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akutsu-koumiの日記

2016-01-30

はすみとしこの薄い本を読んだ雑感

難民の少女を無断でトレースした挙句、あたかも少女が偽装難民であるかのようなイラストを描いて轟々たる非難を浴びたはすみとしこ氏のサイン会が、多数の抗議によって中止になるという出来事があった。

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イラストや内容が差別的だと批判が寄せられていたはすみとしこさんの作品集「『そうだ難民しよう!』はすみとしこの世界」のサイン会が中止されることが分かりました。イベント会場となる書店「書泉グランデ」では1月27日のうちに公式サイトで告知していた当該ページを削除しています。


 イベントは作品集購入者先着40人限定でのトーク&サイン会として2月11日に書店のイベントスペースで開催されるとして1月26日に告知していました。しかし、作品集への批判とともにイベントについての抗議が主催者側に寄せられ、当日の混乱も予想されるとして翌日には中止が決定。出版元の青林堂も自社のツイッターアカウントで「理由はみなさまご想像のとおりです」と中止を伝えています。

 以前問題となったのはFacebookに投稿された、ある1枚のイラスト。「安全に暮らしたい。清潔な暮らしを送りたい。美味しいものが食べたい。自由に遊びに行きたい。おしゃれがしたい。贅沢がしたい。何の苦労もなく生きたいように生きていきたい。他人の金で。そうだ難民しよう!」との文章とともに幼い中東系の女の子が描かれていました。シリア難民の一部に「不法移民」の疑いがあるとし、「他人の金」で安定した暮らしをしようとしているのではないかと指摘するものでした。

 イラストは差別表現であるとして批判が殺到。また、海外で撮影された難民の写真をトレースしたものではないかとの疑いが浮上し、写真の撮影者もコメントを発表する事態になりました。イラストはその後書き直されて改めて公開、作品集にも収録されています。







ジュンク堂が抗議を受けて「民主主義フェア」の選書を一部変更した事件を連想させる。
もっとも、こちらは非公式のアカウントジュンク堂を代表する意見と錯覚されても仕方のない呟きをしてしまったという「落ち度」があったけれども。

お探しのコンテンツは見つかりませんでした:朝日新聞デジタル

 東京都渋谷区の「MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店」で開催中のブックフェア「自由民主主義のための必読書50」が21日に一時撤去され、並べる本を見直すことになった。運営会社が22日、HP上で発表した。きっかけは、書店員がつぶやいた「闘います!」などのツイートに対するネット上の批判だった。

 フェアは9月20日ごろにスタート。安全保障関連法制に反対する学生団体「SEALDs(シールズ)」の「民主主義ってこれだ!」や、歴史社会学者小熊英二さんの「社会を変えるには」、作家の高橋源一郎さんの「ぼくらの民主主義なんだぜ」などの書籍50種類前後がレジカウンター前の棚に並び、今月末まで開催予定だった。

 だが、渋谷店の書店員が今月19日、「非公式」に開設したツイッターアカウントで、「夏の参院選まではうちも闘うと決めましたので!」「闘います。うちには闘うメンツが揃(そろ)っています。書店としてできることをやります! 一緒に闘ってください」などと発信。共感が寄せられる一方で、安倍政権を闘う相手に想定しているとして「選書が偏向している」といった批判が続出した。

 店側は20日に非公式アカウントを削除し、21日夕にフェアの棚を撤去。運営する「丸善ジュンク堂書店」は22日、公式HPで「弊社の公式な意思・見解とは異なる内容です」などとして、ツイートに至る経緯を調査し、棚を撤去して内容を見直した上で再開する方針を示した。広報担当者は「フェアのタイトルに対して、陳列されている本が偏っているという批判を受けて、店側が自主的に棚を一時撤去した」と説明する。

 渋谷店の店長は「素晴らしいという声も、偏りを指摘する声もあった。いずれも真摯(しんし)に受け止めている。批判があった以上、内容を改めて検討する必要があると考えた」と述べた。

 安全保障関連法制の成立前後から、安保民主主義をテーマにしたフェアを開催する書店は相次いでいる。系列のジュンク堂書店池袋本店でも9月末まで開催していた。(藤原学思、市川美亜子)



書泉グランデへの抗議は「言論弾圧」でもなければ「言論表現の自由に対する侵害」でもない。勿論、ジュンク堂へのそれも然りである。
「そうだ難民しよう! はすみとしこの世界」(以下「難民しよう」)をサイン会やトークの場を設けて好意的に宣伝する自由は、同時にデマや偏見を助長する書籍へ嫌悪を現す自由であり、そのような書籍に関連した催しを企画した書店へ抗議する自由でもある。書店側も抗議を重く受け止めてイベントを見直す自由があれば、批判を無視してサイン会を強行する自由だってある。それによってはすみ氏の主張に共感する人々の支持を得る自由もあるし、「難民しよう」を問題視する人達に「書泉グランデには金輪際金を落とさない」と決意させる自由でもある。サイン会の中止はグランデの総合的な判断に過ぎない。




難民しよう」の中身について少しばかり言及しようかと思う。
表紙はあの(悪い意味で)有名な難民少女をトレースしたイラストに、少女が右手で好汽ぅ鵑鮑遒辰討い詬融劼付け加えられている。これは本書の帯を外して初めて確認できる仕様で、難民たちはうわべこそ困窮のていを装ってはいるが、実態は「難民を装って苦労せずに生きたい」という(はすみ氏の一方的な偏見に基づく)偽装難民の狡さを表現しているように受け取れる。
はすみ氏はこの本の中で「ホワイトプロパガンダ漫画家」なる聞きなれない肩書きを用いているが、この奇天烈な自称については後述する。

本書ははすみ氏がSNSで公開したイラストに「テキサス親父事務局事務局長 藤木俊一」氏がそれぞれ解説を付け加えているのだが、残念ながらこれがとても解説と呼べる代物ではない。
例えば「難民しよう」で最初に掲載されている作品が「そうだ在日しよう!」、簡単に言えばネット右翼が流布してとうの昔にその出鱈目さが指摘されているものを、性懲りもなくかき集めただけの内容である。

