2012-05-02
■ご報告
少なくとも一ヶ月ほどの間、このブログをお休みします。
はじめてから、1年4ヶ月あまりが過ぎようとしています。
私はまったくの無名の人間であり、また特に読者に媚びる内容でなく、むしろ難解で厳しい内容とも言われ続けてきたこのブログですが、今では多くの方にご覧いただいているようで、大変嬉しく思っています。
休止するのはいくつかの理由があります。
一番大きな理由は、本来したいと思っている仕事を、私がないがしろにしてしまうからです。
日々過ごすなかで、何か面白いテーマを見つけたり思い付いたりすると、その時、どんなに忙しくても探究したくなります。
ブログという媒体を持たない時は、チャネリングなどをして探究したものはすぐに忘れ去っていました。
それらは、ふとしたときにセミナーやセッションで掘り起こされたりするのを待っているだけでした。
私にとってはそれで満足でした。
ですが、このブログという媒体を活用して以降は、文章にして残したいと思い始めるようになりました(それでも探究した内容の十個に一つ二つ程度の割合ですが)。
文章にしてみると、頭の中のみでの探究とは異って、別の視点が加わり拡がりを感じられたからです。
文章や言葉と、私との共鳴創造作業でした。
2,3ヶ月してその文章を読むと、また新たな気付きに気付く、という良循環もありましたし、ブログを書く作業はとても愉しいものなのですが、本来したいと思っている仕事への集中力は乱れます。
頭の中のみならば、ものの2,3分、場合によっては2,3秒で済みますが、文章にするとなると、30分から1時間以上は費やすこととなります。
一日に4,5時間以上の仕事をしたくない(出来ない)私にとっては、結構な割合を占めることとなります。
なにより、PCに向かって書くという行為は、費やす時間だけでなく、本来するべき仕事への集中力が途切れます。
そんなわけで本来するべき仕事が、なかなか、はかどらずにいました。
今まではそれでも良かったのですが、昨日、急にその仕事を「やりたく」なったのです。
どうした訳か、このGW中から、その思いが今までになく強くなり、昨日ピークを迎えた感じでしょうか。
きっと、太陽の黒点運動と私の星の巡り合わせでしょう(笑)
休止するもうひとつの理由は、いつの間にか、自分の発想が1000字から3000字の範囲内でひとつの収束を見るようになってきたことです。
私が天声人語の執筆者であれば、それも喜ぶべきことかもしれませんが、今の私にとっては気に入らない。
この自然と出来上がってしまった、頭の中の「枠」を壊したい。
この二つが主な理由です。
今やりたい仕事に1ヶ月ほど集中してみてから、このブログの今後については、判断していきたいと思っています。
でも、でも、気が向いたら今月中もこっそり書いているかもしれません。
そのときは、良く言えば「気分転換をしているのだな」と思って下さい。
「カズさんは集中力が途切れたか、するべき(やりたい)仕事に飽きているのだな」と、正しく思って下さっても結構です。
ではまた。。。![]()
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2012-04-30
■「原因-結果」からの自由
私たちが、物事を考え分析するに当たって、あまりにも因果律(原因-結果の関係性)にとらわれてはいないでしょうか。
この因果律はニュートン以来(古典物理学以来)、近現代人を大きく縛っている考え方にちがいないでしょう。
ニュートン力学が、この物質界の現象を様々に証明して以降、科学の分野だけでなく、心の分野、精神の分野、最近ではハートの分野にまで、この考え方はあまねく浸透している。
心の分野のハウツー本に始まり成功哲学や自己啓発も、この因果律に基づいて構築されている。
確かに、心のあるブロック(不自然な状態)が、ある(困難な)現象を外界に作りだしている。
でも心の分野、意識領域では、これだけでは説明出来ないし、あまりに説明すればするほど嘘くさくなってしまう。
そう感じること、皆さんにはありませんか?
