Undertale感想

 これはUndertale公式日本語版をN*1→P*2→G*3のルートでクリアした感想です。これを読んだ人は、少なくとも憶えてゐる間は、同じやうな体験をすることができなくなると思はれます。なほ、読まなければ同じやうな体験ができることを保証するものではありません。ただ、ハッピーエンドまでの道程については大して触れません。


* In this page , there is nothing but spoilers.
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 UndertaleのPルートを経てGルートをクリアするといふ過程に焦点を当てて語りたいと思ひます。基本的にはこれがこのゲームの順路だと思ひます*4
 この一連のプレイスルーを私は「フィクションに対する姿勢を問ふもの」として考へてみました。
 まづ一つ確認しておきませう。フィクション、特にRPGといふジャンルのゲームに対して私達が期待するものは、架空の物でありながらもリアリティーのある体験です。フィクションに向かってゐるとき、私達はそこが架空の世界であることを意識しませんし、一々意識してゐたら楽しめません。その世界に触れることで、その世界の価値観を理解してゆき、その世界の枠組みに沿って考へ、行動できるやうになります。完全にその世界の住人になったかのやうな没入感が得られれば理想的でせう。これについては概ね異論は無いかと思ひます。
 新たな世界に臨むとき、私達は素直な気持ちで出来事を受け止め、理解しようとします*5。Undertaleの場合もそれは同じです。モンスター達との出会ひを通じて、彼等が殲滅すべき邪悪な敵ではなく、愛すべき隣人となり得る存在であることを知ります。これがUndertaleのテーマであり、モンスターをただ退治されるだけの存在に位置づける事が多い普通のRPGへのアンチテーゼでもあります。RPGでは御馴染みの用語であるはずのEXPとLVの意味が明かされると、これは確信的なものとなります。他にもセーブ・ロード・リセットといふゲームシステムを時間遡行能力として世界観に組み込んでゐます*6。ロードし直したり、リセットして周回プレイを始めたりすると、キャラクターの反応に何かしら変化が出ることがあります。このやうなメタフィクション要素は、この世界が実在するかもしれないと云ふ解釈を可能にし、寧ろ没入感を増してくれます。素直な気持ちで臨めば、主人公がなすべき事として、最良の結末であるPルートを目指すやうになるでせう。ここまでの間、確かにUndertaleの世界に没入してゐたはずでした。
 事件はPルートの終盤、ハッピーエンドを迎へるときに起こります。これまで私の名前を持って私の分身として動いてきたはずの主人公が、突如見知らぬ名前を名乗ります。私の名前を持った人物は既に亡くなってをり、その上、あまり立派な人物ではなかった等と言はれる始末です。この大きな引っ掛かりを残したまま物語の幕が下りてしまひ、もやもやしたまま再起動すると、フラウィーが現はれます。折角みんなが幸せになれた今、リセットを使ってそれを無かったことにしないで欲しいと懇願してきます。
 ここで私の下した決断は、謎を追ひ求めるため、リセットを実行し、Gルートへ進むことでした。ランダムエンカウントするモンスターを倒すことには然程抵抗はありませんが、こちらの残虐性を知ってもなほ良心に訴へかけてくるパピルスなどを手に掛けるのはやはり罪悪感がありました。倒すべき敵でないと分かってゐるモンスター達を虐殺してゆくことが、素直に楽しいとは中々思へるものではありません。ただ、それまでの相手とは一線を画する強さを見せるアンダインに勝利したときには、誰も殺さない道では味はへなかった達成感が湧き上がりました。いつもやる気の無かったサンズが必死で立ち向かってくる姿には感動すら覚えますが、サンズの語る内容は皮肉にも私の好奇心を満足させました。何十回にも及ぶ再挑戦の末に掴んだ勝利の味は格別でした。達成感と罪悪感の入り混じった奇妙な心持ち*7のまま奥へ進むと、半分存在を忘れかけてゐた私の分身*8と対面することになりました。なるほど――私は尤もだと思ひ、共に世界を消し去ることに同意しました*9。世界そのものが崩壞し、リセットすらできない状態に陥り、自分が何をしでかしたのか考へることになりました*10
 冷静に考へてみませう。かつての仲間を皆殺しにするなどと云ふ狂った行為を何故やめられなかったのでせうか。さうまでして何か得られたかと言ふと、結局世界を破滅に追ひやっただけです。Gルートのストーリーは努力の末のバッドエンドなどではなく、只管無意味な殺戮を繰り返し、世界に滅亡を齎すだけの話でした。こんな悍ましいことがしたくてゲームをプレイしてきた訣ではなかったはず……? その世界の住人になったかのやうな没入感が欲しかったのでは……? 世界を破滅させる魔王の如く振る舞って、その世界の一員になれますか? そんな馬鹿な話はありません。なのに、気づけばこの有り様です。
 さて、どこで歯車が狂ってしまったのでせうか? 運命の別れ道はPルートでハッピーエンドを迎へたときでした。もし、私がUndertaleの世界に没入したまま、その世界の枠組みで考へてゐれば、フラウィーの懇願を聞き入れて然るべきだったのです。最良の結末を求めて時間を巻き戻すのならば、大義*11はあったでせう。そこまでなら、まだ主人公の行動として認められます*12。ところが、最良の結末を迎へてなほリセットを実行することに大義などありません。謎を究明するために、時間を巻き戻し、殺しに手を染め、世界を破壊する……これが主人公の所行ですか? いいえ、さながらマッドサイエンティストと云った趣でせう。その時点で私は自ら主人公としての役割を降りてゐたのです。
 Gルートへ進んだのは、主人公の名前の謎がそこで明らかになると思ったからですが、結局これには明確な答へが出ませんでした。抑〻「別のルートに行けば真実が明らかになるはずだ」と云ふのが勝手な想像だったと言へます*13。フラウィーが敢へて語ったやうに「またリセットすれば何をしても良い」といふ気持ちもあったでせう。どちらもRPGに対する認識としてはありがちだとは思ひますが、フィクションへの没入感から来るものではなく、ゲームシステムを直視したものと言へます。ここでは「ゲームの世界の中の視点」から「ゲームをゲームとして捉へる視点」へ、視点の転換が無意識的に行なはれたと考へられます。要因の一つとしてはゲームクリアといふタイミングが大きいと思ひます。物語の幕が下りれば、否応なく現実に戻らざるを得ないといふことです。かといって、完全に冷めてしまった訣でもないので、罪悪感と達成感が入り混じった心境に至ったのでせう。
 もう一つ考へるべきは、主人公の名前の謎を求める心理です。「謎の真相が知りたい」「その先の展開が知りたい」と云ふ好奇心が、物語を読み進める原動力になってゐるものと思はれます。挙げ句の果てには、足らない情報を想像で補なふこともあります。Undertaleでは主人公のことの他、特定の条件下でしか話題に出て来ないガスターといふ人物について、ネット上で頻りに論じられてゐます。絶対に綺麗には解けない謎を残すといふのは、クリア後も興味を無くさせない手法として有効なやうです。それだけ、人間の好奇心が強いといふことです。
 この好奇心は「ゲームに触れてゐないときにも機能する*14」「自分がしたいと思ったものとは逆の選択に価値を見出す」といった点で没入感と別物だと判断できると思ひます。周回プレイ時に自分の素直な考へとは別の選択肢を選ぶことになるのは、好奇心が勝ってゐるからでせう。このことから考へると、初回プレイの神聖さが「どの選択肢を選んでも未知の結果が得られるために、没入感と好奇心が競合しない」といふ理窟で説明できさうです。もし、主人公の名前の謎が無ければ、好奇心が刺戟されず、親交を深めたキャラクター達を無惨に殺すGルートに魅力は感じなかったのではないかと思ひます*15
 このやうに、没入感とは別の二つの心理が働くことで、Gルートへ進むといふ判断ができたのだと思ひます。RPGをプレイするときに最も重要なのが没入感だとすれば、これはダブルスタンダードですが、その時は自覚すらしてゐませんでした。これは怖ろしいことです。
 Gルートの最後に出て来るキャラが語る内容は、プレイヤーが結局ゲームを玩具として扱ってしまったと云ふことを皮肉ってゐます。ゲームはいづれ終はります。大筋三つある結末の全てを見終へたとき、このゲームは大凡やり尽したことになります。そこが終着点です。もう、このゲームを続ける必要はありません。次へ進めば良いのです。一歩引いてみれば、全くの正論です。負けを認めませう。私はこの世界の住人になりきれなかったのです。
 Undertaleに於いてPルートを経てGルートをクリアすると云ふプレイ体験は「フィクションの世界の中に生きたいと願ひながら、好奇心に駆られて無責任に破壊してしまへる」といふフィクションに対する自家撞着を突きつけられるものだったと思ひます。この衝撃がUndertaleを忘れられないものにしてくれました。Gルートの存在は逆説的に、Pルートまでのプレイが素晴らしいものだったことを強調してゐます*16。また、同じものに対する判断基準が複数あって、それが気づかぬ内に切り替はることにより、大きな過ちを犯してしまふといふ疑似体験だったとも言へます。ゲーム以外であれば常に一貫した判断ができるといふ確信は持てませんし、「これがゲームで良かった*17」と安堵した、と云ふのが正直な心境でした。
 Gルートをクリアしたときに感じた狐につままれたやうな感覚*18、それに向き合ったことで、以上のやうなことを考へさせられました。