はすみ氏が撒き散らす難民在日外国人関連のデマについては、下記リンク先に具体的な反論があるので一読されたい。

難民の少女を揶揄するイラストで世界中から非難を浴びた漫画家が今度は「在日」攻撃イラスト投稿! 根底にあるヘイトとデマ体質|LITERA/リテラ

難民しよう」にはSNSには無かった藤木氏の解説が入るのだが、冒頭から『「通称名」という在日特権が存在する』である。何周遅れの認識なんだ…。しかもその後に「一方、日本人は犯罪を犯せば容赦なく実名報道されてしまう。これを『特権』と言わずして何と言うべきか」と続くのだからどうしようもない。その理屈で言ったら在特会の元会長は日本人ではないという事になる。他にも「特別永住資格」や生活保護需給率の高さ、三重県伊賀市在日韓国朝鮮人住民税が半額に減額されたことなどを持ち出すのだけれども、結論から言えばこれらはすべて「在日特権」と呼べるようなものではない。「在日特権虚構」という本に詳しい。



で、この在日特権デマで描かれている女性は笑顔でパスポートらしきものを手に持っているのだが、何故かこの部分にだけモザイクがかかっている。

イラストの女性が持つ「緑色の何か」は、彼らの祖国パスポート。彼らは日本人ではなく、日本国内に居住する
「外国人旅行者」に過ぎない。
アダルトビデオの局部などには「見てはいけないもの」として、モザイク処理がほどこされる。従来、在日
持つパスポートも「見てはいけないもの」として扱われてきたことから、このイラストでも配慮してモザイク
処理をほどこした。

という何を言っているのかよくわからない解説が入るのだが、モザイク処理こそ施されているものの、イラストの女性が所有しているのはどうみても日本国パスポート韓国のものではない。
おそらくではあるが、はすみとしこ氏は韓国にも緑色のパスポートがあることと混同して、主に公用で交付される公用旅券を誤って持たせたのだろう。
これひとつ取ってもはすみ氏の無知と不勉強ぶりが明らかなのだが、悪質な事にはすみ氏はそれを訂正するでも無く、藤木氏ははすみ氏の誤りを指摘するどころかよりにもよってアダルトビデオを引き合いに出して
モザイク処理という意味不明な誤魔化しを強引に正当化せしめ、青林堂の編集者はその誤魔化しに気づいて指摘・訂正するでもなくただ垂れ流すという、まともな出版社であれば有り得ない惨状が展開されてゆくのである。

初っ端からこの体たらくなのだから後続も推して知るべし。
世にヘイト本やヘイト出版社は数あれど、未だに朝鮮進駐軍を事実のように扱う出版社は青林堂くらいであろう。
驚いた事に「難民しよう」では朝鮮進駐軍が歴史的事実であるかのように言及・紹介されているのである。念のために言うが「難民しよう」は十年前に出版された書籍ではない。2015年の12月下旬に世に出たばかりの本なのだ。

「朝鮮進駐軍デマ」についてまとめ - Togetter

嫌韓主義者やネット右翼ですら、いわゆる「朝鮮進駐軍デマ」に関しては、多少なりとも賢しい者であれば距離をおく。
それはこの「朝鮮進駐軍」の発生源や流布した経緯、デマを垂れ流した者などについてほぼ全てといって良いほど明るみになっているからだ。
2015年の暮れになってもまだ「朝鮮進駐軍」が歴史的事実であると主張する者がおり、その本を喜んで購入するものが後を絶たないのだ。流石に眩暈がした。


直接的な名指しこそないものの、SEALDsや安保法制反対デモを揶揄したイラストもある。
曰く「情報ソースはテレビだけれど私は何でも知ってるの」。在日特権朝鮮進駐軍を鵜呑みにする人がよく言えたものだと辟易する。
在日コリアン韓国朝鮮中国国会前デモ、従軍慰安婦有田芳生氏、シーシェパード、ぱよちんと、はすみ氏の攻撃対象は多岐に渡るが、その多くに共通するのが自身の心中で攻撃対象への憎悪や偏見を肥大化させ、それを基として作品を生み出すというスタイルである。相手の主張を正確に理解し、事実関係を把握し、その上で的確に反論したり矛盾点を指摘するというような知的誠実さは薬にしたくも無い。難民少女を侮辱するイラストもそのようにして生み出されたのだろう。やりきれない。



これは皮肉でも嫌味でも茶化しでもなく真面目に思うのだが、「難民しよう!」のような本の売り出しは、ビジネスモデルとしては極めて効率的で優れたものだと思う。
上記のように批判対象の主張や事実関係を必ずしも正確に把握する必要は無い。自分の中で凝り固まった偏見を適当に言語化し、適当な人物を描いて台詞を添えればそれだけで出来上がり。背景などはフリー素材を流用すれば
手間はさらに省けるだろう。差別的な内容や明らかに事実と異なる箇所があっても、特定の個人や団体を対象にしなければ今の日本ではそれを咎めることすら難しい。
国内外から非難されても具体的なペナルティを科せられるわけでなし、自身の作品によって日本の名誉が著しく汚されても知らぬ顔をしておれば良し、抗議されたらされたでそれを当て付けにアマゾンの売り上げランキングに
貢献してくれる一定の購買層までいるのだから怖いものなど何も無い。


