしXperiaにうんざりしていて夏に2年のやつが終わるからそのタイミングでなんやかんやみんな便利そうに使っているしiPhoneかなあとか思っていたところだったので、だったらいっそ、という選択だったのだけど、今のところ戸惑いつつ楽しいです。トラックパッドがすこぶる気持ちよくてむだに画面をスクロールさせたり切り替えたりしていて、私はテレビゲームは中学生で卒業したのだけどあのときのわくわくした感じだよね、今の我々にとってガジェットって、というところであった。年始は併せて『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』を見たので、手に汗を握るというか高所は本当に私のてのひらに汗をかかせるということを知った。去年みたいに「去年見た映画でよかったのは」とかやりたいんだけど、いかんせん全然映画も見ていないし本も読んでいないし音楽も聞いていないことはないけどそんなに聞いていないし、そういうことができないのがさみしい。ベスト10にはならないだろうけど何がよかったかまとめて次回にでもアップしたい所存。


それはともかく、というか所存も何も、読んでる人がいるのかもわからないブログで何「次回は」とか言ってんだろうか。どの口がそれを言わせるんだろうか。いい加減そういうことは卒業して大人の階段でものぼっている途中に転げ落ちた人間の様を活写でもしたい。しかし残念ながら私は階段を転げ落ちているつもりはなく、去年、6月にそういえば飲食店を始めた。2011年という年が私にとってなんだったのか、まだよくわからないけれど、あとから考えたら間違いなく何かのターニングなポイントになっているだろう。バニシングなポイントにたどり着いたときにそれを知るだろう。本当の意味というやつを。という倒置法を駆使して私の言葉というのは紡がれてきたわけではない。私はそんなレトリックに頼らずにこれまでもこれからも人々の琴線に別に触れたくもないというか琴線とか触れたら変などろっとした液体とかが付着しそうなので潔癖性的にはそれはアウトなのでもう完全に触れたくない。においとかもつきそうだし、その際に手を洗いすぎて荒れるみたいなことにもなりたくない。


まあ何ってわけでもないけれど、現在はピンチョンを読み進めている。本当に遅々としたペースで。というか今は以前友人にいただいた探偵物語サイコ順平だったっけな、そういうタイトルの漫画を読んでいる。とても面白い。

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年の瀬なので歳暮を一つ送った。デパートの6階1フロアまるまるを使った歳暮用の特設ブースは寒々しい広さで、行ったことのない就活イベントを想起させたのだが、実際は旧式のパソコンでデジタルだけどなんだかアナログな印象の操作をおこなう場所だった。私はそこで4000円と消費税等を支払った。初めてのことではあったが、悪い気分はしなかった。手紙を込めた。礼を書いた。

一人で生きているわけではないということはずいぶん前から知っているというか意識が芽生えたところから一人で生きていると思うことを許される状況にはついぞ出くわしたことがないままに26歳にもなってしまった以上、一人で生きているなんてひとつも思ったことはないけれど、それでも他人というものがなんなのかは今の今までまるでわからず、けっきょくすべては自分のことへと収斂していく様を見るにつけ、一人で生きているふうを装いたいのかしら、と思わないわけでもない。年の瀬ということもあり、長い小説を読みたいような気もしていたし、それこそ、『失われた時を求めて』のような、長い小説を手に取ってしまいたいとも思ったから、『失われた時を求めて』の場合は年の瀬に読み始めてそれから何回も年の瀬を迎えるということにもなりかねないから、それにすでに読んだから、取らなかったのだけど、思い出せば去年はガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んでいた。読んだのは二回目だった。何度読んでもこれはたぶん面白いだろうなとそのとき思った。今年は満を持したかっこうでピンチョンの『逆光』を買った。いつ読み終わるのかも知れない長さであり、書店で購入した際には身震いにも似た奇妙な緊張を感じていたものだし、今だって、1ページ1ページ、1行1行を大切に読みたいと思ってはいるのだけど、どうしても、いつお客さんが来るかわからないと思うと進む目も進まず、それが続くと開くのも気が進まず、まだ100ページも読んでいないから話がどう進んでいくのかまるで見当がつかない。その状況は、悪くない気分だった。

