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映像、書物、音楽などについての感想

やなせたかし「わたしが正義について語るなら」

わたしが正義について語るなら (未来のおとなへ語る)

わたしが正義について語るなら (未来のおとなへ語る)

やなせ先生90歳の時の本。

老年に入ってからの異様なほどの活躍ぶりに興味がわき、そして文章の面白さから、やなせ先生の本を続けざまに読んでしまった。

76歳のときの本「アンパンマンの遺書」の感想メモ
アンパンマンの遺書


84歳のときの本「痛快!第二の青春 アンパンマンとぼく」の感想メモ
痛快!第二の青春 (講談社ヒューマンBooks)


92歳のときの本「絶望の隣は希望です!」の感想メモ
絶望の隣は希望です!

以上3冊は読んだ。

今回は4冊目。あと「人生なんて夢だけど」を読めば、やなせ先生の自伝はすべて読んだことになるはず。
→まだまだあったので、全部読んでいないことに後で気づいた。


ほか、老年に入ってからのユニークな詩集も読んだ。追って、感想メモも残すことにする。
もうちょっとした、やなせ博士である。

今回の目次は以下の通り。

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第1章 正義の味方って本当にかっこいい?
正義の味方について考えてみよう
食べ物がないのは耐えられない
どっちが正義でどっちが悪?
正義のヒーローはいつもみんなの人気者なのか?
夢を見破るのって難しい
ばいきんまんは良い人に弱いんだ
悪い人にも正義感はある
悪人は優しい心も持っている

第2章 どうして正義をこう考えるようになったのか
自然が溢れていた生まれ故郷の高知
ぼくと、そして弟と−叔父の家で住み始める
母の再婚。孤独を感じていた頃
東京高等工芸学校に合格して東京へ
二十代、三十代は自分の将来を悩み続けていました
自分を励ますために書いた歌、「手のひらを太陽に」
キャラクターがなければ存在しないのと同じ
やってみると面白い−天才、手塚治虫と必死に取り組んだ仕事
誰にでも分かってもらえる絵を描いていきたい
絵本『あんぱまん』が生まれた日
ステージの反応でばいきんまんが誕生
キャラクターがよければ物語は面白くなる
「面白い」には怖さも必要だ
花火は消えるから美しい

第3章 正義の戦い方
相手を殺してしまってはいけない
正義でいばっているやつは嘘くさい
自分なりに戦えばいい
とにかくやり続ける
好きなもの以外の武器を持て

第4章 僕が考える未来のこと
身近な人の幸せを願う

目次にはないが巻末に「ぼくはこんな本に影響を受けてきた」と題する本の紹介がある。
挙げているのは以下の本。
フランケンシュタインメアリー・シェリー
この小説の影響でアンパンマンが生まれた。
風と共に去りぬマーガレット・ミッチェル
アンパンマンの主なキャラクターを生む際に勉強になった。
「夜更けと梅の花・山椒魚井伏鱒二
彼の短編や詩に若い頃のめりこんだ。文章のリズムに詩心を感じた。
天才バカボン赤塚不二男
たくさんのキャラクターを描き分けられることに感心した。
アラビアンナイト
アンデルセンなど多くの作家に影響を与えた。

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この本、“正義について語る本”となっているが、実はやなせ先生のキャラクター論であり、創作論的な内容となっている。

先生が語る正義とは以下の趣旨といっていいと思う。
結局正義などというものは相対的なものであり、立場が変わればコロコロと変わってしまうもの。第2次大戦でそれをつくづくと感じた。そして自分が戦争に行ってもっとも辛かったことは食べ物がないということだった。
「だからぼくが何かやるとしたら、まず飢えた子どもを助けることが大事だと思った。それが戦争を体験して感じた一番大きなことだった」(P18)
そこからアンパンマンの“思想”が生まれたのだと語っている。

正義に対する“悪”については、ばいきんまんロールパンナのキャラクターを通じて語っている。
「悪人といえども、全部まっくろの悪人じゃない。善人にも悪い魂はある、悪い人間にも善良な部分はある。ただ悪いやつには悪い分量が多すぎるというだけで、全部まっくろじゃない。善良な方も全部真っ白ではありません。完全に善の人はいない。もしそういう人がいると、とても気持の悪い、付き合いきれない人になるはずです」(P33)

以上の趣旨は、その通りだが、それを抽象的に説明されても、当たり前だろと思われるだけだろう。
だが、やなせ先生の場合はそれをストーリーに落とし込むのが非常にうまい。

やなせ先生は、「チリンのすず」という自身が描いた絵本の筋を語って、このことを説明している。

チリンのすず (フレーベルのえほん 27)

チリンのすず (フレーベルのえほん 27)