ホワイトプロパガンダ漫画家」なる肩書きの意味は、本書最後に有るあとがきに解説がある。

プロパガンダとは、特定の思惑へ人を誘導する意図を持った宣伝行為の事です。従来
サヨク達は、このプロパガンダを巧みに操り、自分たちの利する世の中へと民衆を誘導
してきました。音楽やドラマ・映画など、感覚に訴えかけるツールを用いてプロパガンダ
行っていくその手法は、敵ながら天晴れとしか言いようがありません。
人は困難なものより、楽しいもののほうを受け入れる傾向にあります。そして理論より
感情が優先されるのです。このため、いくら真実を述べる者が理路整然と熱弁しても、
民衆は能動的に理解しようとせず、感情に訴えかける簡単なキャッチコピーに耳を傾けて
しまうのです。したがって真実は非常に伝播されにくいのが現状です。
プロパガンダは悪い印象を受けますが、これはツールにしか過ぎません。重要なのは
「使う者の意?」です。私は意見が食い違う相手であれ、「これは上手い」と思う手法
それが違法でない限り、積極的に取り入れて模倣するようにしています。
プロパガンダで非常に効果的な手法は絵だと考えます。絵は視覚に訴え、一目で様々な
情報を脳に伝達し、物事をイメージで捉えさせることができるからです。単純明快、
最良最適のプロパガンダツールといえます。
私は私の絵が、真実を伝えるツールとして、皆様に訴えかけ、伝わっていくことを
願ってやみません。


眠くなってきたので続きは別の日に。

「あなたの知らないニッポン絶望社会」をちょっとだけ読む

「あなたの知らないニッポン絶望社会」という本をちょっとだけ読んだ。



下流黙示録ルポ漫画30作品収録
▼「この国はもう壊れてます…メチャクチャです」急増!女子大生風俗嬢 カラダを売って進学が一般化という現実 貧困ビジネスと化した「奨学金」親世代の収入激減、ブラックバイト問題

▼【追悼企画】“日本一まずい”ラーメン屋「彦龍」店主死去 グルメ戦国時代の反逆のカリスマ 実録 原憲彦伝説

▼ママ友トラブル 窃盗常習“泥ママ”が離婚・勘当されてソープ嬢になっていた!

▼日本三大ドヤ街ルポ「東京山谷編」“ナマポ”老人たちの最底辺パラダイス

一億総活躍社会なんて想像もできない…悲惨すぎる【若年ホームレス万引き犯】

▼「俺も可愛いギャルとデモしたいッ!!」学生団体「シールズ」に嫉妬する右翼たち

▼休みも保証も未来もない!テレビ制作会社派遣AD 超定収入奴隷使い捨て実態 ほか




具体的に言うと「『俺も可愛いギャルとデモしたいッ!!」学生団体「シールズ」に嫉妬する右翼たち』という数ページほどの漫画で、内容はSEALDsの学生諸氏に街宣右翼ネット右翼在特会元会長と思しき人物も描かれている)、中核派極左などが左右の垣根を越えてSEALDsに嫌がらせを仕掛けたり、邪険にされて逆恨みしたり、内心では嫉妬していたりというようなもの。

短い読み切り作品なので感想は書きにくいのだけれど、最後のページにデモの一団が「No pasaran!」(奴らを通すな!)と叫んでいるコマがある。

奴らを通すな! - Wikipedia

やつらをとおすな、とは自分の立場を敵対するものから守る決意を示すために使用されるスローガンである(中略)


近年では安保法制反対デモや反差別デモなどでも「No pasaran!」を叫ぶ人は少なくない。
そのものずばり「奴らを通すな!」をタイトルにした本もある。

奴らを通すな!

奴らを通すな!




でまあ、何気なく先のSEALDs漫画の原作者名を確認してみたら「奴らを通すな!」の著者と同じ山口祐二郎氏だったので「ああ、それで『No pasaran!』だったのね」と、一人で納得したというだけのお話。

余談ではあるけれども「奴らを通すな!」を書店で購入したらビリビリブロマイド?なるものが付属していた。もったいないので私は未だにビリビリしていない。

2015-08-10

日之丸街宣女子 第七話感想

ジャパニズムの最新号に「日之丸街宣女子」(以下日之丸)第7話が掲載されていた。

ジャパニズム26

ジャパニズム26



前号から扱う題材がヘイトスピーチから海外での慰安婦像設置にまつわる日本人差別へと移った日之丸であるが、今回は特に言及したくなるような展開でもなく、簡素にストーリーをまとめるならば




・ヒロインの朔川奏と土基創(学業成績はともにクラスで男女ドベ)が従軍慰安婦問題自由研究のテーマにしたいと教師に申し出る。上野千鶴子氏似の女性教師が難色を示す一方、奏の友人である、渡米した須藤桜良が従軍慰安婦問題で深刻な差別の被害に遭っている実態を男性教諭に伝える。

・咲良は差別の被害に遭っている事実を親にも相談できずに一人悩む。韓国系?の女子生徒が従軍慰安婦問題に関する歴史の授業で咲良を中傷し、他のクラスメイトにも見て見ぬふりをされてその苦しみは一層深まる。

・一方で奏達が自分のために奔走してくれていることを気にかけ、勇気を持って不当な差別に立ち向かわんとする意気を示唆したところで今回は御仕舞い。




こんな感じだろうか。
「従軍慰安婦像設置にまつわる現地日本人への差別」自体が都市伝説と言ってよい右派によるデマである事は論を待たぬし、第6話感想でも述べたけれども差別問題に於いては日本よりも数段鋭敏な米国で、多くの人が目撃している咲良へのヘイトクライムを誰も取り上げないのは、不自然を通り越してご都合主義にもほどがあるという印象しか受けなかった。




作末の富田安紀子氏と奏のミニレポは日之丸にまつわる反ヘイトの反応とそれに対する反論。
有田芳生氏の帯に「不逞鮮人」の四文字を躍らせた日之丸はヘイト本だ、あまり売れていないとするツイートに対し、アマゾンの売り上げランキングを提示して反論するのはまだしも、「不逞鮮人」をヘイトの範疇として認識できていなかったのは呆れるしかない。
高遠るい氏の日之丸関連の発言やトキワ荘プロジェクトに関する一連の騒動から中止決定に至る流れを反ヘイト言論弾圧と厳しく糾弾し、反面自分達(在特会)はデモをやるにもきちんと許可を得ていると主張。欄外に手書きで「どっちが正義か一目瞭然だべ…」と記していることから余程腹に据えかねていたのであろう。
或る団体が公の許可を得てデモをすることと、そのデモで主張される内容が正当か否かはまったく別の問題だし、その論理で言えば反ヘイト側が主催するデモの多くもまた公的な許可の元に行われている。
そして、近年の反ヘイト・反レイシズムデモの参加者はヘイトデモの参加者を大きく上回り、幾つかの地方自治体ヘイトデモを独自に規制する条例を可決しているのが現実なのだ。