*1:Neutral=P,Gの条件を満たさない通常ルート

*2:Pacifist=誰も殺さない平和主義者ルート

*3:Genocide=全員殺す破滅ルート

*4:Gルートは別にやらなくても良いのですが、無視したらしたで印象が弱くなると思ひます。

*5:この過程にこそ価値があると思ってゐるからこそ、ネタバレを避けるのです。

*6:プレイヤーの他に、フラウィーがこの力を行使してきます。

*7:多分、この感覚はプレイ動画を見ただけではよく実感できないと思ひます。

*8:フラウィーが名前を出す以外に気配が無いことと、サンズとの戦闘があまりにも白熱するため、その頃には意識から遠ざかってゐました。

*9:同意しなくても結果は変はりません。

*10:一往、暫くするとリセットは可能になります。

*11:ゲームの世界内での

*12:NルートからPルートへの移行がこれに当たります。

*13:これも普通のRPGへのアンチテーゼになってゐます。

*14:謎の考察、続編への期待、など。

*15:実際、主人公の名前を気に留めずにそのままやめた人も居るでせう。

*16:そして、素直にハッピーエンドを目指してゐた頃にはもう戻れません。

*17:私の過ちで消滅した世界は元々存在せず、罪を被る必要が無いといふ意味での安堵です。

*18:作者が Toby Fox だけに。