日本人・ルーマニア人の物事の理解の仕方

以前の日記(文書・文字の使用)で書きましたが、ルーマニア人はメモ等を日本人よりも書かないといったことを記載してみました。書く書かないの良し悪しは別として、今回はその理由について考えてみたいと思います。


結構、この話題について自分なりに日々考えたりしてるんです。どうやって理解を得るか?が大事だと思っているので、彼らの思考回路を暴いてそこに「えいや」と分かりやすく伝えることができれば活動が楽になるかなと思ったからです。何の根拠もないし、あくまで仮説ですが、以下のように考えました。

  1. 日本人は見て(読んで)理解するタイプ
  2. ルーマニア人は聞いて理解するタイプ

理解の仕方の状況比較

日本人の状況

まず状況としては、日本で働いていた経験を元にすると

  • レビューをしっかりとする(もう、ほんとうざくなるほど(笑))
  • 文書には図や写真が比較的多いし、色彩が多い


つまり、


「見て考えるが基本」

ルーマニア人の状況
  • レビューなんてほとんどしない(やっても略式)
  • 文書が用意されていても、文面を見ながらの議論したり決を採ったりするではなく、顔を上げて議論したりしてる
  • 子供に図表を見せても反応が鈍い(授業計画とかを表で見せても文書では理解せず、「何時からやるの?」とか質問してくるらしいです)


こういうことがあるので、文書で書いて用意しても疎まれたり軽んじられたりするわけです。まぁ、行政上必要な文書はルーマニア人もしっかり用意はしてますけれどね。おっと話題がずれた。。。


つまり、


聞いて理解するタイプ

違いの原因に対する推察

これはどこに原因があるんだろうと考えてみました。

日本語を使う場合

漢字やひらがなというアルファベットに比べて非常に難解な、まるで絵を描いているような字を使っていますよね?だから、「文字を見て書く」という習慣がある。たとえば、漢字であれば、力と刀のように上にちょっとだけ出たりして見分けてるものもある(こういう例はいっぱいありますね、犬、太、大などなど)。また、習字という文化があって、ひらがなの曲線は「あーだ、こーだ」と言って評価されたりもする。こういう基本的な行為を、毎日毎回繰り返している。だから、自然と頭の中の思考も「見て考える」というふうになると、考える。


また、漢字の場合は表意文字であって「見れば意味が分かる」。なので、映像としての記憶から言語を理解しているのだろうな考えられますよね。

ルーマニア語を使う場合

それに引き換えルーマニアの文字は、英語のアルファベットに特殊な文字5個(â,ă,î,ş,ţ)です。したがって、日本語で使用する文字よりも神経質に字の形を考える必要がない。また、ルーマニア語は日本語よりも子音が多いし母音も多い(a,i,u,e,o+ă,î,â)。


したがって、文字の形に注意する意識は日本人よりは薄く、母音・子音をしっかりと聞いて理解することに価値をおいているんだと思いますね〜(ちょっと、論理の飛躍がある?)。

で?

まぁ、上の議論から明白なのは、日本人がルーマニア人に話して理解を求める方がより効率的だということです。まぁ、実際、文書つくっても見ないこともあるし(笑)。また、ルーマニア人は見るより聞くに重点を置いているので、文書も見るよりも聞く型の方が理解しやすい。つまり、文字だけで論理展開を書いた文書の方が頭に入りやすい。なので、使用される文書が文字ばっかりという状況なんでしょうね。


そして、これだけではないんですよね。


聞くこと重視の姿勢と見ること重視の姿勢に根本的な差異が発生している!!!


と言ってみたい。

聞くこと重視の姿勢の頭の内部

聞いて理解するには、相手が言っていることを逐次自分の中で論理的に置き換える必要がある。しかも、高速に!!!なぜならば、高速にロジックを組み立てられなければ、議論もできないから。そして、議論が必要なのは、ルーマニアでの文脈では相手もルーマニア人なので、自分の意見を「聞いてもらって」理解するからです(ちょっと話題がずれた。。。)


まぁ、すなわち高速にロジック展開を行うという姿勢に常時なっていて、こういう姿勢になっていれば交渉事も自分の優位に進められるんだと考えてます。

見る重視の姿勢の頭の内部

それに引き換え、日本語の場合は違う。相手が言っていることを、まず映像化しなければ理解できず、そのあと映像から論理的な内容に置換していると思う。この一テンポがまず遅い。頭の中で処理できればまだいいけれど、メモを頻繁に取る行為(見て理解)のためさらに遅くなる可能性がある。さらに悪いと持ち帰って検討なんてのもある(ここまで行くと、言語特性依存の問題もあるだろうし、議論者に付与されている決定権限の問題もあると思うけれどね)


つまり、論理展開が遅いんではないかと考えているわけです。


そのため、高速ロジック展開を行う相手に対してはうまく交渉ができないとも思えるんですよね*1


そして、メモがないと不安でしょうがない(笑、俺のことか?)