あまりにこの因果律に支配されているので、たとえ心の問題であったとしても、これ以外の考え方によって自分や他人が納得していくのは、なかなかに至難の業です。
因果律とは、物事が生じる「意味」を、とらえようとする思考法と言ってもいいでしょう。
今はやりの「引き寄せの法則」とて、「自分の意識にあるものが外界の似たものを引きつける」という「意味」に支配されています。
確かにそうなのですが、「引き寄せられる」のはその人の潜在意識にあるものが「引き寄せられる」のであって、顕在意識の「願望」は一時だけ引き寄せられるかも知れませんが、すぐに離れていきます。
これは余談。余談なのですが、この文章も私なりの「因果律」に基づいています。
さて、「意味」とは「言葉」なので、言葉に支配されていきます。
となると、言葉によって構成されている「思考」こそが、万能なようにも感じ始めます。
いつしか「現象」から離れます。
「現象」から離れることは「いま、ここ」から離れることです。
メリットもデメリットも表裏一体ではありますが、因果律を心の領域に適用した場合のそれぞれを少しだけ整理をしてみましょう。
【因果律のメリット】
1 原因となるものを変えれば、結果も変わるという安心感。誤解しなければ、自分次第ということへの気付きが得られる。
2 理解不能と思われた現象の「意味」を知ることで救われる。
3 曖昧さが排除されスッキリする。
【因果律のデメリット】
A 今生の記憶ではとらえきれない、過去生の「カルマ」的なものについては「無効」。
B 「分からない」ことについての耐性がなくなる。
C 意識のジャンプ・跳躍の機会を損失する。一直線上に成長をとらえてしまう。
D 「いま、ここ」から離れ思考ゲーム(思考万能)に陥る。しかも本人はそれを気付きにくい。
すぐに思いつくのはこんなところでしょうか。
まだまだいろいろあると思います。
特にデメリットで何か気付いたら教えて下さいませ。
さて、なぜこんなことを考えているのかというと、私たちの「ハート」は、因果律から完全に自由であると、常日頃思っているからです。
Art Swing MAMIさんの『bloom』
イルカが伝えに来ました。
『 花は、心が満ち足りた時に開く』
例外はないらしいです。
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2012-04-27
■敏感な人 鈍感な人
意識が外側にばかり向かっている人には、鈍感な人が多い。
では逆に、敏感で繊細な人とは、どのような人か。
きっとそれは、自分の肉体、感情、思考、知性、ハートのそれぞれに敏感である人。
一方、鈍感な人は、自分の感情や思考について敏感というよりはむしろ、自分の感情や思考欲求を満たすために、他者からの評価や与えられる価値や力、自らの正当性に対して敏感な人が多い。
決して、自分自身に対して敏感なわけではなく、外側(他者)から自分がどのように観られているのか、もっと言えば、自分が観られたいようにちゃんと観られているのか、についての欲求が高いだけの人に見えます。だかといって、他者に対して優れた洞察力がある訳でもありません。
とにかく思い通りにしたいし承認もして欲しい。
だから、他者を恐怖でコントロールすることは、優れています。
他者の向上心や罪悪感につけ込むことに優れています。
自分の欲求を満たすためのスキル獲得に、自分の持てる資源を投入してきたのですから。
別にあなたのことではありません。
でもあなたや私にも、外部(他者)からの承認欲求はあります。
(だから時々私のこと褒めて下さいね。48%冗談)
さて、もし外部(他者)からの承認を一切、必要としない人がいたとしたら、それはどんな人でしょう。。。
あるいは、自分が他者からの承認を一切必要としないとしたら、どんな思念、行動を採るでしょう。あるいは採らなかったでしょう。
そのような人は、軽蔑も責任も怖れないでしょう。
愛と自由に溢れた人(あなた)なのかもしれません。
もう少し考えを先に進めてみましょう。
そのような人がいたとして、その人ももちろん「創造主」です。
ですから内面の意識の在り方が、その人の経験する外界(人生)に展開していきます。
自分自身について敏感だから、その人は繊細で傷つきやすい。でも、傷つくことを怖れてはいない。
この場合、この人は「自然」そのものです。「不自然さ」はどこにもありません。
(自然も鋭敏で傷つきやすいですがそのことを怖れてはいません)
だから、あえて現実(創造)化して向き合うべき「不自然さ」がない。
となると、その瞬間々々、進むべきだと感じる方向に、ただ、たんたんと進んでいく人生となる筈です。
では、上記のような「鈍感な人」はどのような人生になるのでしょう。。。
少し考えてみて下さい。。。
ひと言でいえば、より一層の承認を必要とし、より一層の自分の欲求を満たすためのスキル獲得に励む人生となる筈です。
こうした、はた迷惑なスキルだけは沢山身につけていく。
どこまでそれが続くのでしょう。
人によっては百万年とバイワムスは言います。
百万年もの間、他者をコントロールするスキルを身につけていく。
それはそれは、迷惑ですね(笑)
あなたの身の回りには、このようなタイプの人、いませんか?
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