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2008-12-23 第3部:総論「21世紀創作の創り方」

[]「創作未来「創作の未来」を含むブックマーク


 ここからが本番です。創作における圧倒的に新しい未来を考えます。


 今日創作というのは「新しさ」を創り得ないとされている部分があります。現実に、マンガ音楽映画といったものを見渡して、本質的に新しいものと出会う事はありません。カベにぶち当たっています。創作は、個人であれ、総体であれ、しばしばカベにぶち当たります。今は、創作総体として、その状態なのでしょう。これの超え方はのちに考えるとして、この総体としてのカベは、そもそも乗り越えられるものかどうかを先ずは考えます。


 基本的に、各ジャンルにおいては、ほとんど乗り越えられないだろうと考えられます。なぜなら、方法論が固定されているものは、新しいものであると別ジャンルになってしまう為、既存のハードに乗りません。ハードの変更は市場に混乱をきたしますから、市場における高度に整備されたインフラが概ね使えなくなってしまいます。これは創作におけるコストを減少させ、創作を小さくします。つまり、新しい創作の方が創作的達成が為されないといった事態が起こります。その為、その内部でとてつもない量の事を試されてきてしまった既存ジャンルでは、本質的には新しさを追求し得ません。これにより、経済的自立を目指した、マンガ音楽映画という既存経路に乗ったマンガ音楽映画をそのまま創ろうとする人たちのループは、「新しさ」を、そのジャンル内で達成せざるを得ない二律背反を抱え込み、創作に「新しさ」を創り得ない状況を自ら創ってしまうでしょう。


 これは、テクノロジーの発展とも関係しています。そもそも創作の場において、近年、「電気」や「レコードテープも含めた外部記録装置)」のように世界を大きく変える発明が無いので、その現実の変化が創作リンクしてくれません。インターネットは、近年の大きな発明ではありえますが、インターネットは単なる媒体なので、現実的には、電気レコードほどのものではありません。それ故、未だ、あまり創作には使えません。インターネットは、概念において新しさはありますが、モニター限界に縛られている為、現実に及ぼす影響が過少だからです。


 この事から「全く新しい創作」というものが存在し得ないと放棄してしまう考えがマジメに語られる場合があります。もちろん、そんなわけはありません。新しい創作はあり得ます。というより、100年後を想定した時、映画マンガが今のままだと想起する方が無茶でしょう。という事は、新しい創作が何処かの段階で生まれます。生まれなかったら、人間の文化自体、ヤバいと思います。


 そもそも、創作の停滞が起こってるのなんて、つい最近に限定された話です。ロックヒップホップ誕生したのだって、ついこの前と言えます。絵の進化において、抽象画の普及やキュビズム発明まで、どれだけの歳月がかかっている事でしょう。現在の状況を停滞というには気が早すぎるにも程があります。


 そういうわけで、この世に圧倒的に新しい創作は、いつか起こります。予想では、今世紀中にも起こります。それは、おそらく、マンガ音楽映画といった既存ジャンルの在り方を一変させてしまうでしょう。今のポップミュージックは、全く古くさいものとなり、尾田栄一郎マンガは、今の北斎の絵のような立場へ変貌させられるに違いありません。


 しかし、そうした未来は「ある」としても、現在では、自分には、全くと言って良い程、イメージ出来ません。そこで、それをイメージする為に、まず過去創作を点検すべきだろうと、これまで「過去」を見て来ました。それを通して、多少なりとも、「未来」を無理矢理イメージする土台を作ってみました。その結果、自分脳内のみでの処理なら2〜3%は新しい創作の形が見えてきたんじゃないかと思っています。これは、現段階で、自分に2〜3%も見えるという事は、今世紀中に、その創作イメージの完全な達成が為される可能性が高いのではないかと予想されます。まあ、2〜3%というのはテキトーに言ってるだけでイメージでしか無いですが。


 というような、漠然としたもの「イメージ」が、おそらく未来には、もっと明確にやり取り出来るはずです。これは、現在でも為されていますが、未来では、もっと明確な形で為されるはずです。それは、ある種の言語の代替として機能するかもしれません。イメージが、言語のような複雑なコードを持てば、世界の人はイメージの元に情報交換が出来ます。エスペラントの試みは、どう考えても無茶がありましたが、イメージコードの共有は今からやれば、エスペラントになり得るでしょう。イメージは、言語に縛られず、まだ誰もそのコードを所有してない事から、無限の可能性がありえます。もちろん、その追い風となるのが、新しい発明品の数々であり、今日でいえば、とりあえずはインターネットです。インターネットがつなぐ「何か」が世界中の人々に「何か」を共有させ、全く新しい「何か」が生まれ得るはずです。