こういう経緯から、メモを取らず徹底的に議論して、高速ロジック展開とメモリー量の不足に慌てふためきながら交渉する練習をつめば、もしかしたら交渉術が上手になるのかもと思った次第です。

*1:まぁ、日本人が世界の異なる人々と交渉を重ねた経験が100年、200年単位で形成されていないという経験不足もありますが

差が激しい

ルーマニアに来てルーマニア人を見ると、多分驚くことの一つは、、、


何でも差が激しい


ということ。ここで言いたいのは、日本人との差というよりもルーマニア人の中での差ということです。ルーマニア人は日本人の体型からすると基本的に大柄なんだけれど、背だけが異常に高かったり、横に異常に大きかったりまたはその逆だったりと、非常に個体差があります。標準偏差が大きいということです。


これは、他の外国に行ったときは感じなかった異様さです。だから何だ?といわれれば、別に、気づいただけだから。ってな内容なんですけれどね。


で、これは個人の考え方にも如実に現れています。たとえば、レストランに行ったり、なんかの窓口(郵便局とか)に行ったりしたときに直面します。このお姉さんだと、仕事をにっこり笑ってくれてしっかりやってくれる。でも、あの姉さんだと偉そうな態度でぜんぜんこっちの用件を果たしてくれない。ということが日常茶飯事でおこります。本当に仕事が個人に根ざしてます。組織としての質は望めないですね〜。日本はがんばって、個人と仕事を切り離し質のむらをなくすことによって発展してきた一面もあるんですよね。なので、そういった日本人の目から見るとちょっとすごいなと思ってしまいます。


組織についていえば、ある所長がボランティアを要請したのに数年たって違う所長になると「俺は要請した覚えないから」と言って、ボランティアを撤退するようになることもあったり。。。ルーマニアは組織としての力は弱いですね。まぁ、日本人が強すぎるというのも一面としてはありますが。

感情・言葉

ルーマニア人は世界でもっとも北に住むラテン人です。「ラテン」この言葉から何を思い浮かべますか?たぶん、みなさんの思うとおりです(笑)。

  1. 感情表現が豊か
  2. 話すの大好き・楽しいこと大好き


喜ぶときは、体全体を使って喜ぶし、怒っているときも腕や上半身をこれでもかというぐらい使って反論の意思を示します。感情と声・顔の表情が直結してるんじゃないか?と思うほどストレートです。なので、見ている僕にはよーくわかって楽なんですけれどね。で、これを考えると、以前に書いたレストランの話や、馬鹿にする言葉を吐く理由もわかる気がしますね〜。


レストランやレジでブスっとした顔になるのは、仕事が与えられるものでつまらないもの「罰」という意識があるためでしょう(キリスト教というのも影響してるね)。それに引き換え日本人は働くのは良いことだという意識がある。だから残業もするしね。きっと。おっと話がそれた。この辺りのことは、比較文化論入門書を読むといいと思いますよ。たとえば「世界の日本人ジョーク集」を見るのもいいかもしれません。


世界の日本人ジョーク集 (中公新書ラクレ)

世界の日本人ジョーク集 (中公新書ラクレ)


あと、道端でしばしば、


「ファンヒョン、アチョー」と


中国人の真似をされますが、このあたりもちょっと関係しているかなと思います。仮にね、憎く思ってる国の人が仮に歩いていたら「×××」って思ったりするでしょう。そして、ルー人にとっては中国はあまり印象の良い国ではなく(革命以前に中国人が結構いて、ルー人の仕事を結果的に奪ってしまっていたとか聞いたことがあるけれど)、ルー人の気性も相まって、すぐにこういう日本人にとってはやなことを言うんだろうなと思います。ルーマニア人の中には、こういうcivilizationがない人もいますね。


