「21世紀創作の現在」を中心にお送りするサイト。
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2008-11-26 はじめに
■[21世紀創作]はじめに

創作において、或いは、それ以外の面においても「9・11以降」という概念が盛んに登場した時期があります。今も使われているでしょう。自分も使った事があります。しかしながら、このコトバは2つの意味で限界が来てるのではないかと最近、思えてきました。
一つは、悲惨な出来事をリソースとして得た着想は根底に悲惨な体験がある為に、悲惨な出来事を現出させた状況を肯定させてしまうのではないか?という事です。そこから生まれた創作が面白ければ面白いほど、その悲惨な出来事は皮肉にも輝いてしまうのではないか?その創作が、その出来事のアンチテーゼを描いていたとしても、です。
もう一つは、端的に悲惨な体験が根底に見える創作は、その悲惨な体験を人々に想起させてしまう。つまり、創作としてネガティヴな色彩を帯びてしまうのではないか?という事です。これはポジティヴな事を描いても、その創作が悲惨な状況を想起させたりすると(それは作者インタビューによってでも構いませんが)、たちまち「現実」が創作に浸食して、たのしくない事になるのではないか?
この2つの理由から、自分は極力、9・11、或いは、悲惨な体験から得た着想による気分を排す方向性が創作として「現実」に対処する為の態度になるのではないか?と考えはじめました。ある悲惨な体験から着想を得ても、そこから着想を得たとは極力言わないような態度です。
そこで、「9・11」に代替できるような質量を持つポジティヴメッセージが必要なのではないか?と持ち出したのが「21世紀」です。故に、タイトルに掲げる「21世紀創作」とは、そのような意味だと思ってください。現実的に「21世紀」100年間すべてを想起できるかどうかと言うと、出来ないと断言できます。故に、2009年現在にアクチュアルな言葉を極力探して、この文章は構成されています。「現在」といれたのも、その為です。
思えば、子供の頃、76年生(ナナロク世代)だった自分には、21世紀はポジティヴな未来でした。ミレニアムの変化に立ち会える喜びは、選ばれた意識を刺激して、未来を待ち遠しくさせました。それが変わったのは、不幸にも「未来」がノストラダムスとセットになり、ブレードランナーのような退廃が未来像として、あたかも確定したかのように跋扈してしまった事にもよるでしょう。創作が「現実」を浸食してしまったかのように、また、「現実」が創作によるイメージを浸食していきます。
そして、ノストラダムスを超えて到来したミレニアムの変わり目にも、「現実」にみんなが追われてしまったのでしょうか。「社会」には、子供の頃、夢見ていたような世界的なパレードはおろか、大したセレモニーも(局所的にしか)起こりませんでした。結局、「現実的に」自分にとって、「21世紀の到来」は「現実」に対してイメージの変容を何一つ起こさず過ぎてしまったのです。21世紀という「現実」の到来。そして、9・11。
ネガティヴな志向は、弱者の支えになる時もあり得ますが、より強い未来を志向した場合に、徹底的にポジティヴな態度をイメージすることも重要なように思います。
これからの時代は、間違いなく良くなるでしょう。
という事を口からでまかせて現実にする。これが出来る強度のある創作。そんな創作を創るには、どうすれば良いだろう?という疑問が本書の出発点です。
故に、ここで書かれているものは「評論」ではありません。まして「学問」でもありません。あくまで、創作を現実的に有効に機能させるためのベース創りをしています。なので、間違いがいっぱい書いてあります。創作の土台として、文章が有効に機能する。ある種の人にとってのモチベーションの源泉になれるような文章を心がけてみました。
ここでは、「創作」というのは「文化」とニアイコールなものとして、日常におけるイメージ創り、メンタルの担保の制作という意味で語られる場合が多いでしょう。故に「方法論」を意識した文章ではありますが、従来的な意味での「創作」のフィールドからは著しく逸脱している部分もあるかと思います。まだ賭け出しのクリエイターの他愛も無い文章ですが、出来るだけ自分の経験に即し、創作に対して実効性のありそうな事を書いてみました。「創作」がより広義に捉え直され、もっと幅広い創作が世の中に溢れる一助となれば幸いです。
