言葉は気持ちを広げてくれる ─佐野元春の『約束の橋』を聴いて

お客様先へ向かう車のFMラジオから佐野元春の『約束の橋』が流れた。

80年代のポップの先端だった佐野元春が、90年代の初頭に一般層にまで広く知られることとなったヒット曲。
佐野元春のファンではなかったし(そろそろちゃんと聴かないといけないのかな、と思ったりするけど)主題歌として使われたドラマ『二十歳の約束』を僕は全く見ていなかったけれど、当時の仲間と行ったカラオケでよく歌われていたので耳覚えはある。

懐かしいなと思いながら聴いていたが、その歌詞に気持ちを掴まれて、涙がこぼれた。

使われている言葉/単語それぞれは凡庸なのだけど、
「君(=聴き手)」のいる世界は美しいイメージとして広がり、
「君(=聴き手)」の持つ魂の孤独とかけがえの無さが賞賛される。
豊かなイマジネーションの世界によって聴き手の気持ちが裸になったタイミングで”君は間違いじゃない”と手を差し伸べる絶妙のテクニックには無条件で降伏せざるを得ない。


故・阿久悠の言葉だったかもしれないが、どこかのwebサイトで「昔の歌謡曲は映画、今のJポップはブログ、造る側の志にはそれくらいの隔たりがある」という意味の文章を読んだ。
決してこの歌(詩)が至高の一篇ではないにせよ、ありふれた言葉で造られたポップソングとは全く違う【志】の基に生まれた歌であることには間違いない。


歌い手よ、作り手よ、

歌の持つちからをもっと知ってはどうだろう?

詞にできるちからをもっと信じてはどうだろう?

ケータイとか恋人の手とか、自分の手の届く範囲内で完結する世界から飛び出して欲しい。

人間は言葉を手に入れることで、自分の気持ちをどこまでも遠くに飛ばすことを知ったのだから。

君は行く 奪われた暗闇の中に戸惑いながら


君は行く ひび割れたまぼろしの中で苛立ちながら


いつか孔雀のように 風に翼を広げて


西の果てから東の果てまで 休みもなく車を走らせてゆく


君は踊る 閉じた薔薇の蕾みの前で 背伸びしながら


君は踊る 狂おしくミツバチの群を すり抜けながら


いつか燕のように 風に翼を広げて


街の果てから森の果てまで 振り向きもせず車を走らせてゆく


今までの君は間違いじゃない


君のためなら七色の橋を作り河を渡ろう


君は唄う 慌ただしげな街の中を傾きながら


君は唄う 焦げた胸のありのままにためらいながら


虹の橋のたもとで 河の流れを見つめて


月の岸辺から燃える砂漠まで 終わりのない夜をくぐり抜けてゆく


今までの君は間違いじゃない 君のためなら橋を架けよう


これからの君は間違いじゃない 君のためなら河を渡ろう



遠藤ミチロウ@広島OTIS!

SEの『THE END』(The Doors)が流れ、赤い照明が照らすステージに立ちチューニングをするミチロウ。
白のニット帽とTシャツ、柔らかそうなパンツにブーツというお馴染みのスタイル。

いつものように、「今晩は、遠藤ミチロウです」で始まった。

以下、曲とうろ覚えのMCメモ。
いちいち書かないけれど、ミチロウ氏の素朴なMCで観客は終始和やかな雰囲気であり、ミチロウ氏自身も微笑みながら語ってくれていた。


01.早すぎた父親

コンタクトレンズ入れて、客席がよく見えます」

02.MISER

「広島に着いて、市内電車に乗ってたら、交差点で電車が止まってパトカーが走ってて… あとでニュース聞いたら、少年少女が車を盗んでパトカーから逃げ周ってて…アメリカみたい」

03.月蝕

04.1999

「広島に何度も来てるけど、牡蠣は食べたことがないです…好きなんですけどね、当たったことがあって」

05.JIN JIN

「とうとう還暦になってしまいました」
「ただのじじいですけど、年とともに【くそじじい】になりたいですね」
「ある人が言ってたんですけど、40歳から先は逆行するする折り返し地点で、60歳は成人式になるそうです。だから70歳から10代に向かって進んでいくという」

06.JUST LIKE A BOY

「なんで”旅に出よう”じゃなくて”街に出よう”なのかというと、子どもは旅に出ないんです」

07.負け犬

「…歌詞がムチャクチャでした」

08.下水道のペテン師

「こないだ還暦のイベントで、イベントだったら他の人をゲストに呼んだりするのに自分がやってるのバンドばっかりで」
スターリンで爆竹を久しぶりに鳴らしたんですけど、爆竹は興奮しますね」

09.カノン

「実家にはもう5年くらい帰っていません」
「オフクロとは年に2回くらいやりとりするくらいで、こないだも連絡したんですけど、ボクが還暦だということに気づいていないみたいです」

10.お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました

「ここから座ってやってみます」
「この歌歌うと”寺山修二好きでしょう”てよく言われますけど、東北的な感じがあるんじゃないか」
「昨年の今ごろは舞台(「血は立ったまま眠っている」)をやってて、蜷川(幸雄)さん演出なんですけど、”この役は君しかいない”と口説かれて、公衆便所でブルースを唄う役なんですけど、”君しかできない”って」
「あまりブルースは得意じゃないんですけど…」