私はこの絵本のことは知らなかったが、先生の書いた筋を読んで心打たれた。
ここで引用されてもらう。

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オオカミに両親を殺されたひつじのこども「チリン」が、そのオオカミに弟子入りして強くなり、最後には復讐してオオカミを倒す話です。
チリンのお母さんは、チリンをかばって死にました。オオカミはチリンが住んでいた牧場を襲って親を殺してしまった仇です。
でも、チリンがオオカミに弟子入りしようと「ぼくはこひつじのチリンです。ぼくもあなたのような強いオオカミになりたい。ぼくをあなたの弟子にしてください」とお願いに行くと、オオカミの心がふわーっとあたたかくなるのです。いつもは嫌われ者でそんなことを言われるのが初めてだったのですね。
チリンはオオカミの元で毎日強くなるための訓練をします。三年がたつと、チリンはすっかりたくましく育ち、どこから見てもひつじには見えないものすごいけだものになります。
そうしてある嵐の日、チリンはいよいよ仇をうつためにオオカミを裏切り、鋭い角でオオカミを突き刺します。そうするとオオカミは、
「ずっと前からこういう時がくると覚悟していた。お前にやられて良かった。おれは喜んでいる」
と言いながら死んでいく。チリンは三年かけてお母さんの仇をとりました。
ところが夜が明けた次の日の朝、チリンは岩山の上で「ぼくの胸はちっとも晴れない」とうなだれます。オオカミが死んで初めて、オオカミは先生であり父のような存在であったことがチリンには分かったのです。
ものすごいけだものになったチリンは、もうひつじに戻ることはできません。(P38)

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「ものすごいけだものになったチリンはもうひつじには戻ることはできません」というのが悲しくも恐ろしい。
勧善懲悪というよりは、むしろ救いがない結末ともいえる。先生が若い頃に影響を受けたというメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」をちょっと彷彿させるところもある。
こういうプロットを読むと、先生はストーリー漫画をもし書くことがあれば、そっちでも成功していたのではと思えてくる。

キャラクターづくりについては、手塚治虫率いる虫プロで日本初めての長編アニメ映画「千夜一夜物語」を作った際にキャラクター・デザインを依頼されたことがきっかけになったと語っている。ただ、このことは以前読んだ本で何度も語っていたことではある。

アンパンマン」の主要キャラについては「風と共に去りぬ」のキャラクターを参考にしたという。
美人でわがままで強気なスカーレット・オハラドキンちゃん
おとなしいメラニーはバタコさん。
知的な二枚目のアシュレーはしょくぱんまん
先生は「ユニークで魅力的なキャラクターがあれば、それで70パーセントは決定です。作者は、キャラクターの後を追いかけていくだけでいい」(P133)と語っている。
物語は良いキャラクターを作れば自然にできてくると先生は何度も語っている。

アンパンマン」をアニメ化する際に、先生はスタッフにこう指示したという。
ジャムおじさんとバタコさんは、人間のかたちをしているけど、妖精のような存在です。その他の学校の先生や子どもたちは、みんな擬人化した動物にしてください。そうでないとこの非現実的な話には、不自然なところが出てきます。アンパンマンという架空のバーチャルランドでのみ成立するわけですから、人間らしいものはできるだけ排除します」(P138)

これは卓見だと思った。

ほか特に興味深かったのは「とにかくやり続ける」ことについて語った部分。
遅咲きのやなせ先生は「器用で最初からできる人は後からダメになる人が多いですね。自分に才能がなくても、虚仮の一年でやっていればいつか花が咲く」と語っている。

その根拠として語っていることが興味深かった。
「絵本にしても他の創作にしても、そうして多くやっているとひとつのメソッドができてきます。絵本教室などで、絵本はこういう具合に書きなさいと教えたりしますね。あれではだめなんですよ。あれは基本の部分を知るだけであって、自分のやり方をできないとダメ。絵を描くのもでもそうですよ、自分のメソッドがある時にできるわけ」(P177)
「ぼくもあれやこれややっているうちにやっとやなせメソッドができてきました。
それを見つけるのにはどうすればいいかというと、それはたくさんやるより仕方がない。いくつもいくつもやっているうちにできてくるんですね。本人独自でいろいろ開発していくわけ。真似ばっかりしていても結局ダメなんだけど、最初は真似していいんです。版画を彫るにも、小説を書くにも、最初は好きなやり方を真似すればいい。でもある時期に自分のメソッドに入らなくちゃいけない。
メソッドを作る簡単な方法はなくて、やってやってやりまくっているうちにいつの間にかできてくるんですね」(P178〜P179)
長い経験があるだけに、この言葉は非常に説得力があった。

最終章でやなせ先生は自身の人生を振り返る。
「マンガ家なのにコミック雑誌には一度も描いたことがない。漫画の単行本もない(小部数の漫画集はあります)」と語る。
確かに奇妙な人生である。
やなせ先生は「人生の楽しみの中で最大最高のものは、やはり人を喜ばせるものでしょう」と語っている。

最後は「マンパンマンのマーチ」の歌詞を掲載して終えている。