天のさだめを誰が知る!? このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2016-06-17

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  • 朝ぼーっとした頭のまま、昨夜けっきょくあまりに眠くて投票できなかった分の投票券を打ち込み終えてから仕事に行く。
  • 愚行権の祭、悪評高いAKB総選挙というものに、須田亜香里神推しなので、今回はどっぷり付き合ってみた。他にも好きなSKEメンはいるけれど、今回は残らず須田に投じた。とは云え、家や車を売るひともいるこの祭、私の投じた票数など大したものではない。ヲタじゃないひとには充分呆れられるが、ヲタにはぜんぜん少ないと云われるぐらいのものだろう。
  • じぶんなりにやりきってみて、得心したのは、推しを推したいという気持ちには本当に際限がないこと、しかし私の財布の中身や、モバイル会員になって投票してやってくれなんてばかばかしいことを頼める家族や友人は限られているということと、しかし、それでいいんだ、ということである。
  • 腐るほどカネを持っていても、推しを推したいというこの気持ちの全部を、カネで還元し尽くすことはできないだろう。そういう限界のない気持ちが、じぶんのなかにはやっぱりあるのだということを、苦笑しつつ発見した。同時に、しかし注ぎ込めるカネには、気持ちとは違ってどうしたって限界があるのであり、そのことは、気持ちの際限のなさとは無関係で、だからそのことが、推しを推す気持ちを目減りさせるものではないということを、ようやくじぶんで認められるようになった。そういう気持ちになったのも、きっと、午後三時を疾うに過ぎたからなのだけれど。

2016-05-29

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  • 「しま」をみていると、ときどきどうして彼女が私たちと同じ言葉ではなく「ニャア」とかしか云わないのか、それがとても不思議になることがある。これは猫である「しま」と私たちとの間に、しばしば会話が成り立っているゆえである。
  • 柚子が買ってきてくれたインド料理を食べる。とてもおいしい。柚子と、本当に旨いものを食っているときは、とても愉しい。
  • 新潮六月号に載っている福田和也の「食うことと書くこと」を読む。ずば抜けて頭が切れて口が達者だった親父のリハビリをみつめているような気分になりながら、しかし、こういう、とてもとてもとても繊細で、それを守って包み込むかのようにみっちりと身の詰まっている福田和也批評文を読んだのはずいぶん久しぶりで(石原慎太郎のことさえ口述で済ませてしまったのに先日驚いたばかりだったから)、率直に云えば嬉しかったし、福田和也にしか綴ることのできない言葉が、がっちりと掴み取られて、ここには並んでいると思った。

2016-05-23

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  • 久しぶりに大島渚の『忘れられた皇軍』を引っぱりだしてきてみたのだけれど、大島は本当に歌が好きだ。失われた「身体」を埋めようとするものとしての歌なのかもしれない。上半身だけがぶるぶると震え、下半身は踊らないミュージカル(坐した宴席での放吟と演説映画を、大島渚はひたすら撮っていたのかもしれない。けっきょく一日家から出なかったのだから何か映画でもみようと思ってDVDを漁るが、10分ほどみては、なんだか違うなあ、こんなに懇切丁寧なカット割りでなくてもいいのに……と、くたびれて止めるのを繰り返して、けっきょくアンゲロプロスの『シテール島への船出』を見始める。いつの間にか陽は落ちて家のなかも真暗になって目玉だけになって、ぼーっとTVの画面をみつめている。途中で柚子が帰ってきたので、そこまで。続きはまた今度みよう。昔は頭まで巻き戻して(ヴィデオテープ!)みていたけれど、もう今はそこまではしないで、止めたところからみる。アンゲロプロスはそんなことを許さないと以前は思っていたけれど、アンゲロプロスをそんなふうにみてもいい。

2016-05-22

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  • 図書館に寄ってから、髪を切る。実家の近くの散髪屋でずっと髪を切っている。実家の近くを歩いていると、この場所にはあの店が入っている、こういう家があるなどと思い出すのだけれど、もうそこにはなくて、虚をつかれたようになってしまう。しかし私がここにいたのはもう十数年も前のことなのだから変っていて当たり前なのだけれど、頭のなかの地図のほうも、とても当たり前の顔をして、ずっと生きていることに驚く。

2016-05-21

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2016-05-14

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2016-05-12

[][][]チームE手をつなぎながら》公演をみる

井田玲音名市野成美加藤るみ鎌田菜月木本花音熊崎晴香後藤楽々斉藤真木子酒井萌衣柴田阿弥菅原茉椰須田亜香里高寺沙菜福士奈央浅井裕華片岡成美