11.血は立ったまま眠っている

大河ドラマの『竜馬伝』に中村達也が刺客の役で出てるんですけど、”ライブやってる時に殺さないでね”て思います」
福山雅治はのお兄さんが昔バンドでミチロウメイクをしていたそうで」

12.公衆便所には窓がひとつしかない

「今のが公衆便所の歌ですね」


13.誰かが月を持ち逃げして

(再び立つ)
「座ってるのはやりにくいですね…上から目線のほうがやりやすい」

14.オデッセイ・2011・SEX

「60すぎたらこの曲やめようと思ってたんですけど テーマ曲になりました」
「年金でフーゾクに行くじじいとかいるじゃないですか そういうじじい、大好きです」
「性欲がなくなると早死にするらしいですからね」

15.自滅

16.誰も僕の絵をかけないだろう(友部正人

「友部さんの歌で、いちばん暗い歌を」「友部さんは日本のボブ・ディランだと思ってます」

17.一本道(友部正人

「もう二十年以上三鷹に住んでいるんですけど、中央線は人身事故がいちばん多いそうですね」
「線路が真西に向かっていて…何か引力があるんじゃないかと」

18.温泉ファック

19.午前0時

20.我自由丸

21.父よ、あなたは偉かった

「うちの親父は生きていたら100歳になります」

22.ア・イ・ウ・エ・オ

23.天国の扉

24.解剖室

「今年からギターは一本しか持たないことにしました」「弦が切れなくてよかったです」

25.Mr.ボージャングル

26.先天性労働

「今年はよくならないかなと思ってもよくならないですよ、思ってるだけじゃ」

27.ホワイト・ソング(AZUMI)

*******************

例年、年明けには広島でのライブがあるのだけれど、現時点ではまだライブの情報が入ってこない。

「今年はよくならないかなと思ってもよくならないですよ、思ってるだけじゃ」という言葉は、3.11とその後にミチロウ氏がとった一連の行動を考えると深いものが心に残る。

次にミチロウ氏に逢えるときに、どんなことを語ってくれるのだろうか。”和やかな空気”を求めていいのだろうか。

それはその時にならないと判らない。 (2011.11.10)

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【過去のライブレポ】

2009-02-11 @広島OTIS!
2008-06-13 遠藤ミチロウの実験室!@十日市町ヲルガン座
2008-01-13 @広島OTIS!

いろいろと思うことを書いてみました。

DEAD ENDのニューアルバム『METAMORPHOSIS』、本日発売となりました。ひとつ前の記事に書いたように”MORRIE声出てないのでは?”という不安から購入は迷っていたのですが、先日TV放送されたJACK IN THE BOX2009の映像を観て購入を決意。

音だけ楽しめればよいと思って通常盤を購入しようと思ったら、amazonではなぜか限定盤のほうが安く、先週の土曜日にクリックで購入。 …したのですが入荷量の都合/購入申し込みのタイミングで、ブツの到着は早くても明日になりそうです。

METAMORPHOSIS(初回生産限定盤)(DVD付)

METAMORPHOSIS(初回生産限定盤)(DVD付)

JACK IN THE BOX2009の筋少の映像はないのかしら、と思って検索していたら、同イベントのトリの44MAGNUMの映像はあったので何の気なしにそれを観たのですが、見事にツボにはまりました。また、最新PVもアップされていて、これもたいそう格好いい。

私が彼らの音を聞いたのは中学生の頃、1985年のBOOWYの都有新宿3号地での雨の中でのライブイベントの映像(NHK)で、PAULがゲストで歌っていたのが最初の出会い。この頃は彼らはメタルバンドとして絶頂期だったけど長期の活動休止に入る直前?または入った頃?で、それは他のメタルバンドもバンドブームの余波でじりじりと衰退していく時期の始まりでもあったようです。 だから彼らの絶頂期の姿はリアルタイムでは全く知らなくて、87年の『LOVE or MONEY 』と翌年の『EMOTIONAL COLOR』が私にとっての44マグナム(笑)。特に『LOVE or MONEY 』は今でも時々聴くアルバムで、【ソフト・ロック】とも評されたこの頃の彼らのファッションスタイルや、様々な音色を使い分けるJIMMYのギター音づくりは、その後(90年代前後)のJUSTY NASTY とかEins:Vier、はたまたラルク等の【ホスト系ロック】のルーツであり、シャウト系ではない”歌モノ”に徹したPAULのボーカルは格好いいな、と思うのです。 ただあまりにそれまでの絶頂期との頃の路線と変更しすぎて誰もついていかなくなったのは判る気はしますが。
LOVE or MONEY(紙ジャケット仕様)

LOVE or MONEY(紙ジャケット仕様)

EMOTIONAL COLOR(紙ジャケット仕様)

EMOTIONAL COLOR(紙ジャケット仕様)