余談ではあるが、ヘイトスピーチという概念への認識不足は日之丸のみならず青林堂ぐるみのように思える。ジャパニズム最新号の表紙に「安倍叩きヘイトスピーチ」なる文言が記されているのだが、内容は産経新聞の記事と同レベルと申し上げればその酷さが理解していただけるだろうか。



【政界徒然草】国会前デモに集まるヘイトな人々 「あなた公安でしょ?」 記者はマスク姿に詰問され… - 産経ニュース


ヘイトスピーチ」を本来の意味や定義から遠く離れたものにも用い、軽々しく扱う事によって相対的に本来の「ヘイトスピーチ」や「ヘイトクライム」をもたいした問題ではないかのように意図的に見せかけようとしているのであれば極めて悪質な行為だし、単にヘイトスピーチの定義すら理解できていないのであればただの無知蒙昧である。

2015-06-17

「日之丸街宣女子」第六話感想

ジャパニズムの最新号に「日之丸街宣女子」(以下日之丸)第6話が掲載されていた。

ジャパニズム25

ジャパニズム25

日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)

日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)



ジャパニズム24に掲載されていた日之丸のラストでは「第一部完」と記されていたので、この第6話からは第二部という事になる。それに伴ってか、扱うテーマもヘイトスピーチから従軍慰安婦問題にシフトしている。

ジャパニズム24

ジャパニズム24



尤も、現実を都合良く改変・歪曲する手口は相変わらずである


主人公・朔川奏や幼馴染の土基創、及び数人の同級生が奏の自宅に集まり、渡米した友人の須藤桜良(すどう さくら)とSkypeで久しぶりに会話を楽しもうと期待に胸弾ませるところから物語は始まる。ところが、その桜良の顔に生々しい傷がある事に驚いた奏達が事情を問いただし、桜良は同級生から従軍慰安婦像の設置に端を発するいじめ差別に遭っている辛さを涙ながらに訴える。



そう、今回のテーマは従軍慰安婦問題従軍慰安婦問題でもグレンデール市の慰安婦像設置と、それが誘発した日本人差別なのである。


この作品内に於ける従軍慰安婦問題に対するスタンスは説明するまでも無いだろう。慰安婦はただの娼婦であり、性奴隷などありもしないという国内の右翼論壇ではスタンダード?な、しかし海外では間違いなく歴史修正主義評価を下されてまともに相手にすらされない歴史観だ。それは兎も角、奏は創から従軍慰安婦問題に関する「レクチャー」を受け、親友の桜良が受けた苦しみ、そして「理不尽」な日本バッシングに対して大粒の涙を流しながらくやしいと呟く。その後、奏は教師から命ぜられた自由研究の題材を慰安婦問題にしようと提案し、創他数人の同級生達がその意見に賛同する。
親友の桜良や日本の名誉の為に、志ある青少年たちが揚々と反撃の狼煙をあげるところで第6話は終わり。



グレンデール市の慰安婦像設置問題である。

漫画「大嫌韓流」でも具体的な根拠裏付けもろくすっぽ取らぬままに記述のあった、あの従軍慰安婦像設置問題である。

マンガ大嫌韓流 (晋遊舎ムック)

マンガ大嫌韓流 (晋遊舎ムック)



被害が相次いでいると言いつつ、具体的な被害者名が出てこず、何故かその被害の伝え手が右派系のオピニオン誌や右派系の政治家ジャーナリストからばかり(それも殆ど又聞き)という、あの従軍慰安婦像設置問題である。警察機構や司法制度が整備された米国ならば、殊に差別人権問題では日本よりも鋭敏に反応する米国ならばすぐに最寄りの警察や弁護士にでも相談したほうが良いような気もするし、地元のメディアだってそんな事件が起きたら報道するんじゃないかなあと素人目には思えるのだけれども、そのような話はついぞ聞かないあの従軍慰安婦像設置問題である。私が知らないだけかもしれないが。


作中で桜良がクラスメイトから受けた被害はヘイトスピーチであり、同時にヘイトクライムである。従軍慰安婦をただの娼婦と呼び、性奴隷など無かったとする主張は相手にする価値もないが、それをおいても中学生の桜良に日本人というだけで父祖の責任を負わせたり、侮辱したり、ましてや暴力を振るうなど断じて許される行為ではない。本当にそんな事件があったのならば、だが。
現に作品内でも「憎悪犯罪」という言葉が用いられているし、第一部を通読した者としては作者の富田氏はヘイトスピーチヘイトクライムについてのごく基本的な知識は持ち合わせているように思える。少なくとも己を差別主義者と認識せず、ただのイカレる怒れる排外主義者と嘯く自称・日本を愛する普通の日本人よりは確実に。その知識で判断すれば、同じ道理で朝鮮学校に通う子弟達に「スパイの子供」「密入国者の子孫」と誹謗する在特会の行為もまた許されざるヘイトスピーチに該当するはずなのだが。
分かってやっている人間ほどたちの悪いものはない。