冬になり、というか12月に入り、てきめんにお客さんが減った。つまり売上が驚くほどに減った。しかしこれは私の犯している大きなあやまちかもしれなくて、12月になり、ではなく、開店から半年が過ぎ、がもしかしたら正しい記述なのかもしれない。つまり、この先どうなるかはまるでわからないということで、気分で言えばあたたかくなれば人が戻ってくるだろうと、わりに楽観はしているのだけど、開店から半年が過ぎ、人々の興味が一服し、これからいつまでも下降線をたどる可能性だって、それは否定ができないのだ。だからこそ、暇だからこそ、長い本を読もうとピンチョンを取ったわけで、夏は、忙しかった夏は、冬は暇になるだろうから、そのときにたくさん本を読もう、映画を見よう、小説を書こうと、それを楽しみにしていた。それがそのままに実現しているのに、お店は大丈夫だろうかと心配しているこの様は実にこっけいだ。

私は、自分のことばかりにかまけていて、いつの間にか誰も寄り付かなくなるということをちゃんと考えたことがない。それは大きな、私が犯した大きなあやまちに果たして、なるのか、それは当然、今のところはわからない。どれを考えてみてもそれは憶測の域を出られない。半年という時間ではかれるものなんてこれっぽっちもなくて、一人で生きているわけではないということは十分に承知しながら、私はどうやってこの生を暮らしていいのか、それをはかりきれずにいる。人々がくだらないように見える時間を過ごしているなかで私が、いったいどうくだらなくないのか、その根拠などどこにもないようにも思える。今日考え事をしていて、これまで、どこまでいっても自分の身体からは逃れられないということに対して絶望に似た気持ちを抱くことは多々あったが、今日考え事をしていて、身体と同様に、どこまでいっても自分がこれまで生きてきた経歴から逃れることもできないのだと初めて、そう思った。くだらないことにとらわれていてもばかばかしい、あほらしい、不毛、万死にまでは値しない、それでもそうとうにどうでもいい、ということはわかっていても、私は私であるを規定するそれがあまりにも脆弱であると思え、ばからしい、とシニカルな態度でそれを一蹴したところで、一回りして私にぶつかって落下した。それっぽいことを言えば人々は満足する。私はそれを知っている。私の生にどんな意味があるのか、私はその答えを知らないままでいる。全部はばからしくはないけれども、見聞きするたくさんのものが非常にばからしい。

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これといって書くこともないのだけど何か指を運動させないと動かなくなってしまうような気もするので何かと思っているのだけどやっぱり特にこれといったこともなく、ということもなく昨日無事決まった新しい家に越してきたというトピックがあって、今回の引越しで学んだことは多々あるというか、引越しなんて今までなんの障壁もなく簡単に書類への記入とお金さえあればできるものだと思っていたのだけど、そんなことはなかったんだということが最たるところで、飲食店経営という下賤の身分になってしまった以上、管理会社か何かが引き受けに難色を示し、棄却、ということも十分にある、というか今回もフィフティーフィフティーですねと言われていたのだけど、おそらく、連帯保証人になってもらった父親のあれこれによって救われた格好となったらしかった、とのちに聞いたというか不動産屋は引き受けの基準を知らされないのではっきりとしたことはわからないのだけど、飲食店経営、さらにペーペーで収入もどうなのかはっきりと提示できるものを持たない私のような人間はたぶんそれだけだったら即アウトなんだろう。ビールを飲みたい。


引っ越した、と言っても布団と衣類と歯磨きシャンプーだけしかまだ運んではいなくて、なし崩しの引越しというか、とりあえずの引越しというか、とにかく、寝られてシャワーが浴びられればそれでいい、という感覚のものだった。これまで半年のあいだは店で寝泊まりをしていた。友人のおかげで家賃1万円の家、それは元学生寮とかの一軒家で2階建て5,6室あるところなのだけど、そこを1万円で借りてはいたのだけど、どうにも店からの距離等の問題があり夜帰らなくなり、店で寝て、朝起きて帰ってシャワー浴びて店戻るというのが定型になってしまってここまできて、いよいよ寒いぞ店、ということで今回店から徒歩5分程度の場所に落ち着くことができてこれ大変幸いと思っている。ここのところ映画は見ていない。

『エンディング・ノート』を見て人と同じように涙を、完全に嗚咽をこらえるのに必死になりながらたくさん流したりはしたけれど、それ以来何も見ていないような気がする。それがとても気に掛かる。それがとても気に掛かる。