方向性が見出せず彼らは89年に解散。 その後PAULは江川ほーじんらと共にファンクポップバンド、ライナセロスを結成。YouTubeでもこの頃の映像は観れるけどちょっとノーコメントだ(笑)。 JIMMYの活動についてはミレニアム前後のΦとしての活動はよく知っています(CDだけなら)。

ゼロ年代に入って44マグナムも再結成したことは知っていたし、PAULが若年性パーキンソン病を患っていることも知っていた。今回のイベントで彼らがトリを務めたことについては、他の若手バンドと比較した人気度/知名度、そしてPAULの容態がどう若いファンに見えるのか、と余計なことを考えたくらいだった。しかししかし。

【ヘビメタ】でも【ソフトロック】でもない、そのどちらの良さも兼ねた豪快さとキレの良い音。もうすぐ50歳とは思えんJIMMYのスマートさ*1。そしてPAULの実息であるSTEVIEの存在感。声がPAULそっくり!そしてイケメン!ブレザーにネクタイというファッションは反則だぞ!PAULの動きが思わしくない分をしっかりサポートして、ツインボーカルものとしてのユニゾン/コーラスも全く違和感ないし伸びやかで格好いい。

この映像を見る、前にちょうどファンキー末吉氏のこの文章を読んだところだった。

ワシは敢えてX.Y.Z.→Aはワシにとって「家(ファミリー)」である!!と言う。
ついでに言うとそれから派生する筋少ラウドネス爆風スランプも全てX.Y.Z.→Aファミリーである。
X.Y.Z.→Aがなかったらひょっとしたらそれぞれのバンドの再結成さえなかったかも知れないしね。
だからファミリーである筋少がワシの助けが必要ならワシは命がけで頑張る。
ワシにとって橘高はもちろんのこと、
大槻も内田も本城もみんなファミリーなのである。

父を支える息子のボーカル、まさにファミリーでバンドを転がしていく、ある意味理想の姿ではないか。
BANに代わってベースを弾きまくるLa'cryma ChristiのSHUSEの姿も、一回り下の若い年代ではあるが、脈々と伝わるジャパロックの血筋を引き継いでいくような姿で清清しい。

とにかく格好良くて、彼らの現在についてもっと知りたくて検索してたら、こんな記事も見つけた。 昨年、PAUL自身が、パーキンソン病の患者として、NHKで取り上げられていたのである。

福祉ネットワーク『もっと歌いたいぜ −パーキンソン病と闘うロック歌手−』
80年代、ハードロックバンド「44マグナム」のボーカルとして活躍した歌手・梅原達也さん(47)。梅原さんは、今「若年性パーキンソン病」と闘いながら、ライブを続けている。手足の震え、体中を襲う痛み・・・。パーキンソン病は、根本的な治療法はわかっておらず、薬で症状を抑えることしかできない。梅原さんはおととし病気をファンに公表し、新しいバンドを結成した。みずからがステージに立つことで病気への理解を広げ、少しでも患者の役に立ちたいと考えたからだ。病と闘いながらステージに立ち続ける梅原さんの姿を追う。

この番組の中では病気の苦しみ、治療の苦しみがクローズアップされていたらしく、放送後、それを見た当事者(パーキンソン病の患者)からも、賛否の声が上がっていたらしい。
そしてPAUL本人が、患者の集うホームページのBBSで、以下のメッセージを伝えていた。

あの番組を観て、皆さん各々、色々な感想をお持ちでしょうが、僕、個人的には29分と言う時間や、テレビと言う規制のある中、軸のぶれていない良い番組だったと思っています。
勿論、もっと伝えたい事は沢山あったし、今後、また別な形で放送する機会があるかもしれないのでまだまだカメラは回し続けます。
あの番組は「梅原達也」と言う一人の人間が、病気とどう向かいあっているか?これから、どう向かい合い、闘って行くのか?が、語れています。その中で、パーキンソン病と言う病気が出て来ます。
そこで僕は、この番組でパーキンソン病をどう語ればいいのか、大変悩みました。
いつものように強がって、Live活動を楽しんで、健常者の人達に、パーキンソン病には負けない!明るく強く生きて行く!と、するのか?
僕の考えは変わりました。それではパーキンソン病の患者が誤解される。パーキンソン病自体が誤解される。と、考えました。

何故なら、僕よりもホントに大変ご苦労なさっている患者さんや、ご家族の方々に失礼じゃないかと…
パーキンソン病を軽く見られちゃいけない!!簡単にステージに立てる楽な病気だと思われちゃいけない!

ただでさえ「死ぬわけじゃないのに」です。いつものように「大丈夫、大丈夫」など、一言でも言ってみたら…

「なんだ、パーキンソン病って大した病気じゃないじゃないか?」

どうでしょう?間違ってたでしょうか?


僕は、ブラウン管の向こう側でよそ見されちゃいけない!一瞬も目を離されちゃ、いや、見られない位、見苦しいプライベートな自分をさらけ出した方がいいと考え始めたんです。

そう…


良く僕は'特別な'と言う言葉が付いてまわります。Paulさんは沢山のスタッフやファンに守られて生きている。生きて行ける。だから'特別な'が付いています。

けど覚えておいて下さい。

普段道を歩いていて、買い物をしていて、お店で食事をしていて、皆さんはジロジロと「あっ、あの人…」と見られたり、コソコソと「あっ、あの人…」「あの人知ってる…パーキンソン病生活保護の…」と、指を指される'特別な'がありますか?
Netや雑誌にアイツはパーキンソン病だ!と、書かれますか?