あと、感情に素直の例としてマイナスの例をあげるとしたら、せっかく作ったものを残すということですかね。まぁ、嫌だったらしょうがないんだけどね〜。日本人だったら多少嫌でも食べるよね。残さない。残したら相手が悲しむだろうと考えて。が、ルーマニア人は自分の感情に素直です。その結果与える影響もあまり考えていないような。。。日本食を提供する機会が何回かあったのですが、そのときは海苔(黒くてルー人には妖しさきわまる食べ物)系の食べ物は確実に残してましたね。。。


ということで、言いたいのは、ルー人が感情に素直だということです。

白熱した議論

ルー人と白熱して話すまたは、ルー人同士が白熱した議論を展開しているのを聞いていると、しばしばこんな場面に出くわすはず。


相手が言葉を話しているその途中から、自分の言葉をかぶせる光景


ルーマニアに在住している人なら少しはわかってもらえると思うけれど。。。まぁ、とにかくこういう場面にでくわすわけですよ。僕のカウンターパートは極めて冷静な人ですが、たまにこういうのがあります(僕もこういうように対応する場合がありますが(笑))。


日本人同士だと相手が何か言っているときに言葉をかぶせるなんてあんまりないですよね。でも、ここでは常態だと思って間違いない。


そして、


かぶせ言葉に負けてはいけない(笑)。


そうやってでも、自分の主張を正しく伝える(言うだけ?)のが大切です。この国では。

意思決定の早さ・実行の速さ

「文書・文字の使用」に関連するんだけど、ルーマニア人の意思決定および実行の早さは日本人にしたら驚異的なことがままあります。これは僕の活動環境に依存することかもしれません。もちろん、うだうだやっていることもあります。ここで言いたいのは「いったん動き出したら早い」という意味で捉えてもらえるとうれしいですね。


さて、本題。


意思決定と実行の早さについての遭遇した場面(あくまで例で、後述の理由と明確にリンクしているわけではない)とその理由について考えてみたいと思う。

遭遇した早い場面

採用

実は、この2007年1月2日より、ルーマニア人のエンジニアを雇うことになりました。以前からこの話は聞いていて、面接もしたことがあったので特段驚くに値する内容ではないんですが採用までのスピードが非常に早かったです。


僕が冬休みをもらったのが2006/12/23〜2007/1/7までの二週間でした。この期間には、クリスマス休暇2日と新年休みが入っています。なので、営業日で考えると、僕がいなかったのは7日なんですよね。実は、その間に、面接も済ませ、採用とあいなっていたのでした。でも、実際は7日なんかではなく、もっと短いですよね。2007年1月2日から働いているわけなので。で、計算するとわずか3日で決定です。


日本では考えられなく早くないですか???もちろん、面接は一回だけだし、そういった事務作業が少ないこともあります。が、とにかく早かったです。

コンピュータの調達

県庁内はしばしばPCの調達を行っています。調達というとかっこよく聞こえますが、買っているだけです。はい。ただ、これも早い。カウンターパートが業者に行って見積もりを取ってくると、すぐにもうコンピュータが来ています。コンピュータ自体が来るのは、いろいろあって遅くなるけれど、その遅さを除けば、本当に早いです。

さてその理由を考えてみました。

まぁ、僕のカウンターパートは部長級の人なので、そういう人に接していれば確かに早く見えるのかもしれない。でも、もっと違った意味で早いと考えています。

  1. 責任の確固たる所在
  2. 文書数が少ない
  3. 決定に対する実行力
  4. あいまいさの許容
責任の確固たる所在

何に対して、誰が決断を下すのか?それがはっきりしています。だれそれに意見を聞かないと判断できないというわけではなく、一人が決断を下すように組織化されています(もちろん、広範囲にわたる問題とかは他の人に意見を聞くけれど、日本で他の人に意見を聞くよりも回数が少ない)。


また、任された方はその責務を果たすようしっかりと考えています。そして、任せた側(たいていは上位責任者)は任せた人の意見を詳細に聞くことは少なく、大枠でOKであれば信じて決断(サイン)をくだしています。