 これは、はっきり言えば、言語的な機能が時空を超えること、つまり、テレパシーのようなものをインターネットが促すと考えています。ここまで来ると話が無茶ですが、テレパシーのような事は、現実世界にも既に存在しています。例えば、「空気」といったものが「それ」です。日本人は、とりわけ、空気を感知するとされてますが、そんな不可視なものをアテに出来るといった事象が出てきてるのは、本来おかしいでしょう。しかし、多くの人がアテにしています。つまり、不可視なものをコードとしたやり取りは、既に日常存在します。不可視なものをコードにする必要があるのは、その方が早くラクに的確に場にいる人すべてに「それ」をリーチさせられるからです。つまり、ローコストハイリターンな表現です。この延長上に、言語めんどくせえ。習得に時間かかるし。イメージがすぐに伝わればなぁ。という未来への欲望が想起しえます。それをインターネットの機能が補強する可能性を感じています。


 この事から、イメージのような不可視なものまで、人はやり取りを欲望するようになるはずです。というより、これも既にやり取りされてます。ファッションといった事がそれです。この場合のファッションとは、ウェアラブルビジュアルデザインの事ですが、ファッションは、ビジュアルを伴うため、「読める」人には、背景の物語が明確で分かりやすいという特性を持ちます。それ故、物語表象として、しばしば機能します。サブカルはこういうの、ゴスロリはこういうの、ヲタはこういうの、セレブはこういうの、といった事がそれです。これを日常的に明確に自分イメージの伝達方法として使う人はあまりいないでしょうが(おそらくは自己の資金とTPOによるキャラクターメイキングに沿って選択されているのでしょうが)、しかし、そうした事にファッションは使えるため、そのうち多くの人が細かく自覚的に使うようになっていくだろうと自分は考えています。これには、もちろん、メイクから何から自分の身体、表情や仕種といった、ありとあらゆるウェアラブルビジュアルが使えます。iPodなども、その補強として「使える」ツールになるでしょう。iPodの小窓は、自分音楽を選択するための指標にもなりますが、音楽というイメージを他人に示すためのものにもなり得ます。こうしたウェアラブルコードは、時代と共にどんどん複雑になっていると言え、千年前の人間と今を生きる人間では、その身にまとった情報量に余りに違いがあり、また、それを読める技術も実に高度になってるはずです。


 これを意識する人びとは、既に街中などにも散見されますが、こうした事は、お笑い芸人のような、より創作に対して強く自覚的な人達に、より自覚的な表層のコードとして使用されています。つまり、これは、創作の場において、先ず、ファッションポーズ、顔の創り方など、ウェアラブルビジュアルコードによる自覚的なイメージの伝達方法が探られてる事を意味します。そして、ある種の創作は、権威を伴い、受容者に学習機会を促すことから、そのイメージの伝達法が多くの人に伝達されていけば、それはやがて事細かに細分化し、コードをより複雑にしていくでしょう。そして、言語とは違ったコード存在は、今と違ったもの、今はまるで伝達し得ないものを伝達する可能性を高めるはずです。


 こうした事から、今世紀の創作は、「イメージ」と「ウェアラブル」、そして、受容のマルチタスク、つまり、受容者の主体的意志による創作の「カスタマイズ」の可能性といった事が重要になるだろうと自分は考えています。人間が「イメージ」といったものを扱ってやり取りをする為には、以下の3つの条件が必要となるでしょう。


 1.イメージを的確に表現できる方法論が編み出されること。


 2.それが敷衍して、多くの人に読めるようになること。


 3.その方法論が多くの人に使えるようになること。


 これは、現在においては、1もろくに達成されてないのが現実ですが、3を達成する為には、受容者が日常において創作的な態度を取る必要があります。これは、創作そのものというよりは、既存創作物を使った、既存イメージの大量ストックアーカイヴ化)と、その選択と表示(サンプリング的表現)が日常的に行われる事を自分は、とりあえずイメージしています。これは、インターネット上に関して言えば、コピーペーストのように、誰かの創った創作物を適切に選択して提示する事により、自分の伝えたい事と近似のイメージを他人の創作物を借りて伝達し得るような事で既にはじまっています。つまり、受容者による創作カスタマイズは、自分イメージに合った創作物を他人に向けても選択できるという意味において重要です。この為、先ず、人類は、1のより大きな達成で、創作物というイメージの土台を無数に創っていく事が必要であり、その模倣による3の達成も同時に必要とするはずです。でないと、1を達成したところで、ゴッホの絵のように、未来まで受容出来る人間存在をずっと待たなきゃならず、作品が創作総体の空間に潜在してしまうからです。その為、同時代における、i>o>I経路の全ての達成が創作においては重要になってきます。もちろん、これは、現在においては、そもそもが全くの仮説です。しかし、新しい創作は仮説に基づくしかないので、仮説でも無いよりはあった方が創作する際の指標となります。そして、創作は、概ねにおいて、頭の中で考えてることと「実際」を切り離すので、創作現場では「行動」の為の仮説が、「実際」を方向づけ、新しい「何か」を生みだす契機になるはずです。その為、本書では、とりあえず、この未来の達成の想定を採用し、しかし、そこを考えても、今はまだ現実的ではないので、現実につながる近未来、いま出来る事で、何か未来に対して出来る事があるのか、次項から詳細に検討していきます。


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