僕は'特別な'だから目を覆いたくなる文章で非難されます。

「アイツ死ぬの?」「薬やってんじゃない?」「アルツハイマーと何が違うの?」「けどアイツが死んでも何も変わらないけどね」

…ただパーキンソン病と言うだけで。
とても悲しい事ですが、これが日本のパーキンソン病の認知度です。


勿論、僕はヒーローにも救世主にもなる気など、これっぽっちもありません。ただ、この'特別な'が良い方向にいかされれば?と考えてはいます。


「貴方はPaulさんと同じ病気ですか?」「今、体調はどうですか?」「何か私にお手伝い出来る事はないですか?」そう言う日が来る努力はして行きたいです。僕の夢です。
そして実践してくれている仲間もいます。
自分もパーキンソン病の患者の一人です。これを読んでいる'貴方'と、変わりありません。
皆さん。最初の気持を忘れないで下さい。誰にも相談する事が出来なかった、あの頃を忘れないで…
ここには僕なんかよりも辛く長い時間苦しんだ方々が多い筈です!!
症状が一人ひとり違う事も、飲む薬も、量も、副作用も、病院も、先生も違います。


僕だって、ここに来るまで色々ありました。副作用で両足に血栓まで出来て、マッサージが出来ない日が一年続いた事もありました。
当然、ストレッチ等、色々工夫して来ての、あの薬の量です。主治医とは十分話し合って決めた事です。
あのとても信頼出来る主治医に巡り合うまで二人先生と病院がありました。
病気が分かるまで?なんか入れると…何人?いくつ病院行ったっけ?な、感じです。
僕は今の主治医とパーキンソン病と共に生きて行くつもりですよ。しかし番組内容で、誤解が色々とあるだろうと思ってました。
そこは、今後の課題として皆さんの声を真摯に受け止め、次は、もっと良い番組を作るつもりでいます!
僕も制作に関わった一人として、これからも頑張って行きます。


それから、僕がもう一つ気にしていた事があります。このところのAppleのBBSやMLの荒れようです。見ていて苦しかったです…
皆、同じ病気で当然同じ苦しみを持ち、同じ願いを持っている筈が、何故、あぁなってしまうのか?
僕には分からないのです。皆、意地になってるようにしか自分には見えなかった…
精神的に辛くなってきて、何だっていいから何かにすがり付きたい気持や、不安で荒れてしまう事も分かってる筈なのに…
ホント見ていて悲しくなりました…悲しかった…


最後になりますが、こうやって今の自分の素直な気持を書き込んでしまい、この事でAppleから弾き出されたとしても、自分の活動は続けて行きます!
それが自分に'特別な'が付いてまわる人だからです。


これを最後まで読んでくれた方々に、感謝と僕からエールを送りたいと思います。
パーキンソン病と言う病気が僕の人生を大きく変えたように、皆さんの人生も大きく変わってしまったと思います。
しかし、そう悲観的にならなくても良いと思いますよ。だって僕、前より少しだけ良い奴になったみたいです(笑)」

このメッセージを読んで、すぐさまamazonで最新アルバムの購入ボタンをクリックしました。今まず私にできるのはそのくらいだから。

私はパーキンソン病ではありません。職業病である肩こりや頭痛の類、歳相応の疲れやすさはあるけど、それなりに健康体です。

でも、このPAULのメッセージは、すごく胸を突きました。

私のマイミクの方にはお伝えしてありますが、プロフィール欄の写真にも写っている息子(もうすぐ3歳になります)は、先日、自閉症の認定を受けました。

彼は、社会的にはいわゆる”障がい者”扱いになります。小さな彼はまだ判ってはいませんが、この先社会の中で様々な試練が彼を待っています。

親として彼のためにできることは、彼を正しい方向に導き育てること、そして、自閉症の姿をもっと周りに、少なくとも彼がこれから生活をしていく圏内においては、正しく伝えていくことである、と考えています。(それはまさに、上のファンキー氏が書いていた”ファミリー”を彼の周りに増やしていくことでもあります。)

狭いジャンルではあるけれども、20年間以上ロックを聴いてきて、途中で聴かなくなった時期もあったけど、自分の人生のいろいろな箇所に繋がっていく。それが今、嬉しくもあります。

44マグナムの新譜が届くのが待ち遠しい。正直、DEAD END以上に楽しみにしています(笑)。

44MAGNUM(初回生産限定盤)(DVD付)

44MAGNUM(初回生産限定盤)(DVD付)

*1:暗黒王子の歳を取らないかのようなスマートさに充分匹敵するぞ

真矢が駄目ならファンキー末吉でいいではないか(ルックス以外)