気になることがひとつある。
作中で差別の被害を親にも打ち明けられずに苦しむ桜良に対し、創があるURLを伝えてそこに相談するように勧めるシーンがある。
現時点では判明はしていないが、多分no title辺りをモデルにしたような団体ではないかと推測する。
現実と違ってこの団体は差別に苦しむ同胞である桜良を救い、「不当なジャパン・バッシング」に対しても効果的な反撃を大いに加えるのだろう。フィクションならばそれはそれでいい。
だが、「従軍慰安婦像設置によって差別や嫌がらせを蒙る米国在住の日本人」が実在するとして、その人が「日之丸」を読んで「この種の団体に相談すれば良い」と思い至ったら少々心配である。「日之丸」ではしらず、現実での米国での彼等の評価は、ただの人権を軽視する歴史修正主義団体でしかない。そのような団体に関わった時点でその人自身の米国内に於ける社会的な名誉をも失墜させる可能性がありうる。悪いことは言わないから弁護士に相談したほうが良いのではないかと思う。桜良も「従軍慰安婦像設置によって差別や嫌がらせを蒙る米国在住の日本人」も。


因みに、今回から朔川奏と作者の富田氏によるミニレポが「日之丸街宣女子」本編とは別に付随している。
日本の出版社は左が多い(そりゃ青林堂在特会活動家でもある富田氏から見れば右も左も真ん中も左だろう)だの、某大御所漫画家との雑談でヘイトは悪いという漫画を描いているのかと問う大御所に対し、しどろもどろになりながらもヘイトスピーチというレッテルは良くない云々(ならばどうして作中のヘイトスピーカーには現実通りの行動をとらせず、カウンターを執拗に貶める表現を徹底しているのか)など、たった2頁なのに本編よりもツッコミどころに満ちていたのはどうしたものだろうか。

2015-05-15

『日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)』読書感想 

日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)

日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)

商業的に大成功したとは言えないものの、わが国の漫画史を鑑みる際に欠かせない名漫画雑誌ガロ」を産み出した青林堂も今は昔。
名前だけは残してはいるものの、その残滓であるかつてのそれとは別物の現在の青林堂は、アダルトとヘイトを主力コンテンツにした「頼むから青林堂の名前使うの止めて」と言いたくなるような出版社に堕してしまった。

その青林堂が刊行する「ジャパニズム」に連載されていた漫画作品の単行本化、さらには元・在日特権を許さない市民の会会長(以下在特会)の高田誠氏(通名桜井誠)が、帯に「不逞朝鮮人」のヘイトコメントを悪びれもなく躍らせる『日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)』(以下日之丸)がまともな内容の筈もなく、「日之丸」世界で繰り広げられるヘイトスピーチを巡る動きは現実社会で起きているそれとはあまりにも隔絶していた。


物語冒頭、表紙を務める主人公の朔川奏は、強烈な「日本が好きな普通の日本人」(相当配慮した表現をしています)である幼馴染の土基創の陰謀論に辟易する。放課後に彼の母親に息子に届け物をしてやって欲しいと頼まれ、奏は創の元へ行くのだが、そこは日韓国交断絶を訴える保守系市民団体(随分配慮した表現をしています)が李明博元大統領の竹島上陸強行に抗議するデモを開催していた…。

で、ここからがおかしいのだけれども、政治的にこの時点ではノンポリで件の保守系団体とは無関係な奏は、突如北斗の拳に出てくるモヒカンさながらの凶悪な風体の男供に「レイシストの仲間」と一方的に決め付けられ危害を加えられそうになる。言うまでもなく、この凶暴な男達はヘイトスピーチに抗議するために集まったカウンターの一団である。
自分は日本国内で発生したヘイトデモやカウンターアクションを隅々まで熟知しているわけでは勿論ない。ないが主要メディアが報じるヘイトスピーチ関連のニュースには一通り目を通したつもりではいる。ヘイトスピーカーが逮捕されたり、逆にカウンターが逮捕されたり、或いは双方から逮捕者が出たりという事は幾度となくあった。だが、ヘイトスピーチに反対する勢力が偶々通りがかっただけの少女をレイシストの一味と決め付け、問答無用で襲い掛かる事件など聞いたことが無い。そんな事件が起これば現場の警察官が見過ごすはずがないし、何よりもヘイトデモの参加者が瞬時にSNSなどを用いてその事実を拡散するだろう。というより、非力な対象に有無を言わさず襲い掛かる手法というのは寧ろ在特会やその眷属が得手とする。スピーチに抗議した老人や障害者や女性に集団で襲い掛かる動画を彼等自身が動画サイトに何本も何本も投稿しているのだから言い逃れは出来ない。

凶悪なカウンター集団の暴行から危機一髪のところで奏は保守系団体に保護される。その後、保守系団体(しつこいけれども配慮した表現です)の長らしき女性が日韓国交断絶を高らかに謳いあげ、カウンターの「輪姦すぞ!」という下劣な脅しに動揺するでもなく、余裕の表情で中指を立てながら「9センチw」と嘲笑する。非力な対象に集団で襲い掛かるとか、相手が女性であれば容姿を貶したり露骨な性暴力を示唆する手口はヘイトスピーカーも、いやヘイトスピーカーの方が長けていると思い込んでいた自分は認識を誤っていたのだろうか。

先に述べた通りここで描かれているデモは日韓国交を断絶せよという主旨のものである。主張の是非や実現性はおくとしても、それ自体はヘイトスピーチではない。参加者は国交を断絶せよ、李明博許すまじとは言うものの、在日コリアンは皆出て行けとも悪い朝鮮人も良い朝鮮人も殺せ毒飲め首を吊れとも言わない。そんなデモならわざわざカウンターが出張ったり、況してやヘイトスピーチと決め付けて反対の意を示す必要がないのだ。実際過激な主張かもしれないけれどもヘイトではない。第一話からして前提がおかしいのである。
その後、日韓国交断絶デモがマスコミによって大きく報道され、一方的にヘイトスピーチと決め付けられ、奏が蒙った被害などはなかったかのように扱われる。皆一様に保守系団体を悪し様に罵り、モヒカンさながらのヒャッハーなカウンターを正義の味方の如くに称える。その報道を見聞きして奏は事実が報道されていないと愕然とし、この一件を経て政治問題に無関心であった奏は、マスコミ報道ヘイトスピーチを悪とする世間の風潮を疑うようになる。
そりゃここまでヘイトスピーカーに都合の良い世界観が繰り広げられるなら誰だって懐疑の念を抱くだろう…。

