「21世紀創作の現在」を中心にお送りするサイト。
presented by pop-life-works
2008-12-09
■[21世紀創作]あとがき

ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。最後にちょっとだけ自分の話を書いて、本書を終わりにしたいと思います。
自分は、一応、現役のイラストレーターで、パレットクラブスクールというイラストレーションの学校を出ました。なので、専門は「イラストレーション」という事になります。自分がパレットクラブスクールに行って一番驚いたことは、この世に「イラストレーション」というジャンルがあるという事を知った事です。そして、それは「イラスト」や「マンガ」とは全然違う、全く遠いものなのだと知った事です。
イラストレーションをやる前は、ずっとマンガを描いていて、プロを目指していました。マンガではプロになれませんでしたが、紆余曲折を経て、「イラスト」のような事をちょこちょこやらせてもらえるようになりました。自分は「イラストレーター」と名乗っていますが、基本的には、イラストレーションを描くイラストレーターではなく、イラストを描くイラストレーターだと認識しています。そして、これが不本意であり、あがいている最中です。
マンガからイラストレーションというと、隣接するジャンルのようで、内実は全然ちがいます。「イラスト」と言った場合は、マンガに隣接するジャンルなのですが、「イラストレーション」というと、一気に、いわゆる「マンガ」からは遠ざかってしまいます。(ガロ系のマンガなどには近づくかもしれません。マンガもまたジャンルが多岐に渡るジャンルなので、このへんはアバウトに言っています)
「イラストレーション」というのは面白いジャンルです。基本的には、イラストレーションは絵に説明の要素が入るという事であり、仕事では、「ここは座って」とか「指の表情はこうで」とかいうような誰かの指定をこと細かに描き分けられる技術が必要となる場合が基本です。しかし、現在では、広告的要請から、そうした技術よりも作家の固有性(個性)のようなものが求められる場合もありえます。この場合、作家の絵は、ただのシンボルで、デザイナーが使う為の素材なので、アート的な「何でもあり」な絵がイラストレーションとして機能します。そうなると、技術が必要なはずのイラストレーションの敷居がグンと下がってきます。固有性が時代と場所に最適化されれば、誰にでもイラストレーターになるチャンスが巡ってくるわけです。
ここで「センス」という言葉が出てきます。
前々から良いミュージシャンには、良い絵を描く人間が多いと感じてきました。それは、あまり巧くないのですが、確かにプロに匹敵する良い絵です。そこに自分は悔しさを感じます。この人たちは、本職じゃないのに、なんで、こんな良い絵を描けるんだろう。ズルい。というような感想。
通常、ここで、大半の人は「センスがあるから仕方ない」という事で理解を終了するかもしれません。自分も昔はそうでした。しかし、様々なものを見て、今は見方が変わっています。その裏にある、良い絵を描ける条件=たえまないコスト堆積の存在に気づいたのです。もっと言えば、創作には、インプットが思いのほか重要な要素を占める事に気づいたのです。おそらく、このミュージシャンの人生の蓄積は、絵に対しても適用できる部分が大きかったのだ。このミュージシャンは、良い場所から良いものを得てきた、だから、絵がよくなるのだ。と。そもそも世で才能があると言われてる人たちは、大抵において、子供の頃から「それ」に特化しているじゃないですか!!
こうして、自分には、創作がジャンルを通じて世界に対して密に絡んでる図がイメージされてきました。そこから、新たな創作の図も思い浮かんできました。それは主にインターネットからもたらされたイメージかもしれません。インターネットの存在する世界:「いま」、の百年後、千年後、世界はどうやってつながっているでしょうか?インターネットの存在により世界を網羅するリンク構造は、いまだモニターの限界に縛られている。なんて事がイメージ出来るでしょうか?
自分には出来ません。ならば、人間には、そこまで見越して創作できる契機が出てき得るはずです。モニターの限界に縛られる今この時から、それは準備できる類の事でしょう。そこで、あらゆる機器を超越する創作論が今日において有効性を増すはずです。
こうして新たな創作をする為に、現実の創作を考える必要性を感じました。現実的には、新たな創作が為される契機はそう多くありません。なぜなら、大抵の人は、「創作」をするのではなく、マンガを描いたり、音楽を創ったり、具体的な既存ジャンルに帰属するからです。そういう事に特化して人生を送れるインフラが社会的に整っているからです。その為、才ある人は、おのずと既存経路に乗ると得をし、そこに人生を捧げる場合が多くなるでしょう。つまり、新たな創作の契機は、主に既存の主要インフラから脱落した人たちの間で培われる事になるはずです。
話をミュージシャンの絵の話に戻します。ミュージシャンの絵において、それは良い絵ではあるといえ、自律的に成り立ってないのではないか?と個人的には感じる絵が多い事に気づきました。どんなに良いミュージシャンの絵でも、大抵のそれは、イラストレーターに比べて、甘い。全然、適用範囲が狭い。という事が分かってきました。ここで、逆説的に、ジャンルへの意識が出てきます。創作において、インプットは重要だ。それはジャンルを超えて、創作に適用できる部分が多い。そこを培えば、俄然、創作は広くなる。しかし、アウトプットが正確でないと、それは受容者にリーチしない、つまり、創作として機能しにくい。その為、ジャンルへの特化が必要だ。という観点です。つまり、そのアウトプットの方法として、ジャンルへの意識は輝きを見ます。
というような事は、本来、受容者にはどうでもいい事です。ですが、こと程さようにジャンルというのは、創作の内に入った人間にとって、微細な差異として検知され、多岐に渡り、様々な分岐問題を創っているものなのです。これは、相当に分かりにくい部分があるでしょう。当のイラストレーターでも、「イラスト」と「イラストレーション」の違いなど、分かってる人が大半ではないかもしれません。
しかし、現実にジャンルの違いは存在します。そこの違いは明確に意識した方が、創作に有益になります。現に、この違いを認識してから、自分の絵は飛躍的に良くなったと感じましたし。まがいなりにもプロになれました。なので、この「創作論」は全ては、そこに端を発していたのかもしれません。ジャンルを意識するからこそ、ジャンルを超越した創作の共同性、新たな創作の契機に気がついてきたのだと思います。
創作は、いつも仮説からはじまると思っています。仮説を検証し、遂行したのち、真実と現実はついてくるはずです。この「21世紀創作の現在」という文章では、とりあえず、「かもしれません」を検証してみました。次は、自分が行う「flyyying girl」という創作で、検証した仮説を遂行できれば良いなぁと考えています。それが真実であるかどうかは分かりません。が、リリースできれば、それはひとまずは現実を生みだすでしょう。この文章を気に言って頂いた方には、そこまで見て頂ければ幸いです。ここまで、モノ書きでも無い人間の拙い文章におつきあい頂いた方、本当にありがとうございました。この本を全部読んで下さった方が一人でもいたら、それは苦労して書いた甲斐もあったように思います。