先日、日帰り出張にて、片道170キロの山越えドライブ(別に望んだわけじゃない)。こんなときは車中でCDをガンガンにかけるしかない。
ということで復活アルバムの発売まであと1ヶ月を切ったDEAD ENDをディスコグラフ順にガンガンにかけたでござるの巻*1


1st album『DEAD LINE』(1986年6月発売)

DEAD LINE(初回生産限定盤)(DVD付)

DEAD LINE(初回生産限定盤)(DVD付)

01.Spider in The Brain
02.Frenzy
03.Back in The Shadows
04.The Awakening
05.Sacrifice of The Vision
06.Definitive Urge
07.Perfume of Violence
08.Beyond The Reincarnation
※07のみCOOL JOE、それ以外はTAKAHIRO作曲

(CDのみボーナス・トラック)
09.Replica
10.Worst Song

このバンドを語るにおいてはまず、大塚”MORRIE”基之のことから。端整で麗しく陰影の深い歌声と、野獣の叫び/または老婆の呪いのように引き裂き食いちぎる叫び、言わば【人間態】と【異形態】の2つの対極的なボーカルスタイルを操る、通称”暗黒王子”、”魔界のプリンス”、”関西弁のカリスマ”
このアルバムでは【異形態】のスタイルの割合が9割だけど、ときおり挿入される【人間態】のスタイルが強い印象を与え、結果トータルで”上手/下手”という次元を超えて”このボーカルは凄い!”という印象を否応なしに聴き手に刻み付ける。歌詞の世界も、それまでのHR/HMの歌詞の多くが、横文字を多用したり”嵐”とか”鎖”とかのストリートっぽい単語をちりばめることで歌謡曲くささを廃しようと涙ぐましい努力をしていたところに、アルバムの初っ端から「泣き叫ぶ鬼の串刺し 何かに憑かれた餓鬼の群れ」ですよ!歌謡曲離れどころか現世を離れて、ぶっちぎりで独自の世界観を確立しています。
一方、バック(ギター)の音はどうかというと、改めて聴き返してみると意外にも、ボーカルスタイルほどには凶悪に歪んだり尖ったりはしておらず、音の粒がそろってこじんまりと聴きやすい音色だと思う。ボーカルがなければポップなJロックとも言っていいくらい。 このアルバムのギターはレコーディング当初はオリジナルメンバーの香川”TAKAHIRO”孝博だったけど、制作途中に脱退(クビ*2という説が一般的)し、当時別バンドに所属していた足立”YOU”祐二が無理やりレコーディングに参加することに*3なり、そのあたりの事情もギターのおとなしさにあるのかも。
その意味では、ギターの歪み/尖り具合といえば、アルバムのCD化においてボーナス収録されている『REPLICA / WORST SONG』のほうがHR/HMの音としては正統派。
『REPLICA』は”MORRIE”の【人間態】ボーカルのピッチが少々あやしい状態になっているが、名曲。後年ガーゴイルもカバー。
D


2nd album『GHOST OF ROMANCE 』(1987年9月8日発売)

GHOST OF ROMANCE[+1]

GHOST OF ROMANCE[+1]

01.DANSE MACABRE

02.THE DAMNED THING
03.PHANTOM NATION
04.THE GODSEND
05.DECOY
06.THE RED MOON CALLS INSANITY
07.DEAD MAN'S ROCK
08.SKELETON CIRCUS
09.SONG OF A LUNATIC

※05のみCOOL JOE、03・04・07はMORRIE、それ以外はYOU作曲

ビクターからのメジャーデビュー作。デビュー直前にドラムの田野”TANO”勝が健康上の理由により脱退*4。サーベルタイガー(横須賀ではなく本家札幌のほう)に所属していた湊”MINATO”雅史がオーディションにより加入。ボーカルも音づくりも基本的には『DEAD LINE』の延長上であり、アレンジや誌世界においていくつかの前作をモチーフとしたと感じられる部分あり。
ただし本格的に曲及び音作りを任されるようになったYOUちゃんのギターはいわゆる【泣きのギター】スタイルが開花。このアルバムの頃が、レコーディング作品での完成度とライブでの演奏力のバランスが最も取れていた時代であると思われる。MORRIEのボーカルは【人間態】と【異形態】のバランスは半々、といったところ。


3rd album『SHAMBARA』 (1988年5月21日発売)

shambara[+2]

shambara[+2]

01.Embryo Burning
02.Junk
03.Night Song
04.Serpent Silver
05.Psychomania
06.Luna Madness
07.Blind Boy Project
08.Blood Music
09.Heaven
10.I Can Hear The Rain
※03のみCOOL JOE、それ以外はYOU作曲