朝鮮学校無償化反対デモのくだりも眩暈を催しそうなほどに酷い。
無償化反対デモにも顔を出した創が「くせえぞ朝鮮人!」と叫ぶ様子がネット上にアップロードされ、作中で周囲の大人達をも巻き込んだ騒動に発展する。
ところが、上記の発言はゴミ出しの日にちを守らなかった朝鮮学校の関係者に向けられたものであり、社会的な約束事を破ったルール違反に対する抗議を、さも人種差別的観点から為された発言のように切り貼り編集をした、カウンター勢力による悪意ある卑劣な印象操作だったというのが真相というオチがついている。
現実の朝鮮学校無償化反対デモと称する事実上のヘイトクライムでは在特会に高額な賠償金の支払いが命じられた事、国際社会からも大きな非難が湧き上がった事、そして在特会のメンバーが「スパイの子供は出て行け!」「キムチ臭い!」「ウン○食っとけ!」(これでもまだ柔らかく意訳した表現。実際はもっと酷い)など、言い逃れしようのないヘイトスピーチを発した都合の悪い事実などは言うまでもなくこの作品では伏せられている。だからこそカウンターが卑怯な手を用いたというフィクションにすがらざるを得なかったのだろうけれども、この漫画に出てくるアンチレイシストはともかく、現実のアンチはそんな汚い真似はしない。というより必要が無い。ヘイトスピーカーは己が差別主義者である動かぬ証拠を自ら堂々と動画サイトに投稿してそれで墓穴を掘っているわけだから。第一、ヘイトスピーカーの側が同じ場面を撮影し比較動画などをアップロードされたら、それこそカウンターの不正が明るみになってかえって不利になる。幾ら作中のカウンター勢力を卑怯者な上にそんな事にすら考えが至らない人間のように仕立てたところで、ここまで現実とかけ離れていては最早作者の自己満足でしかない。

後半では高田誠氏(通名桜井誠)をモデルとした「流井真」(さすらいまこと)なる人物が出てきたり、イケメン青年が出てきて影響を受けたり(もちろん彼も「日本が好きなだけの普通の日本人」である)、終いには奏の父親も「真実に目覚め」て外国人参政権反対デモに父娘共々参加するなど、かくしてどこにでもいそうな普通の女子中学生が立派な「日本を愛する普通の日本人」になりつつあるところで本書はひとまずの終わりを迎える。

取り敢えず最後まで読むには読んだが、本書の感想を一言で述べろと言われたら「良く出来た嘘話ですね」としかこたえようがない。
「良く出来た」とは茶化しでも嫌味でもない。作者は「日之丸」の保守系活動家達に最初から最後に至るまでついに一言のヘイトスピーチもさせていない。それは即ち作者に「ヘイトスピーチに該当するスピーチとそうでないスピーチ」の境目を認識・判断する能力が備わっている事を意味する。同時にそれは現実社会で行われているヘイトスピーチを忠実に漫画化すれば、言い訳の仕様がない代物であると暗に認めたも同然である事も意味している。本当にヘイトスピーチ批判が不当で間違ったものだと思うのであればわざわざ現実を改変せず、「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」と書いたプラカードを作中の活動家に掲げさせたり、中学生に鶴橋虐殺を叫ばせたり、新大久保在日コリアンが経営している店舗やその客に嫌がらせを仕掛けている様をそのまま描けば良いのだから。
現実に目を向ければまだまだ良い方向に向かっているとまでは言えないものの、朝鮮学校を襲撃した在特会に厳しい判決が下ったり、地方自治体でも独自にヘイトデモを規制する動きが出てきたりと、僅かずつではあるが差別主義者にとって日本は居心地の悪い国になりつつある。そんな差別主義者が現実を歪め捻じ曲げた「日之丸街宣女子」という心地よい虚構の世界観に逃避するのも無理からぬことなのかもしれない。

最後に、本の内容とはあまり関係ないが、本作の絵柄についても少々述べたい。
作画を担当したのは富田安紀子氏という人物で、青林堂以外の商業誌でもそれなりに実績のある漫画家のようだ。素人目に見ても、例えば山野車輪氏などに比べれば一段上の画力を有しているように思える。
内容は論外だが、絵柄だけ見ればアクが強いでもなくクセが強いでもなく、それなりに読みやすいものがあるので需要もそれなりにあるのだろう。
「どーせこんなヘイト漫画描くやつなんて食い詰めた三流漫画家かなんかだろ」と冷笑するのは容易いが、軽視するのは些か危ういかもしれない。

2014-06-23

聖闘士星矢 「LEGEND of SANCTUARY」ネタバレ含む感想  やっぱり十二宮編を一本の映画でやるのは難しかったのかな  

感想から述べてしまうと、冒頭の空を駆けるアイオロスとそれを追うシュラ・サガの空中戦は精緻な3DCGと相俟って迫力があったし、アイオリアが射手座の黄金聖衣を取り戻しに星矢達と一戦交えた際の「超スローモーションで吹っ飛ばされる星矢達に一瞥もくれずに悠然とアテナに近づく」シーンなどは黄金聖闘士の強さと光速の動きをわかりやすく現していて巧い表現方法だなと思った。CGで描きこまれた聖衣も重量感と存在感を感じさせる仕上がりだし、佐々木彩夏氏演じる城戸沙織も流石に本職の声優に比べれば若干の力量不足は否めないものの、本作の沙織は原作よりも自身がアテナである自覚に乏しく「財閥高飛車なお嬢様」よりも「年齢相応の女子高生」として描かれている。佐々木氏の起用は本作の沙織のイメージに近いという意味では成功していると思う。



