私のように美しい このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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生麺工房鎌倉パスタは株式会社サンマルクホールディングス傘下の株式会社鎌倉パスタが経営するパスタ屋で本社は親会社と同じ岡山市北区平田173−104を所在地とするもので、どのように鎌倉と関係しているのかわからないと思っているとサンマルクホールディングスはすし処函館市場や広東炒飯店なども運営しているらしく、地名をつければいいと思っているふしがどこかにあるようだということがわかったしそもそもサンマルク自体が「ハイチ中部、アルティボニット県南部の港湾都市」であるならば、小会社の冠に地名を配すなどなんでもないことなのだろう。あっぱれ讃岐というものもあるようで、讃岐といえば私は丸亀製麺が大好きでサラリーマンである時代には週に3も4も下手をしたら5も行ってうどんをすすっていたわけだけど知るだけでも市内には讃岐製麺、坂出製麺というものもあって、どちらも劣化コピーにしか見えないから勝負にならないからいいけれど、岡山の人は土地の名が好きなのかもしれない。神戸元町ドリアなんていうところもある、と思ってググればまさにサンマルクホールディングス傘下の一つだった。

それにしても日曜の晩、いつものように夕飯ジプシーになった私たちは映画館でアンドリュー・ニコルの『TIME』を見たあとにどこで飯を食えばいいのかと迷いに迷い、当て所なく車を流し続けた結果、生麺とかあるし多少はおいしいんじゃないか、という私の提案のもとで生麺工房鎌倉パスタに入ったのだけど、メニューの写真ではおいしそうだったあれやこれやも出てきてみれば貧相な盛り方で、食べてみれば雑な味付けで、何一つ面白いところなく食ってすぐさま出た。最近、たまにトマトのシンプルなパスタを作っておいしいおいしい言っていたからちゃんとした店のそれはどんな感じだろうと同系統のパスタを頼んでみたのだけど不遜ながらこれなら私が作るものの方が残念ながらよほど滋味に溢れておいしいと思ってしまったわけで、それにしてもなんで鎌倉なのか、公式サイトを見ればわかるかもしれないが行く気にもならないので謎は謎のままだけど、鎌倉でパスタとなると私の記憶は即座にタベルナロンディーノにアクセスしてしまうわけで、私はあそこで食べる一つ一つが本当に好きで、いつか恋人を連れて関東に行く用があった暁には絶対に行こうと決めているのだけど、あそこで食べた味、過ごした思い出深い時間すらも毀損されてしまいかねない不当な命名が日曜の晩のあの店にはあるわけでそう簡単に許すわけにもいかないような気もするし許さないということがどういうことなのかはまったくわからない。二人で出した結論は以下の通りで、食べるならある程度ちゃんとしたところでちゃんとした対価を払って食べよう、そうでないならば一切食わない、どうしても腹が減るなら減る腹を埋めるためだけに存在するようなファーストなフードの店で食えばいいじゃないか、ということだった。贅沢だろうか。もしかしたら贅沢かもしれない。

マズロー欲求段階説ではないけれどそれかもしれないけれど、ある程度のところ生活の安定、安定と呼べる代物ではいささかもないにしても、生活が十分にできるという状態にあると贅沢になるのか、そこで初めてこの感情が生まれてくるのか、むなしさを私はいろいろなところで覚えているらしく、今日も一日精神的な虚脱状態のようなものに支配されていて難儀したのだけど、なんだか、何を目標にして日々を暮らしていけばいいのかがよくわからないような感覚に苛まれていて、苛まれていてといっても今日がたまたまその日にあたっただけかもしれないけれども、いや、違う。むなしさとかは関係なくて、なんというかそうかあれかもっとメリハリをつけて時間を過ごしたいなと、そう思っている。日々、なんとなく忙しくてなんとなく仕事が続いて一日が終わって、眠い目をこすって映画を見て途中で寝て朝うまく起きられなくて開店までに焦ってなんとなく忙しくてのループをループしているだけで日々が過ぎていってしまうようで、こんな状態は私は望んでいない。一日の24時間に何をどう投資してそこからどんなリターンを得たいのか、もう少しばかり明確にしていかないと、このままダラダラと年ばかりを食ってしまいそうでそれが怖い。

パソコンに向かったら向かったで本当に、私はいったいどんな目的でたまるフィードを処理しているのだろうかと、あほらしくて仕方がない。岡山という地方都市で飲食店を営む、という状態は簡単に視野を狭めてくれそうだから、もっと広い視野で、自分たちとは異なるパースペクティブを得るために、とかなんとか、それらしいかそれらしくないかは別として理由なんていくらでもつけられるけれど、だからといってはてなブックマーク人気エントリーをさらっていって私にいったいどんな関係があるのだろうか。そこから何が得られるのだろうか。なぜ私は見も知らぬ、本来ならば興味もないアルファブロガーのブログを見てほおほおと頷いたりしなければいけないのだろうか。書物に当たれ。それでいいじゃないかと、思うのだけど、やはりこれは私にとって簡単に手に入る逃避なのだろう。なんでフェイスブックに張り付いて別に興味もない友人の近況にいいねを押さねばならぬのか。それを知って、私の生の何がどう豊かになるのだろうか。なぜ、見た映画の感想をどう「友達」たちに伝えようとあれこれを考えたりするのだろうか。あるいは140字の制限に、何を制限されているのだろうか。馬鹿らしい。自分の文章を自分だけで書けばいいじゃないか。極めて虚しい。だから、だからといって、なんで私はここに向かうのか。ブログにこんなことを書いて、下がる溜飲もないし、得られるものもないし、何を吐き出して、気分をよくしようとしているのか。この文章を書いている今のこの感じは嘔吐の様相にとても近くて、ゲロを吐いて、マイナスをイーブンかイーブンに近いマイナスの状態に戻すだけで、何も私を引き上げることはない。指の運動とはよくいったものでタイピングされていくこの指が、なんだっけ、よくわからなくなった。


タバコを吸っている。閉店して、店の本の部屋で小さな灯りをつけて、向こうには川が流れていて、「カタカタしてから帰る」と言って彼女を帰らせた店でビールを飲んでタバコを吸いながらこの文章を書いている。橋をたまに車が通っていく。音がそれを知らせる。今日、別にまずいことは書いていないとは思うけれど、いつかこういった嘔吐がもとで問題を起こしたりするような気もする。周囲との軋轢を生むきっかけになったりするような気もする。それはそれで別にいいしそもそも周囲ってなんなのかわからないしそんなものは幻のような気もするし実際にいざそうなったら後悔するだろうけれど、考えてみればこのブログとて、そういった問題が生じたことで始められたというか、移転を強いられて始まったのだった。2006年の夏ぐらいのことだった。大学3年の夏休みのことだった。私は脅迫めいたことをされていた。毎朝起きれば10件とかそれ以上の着信が残っており留守電にはゴリゴリの関西弁で100万円がどうのこうのというメッセージが残されていたりもした。そういった状況で、それまでやっていたブログを閉鎖して新しいアカウントを取得してこの場所を始めたのだった。あほらしい始まりだった。同じことがいつか起こるかもしれないし起こらないかもしれないしどうでもいいんだけどとにかくこんなところにしょうもない文章を打っている場合ではないというか、こんなことじゃいけないんだった。何か、とても気がふさぐ。私には何もないような気がしているがこれは思い過ごしで、「私には何もない」だなんて、そんなことを言ったら斬首の憂き目にあうだけだからしないのだけど、本当に、いい加減こんなことじゃないけないんだと日々思っている。行動を、作業をし続けなければいけない。ところで以上のこれらは贅沢者のたわごとだ。

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