この頃の日本のロックシーンはブルハやジュンスカ等のコピーしやすい”ビートパンク”が主流で、HR/HMのバンドが幅を利かせていた『ロッキンf』もデランジェZI:KILLといった新しいスタイルのバンド(当時はまだビジュアル系という言葉はなく、苦し紛れに”ポジティブ・メタル”という無理やりな括り言葉で彼らは表現されていた。ほんの一時だけど)、そしてXが次第に脚光を浴び始めていた。
そんな中で岡野ハジメがプロデューサーとなった本作は、【ボイストレーニングによるボーカル強化】すなわち【人間態】での魔力発揮が可能となったボーカルの格段のパワーアップ、【懲りまくった濃密なアレンジ+多重録音】によって、前作の延長線どころかそれまでのイメージと異なる次元の”問題作”となり、ファンの度肝を抜くこととなった。冒頭の『EMBRYO BURNING』のイントロから、リスナーの”耳に入る”音ではなくてリスナーを”異世界に放り込む”重厚な音世界。麗しく圧倒的な歌唱力にて「夢見る魔人の子/狂おしいイリュージョン/胎児の抱擁」と魔界を手中に収めたようなボーカル。激しいYOUちゃんのギターソロに正面から対抗するMINATOのタムまわし、そのバックで黒く響き続ける増本”CRAZY COOL JOE”正志のベースライン。あまり好きな言葉ではないけど、”時代を感じさせない”アルバムですよ。 バンド結成からのオリジナルメンバーであるCRAZY COOL JOEは、テクニカルでカリスマ的な他のメンバーと比較するとやや地味な扱いとなってしまうのだけど、見た目が充分にグラマラスでロックンロール!なベースマン。彼が唯一このアルバムで曲を書いている『NIGHT SONG』の疾走感はものすごく格好よくて、当時何度もリピートして聴いたよ。
このアルバムの完成度/重厚度が、多くのリスナーやフォロアーを生んだ”功”とすると、その”罪”は、その完成度ゆえに音世界をライブで再現ができなかったこと、だと思う。
実際にライブに行ったことがないので偏見かもしれないけれど、当時の彼らのライブ評にて”沈黙する客席”という表現をよく目にしたのは、彼らのカリスマ性に言葉を無くしたファンより、アルバムでの音世界と目の前の等身大の彼らとのギャップに戸惑うファン、のことを表した表現の気がするのよ、少なくとも当時の映像を見ると。

アルバム本体の話に戻ると、前述の『EMBRYO BURNING』や、「ばらばらの肉体が宙ぶらりんになり/ざんばら髪の女が破裂する/めくら撃ち」(『JUNK』)、「月明かりを背に受けて/少女と悪魔の大地を踏みしめ/肉のざわめきを暗示する/ソドムの夜へともうすぐ帰る」(『LUNA MADNESS』)等、魑魅魍魎の魔界描写極まる一方で、呪符を一切排した『HEAVEN』を唄うようになったMORRIEの内面世界の変化は、既に次のステージに向けられた変化のはじまりだった。


1st single『BLUE VICES』(1988年12月16日発売)※再発盤の『SHAMBARA』にボーナストラックとして収録

01.BLUE VICES

02.WIRE DANCER

『SHAMBARA』と同じく岡野ハジメによるプロデュース、しかしまたも異なる方向へと進んだシングル曲。シンセギターと言ってもいいタッピング奏法による一定パターンのリフレイン、ドラムもベースもシンプル極まりない。「テクノロジー」「未来のアダムとイブ」「メトロポリス」「天国行きモード」などをキーワードに、デジタル世界の黙示録をやや高めのキーで唄うボーカル。メンバー4人の声・楽器の像がくっきりと浮き上がり、緊張感たっぷりの音世界。 現時点では彼らの歴代の音の中でいちばん好きなのはこの曲。


1989年3月、雑誌・宝島が主催した”クラブ・ワンダーランド ロック東京コレクション”という1週間の日替わりロックイベント@クラブチッタ川崎において、DEAD ENDはメジャーアルバム『BLUE BLOOD』発売直前のXと同じ日に対バン公演。そのライブでは『DEAD LINE』の全曲が披露された。それは、次のアルバムに向けての過去との決別を意味していたのかもしれない。


4th album『ZERO』 (1989年9月21日発売)

「ZERO」with re-m

「ZERO」with re-m

01.I WANT YOUR LOVE
02.SLEEP IN THE SKY
03.BABY BLUE
04.SO SWEET SO LONLY

05.CRASH 49
06.TRICKSTER
07.HYPER DESIRE
08.PROMISEDLAND
09.I SPY
10.I'M IN A COMA
11.SERAFINE

02・07はMORRIE、01・05はMORRIE岡野ハジメ、04はYOU+MORRIE岡野ハジメ、それ以外はYOU作曲

BMGビクターに移籍、3度目の岡野ハジメ プロデュース作品。そしてまたしても”問題作”。シンプルなパターンのギター/リズムフレーズがくり返される音づくりと、力の抜けたボーカル。やっていることは『BLUE VICES』と同じ路線なのに、ボーカルにも演奏にも全編、銭湯でレコーディングしたようなエコーがかかっているため聴いていて全く緊張感もなく、”時間がなくて手を抜いたアルバムかぁ?”と思ってしまうほど。発売当時(高校生のころ)は”うわーかっこいー”と何度も聴いたアルバムなのに、今聴くと全然印象違うなぁ…
ただしこのアルバムは間違いなく、その後の虹やら涙やら多くの”V系”の音作りの原点である。


3rd single『GOOD MORNING SATELLITE』 (1990年4月21日発売)

