近き音もほのかに聞くぞあはれなる‥‥

0511271161

Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの−山頭火>

−世間虚仮− 弁護士櫛田寛一の快挙

昨夕の新聞、一面トップの見出しを見て驚いた。
抵当証券による大和都市管財の巨額詐欺事件で、被害者弁護団が元大蔵省近畿財務局の監督責任を問い、国家賠償を求めた訴訟に、大阪地裁が国の責任を認め、6億7444万円の賠償を命じたというのだ。
この地裁判決は、新聞にもあるとおり、財産被害の消費者事件で行政の権限不行使による責任を認めたことにおいて初めての画期的なもので、国に与える衝撃はきわめて大きいと思われる。
じん肺水俣病など生命や身体にかかわる被害をめぐっては、これまでも国の賠償責任が認められてはきたものの、財産的被害に関しては司法の壁は厚く、嘗ての豐田商事事件の国家賠償訴訟でも関係6省庁の規制義務違反はことごとく跳ね返されてきたという経緯からして、今回の判決は隔世の感があるといえよう。
大和都市管財抵当証券被害者は全国に約1万7000人、総被害額1112億円といわれる。被害者訴訟は大阪を皮切りに、東京と名古屋でもそれぞれ争われてきた。
巨額詐欺事件としての刑事訴訟では、大阪地裁で元社長豊永被告に懲役12年の実刑判決、大阪高裁でも一審判決が支持され控訴棄却、最高裁の上告も棄却され、詐欺罪で懲役12年がすでに確定しているが、1995(H7)年の木津信や兵庫銀行破綻による抵当証券被害の場合とは異なり、損害賠償を求めうる財源も無きにひとしく、被害者たちへの救済の道はまったく閉ざされたままだった。
今回の判決においても、被害者全員の救済へと道が開かれたわけではない。原告総勢721人のうち、98年1月以降に新規購入した260人についてのみ国の賠償責任を認めたもので、この分岐は、近畿財務局が97年10月に大和都市管財に対し業務改善命令を出しながら、同年12月に抵当証券業の登録更新を受理するといういかにもずさんな措置に、監督官庁としての責任ありとしたことによるもので、他方、高利回りの抵当証券購入に対する過失相殺として6割減殺もあり、したがって総額約40億円の賠償請求に対して、前出の6億7444万円の賠償判決となったわけだが、この伝でいくと、たとえ東京や名古屋においても同様の判決を勝ち取ったにせよ、総じて被害の回復は2割に満たないものとなる。
とはいえ、消費者事件において国家賠償を認めたこの判決の画期はいささかも減じないだろう。
嘗て5年におよぶ木津信抵当証券の被害者訴訟で、大深忠延弁護団長とともに1450人の原告団を率いて、時に冷静沈着に大局を見とおし、時にエキサイティングなまでに熱弁を奮い、その闘いをリードしてきたのは弁護士櫛田寛一であった。
私はといえば、その被害者の会の事務局長として、できうるかぎり被害者の目線から物言い、彼ら弁護団との距離をいかように縮めるかに腐心し、その間を架橋するのが自身の役目と定め、公判に或いはデモに或いは会報づくりにと奔走した数年であり、弁護団がその訴訟記録「金融神話が崩壊した日」を上梓した際には、短い拙文とともに、会報の全記録も巻末に掲載、彼らの同士的仲間と遇して貰った誼みもあり、大深弁護士ともまた櫛田弁護士とも、今なお個人的な付き合いを残している。
その彼が、この大和都市管財の被害者弁護団長を引き受けたと聞いたとき、正義感一徹の彼なればこそとは思うものの、破綻の財務実態を考えれば、救済の扉を開くにはあまりに険しすぎる、絶望的なまでに困難なものではないかと、抱く危惧のほうが大きかったものである。
抵当証券などにまつわる消費者被害の大事件にずっと携わってきた彼にしてみれば、まさに念願の、国家賠償勝利判決であったろう。
してやったり、盟友櫛田寛一。
朴突然と照れくさそうにはにかんだような彼の笑顔が眼に浮かぶ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−59>
 近き音もほのかに聞くぞあはれなるわが世ふけゆく山ほととぎす  藤原家隆

壬二集、日吉奉納五十首、夏五首。
邦雄曰く、寂高風の老成期、60代半ばの作と言われている。新古今時代の華やかな思い出もうすれ、宮廷歌界も一変した、その頃の五十首。山から出て人里近く鳴いた、待ちかねたほととぎすの声さえ、おぼろに聞きとめるほどに、年はふけ、運命も傾きつつあると、半ばは彼自身に即した歎きではなかったか。第四句の深く沈んだ調べは稀なる余韻を残す、と。


 苗代の小水葱(こなぎ)が花を衣に摺り馴るるまにまになぜか愛しげ  作者未詳

万葉集、巻十四、譬喩歌。
邦雄曰く、巻十四の巻末に近い譬喩歌五首の終りの歌。食用にもする水葱、すなわち水葵の紫青色の花は摺染めにも用いる。その花摺衣を着慣れるのと、愛する娘の次第に馴れ親しんでくる可愛さを懸けて、晴々と情を披瀝する恋歌。素朴な叙法ながら、可憐な花の姿、その初々しい色が重なって、尋常ならぬ美しい調べを作っており、花に寄する恋の異色、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。