その結果、余分なレビューといったことも無く実行までのスピードが早いのではないかと思ってます。


これを書いていて思い出すのは、あるアメリカの大学の授業でのグループによる共同作業。ある課題をクリアするためにグループで課題を検討するときの話。課題は大きいので当然、課題を分割してそれぞれが分割された小課題をやってくる。ここからが違ってくる。各小課題を各人がそれぞれ力を出してやってきたはずだから、特に精査することもなく各人がやってきた小課題を結合することで課題を提出したらしい。このグループには日本人もいて、「なぜ各小課題について議論しないの?」と言ったら「個人が力を尽くしてやってきているのだから、十分なレベルで課題をクリアしているはず」という答えが返ってきたらしい。なんか、この話に似てませんか?特に、各人を信じている点が。


もちろん例外はありますよ。上位責任者が詳細に聞くべきところは聞いてるしね。そして、弊害もときにはあるでしょう。情報共有がなされていないことと、ある内容をより上位に持っていくことができない点。


この2点の課題とスピード・信頼のバランスをうまく保つうまい方法はないものですかね?

文書数が少ない

「文書・文字の使用」でも書いたように議事録も取らないし、日本よりも圧倒的に文書が少ないことも意思決定に至るスピードの早さにつながっていると思います。文書を書くだけ時間はとられるし、特に曖昧模糊としている議論内容であれば、書いてあることが変化する。そういった、無駄がないです。ここルーマニアには。もちろん、文書を書くという意識すら希薄だったりしますが、結果的にスピードに直結してますね。

決定に対する実行力

今の県庁に配属されて、つくづく思うのは、、、


「みんな、つべこべ言わず上位権力者の言うことに、よく従う」


ということです。もちろん、論理的におかしな点や疑問に思うことは下位の人も喋りますよ。ただ、決定に対して感情的に嫌だと感じても従う習性があると見えるのは僕だけでしょうか?その結果、日本とは違って決定がすっきり実行される。この点も早さの秘訣のような気がしています。

あいまいさの許容

これは僕も合意できる内容なんだけど、多少あいまいであっても実行してしまいます。これを計画性の無さと言うか、あいまいさの許容というのかは人によっても違うと思いますね。日本であれば日一日の詳細なタスクを洗い出し、それを実行していくような計画を立てますが、ここルーマニアではそんなことしません。


そして、問題があればその場で修正して対応する。なので、比較的ルーマニアで何かをしようとすると、途中であーだこーだと対応に追われることもしばしばです。そして、日本人感覚からすると「予見できる問題を事前に検討していないから、こうも対応に追われるんだ」と言いたくなりますが、事前にあらゆる角度から未来のリスクを詳細に検討するのがいいかはわかりませんね。


問題に対する全ての正確な情報など入ってこない。そういう前提で物事を進める力。日本人には必要だと思いますね。なので、99.999%詳細に検討して時間を損失するよりは、ルーマニア人にならって、95%検討して、あとはその場でなんとか対応する。こういうのがバランスをとった感覚なのかなって思ってます。


付け加えると、あいまいさが許容できるのは、心の奥底で「どんな状況でも対応できる、なんとかする」という気持ちがあるんだと思います。なので、多少あいまいでも進めるんでしょうね。それに対して、日本人はあいまいさの許容ができない民族です。あいまいなのは恐怖だから事前に詳細に検討しないと気がすまない。そして、チャンスを逸する。

文書・文字の使用

今回は、ルーマニア人の文書と文字の利用について書かせてもらいます。具体的には以下のような点ですかね〜。

  1. 文書は字だらけ
  2. 会議に議事録なし
  3. ノートは使わない(使っても立派なやつ)

文書は字だらけ

以前の日記にも書いたけれど、ルーマニアで書かれる文書には本当に字が多いです。日本の本のように写真や絵、そして図が掲載されていることは少ないです。


字だと、一字一句全て読まないとわからず非効率的だなぁと思うのは僕だけですかね???


で、最近思うようになったのは、日本人はひらがな・カタカナ・漢字・アルファベットを使いこなしているため、結構絵や図に敏感でありだから図などを掲載することが多いのではないかということです。


ひらがなの曲線や漢字の細かい部分(ある部分から出たり出なかったりで漢字の違う。刀や力)、そういうものを書いたり見たりしているおかげで、図形的センスはあるんじゃないかなと思いました。だから図や絵も載せたがる???かもしれません。


まぁ、でも図があることで直感的にわかる文章が多い日本は幸せですね!!!そこは日本の好きなところです。

会議の議事録はなし

まぁ、ここで言っている会議というのはそんなに大きくない会議でせいぜい10人ばかりの会議です。日本だと少なくともSIの業界では、お客さんと話しあったら議事録は書くことが多いと思うんだけど、ここでは議事録が書かれて回されている雰囲気はありません。