ただ、それを差し引いても不満な点はある。





・白羊宮(アリエスのムウ)
原作では星矢達の聖衣を修復し、黄金聖闘士の強大さと小宇宙の重要性、そしてセブンセンシズについての忠告を授ける重要な役割を担っていたのだが、映画版ではその辺りが大分端折られている。
理知的な雰囲気や紳士然とした振る舞い(と麻呂眉)は原作同様だが、「LEGEND of SANCTUARY」では眼鏡をかけての登場。原作やTVアニメ版よりも男前度が増しているように思われる。
有無を言わさず攻撃を仕掛けた星矢に、原作ではハーデス編で初披露するクリスタルウォールを二度繰り出して軽くあしらう。

・金牛宮(タウラスのアルデバラン
黄金聖闘士随一の巨躯や無骨な性格は原作と同じだが、初登場シーンが何故か豪勢な食事中。そして鼻には何故か鼻輪。・・・・すごく格好悪いです。
映画版には魔鈴さんは出ないのでアルデバランも居合いを用いない。グレートホーンを凌いで角を折り、アルデバランに実力を認めさせる流れは原作通りなのだが、映画では事前にムウの言葉を受けて星矢達の力を見極めるために戦ったという若干の改変が施されている。ステーキを食べると「草食のくせに」とからかわれて怒り、星矢にオッサン呼ばわりされるとこれまた怒る。
聖衣の角と足の辺りが緑色で汚れているような描写をされているのだけれどもアレは何なのだろうか。錆?


・双児宮(ジェミニ
まさかの丸々カット。


・巨蟹宮(キャンサーのデスマスク
原作ではデスマスクに殺された人々の怨念が無数の顔となって巨蟹宮全体を覆っており、十二宮の中でも特に陰惨な印象を読者に与えた下りなのだが・・・・・・・。
「LEGEND of SANCTUARY」では死者の顔は赤・青・黄色とカラフルな装いとなり「ワワワーワーワー」と笑顔でコーラスをする。デスマスクも原作とは違って随分と弾けた性格となり、ミュージカルのごとくに歌いながらの長台詞とさらにはアイドルのコンサートもかくやの花火やレーザー光線による派手な演出。何なんだこれは・・・・・。
因みに双児宮がカットされたので映画版では紫龍と氷河デスマスクと対峙する流れになる。

さて、そのデスマスクだが「LEGEND of SANCTUARY」ではヒゲを生やし、腋毛も生やし、背中に「蟹」刺青を入れた容姿をしていて小汚い。多分映画版の黄金聖闘士の中で一番小汚い。
積尸気冥界波で紫龍を冥界へ送り、聖衣に見放されるのも原作同様だが、原作では「うびゃあ!?」と上半身のみが裸になるのに対して映画版では黒ビキニパンツ一丁の姿となる。誰が喜ぶそんなもん。

その後デスマスクアテナを侮辱した事により紫龍の逆鱗に触れるわけだけれども、原作では子供も含めた多くの罪なき命を奪い、紫龍の無事を祈る春麗を滝壺に落とす非道ぶりがあったからこそ聖衣に見放され、読者も紫龍の怒りに共感出来たのだけれども、映画版の使者の顔は楽しそうにコーラスをするし春麗も出てこない。ただアテナを「法螺吹き娘」と侮辱しただけ。それで怒りを露にする紫龍にはどうにも感情移入が出来ないし流れ的にも不自然な感は否めなかった。


・獅子宮(レオのアイオリア
魔鈴さんが出ないのにシャイナさんだけが映画に出てくる筈もなく、当然弟子のカシオスも「LEGEND of SANCTUARY」には登場しない。
だからというわけではないのだろうが、映画版のアイオリアは幻朧魔皇拳ではなく教皇の黒くて邪悪な小宇宙に洗脳されてしまう。
顎鬚を蓄え、唇にピアスをするという今風のワイルドさを有した風貌となっている。因みに兄貴のアイオロスも顎鬚アリ。
原作と異なり、映画版では星矢と瞬がアイオリアと対峙する。
ライトニングプラズマは個人的には一番原作に近い描写をされているように思う。なかなかに格好いい。


処女宮(バルゴのシャカ
原作では「最も神に近い男」と評されるだけあって黄金聖闘士の中でも最強クラスの実力を有し、星矢達の危機に颯爽と現れた一輝兄さんと死闘を繰り広げるのだが・・・・・「LEGEND of SANCTUARY」では獅子宮まで出向いて教皇に洗脳されたアイオリアを正気に戻し、ミロやシュラに真実を伝えて教皇こそが本当の敵であることを伝える。アイオリアの攻撃を受け止めたシーンは千日戦争を彷彿とさせるが、シャカのバトルらしいバトルシーンはこれくらいしかない。性格も原作の尊大さや傲慢さは微塵もなく、ポジション的にもムウと被ってしまったせいか原作に比べると大分存在感が薄まってしまった。


・天秤宮(ライブラ
まさかの丸々カットその2。
原作ではカミュフリージングコフィンで氷漬けにされた氷河を紫龍が天秤座の剣で救い出すのだが、映画版では双児宮の下りがカットされているのでアナザーディメンションの代わりに積尸気冥界波で吹っ飛ばされた氷河カミュが宝瓶宮まで引き寄せ、そのまま師弟対決に至る流れとなる。


・天蠍宮(スコーピオンのミロ)
映画版で最も大胆なアレンジを施された黄金聖闘士はこのミロだろう。何せ性別が女性になっている。しかも氷河ではなく星矢と戦っている。
天蠍宮を通り抜けようとする星矢と瞬をスカーレットニードルで人馬宮まで吹っ飛ばし(スカーレットニードルってそういう技だったっけ・・・?)磨羯宮から人馬宮に赴いたシュラと二人で青銅聖闘士と戦う。
ところで作中でのミロさんはモロに顔を他者に明かしているのですが、女性の聖闘士は素顔を見られたらその相手を殺すか愛するかをしなければならなかった筈では・・・?
本作の蠍座のマスクについている尻尾のアレは原作よりも短くて太くて格好悪い。というか黄金聖衣のはずなのに変に茶色っぽい。