01.Good Morning Satellite
D
02.原始のかけら

『ZERO』のもっさり感から一転、クリアでスリリングな音世界再び。ディレイフレーズが繰り替えされるバッキングと対照的に、ギュオンギュオンと切り込むリード。カップリングの『原始のかけら』はMorrieのソロ作の匂いのほうが強い。


5th album『METAMORPHOSIS』 (2009年11月11日発売)

METAMORPHOSIS(初回生産限定盤)(DVD付)

METAMORPHOSIS(初回生産限定盤)(DVD付)

01.摩天楼ゲーム
02.Dress Burning
03.テレパシー
04.Devil Sleep
05.神猿
06.擬似ヴィーナス
07.Princess

08.Guillotine
09.Kill Me Baby
10.冥合

20年ぶり!の復活アルバムに先駆けての【JACK IN THE BOX 2009】、行けなかったけど某所にて『Psychomania』の音源は聴けた。感想としては、”MORRIE、声出てないんじゃね?”というちょいネガな印象が。激しく高音域でシャウティングするスタイルから中低域を響かせるスタイルへの変遷は解散前までの流れの中で既に見られていたし、クリ×2の『Light&Lust』では括弧たるスタイルとして”内向きにビブラートする低音唱法”が主体となっている。それを違和感なく受け入れられるかどうかがこのアルバムに対しての評価の分かれ目かもしれない。
まずは聴かなければ。それからまた詳しく感想をまとめます。

*1:mm9姐やんのパクリではないよ。この文章自体はずっと前に書いていたのでござるの巻

*2:MORRIE自身ギターが相当上手いらしく、彼の求めるレベルにTAKAHIROが付いていけなかったのか? WILLARDでも似たような事態に?

*3:雑誌『バンドやろうぜ』のインタビューにて、”最初はバッキングだけやってくれ”と言われて弾いたら”リードも弾いてくれ”と頼まれ、殆ど全部弾いた”という旨のコメントを本人が残している。

*4:脱退後は新バンド”マルティグラ”にドラム・プログラミングとして参加。SOFT BALLETのような低音ボーカル・打ち込み主体のビートバンドだった

本城聡章楽曲祭り〜1989-2009

遅ればせながら参加いたします

1、本城さん作曲の楽曲より、好きな曲5曲をお選び下さい。

気がつくと携帯プレーヤーのボタンを何度も押してしまっている曲たちを選びました。本当は10曲くらいあったけど。

機械』 (筋肉少女帯、『キラキラと輝くもの』、1996.12.9)
橘高曲と言われても違和感がないハードエッジな曲だけど、きっちりとしたAメロ→Bメロ→Cメロの展開と歌謡曲ばりにポップなメロディは、やっぱおいちゃん流。
この曲を含めて、『キラキラと輝くもの』の、冒頭『冬の風鈴〜序文〜』から『サーチライト』までの構成はまさに神がかり的。

ワインライダー・フォーエバ』 (UNDERGROUND SEARCHLIE、『スケキヨ』、1998.4.22)
”おいちゃん=ファンク”という印象が強くなったのもこの曲。復活前の筋少にあって今の筋少にないのは女性コーラスを入れた曲。ファンクじゃなくてもいいけど、もっと作って欲しい。

心の折れたエンジェル』 (筋肉少女帯、『シーズン2』、2009.5.20)
古典的HR。これもきっちりとしたAメロ→Bメロ→Cメロで、コーラスも随所で”効いて”ます。

『(新世代への啓示〜)その後or続き』 (筋肉少女帯、『新人』、2007.9.5
おいちゃんといえばシャッフルの人でもある。復活後の筋少で、こんなに気取りのないアラフォーのラブソングを聴けるのも(オーケンが歌えるのも)、この曲に表れているようなおいちゃんのほんわかした人柄のおかげではないでしょうか。

サーチライト』 (筋肉少女帯、『キラキラと輝くもの』、1996.12.9)
たぶんもうこんな曲は作れないのでは。つぅか、作らなくていいけど。オーケンの詩も、おいちゃんの曲も、メンバーの鬼気迫る演奏も、あの当時の”苦しみ”があったからこそできた奇跡の曲。
今ライブで聴いたとしても、その”苦しみ”のリアリティが今は無い分、響いてこない気がします。

2、ギタープレイ、パフォーマンス、その他好きなところ、お祝いのコメントなどありましたらどうぞ。

【アングラ村】【プログレ村】【クラシック村】【ヘビメタ村】といったバラバラな出身者たちが開拓した【筋少村】において、【ポップ村】出身のおいちゃんがいたからこそ間口も広がり、そこを訪れる人も増えたことと思います。
復活後のNHKインタビューで橘高さんが”自分とオーケンが勝手に家出して戻ってきたけど、玄関の鍵もかけず、どこ行ってたのよとも訊かず、メシを作って待っていてくれたおいちゃん(とウッチー)にすごく感謝してる”って言ってたけど、何も言わないにしても本人も相当の葛藤や苦しみはあったと思う。でも、戻ってきましたね(メンバーもファンも)。そして、戻ってこれましたね(ファンの待つライブに)。

