『日本書紀』 (*) によれば、大化2年(646)春1月1日、賀正の礼が終わって、改新の詔
京師(都城)を創設し、畿内の国司・郡司・関塞(せきそこ、重要なところの守塁)・斥候(うかみ)・防人(さきもり)・駅馬(はいま)・伝馬(つたわりうま)を置き、鈴契(すずしるし、駅馬・伝馬を利用する際に使用)を造り地方の土地の区画を定める。・・・
- 七道駅路は、7世紀後半から8世紀にかけて建設され、10世紀ころまで機能していたようだ。それは都から本州と四国・九州の66国2島すべてに達する
完全踏査 古代の道 - 株式会社 吉川弘文館 安政4年(1857)創業、歴史学 ...
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目次
Ⅰ=古代の道とは(古代の道とその歴史/これまでの駅路研究のあらまし/古代道路の路線研究の視点と方法/駅路ルートの探索とその路線名および延長、駅間距離/畿内の六道とその変遷/畿内各国府への連絡路)/Ⅱ=東海道をたどる(東海道のあらまし/都を出て近江国へ/志摩路に沿う伊勢国西部、志摩国の駅家とルート/伊勢東部、尾張、参河三国の東海道/遠江国の東海道/駿河国東部の東海道と甲斐路/相摸、武蔵両国の東海道/房総路に沿う下総、上総、安房三国の駅家とルート/下総国北部と常陸国の東海道/常陸国府から先の東山道連絡路)以下
内容説明
古代の道―それは律令国家によって建設され、都から本州と四国・九州の66国2島に達する壮大なネットワークであった。道路技術者の著者が、高速道路ルートと古代道路の不思議な類似性に注目し、全駅路を実際に走破。駅路の歴史的変遷や、駅家(うまや)の位置、駅と駅の距離などを緻密に調査し、〈古代道路〉の全貌を明らかにする。『全国七道駅路図』収載。
- 東海道・
- 東山道・
- 北陸道・
- 山陰道・
- 山陽道・
- 南海道・
645年 大化改新 (*)