「なんだかなあ」

「有効な指摘」は難しい。


世の中の指摘の大半が、揚げ足どり または ストレス解消 だと私は思う。


自分の考えを声にするだけで、世界が変わると勘違いしているお馬鹿さんがたくさんいる。


なぜ、あなたの言うことを聞く必要があるのか?
その判断が最初に指摘を受けたものが考えることである。
指摘が不十分であるなら、無視すればよい。


・困っているならその理由を述べろ。
・なぜその選択になったか指摘前に考えろ。
・思いつかないなら、質問しろ。
・最終的にどうして欲しいか言え。


これらが出来ていない場合、ただ喧嘩の火種を植え付けているだけである。
簡単に人を動かせると思ってないなら良いが、
なんでもかんでも言えば、他人が解決すると思っている人間は、たちが悪い。
さも自分の常識が正しいと思い込んでいるし、
自らに権力があると勘違いしているからである。


一方、有効な指摘とはなんだろうか。
それは、相手を納得させた上で、
どつすればいいかを相手から引き出せる発言を指す。
指摘をする場合には、その場で新しい何かを決めるつもりで発言しなければならない。
指摘は、つまるところ文句な訳で、
喧嘩になってもよいという覚悟を持った上でしなければならない。
一方で、喧嘩にならない配慮も持たなければならない。
それが大人なのだと思う。



今の私は、指摘という名目でよく喧嘩を売られる。
普段は買っても一切得にならないので買わないようにしているが、
体調が悪いせいか鼻についてやまない。
本人は普通にしゃべっているだけだといいそうだが、
私は下品だと思っている。
親しい人を平気でクソと言えるのはなぜなんだろう。
自分が言われたら怒るのはなぜなんだろう。
ブーメランになるリスクを考えられないのはなぜだろう。


私が何も言わないのは、他人の思考・性格を変えるのは難しい、と諦めているからである。


こんなことを書くと日常で俺が手抜きしてることを指摘されるのは目に見えている。
体調の悪さゆえ、気持ちの整理に落書き帳が必要なのだ。


サンドバッグ変わりにされてるなら、同じ事をやり返してもなんの問題もないよね。
まあ少しの辛抱だし我慢してもよいか。って甘えが一番よくない気がする。
いいや、自衛を優先しよっと。

「揺れる心」

「終わりにしなくてはならない。」
私の心の底からでてきた発言。
ここまで、つらい部分しか見ていなかった私に、
その原因が何かを気づかさせてくれた。


ストレスの原因は仕事ではなかった。
イライラの元は、あの子が大半だった。


そこまでわかって、別れを切り出した。
お金の問題で多少もめたが、話はまとまった。


これでよかったのだろうか?


私は人間関係を上手く築けなかった。
あの子ともっとたくさん、ゲームしていれば、楽しく一緒にやっていれば、
一緒の時間を最大限面白いことに使えれば、
こんな終わり方にはならなかった。


フタをあければ、ばらばらにゲームをしていた。これが失敗だった。
もっと褒めて、冗談いいながら、まったりとゲームしていれば、
一緒にゲームすることに対して、抵抗が出てくることはなかったんじゃないかな。


完全に、コミュニケーション不足だった。
俺はたくさんのことを飲み込んだ。素直に本音を話せなかった。
俺は、要望に頑張って応えすぎた。
途中で限界が訪れ、出来なくなっていった。
そうなると、要望も出なくなっちゃう。
出来ないことは出来ないといって、二人で何とかすべきだった。


余裕がなかったなぁ。もっと教えたかった。
もっと見てあげたかった。見せてほしかった。
おたがい頑固で負けず嫌いなんだよね。


俺は、もっと俺のことを認めてほしかったな。
俺、ゲームだけは得意だからさ。効率だろうが、読みだろうが、戦略だろうが。
俺はね、同じレベルでゲーム出来る女の子と一緒にいたい。って思ってるんだ。
でも全部同じレベルなんて難しい。だから一部でいいとも思ってる。
きっと、全部負けたくないって思われちゃったんだね。
ライバルのような感じかな。失敗した。