・磨羯宮(カプリコーンのシュラ)
冒頭でアテナを抱えながら逃げるアイオロスをサガと共に追跡し、エクスカリバーで彼をヒマラヤ山中に墜落させる。人馬宮では瞬を圧倒し、援軍に現れた一輝兄さんをも蹴散らす。
終盤ではサガが作動させた巨大な石像に他の黄金聖闘士と果敢に立ち向かい、特大サイズのエクスカリバー石像を真っ二つにする活躍を見せる。ラスボス補正の掛かったサガを除けば、映画版ではこのシュラが黄金聖闘士の中では一番強いかもしれない。それだけに紫龍との名勝負が丸ごとなかった事にされてしまっているのは残念でしかたがない。


・宝瓶宮(アクエリアスカミュ
左肩にショルダーキャノン宜しく水瓶が装備された聖衣となっている。でも作中ではそれが有効に活用された形跡は無い。勿論オーロラエクスキューションもこんなところから発射されたりはしない。

原作では十二宮編のベストバウトに挙げる人も少なくないカミュ氷河の師弟対決。 「LEGEND of SANCTUARY」の宝瓶宮は海底神殿を思わせるような神秘的な雰囲気を漂わせ、戦いが進むにつれて周囲が凍結してゆく。ラストは勿論オーロラエクスキューション対決だが、氷河が師カミュに感謝をしたり一片の雪が星矢達の元に舞落ちるシーンは省略。映画版の師弟対決は随分と味気ないものとなってしまった。それでも戦闘シーンそのものを省略された魚座の人に比べればまだ優遇をされている。

・双魚宮(ピスケスのアフロディーテ
まさかの丸々カットその3。
映画版のアフロディーテは特に悪人というわけでもなく、教皇に青銅聖闘士の接近を報告し、併せてアテナの無事を確保する主旨の意見をする黄金聖闘士としてはきわめて真っ当な役回りなのだが教皇=サガのアナザーディメンションを喰らって即死。ハーデス編では相方を務める蟹ですら 「LEGEND of ANCTUARY」ではそれなりに活躍をしているというのに。
本作のアナザーディメンションは相手を異次元の彼方に飛ばす技ではなく、上方高く吹っ飛ばして同時に即死級のダメージを与える技に変更をされた。
登場即アナザーディメンション→降り頻る真っ赤な薔薇の花弁に埋もれながら死亡の流れはもはやギャグだ。いったい魚が何をした。


教皇の間(ジェミニのサガ)
他の黄金聖闘士とは一線を画した桁外れの実力を誇る「LEGEND of SANCTUARY」のラスボス。左半分が黄金、右半分が漆黒に彩られたジェミニの黄金聖衣は特異な存在感を発する。いかにも善・悪が一人の人間の中に両存していますよと言わんばかりの聖衣にも関わらず、本作のサガは二重人格者でもなんでもなく、単に「清らかな心を持つ人格者」と「高いプライドを併せ持つ上昇志向の強い」両極端な人物として描かれている。尤も、本作では時間の都合上「清らかな心を持つ人格者」の部分は殆ど描写がなく(精々最期にアテナ謝罪するときくらいか)原作ほど悲劇的な人物という印象は受けない。
原作のサガは善と悪の心を併せ持つ二重人格の持ち主だったからこそ、星矢の眼前で善から悪へ転ずる「怖さ」が際立っていたし、善人に戻ったときの悔恨や懊悩に一層の説得力を有していた。善と悪の狭間で苦しみ続けた悲劇性は十二宮編の締めくくりに相応しいエピソードだと思うのだが、映画版では単にアイオロスに嫉妬しただけの「強いけれども小物」みたいなキャラに成り下がってしまった。

「神に最も近い男」のシャカですら騙された二重人格が無い代わりに、本作では偽のアテナが「何の説明も無く」登場して「何の説明もなく」いつの間にか消えてしまっている。状況からしてサガがどうにかして作り出した存在なのだろうけれども、薄々それに気がついていたと思しきムウやシャカはまだしも、間近で偽者を目の当たりにしながら気がつかなかった他の黄金聖闘士たちの目は節穴かいな。まあ、彼らも本物のアテナ小宇宙をその目で確かめてその事に気がつくのだけれども。



評価できる点もあるけれども、やはり93分という限られた上映時間(しかもムウ〜サガまでは50分少々の駆け足)で原作の十二宮編を追うのは相当な無理があったようだ。主人公である星矢に活躍の場面が偏重するのは仕方が無いにしても、紫龍・シュラ戦や氷河・ミロ戦は時間の都合でカット。もっと悲惨なのが一輝兄さんと瞬で、シャカ戦の名勝負はカットされているので一輝兄さんの活躍らしい活躍といえば矢座のトレミーを鳳翼天翔で灰にしたことくらい。シュラに苦戦する瞬に「弟でなければ殺している」となんでその場面でその台詞やねん!ほかに原作再現するところはないんかい!と突っ込まざるを得ない台詞チョイスで助っ人に現れたはいいものの、僅かにシュラをてこずらせる程度でいいところ無く完敗。兄さんですらこの扱いなので弟の方はジェミニ戦・アフロディーテ戦がカットされているので青銅五人組の中では最も見せ場の無い気の毒な役回り。原作では本気を出しただけでアフロディーテを圧倒する小宇宙の持ち主だったのに・・・。
残念ながら原作に思い入れがある人にとっては満足のいく出来映えとは言いがたい。前・後の二部上映にでもして聖闘士一人ひとりの描写をもっと掘り下げてくれれば評価はだいぶ違ってくると思うのだけれども。

あと、ラストで沙織さんの誕生日を星矢達四人が祝うシーンで幕が降りるのだけれどもあれはなんだったんだ?中の人関係の何か?


 

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