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21世紀ミーティング このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2008-12-31

[]付録奈良美智grafAtoZ展」 付録:奈良美智+graf「AtoZ展」を含むブックマーク


 「新しさ」を志向した時に、やはり、一番気になるジャンルはARTになります。もちろん、ポップカルチャーアートを逆転してる瞬間もありますが、全ての要素にフル適応し(表参照)、少人数に、より強く受ける事で大金を稼げるアートシステムは、「新しさ」の成立する土壌としては理に適っています。ここでは、そんなアート展覧会奈良美智grafAtoZ展」について簡単に記載してみたいと思います。


 まず、この展覧会を取り上げるのは、単純に自分が絵を描く際に大きな影響を受けたものの一つが、この展覧会だからです。それは、必然、考え方などにも影響を受けていると思われるので、その部分をここでは考えてみます。


 この展覧会は、青森弘前にあるレンガ倉庫内で行われた手作り展覧会です。手作りというのは、この展覧会の中心が「小屋」である為、それを「自分達」で作っている展覧会になっているという意味です。この展覧会の特徴としては、紛れも無く奈良さんの個展意味合いがあるにも関わらず、関わっている人がものすごく多く、共作的な内容にしっかり見えるという事があります。+grafが記載されてるのもその為でしょう。


 この展覧会においては、展覧会会場の内部に多くの小屋があって、そこに作品は展示されています。その小屋は、一つ一つコンセプトがあって、奈良さん以外の、例えば、ヤノベケンジさんの作品なども少数ですが存在しています。そういった意味で、これはアートフェス的な空間ではありますが、しかし、それは全て奈良さんの「関係性」を示す作品でもあるので、結局は、展覧会全てが奈良さんのイメージで埋め尽くされているところがこの展覧会では重要です。


 とはいえ、その小屋を作るのは、graf無しにはありえません。「小屋」は展覧会の中心である為、この展覧会は、grafのものでもあると言えます。その為、支配しているイメージは、奈良さんのものですが、実作業によって起こるイメージに関しては、多くをgrafが担っているはずです。そして、これを多くのボランティアスタッフが支えています。


 こうした事は、現代における「関係性」の重要性を指し示しています。まず、この展覧会は一度きりのものですから、この関係性は、概ねインフラではありません。奈良さんはgrafと何度も仕事はしてますが、両方は別に存在しています。ヤノベケンジさんに至っては、もちろん、別にすごい作品をどんどん出しています(最近東京都現代美術館で見た「ロッキングマンモス」は凄かったです)。つまり、この展覧会の中心を為しているのは、奈良さんの「関係性」になりますが、しかし、「関係性」は一人を中心にする性質のものではない為、奈良さんに説得力を与えてるのは、奈良さんの過去の集積、つまり、奈良さんの作品になります。ここにおいて、この展覧会において中心を為すのは、「小屋」というハードと共に、「奈良さんの作品」であるという当たり前の事実に行き当たるでしょう。その中でも、とりわけ、重要なのは、「アイコン(あの少女や犬)」の存在です。つまり、このアイコンの元に奈良さんのイメージは別の人にも「分かりやすく」拡散していき、この展覧会という1点に再集約させられていると考えられます。その意味で、この展覧会は、奈良さんが一貫してポップな同一モチーフを描いてきた事で、はじめて成立したものだと言っても良いでしょう。


 アイコンは、奈良さんのペインティング、ドローイングだけでなく、デカいオブジェぬいぐるみにまでなっています。つまり、アイコンは、奈良さんのデザインではあるものの、厳密に言えば、奈良さんの作品だけではありません。奈良さんの作品は、この展覧会の為に描かれたものもありますが、そうでないものもあります。過去の集積が展覧会に集まる事によって、この展覧会における奈良さんの存在イメージの中で肥大します。奈良さんの作品は、主にペインティングとドローイングに分けられていますが、これは、高コスト作品と低コスト作品に位置し、更に、写真のような奈良さんの専門外の作品が、低コスト作品としてイメージを補足します。この場合、他の作家を使う事も、奈良さんにおいては、低コスト行為だと言え、そうしたコスト管理がこの展覧会には為されています。そして、また、関係性の一環として、この展覧会を創るのには、ファンを含む多くのボランティアスタッフが大きく関わっています。つまり、この展覧会インターネットを二次的にしか使用していませんが、ここには本書で考える理想的なインターネット創作の構図が一定程度、存在しています。この意味で、この展覧会は、ある種の時間軸の中でのみですが、一定程度、現実マルチメディア空間化したものだと言え、モニター限界が無いその創作は、この「新しさ」のあまり感じられなくなった時代、時代でないとしても自分には、複線的で、かなり大きな感動を与えてくれるものとなっていました。そして、こうした事により、この展覧会は、弘前という土地や、2006年夏の3ヶ月という時間に縛られながら、8万人という多くの受容者にリーチする事に成功したはずです。


 こうしたハード制作から考えられるARTの諸作品は、逆に、インターネットハードによる限界がいかに貧弱なものであるかを示すと同時に、ハードの作成を一から行う事が、いかに現代において重要かを指し示すかもしれません。また、時間は1点に絞られる事によって、その濃密なコストを集約できるとも考えられます。その為、今日においては、恒常的に存在していく事を念頭に置いたインターネット創作があるとして、それをより輝かせる為には「イベント」のような身体性を伴う複合的なアウトプット行為をする必要がまだあり、また、それがインターネットで活動する多くのインターネット作家(と仮に呼ぶ既存の市場インフラに乗ってない作家)達においても一般的になっている部分はあるでしょう。ハロプロライヴをメインに活動するのも、もちろん、この事に対して示唆的です。こうした事からも、今日創作は、インターネットからはじめたとしても、未だインターネット内にとどまる事はマイナスにしかならない現実があると、とりあえずは言え、多くの多面的なアウトプット法が試みられるべきだと、今はまだ言えるでしょう。


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