見える範囲でしかサポートできなかった。
あの子が何をしているのか、わからなかったから。
自慢してほしかったなぁ。そしたら何がしたいかわかるから。
真似してほしかったなぁ、少し無理してでも。新しい世界を見てもらいたかった。


あの子は甘え下手なの。木の後ろに隠れて物事をみている女の子。
だから手を差し出したくなった。そして一緒に階段を昇って欲しかった。


全部願望。そして後悔。
でもあの子が、新しい未来を手にして、新しい生活を手に入れてくれるなら、いいと思う。
今度は上手にやって欲しい。俺も次に活かせるようにするよ。


ありがとう。悔しいよ。

週末に休めないのがつらい

ぐっすり寝たい。
休みたい。
来週つらいのやだ。
頑張りたくない。
疲れをとりたい。
コントロールできない。
全部の責任とるのつらい。
一つも失敗できないのつらい。



でもやらなきゃ
やらなきゃ
やらなきゃ


落ち着きたい
どうすればいいんだろう


いや違う。
出来ないことを受け入れなければならない。
自分はやっても出来ない
無能であると思わなければ。
そうでないと驕りが生じる。
常に自分の考えは間違っていると思わないと。
自信を捨てろ。
夢を持つな。
私は無能。
私はモノ。
私は生ける屍。
あぁ少し楽になった。

「結論」

呆然と、もやもやと
考えてしまうことに対する原因が分かった。


「私は、生きることに対してネガティブだ」
に対する答えが未だに見つかっていないからだ。


そのため、毎日「会社をやめたら死のう」と考えている。


人生はパチンコ理論を提唱したのは私である。
パチンコ理論について説明すると、
前提として、苦しみと楽しみを数値で表すと、
苦しみの方が大きいため、トータルでマイナスになる。
よって生きるのは無駄である。
それなのに生きる理由は、
「少ない楽しみが、多分な苦しみにより、増長されるから」である。
つまり、過去の勝った経験につられて、
だいたい負けるのにも拘わらず続けてしまう
いわゆるギャンブル中毒と同じということである。


今日一つ発見したことは、
私はパチンコ理論で生きていない。
なぜなら、私は苦しみと楽しみを同等にカウントしていないことにより、
苦しみしかとらえていないからである。
例えば、苦しみ:楽しみ=7:3であった場合、
私は苦しみの方に10倍の係数をかけて捉えている。
即ち、苦しみ:楽しみ=70:3にしているのである。
すると、楽しみなんて、苦しみの前には誤差にしかならないのである。


これは、成果に対する考え方も同様である。
失敗:成功=5:5ならば、
失敗:成功=50:5に私の中で変換される。
私は、成功したと言えない。


私は欠陥品なのである。
いつからそうなったのだろうか。
会社に入る前はそうではなかった。


会社のせいにしてはいけない。
全て私の責任。
なので、この業は背負い続けなければならない。
生きるのがつらい。

「孤独」

人に認められたい、承認欲求。
これを捨てることの難しさと、
捨てたことによって開かれる可能性、
私はそれに悩んでいる。


私は誰にも認められなくてよい。
私は私を倒すことに心血を注ぐ。



他人のいうことが、ピンポイントで的確な指摘であるならば、
私はその人をマスターとして慕う。


すべては私の夢を叶えるため。
今は私の作る世界を作るまでの前座。
使える武器を集めるのが仕事。
ここでさんざん失敗し、
別のところで勝ちを取る。

守りに入らず、全部攻める。
殺しにかかる。
笑顔なんていらない世界。

普段は本番に必要なもの、
をやりたいことにする。
選んで下地を作る、簡単な話。
二回できる仕事に価値はない。
ロボットにやらせて始めて価値がある。


仕事をなくすのが私の願い。

「雑念」

物事が上手くいかない時、とても憂鬱になる。
それをかき消したいのか、
普段よりおしゃべりになってるのが分かる。


こういう時どうすればいいんだっけ。
きっと笑うといいんだろうなぁ。
でも笑った後に、
笑ってもなんにもならないなって
思ってしまうのだろう。


そんな自分を笑うのが、なにより信じられるのは
私の本心なんだろうって思う。