一方で本はちらちらとそれなりに読んでいて今月もすでに5冊読んでいるが、小説は今日読み終えた山野浩一の『殺人者の空』だけであとは、

とここまで書いて山野浩一のブログを読んだりしていたら続きを書くのがどうでもよくなってしまってもう更新してしまおうかとも思ったのだけどそういえば週末はやけのはらとドリアンが出ているイベントに行ってきて初めてやけのはらのライブを見ることができた。とても楽しかったです。あの鋭い眼光はいったい何を見て何を思っているのだろうと、ときおりそう思った。しかし最近は、もう本当に、楽しい場を楽しめないような体質になってきたような感じがあり、というか今までもあったのがより顕在化されてきた感があり、楽しいのなんて一切いらないから、なんか凄まじいのちょうだいよ、とあれこれの場で思う。あまり笑わない。笑っていてもいいことがない。笑っているのは仕事中だけで十分というか一生分ぐらい笑顔を作っている気がする。それは言いすぎだしふつうに笑っていることもたくさんあるけれども、というか考えてみたらだいたい自然に笑っている気はするので前言は撤回されてしかるべきではあるけれど、それでも、クラブとかライブハウスとかに行って、私はぜんぜん笑顔になんてなりたくないなと思う。気持ちよくて口角が上がるとか、そういうものならばいいけれど、「気持ちいい音だね」「そうだね」とか、知らないけど、どんな会話がおこなわれているのか知らないけど、わざわざ騒音の中で話さなければいけないようなことはおそらく交わされていないのだろうし、私はなんというかもうとにかく、笑ってなんていないで深刻な音を響かせてよと、そればかりを思う。


山野浩一の小説のトーンというか、あれこれは私をけっこう不安にさせた。最後の「ザ・クライム」の登山描写がすごくて、なんか登山ものの映画というかテレビドキュメンタリーとかでもいいので登山する人の姿を見たいなーと強く思わせられた。それとはまた別に、彼女というかマイスイートハニーに読む本を勧めるというか、「なに面白い?」と聞いてくるのでそのときどきでこれ読んでみたらというので読ませているというか読むよう提案をして実際に読んでくれてというか読んでいるのだけど、最近だと阿部和重『シンセミア』、フローベール『ボヴァリー夫人』、伊藤計劃『虐殺器官』を読んで、影響を受けやすい人なので『ボヴァリー夫人』を読んでいるときは「いやでもレオンはさー」みたいな、もう読んだの何年も前の人間に向かっていきなり断りなしに登場人物の名前を出してきて、読み終えたときはその結末に放心したという。『虐殺器官』もずいぶん夢中になって読んだみたいで、あとでメモをしていた引用を読み聞かせてくれた。意識がどうとか言っていた。何が言いたいか。つまり、機会創出が大切だということだ。それに尽きるんじゃないかと思っていて、それまで私はよく知らないけど小川糸とか、そういうふわふわした感じのものを読んできた人にでも、機会を与えさえすれば面白がって読むものだと、それが知れたことはとてもうれしい。


書く気かんぜんに止まった。やはり姿勢って大事だなと思う。布団に寝そべりながらタイピングとか、ぜんぜんよくない。

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賃貸借契約の書類に署名捺印して金銭を渡して、契約はその時点で効力を発生するのか、連帯保証人、貸主の署名捺印がそろった時点でなのか、それを少しばかり考えてはいるのだけど古い戸建の家に引っ越すことにしたため、もらった鍵を持って行った。引っ越しは物語が駆動する契機となると、いちじき盛んに友人が言っていたような記憶があるというか「引っ越し!」と友人が言っていた記憶があるのだけど私が黒沢清の『LOFT』を見て学んだ教訓は「引っ越ししたてであろうとなんだろうと、家の窓を開けて外を見たときに男が死体めいたものをせっせと運んでいるのを目撃してしまった以上は引っ越しし直さなければ厄介なことに巻き込まれる」ということで、たとえその結末が無根拠な楽天性と不要に高いテンションに彩られたものであっても、やはり怨霊等種々のトラブルが待ち受けているわけだから、費用がどうであろうとも越さなければならない。

私たちの暮らしがどういった様相を呈すのか、それは今のところ不明である。ただ、当然、まあ愚痴を並べるのはよすとしても、せめて「シャワーがない」「お湯は出ない」ということははっきりと言われるべきことではなかったのかと、そう思わずにはいられなかった。宅地建物取引業法35条に基づいているとされる重要事項の説明において、それが話されるべきではなかったのかと、そう思わずにはいられなかった。というかいられない。とかそういうことはもはや言っていられない。


