天のさだめを誰が知る!? このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-06-20

[]

2018-06-04

[][]

  • 公演が終わってからも、犬塚あさな言葉が残って、帰りの電車の中でぼんやり考えていた。
  • 犬塚はきょう、山田樹奈MCのうまさを褒めて、それは彼女が誰よりも空気を読めるからと云ったのだが、終わりの挨拶では、観客に向かって、推しメンがいるのなら、彼女たちのいいところを見つけて、それをきちんと認めて育ててあげてほしいというようなことを云った。
  • 先日、犬塚ツイッターで、「24年間空気しか読んでません」と呟いた。卒業発表のすぐあとのブログでは、「これからは自分のためだけに、自分の事をしたい」と書いた。そんな彼女にとって、SKEメンバーとしての決して短くない時間が、トータルでは幸せであったことを祈るばかりだけれど、でもやっぱりアイドルというのは、ものすごく苛酷な選択であるのだとも思う。推しメンが辞めずに残ってくれていることは、ただもう僥倖でしかないのだろうし、辞めてゆくメンバーたちには、労いと今後の人生幸福を祈念するしかない。
  • しかし、ほんとうにいるらしい、アイドルの前にわざわざ握手券を買って出て行って、「苦言を呈する」という名の悪口を浴びせる最低な奴。

2018-05-28

[][]

  • 朝起きてゴミを棄てる。
  • 今日は「しま」がちょっと距離をおいて、ずっと近くにいる。私が別の部屋に行くと、いつの間にか同じ部屋のなかにいる。私にべたべた触られないようにしているけれど。
  • 出かけようかと思っていたけれど、やっぱりやめにして、借りてきたBDで『アトミック・ブロンド』をみる。シャーリーズ・セロンPVとしてなら満足できるし、ときどき悪くないシークェンスがやってくるのだけれど、やはり一本の映画としては、ずいぶんだらけている。もっとテンポよく、もっと複雑でも全く構わない(いちど見ただけでは十全には理解できないがそれでもいい映画なんて幾らでもある。そして、「あいつはとても賢い」と映画のなかの人物に云わせておけば、それが観客にも分け持たれると思うのは甘えである)のに、どうにも中途半端なのだ(やりたいことは判るから勝手にじぶんの頭のなかで補正すれば幾らでも楽しめるのだろうが、私はこっちでいじらなくても物凄いものがみたいのだ)。この舞台でこの役者たちだから、少し期待していたので、些か残念。
  • 寝転がってフィル・ニブロックの《Disseminate Ostrava》をぼんやり聴いていると、耳がサボって、音楽がふと聴こえなくなることがある。でも、幾らおなじ音がずっと鳴っているのだとは云え、人間演奏しているのだから、かすかなズレとかブレがあって、その瞬間、耳がぴくんと反応する。もちろん聴こえないと思っていた間も、音楽はずっと鳴っていたのである。

2018-05-27

[]

  • 朝から町内会の溝掃除。その後慌てて仕事に。
  • 仕事を終えてから映画を見に行こうと思うが、何となく今日は諦める。駅まで行くと電車がずっと止まっていて、とても間に合わなかったので、諦めてよかったと思う。先日久しぶりに聴いた《弦楽四重奏のためのプロジェクション》がとても素晴らしくて瞠目したので、別の演奏が入っているのを取り寄せた湯浅譲二CDコンビニで引き取って帰宅する。
  • 帰宅すると、伸び放題に伸びていた庭を、柚子がとてもきれいにしてくれている。伐った草や枝でいっぱいのゴミ袋が幾つも積んである。ちょっと驚いたほど。ありがたい。
  • ネトウヨたちがメディアを毛嫌いするのはどういうわけなんだろう? 媒介されていることに耐えられないのか。生のままの真実とかに触れたいという渇望のゆえなのだろうか。そういうふうに思うということは、じぶんは本当のことから隔離されており、本当のことは隠蔽されていると考えているということだろう。しかしどんなことであれ、媒介されることなく本当のことに触れることなどできない。それがじふんのことだったとしても、私は言葉を使ってじぶんのことを知る。だから既存の「マスゴミ」(という言葉を使うやつとは友だちになりたくない)ではなく、純粋真実のみを伝えるメディアを求めるというのだろう。だが、真実しか伝えないメディアは、「大本営発表」と何が違うのだろう。純粋メディアとは、死んでいるメディアだ。
  • 経済政策の失敗は人間を殺す。しかし、法治主義文書主義を愚弄し、方々に嘘をぬりたくりながら前進し続ける革命政権がずっと居座っているだけでも、鬱になりそうだと思う。
  • 須田亜香里のSHOWROOMをみる。率直というのはいいものだと思う。

2018-05-13

[]

2018-05-09

[]

  • ISの連中の野蛮さにうんざりしているというようなことをずいぶん前に書いたけれど*1東大食堂の壁に掛けてあった宇佐美圭司の絵をカッターで切り刻んでゴミとして棄てた、というのを知って、ほんとうに嫌な気持ちになる。一緒じゃないか。まるで。

2018-04-14

[]

  • いわゆる現代美術ギャラリーに展示を見に行くと、ギャラリストとかキュレーターが寄ってきて、「作家のお知り合いですか?」と訊ねてくることが多い。こちらはただの好奇心で見にきているだけなのだから、すぐに仲間にするのはやめてくれ、仲間しか見に来ないと諦めているのか?というようなことをツイートしたら、「総括!」のし過ぎされ過ぎでネジが飛んじゃったのか知らないが、「ただ見にくるやつなんかいるわけがない。こいつはクレーマーに決まっている」というようなことを書いてきた可哀想青年がひとりいたのと、あとは、「ギャラリストとして、そういう接客をする。なぜなら作家の知り合いかそうじゃないときでは、説明のスタートラインが変るからだ」というようなことを書いてきた作家もいた。それなら、「この作家をみるのは初めてですか?」と切り出してくれたらいいじゃないか、どうしていきなり仲間うちにしようとするのか?と書いたのだけれど、それには反応がなかった。
  • 現代美術には本邦にも、すごくいいものを作る若い作家が少なくないと思っている。でも、そういうひとたちの新しい展示を見に行くときこそ、私はとても緊張する。以前の作品はよかったが今回はどうなっているか判らないからだ。しかし、その緊張があるからこそ、いい作品が並んでいたら、無上の喜びを感じる。ずるずるべったりの仲間になってしまって、この歓喜を手放したくないのだ。