
年初からカメラ8台と温度計、リモコン操作、室内音取得等で専用のサーバを立てているが、なんとか夏は乗り切った。
ネットワークカメラのモーション検知の性能はまだまだ発展途上なのだろうか、調整しても完璧にならないので一部のカメラでスケジュール録画をしているが、今度は膨大な動画ストリームの処理にいささかうんざりしている。
1台を一晩まわすと100MBに細切れになったMPEG-4.aviが約10G分たまるとか仕様も相当アレだけど、LAN内を動画が常時数CH飛び交うようになって、処理負荷が以前の数十倍になった。機器類・LAN環境含めた全体としてパフォーマンス不足だ。動画の品質・データ量、エンコード有無によるけど民生用では無理があるのかも。
しつこく追っかけてます。ネタは良いけどちょっと掘り下げ不足か。
5話終わりから6話冒頭部分の新谷村式簡易知能評価スケールとやらの略称はHDS-Rじゃないよなぁ、と些細なツッコミ。
XPの上にUIとブラウザ偽装するなら、どうせだからルパンみたいにKDEにすればいいのに!!
介護認定の調査項目大幅見直しへ 実際より軽い判定回避 - 47NEWS(よんななニュース)
http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009072801000567.html
時事ドットコム:要介護認定新基準の修正案提示=43項目で軽度化是正−厚労省
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009072800827
NHKニュース 要介護認定基準 大幅再修正へ
今回はコメディー的なカットはかなり抑えられていた。ネタは介護家族による認知症老人の虐待で、結末は施設で保護、却ってBPSDが顕在化しやむなく身体拘束というキツいものだったが、この一連の経過で、その場その場どういう対処を取り得るのか、本人及び家族に何が必要で何を提供し得るのか、の辺りを問題提起していた。ただ、介護家族(孫)が薬の売人という、また相当なトンデモ設定だったのもあるせいか、なぜ虐待が起こるのか、その背景・原因とそれを見越した予防策への踏み込みが浅い印象になってしまった。老人を介護する家庭が密室的だったり、孫が「四六時中云々」喋っていたりと虐待が起こりやすい状況は垣間見られ、完全な逸脱はさせず大まかなところは保っていた。まあこの辺がドラマの限界なのかな?と思った。
「ヘルパーは家族にはなれない」はヘルパーという職業の限界を示しており家族側から見て今更「なるほど」と思ったが、家族の立場からの介護がヘルパーの立場からとはまた別種の問題を抱える、あるいは引き起こすことも当然あり「家族はヘルパーにはなれない、なりきれない」見方も成立するわけで、ヘルパーと家族の役割は相互補完、またどんなに一方が頑張ったとしても最終的に妥協する他ない(それも肝心なところで)ことも多い現状を良く表現している。
身体拘束の場面が再び出てきた。第1話では施設の方針もあり比較的限界点の低いところで当然の措置として、第3話では身体拘束ゼロを掲げながらも、利用者の頭部が派手に出血するなど緊急性が相当高いところまできてしまったのでやむを得ず、といった違いがあり面白かった。身体拘束ゼロの理想は人権や尊厳を確保する意味でとても重要だけど、実際の介護現場の問題として「もうこれ以外に方法がない」というにっちもさっちもいかない状況が起こり得ることを、第1話で利用者が拘束され連れて行かれるのを睨み付け「あれはどう見ても監禁だ」と言い捨てていた主人公が、第3話で自ら利用者の足を抱えて連れて行き、更に出血時に身体拘束を止めることを諦めた対比で示している。
民放で、ドラマで、しかもストーリーのトンデモ設定でコメディーを標榜したにも関わらず、ここまで見せてきたのはびっくりである。意外性が良い。
身体拘束ゼロ - Google 検索
追記。
上のは介護している立場の一個人が想像を膨らませた曲解のようなもので、本筋としての解釈は「ヘルパーは家族になれない」にしろ度重なる身体拘束にしろ、ヘルパーという職業の難しさ(+新人ヘルパーの無力さ)の表現なのでしょう。