二階堂和美のライブに行ってきて、彼女のライブを見るのはたぶんどうだろう『二階堂和美のアルバム』が出た直後ぐらいの渋谷のなんだっけ名前忘れちゃったけどパルコとかの近くの、クアトロか、クアトロで見た以来なので、いつなのか覚えていないけれども、それ以来で、その前にフジのアヴァロンで見たときにはもうなんというか大変な涙を流し続けることになったのだけど、それでクアトロのことはあまり覚えていないけれども、シンガーソングライターでなくて歌手でありたい、というようなことを言っていたように記憶していて、へーなるほどと思ったのだけど、カバーアルバムを経ての『にじみ』はその思いがより先鋭化されていて、ほとんど暴力的と呼べるほどの歌手っぷりを感じさせられたのだけど、今日のライブを見ていて思うのはそれとはむしろ反したことなのかもしれないが、あらかじめ定められた歌詞やメロディーから解放されたときの、素っ裸になったときの声こそが二階堂和美を二階堂和美たらしめている部分であるような気がして、そのとき彼女は音楽に祝福されているとしか思えないような神々しさというか何かの破壊装置のようになってステージに立っていた(と思ったら激しく踊ってフロアを一周していった)。

多くの場面で笑いが起きた。私も一緒に笑うこともよくあったが、だけど、だいたいの場所では私がまじめすぎるせいかもしれないがまるで笑う気になんてはなれなくて、目の前で起きている現象はなにかもっとやばいなにかというかなにかの臨界にどんどん接近していくなにかに思えて、奇妙に真剣な顔で腕を組みながらまっすぐ前を見て「この人ほんとやばいなー」と、体のどこかをえぐられるような感覚で突っ立っていた(たまに足をパタパタさせて硬直していくなにかを外に逃がしていた)。要はものすごかった。


私はそれにしても偏狭で偏屈で、すぐ横にいた男性が感想を言いたがりの人で曲間でも途中でも構わずつれあいの女性に「トクマルシューゴが」とか「にじみにおいて」とか蘊蓄なのかなんなのか話しているものだから聞こえるたびにイラついてしまって、つい「そういうのはツイッターとかで一人中継してください」と注意したことから殴る蹴るの暴行を受けて骨の二、三本を折られたために今は病院の一室でこれを書いているという事態になっては事だと思ったため踏みとどまって注意等しなくてよかった。人間は何をするかわからないので怖い。だから私は一人でクラブでヘンテコな音楽を体に浴びながら地団駄を踏みまくりたいんだと、そのとき思った。たくさんの人々の中でまったくの孤独を享受しながら、笑顔も何もなくなった場所で音だけによって呼吸と運動をおこないたいんだと、そのとき思った。満場の拍手の一員に加わりながら、久しぶりに素晴らしく感動するライブを見られたことを神に準ずるものに感謝した。


そうでありながら、やはり、それでも、私はどうやら周囲全員が「楽しい!」となっているような場が怖いというのがあるらしいというのは感じてしまって、何が怖いといえば私も「楽しい!」っていう表情をし続けなければいけないような強迫観念に駆られるからであり、そうし続ける自信が持てないからであるのだけど、その恐怖の優位性は高くて、そのとき実際に自分が楽しんでいてもその怖さによって覆されるということが多々ある。そういうときはすごくつらい気持ちになる。今夜はそこまではならず、自然に出たはずの笑顔がいつの間にかこわばっていたぐらいで済んだからよかったのだけど、それとはまたぜんぜん別の話で、以前も書いた気がするけど、世界中に悪態をつきたいような、汚らしい言葉を吐き散らしたいような、そんな感覚におちいるとき、というかそういうときは極めて頻繁にあるのだけど、そういうときいつも思い浮かべるのはウディ・アレンの『ハンナとその姉妹』においてマックス・フォン・シドーが演じた老画家の姿で、彼の姿を思い浮かべたところで何も救われないし報われもしないのだけど、思い浮かべる。あんな存在になりたいとはちっとも思わないけれども、そこに通底する悲しみのようなものの一部が私にはわかるんじゃないかという気取った心持ちになる。でかい手をばーんって机に叩きつけて言う”you are my only connection to the world”というセリフを、わりと何度でも思い出している。

明日は天気が悪いということなのでゆるやかな土曜になるといいなと思いながらそれではいけないよなと思っている。