2012-02-19
■[日録]
既に「人間」は死んだ。「人間」のいない世界で、「人間」でなくなった者ら、〈物〉となったそれらが蠢いている。それはもはや笑うしかないくだらない光景ではないか。しかしそれが二十世紀の素顔であり、掟である。偉大なる映画作家たちは皆、その二十世紀の掟を徹底的に実践した。その創始者はジョルジュ・メリエスであっただろう。(……)我々はあらゆる道徳や倫理や価値観や国籍や、「人間」のために用意されたそうしたことどもを、はっきりシカトする勇気を持って映画というよくわからないものと向き合わねばならない。ただそこにある〈物〉を見て、その声を聴いて、その不可解さを受け留めて、笑うこと、それだけが我々に可能なアクションなのだ。たとえそれが二度と「人間」に戻ることの出来ない道であっても。
2012-02-18
■[日録]
- 起きると雪が振っている。
- 風呂のなかで『精神現象学』を読んでいるが、きょうはどうもざわざわして文字が素通りしてゆく。
- きょうのアルバイトは結局なくなって、ずっと家のなかで逼塞している。昼過ぎ、柚子がチョコレートとバナナのパイを焼いてくれて、チャイを呑みながらおやつに食べる。美味。
- dhmo君と電話で少し話す。次の『アラザル』の原稿をポチポチと書き始める。
- 「しま」が、暖房の近くで温いからだろう、さっきまで私が坐っていた居間の椅子の上で落ち着いている。写真を撮る*1。そういえば、この同じ場所で、まだやってきたばかりの「しま」の写真を撮っていたのを思い出して、過去の日記を漁ると出てきた*2。「しま」はとても大きくなったけれど、私の情況はまるで変ってないようにみえる。
2012-02-14
■[日録]
- 宮川淳『美術史とその言説』の巻末に、しまい忘れたみたいにぽつりと収められている「近代と現代」より。うまく世紀末美術を説明している(フロイトの精神分析からの響きも聴こえるように思うのは、私がひきつけて読みすぎるためか。本当にいちばん好きなクリムトは女の手淫などを描いている素描だが、それ以外の絵でも決してクリムトを嫌いではないのは、まさにその強迫神経症的なところなのであると思う)。
ギュスタヴ・クリムトや初期のボナールの作品にあっては、装飾的モティーフがすべてを――主題そのものをさえ浸蝕するするのが見られる。それはまさしく「空間恐怖」なのであり、おそらく、その背後にはより深く、過去と未来の間にひき裂かれた世紀末という時代そのものの「空間恐怖」がひそめられているように思われる。そして、この空間恐怖において、世紀末藝術が見いだし、あるいはむしろ再発見したものこそ、装飾が本質的にもっている、世界の異質性、非連続性を同質化する力(曲線、連続、繰り返し)にほかならなかった。そして、ひとたびその本質的な力において見いだされたとき、自己運動をひき起こさずににはいられないのが装飾なのである。
2012-02-13
■[日録][映画]『ファースト・スクワッド』、『シューテム・アップ』をみる。
- 朝起きてゴミを捨てにゆき、溜まった洗濯物を洗濯機に放り込んでから、風呂に入って宮川淳の『美術史とその言説』の巻末に入っている阿部良雄との往復書簡を読む。阿部良雄の方法こそが、今も生きると思う。しばらくすると雨が降ってくる。
- 昼を食べてから、雨が降っていても干さないわけにはゆかないので、洗濯物を干す。いやがらせのようにどさどさと降ってくる。
- DVDで芦野芳晴の一時間ほどのアニメ『ファースト・スクワッド』をみる。ナチスが召喚したチュートン騎士団の亡霊と、ピオネールの超能力部隊が闘うのである。童話っぽさと独ソ戦を混ぜてみたのは面白く、あの世とこの世を繋ぐ遊園地の映画館なども悪くないと思ったが、童話と独ソ戦のどちらも、既存のイメージをなぞるのに終始し、それぞれが並置されているだけであるのが大変惜しい。
- その後、やはりDVDでマイケル・デイヴィスの『シューテム・アップ』をみる。クライヴ・オーウェンの暑苦しい顔のアップが画面を占めて、いきなり生のニンジンを齧る冒頭で、これがどんな映画であるかが、はっきりと示され、あとは終わりまで(九〇分を切っているのがまた素晴らしい)、手を替え品を替えひたすら馬鹿げた銃撃戦が繰り返され、そのたび、血糊がびゅーと吹いて死人の山が築かれるのを、こういう手順をよく考えたものだなあと感心しながら眺めつつ、げらげら笑い転げていればよい。頭のネジの外れた父親に殺人術を教え込まれて嬉々として殺人に興じる女の子なんて出てこないし、立派な大人たちが、悪い奴は悪い奴なりに派手に暴れて派手に死んで、それほど悪くない奴が悪い奴をバンバン殺して、最後はそれなりに幸せになって終わる。大変満足。
- 明日は私がアルバイトで遅くなるので、柚子が一日はやくデメルの「猫の舌」のミルク・チョコレートを今年も呉れる。お茶を呑みながらふたりで少し食べる。美味。
