- 京都まで出る。鞄の中に本を入れ忘れている。ポルタの古本市のワゴンで、ジョン・ライドンの自伝『STILL A PUNK』を見つけて買う。京都市京セラ美術館で「金曜ロードショーとジブリ展」(見る価値があるのは竹谷隆之の「王蟲の世界」の部屋だけ)を通り過ぎて、「川内倫子 Cui Cui+as it is/潮田登久子 冷蔵庫」展を見る。潮田登久子の冷蔵庫の写真が最高。真正面から撮って、みっしり並べる。本当にいい写真の、いい展示だった。併設の川内倫子の写真は、その表現に最適のフォームが選ばれているのだか、私は全く好きではない。京阪三条まで歩いて、京都国立博物館で特別展「雪舟伝説」を見る。雪舟の描く木はめちゃくちゃかっこよくて太くて早くてほとんどオリジナルパンク。蕭白が現代の雪舟は私だと宣言したのはとてもよく判るが、蕭白はレイヤーを丁寧に丁寧に重ねてノイズを作る。どちらも強烈なノイズが画面を震わせているのは一緒だが、そのやり方は全く違う。雪舟と蕭白の凄さがとてもよく判る展示だった。京橋まで出て、新大阪で饂飩を食って帰る。
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- 帰宅すると東京国立近代美術館の「中平卓馬 火・氾濫」展の図録がようやく届いていた。さすがに立派な出来。
- 『作業日誌』の1954年7月8日を繰ると、ブレヒトがさっそくオッペンハイマーの「弁明書」を読んでいるのが判る。「彼の文書は、肉の調達を拒否したといって食人種から訴えられた男の書いたものを読むようだ。しかもその男は弁明のために今、人間狩りの最中、湯沸しに使うまきを集めていたと申し立てているわけである。何という暗い谷間!」と書いている。その前日の7日には、「この国は相変らず不気味だ」と書き始め、「文芸部の若い連中」と旅行に行ったとき「突然、もし十年前だったら、この三人はみんな、僕のどんな著作を読んでいたとしても僕が彼らのいるところに姿をあらわしたら、直ちに僕をゲシュタポに引き渡しただろうと、ふと考えた」と書いている。東ベルリンとニューヨークの間の「暗い谷間」にいる晩年のブレヒト。
- 夜、ナンバさんとシノギさんと『オッペンハイマー』について話す。終わると疲れ切って倒れ込むように眠る。
- 「「核融合」と題されたパートは全部切ってしまってもいい」と言ったが、ナンバさんと話して、あれは「原爆の父」から拒絶された子供の復讐劇なのだと読んでもいいかもしれないと思う。ストロースが結婚式のあとの我が子をオッペンハイマーに紹介しようとするが、にべもない。「水爆の父」になってくれず、グローヴスのような栄光も与えてくれない父への復讐。
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- デイヴィッド・リンドリーの『そして世界に不確定性がもたらされた』を読み始める。そのものずばりの科学の啓蒙書よりも科学史の本を読んでいるほうが自分にとっては面白く、より理解できる気がするのは、今の私が漠然と分け持っている常識よりも以前の話からしてくれるからで、或る時点で起こるぎくりとした飛躍が、自分の中で追体験できるからだろう。
- 夜はフェスティバル・ホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を、ミシェル・タバシュニクの指揮で聴く。ちょっと長めの指揮棒で、ふわーっと指揮する姿がとても好ましい。ゆったりしたテンポで曲の仕組みを聴かせるモーツァルトの交響曲《第36番》のあとにアルバン・ベルク《管弦楽のための三つの小品》で、これがいやらしいぐらい濃密だった。休憩を挟んでリヒャルト・シュトラウスの《ツァラトゥストラはかく語りき》で、新ウィーン楽派は編成なども含め、本当によくリヒャルト・シュトラウスを研究したのだなというのが判った。タバシュニクの指揮はもっと聴いてみたい。