20年の夢殺しってどの曲の歌詞だっけ


http://www.myspace.com/deadendofficial
http://www.jack-itb.com/

DEAD END 以外にも筋少cali≠gariも44MUGNUMも出るよ。

↑の写真はmyspaceから無断で使わせて頂いております。
このメジャーデビュー当時の写真を使う意図は何かあるのか?(多分ない)
「この4人ですよ、KAGAWAやTANOはいませんよ」という強調?(それもない)
そもそも”伝説のバンド”というフレーズは4人の美意識には合わないよね。

【追記】
mm9姐さんが、「わざわざメジャーデビュー当時の写真を引っ張り出してきたのは、そのへんのヴィジュアルがいちばん伝説っぽく見えるからではないか」と書いてくれて、あぁ確かに、と思う。20年は短くはない。その頃生まれていなかった人も今回のライブに足を運ぶわけだから、”当時の”彼らの空気を伝える写真であるには違いない。だけどやはり”当時”であって、今の彼らのビジュアルとのギャップを心配しないわけではないのよ。特に解散の頃にスパンコールのオールオーバー着ていた方とか。まさに「少年メリケンサック」状態になるのではないか、なんて…。

でもmyspaceの増田勇一さんの的確すぎる解説文を読んで、やはりそんなことは無かろうな、そんな4人では無かろうな、と改めて思う。

8/15は行くことはできないけど、すごいのやってほしい。全て新曲でもいいと思うし、ギターがもう一本いてもいいしホッピー神山あたりがウニョウニョしたキーボードで参加してくれてもいいと思う*1。とにかく4人が核となって、すごいことをやってほしい。そしてまた始まることにも期待。

初めて聴く人にとっては少しとっつきにくいかも知れないけど、一曲を選ぶならこれだ

*1:自分は彼らのライブは見たことなくて、レコード(CD)の構成/演奏力の印象が強すぎる分、音声や映像で体験した彼らのライブについてはむしろ少々ネガな印象があったりする。でもyoutube等で再確認してみよう。

「ENDSです」「フジマキです」「モリケンです」「3人合わせて、SOFT BALLET です!よろしくお願いしまーす!」*1

の自己紹介セリフで一世を風靡した彼らの、再結成以前の音源のBOXセット発売(るみねさん経由で知った)。

INDEX-SOFT BALLET 89/95

INDEX-SOFT BALLET 89/95


デビュー20周年記念!SOFT BALLET第一期を総括する究極BOX!!
日本におけるエレクトロ/ボディ・ミュージックの第一人者、SOFT BALLET。彼らがメジャーデビューを果たした1989年から1995年の解散までの第一期(Alfa〜Victor)の音源を集大成した11枚組CDボックス。藤井麻輝全面監修。


アルファからの7枚のアルバム全曲(「EARTH BORN」「DOCUMENT」「3 (drai)」「愛と平和」「Reiz[raIts] - LIVE AT NHK HAL」「ALTER*1 EGO」「TWIST AND TURN」)
+ビクターからの3枚のアルバム全曲(「MILLION MIRRORS」「INCUBATE」「FORM」)
+オリジナルアルバム未収録トラック=全143トラックを、年代・メーカー・フォーマットを超えて曲目アルファベット順に収録。


※全曲目・特典については公式サイト参照

曲名アルファベット順の収録というのは面白い。ひとつの曲のバージョン違いの聴き比べには便利だと思う。
だけど、公式音源だと言っても個人的には、ライブアルバムの「Reiz」とリミックスアルバムの「ALTER EGO」「TWIST AND TURN」の収録曲、その他のmix/version違いの曲は別にいらない。特にリミックスアルバムの曲は本人たちの手が入っていないものが殆どだろうし。
彼らの音楽価値観やENDSの歌唱スタイルの変遷を確認するのであれば、オリジナル音源*2とその後の再録音源だけを収録したほうが遥かに純度が高いので、多少値が張っても買いたいと思う*3

…それにしても↑のアーティスト写真が古すぎ。

思い出したので過去のライブ参加暦を張っておく。

  • 91.6.6 SOFT BALLET TOUR 1991 何〜やワレ!『恐縮です。ソフトバレエです。』 @広島市中区文化センター 1階10列13番
  • 主催/CANDY-P
  • 後援/アルファレコード
  • 企画制作/Bプロジェクト
  • 入場料/\3,090
  • 91.12.12 SOFT BALLET TOUR ZWEI @広島市中区文化センター 1階11列27番
  • 主催/CANDY-P
  • 後援/アルファレコード
  • 企画制作/Bプロジェクト
  • 入場料/\3,399

1991ツアーのタイトル…。

MILLION MIRRORSツアーは2部構成で、後半からは彼ら以外に2組のメカニカルなドラマーが登場(上領さんではなかった)。『OPTIMAL PERSONA』が圧巻だった。

*1:うちのハンドルの由来

*2:「BODY TO BODY」の太陽レコード盤は入っていないのね。B-Tの「HURRY UP MODE」と同じく、音源はサワキカズミ氏が持ってるのかね?

*3:タカキくん、どうする?買うの?(業務連絡)