まぁ、10人前後であれば不要かなという気もするし、単に僕のところには文書が回ってきていないだけなのかもしれません。ただ、カウンターパートが近くにいるので、なんとなくは文書が回ってきたらわかるはずなんだけれどね。きっと書いてないでしょう。


まぁ、書くのがいいかと言えば、それはどうだろうという気がします。書けば書いただけ、誰かの稼働が使われているわけだし、少ない人数でお互いのコンテキストを共有している限りにおいては不要かなという気もします。

ノートは使わない(使っても立派なやつ)

ここルーマニアでは、首都にでも行かなければ日本で売っているようなA4判のノートは手に入りません。売ってても子供用。なんか虫の写真とか掲載されているやつで、とても大の大人が使うような代物ではありません(笑、まぁ探せばあるのかも知れないけれどね、さっと探してみても見つかりませんでした)


まぁ、かと言ってまったく使っていないというわはなく、ノート使っています。打ち合わせに行ったときは、ここにサラサラっと書いていきます。まぁ、このあたりは日本人も同じですね。ただ、書く量が圧倒的に少ないですけれど。まぁもっともルー人の間では困ったらなんとかアドリブで動いて物事達成するという気概および行動力があるので書き過ぎなくても間に合うんですけれどね。


日本人はなんでこうも書くのだろうと考えました。書いて安心したいんだなきっと。書いて確かなもの!というふうに思い込みたいんだろうと考えてます。議事録はたくさんの量を話合うとき以外不要だなぁとルー人を見ていて思うこのごろです。

忘れっぽい・計画性・継続性がない

忘れっぽい

ルーマニア人と仕事をしていると、、、、よくあるんですが、、、忘れっぽいことに出くわします。


明日プログラムの試験をやろうと言っていたにも関わらず、だいたい忘れ去られます。こっちから言い出さないとまず相手は言ってこない。うーん、たまに困ります。まぁ、俺の仕事は俺が管理しているから大丈夫なんだけれどね〜。


また、サーバ導入しようと言って、サーバー導入の準備を進めていって「さぁインストールするぞ」というと導入しようと言ったことを忘れてて、やっぱり中止なんてことも多々ある。む〜。

計画性がない

うーん、これもしばしば起こります。県庁で働いていてよくあるのは、新しいパソコンが来たから設定してくれというもの。あとは、いきなりネットワークの敷設を始めようとか。とかく、思い立ったら吉日とばかり、すぐに行動します。この行動の敏捷性は日本人の気性と比べていい面だと思います。


が、計画性がないために当然後戻りもしょっちゅう起こりますよ〜。


身近なところから言えば、サーバー移設に関して事前に移動先の部屋を掃除してなかったから移設が遅れたりとか。


また、シビウに行ったときの工事のこと。ここでは石畳を作るべく盛んに工事が行われていたんだけど、建物を照らすために地中に埋め込むライトを埋め込むの忘れていたらしい。。。おかげで、再度掘り起こして埋め込んでいました。最初から言っておけば同じこと繰り返さなくていいのにね。


話は戻って、パソコンの設定にしてもネットワークの敷設にしても俺がもともと予定していた仕事があるんだよね。事前に言ってくれれば、そのための作業時間は空けるのだから事前にせめて言ってねと思う。まぁ、これは言ったけれどね。あんまり改善されずです。


あとは、この前、とあるプロジェクトの予定表を見せてもらったんだけど、、、


月単位での予定しか書いてないんです


資料全部見ても、日単位の予定は立ててないんだな、これが。日本のプロジェクトだと日別管理しています。僕が携わったプロジェクトではそうでした。まぁ、これでプロジェクトがうまく進むのであれば問題なし。でも、これじゃ綿密な監視などできないけれどどうするんだろうって思った。ルーマニア人は結構、「おおらか」だから細かいことは気にしないんだろうね。


だから、仕事量もとかく少なくていいのかも。日本人は何事も綿密に用意・準備しすぎだなぁ〜。だから残業も増えるのかも!まぁ、そこはルーマニア人がアドリブに強かったりするってのも背景としてはあります。日本人は用意されていない出来事に対しては比較的対応がしにくい気性でしょう。