Hatena::ブログ(Diary)

あきつ・あんてな

2012-11-06

ショック!  プルトニウム人体実験・・・1940年代から30年間アメリカで

| 02:45 |

こんな映画みたいな話・・・・絶句するしかない。

権力というものは弱者にこんな扱いをするし、その権力の末端で唯々諾々として働く人も数知れぬということを

思い知らされる。

考えてみると、戦争はこの構図で成り立ってますね。


熊本のonodekita氏のブログです。

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http://onodekita.sblo.jp/article/59641109.html

2012年10月29日

アイリーン・ウェルサム(プルトニウムファイル著者)のインタビュー

米国が行った放射能による人体実験を暴いた本 プルトニウムファイル


 翔泳社から2000年に出版されていますが、現在は絶版。見ておわかりの通り、中古市場で1万円以上します。熊本市図書館で借りて読みましたが、中は驚くべき内容が羅列してあります。あの悲惨な人体実験だったヒロシマナガサキですら、核兵器の歴史の中ではごくごく一部を占めているに過ぎないことがよくわかります。入手することはなかなか困難(私は出版社に再版願いを出しましたが・・)ですので、借りて読まれることを強くお勧めします。米国でさえこの状況としますと、(米国だからこそかも知れませんが)今後もかなり厳しい戦いが続くことになると思えます。


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そして、この「プルトニウム ファイル」の著者にインタビューするアメリカ

市民メディア デモクラシーナウのyou tube が紹介、ただしこれは英語。

twitter仲間の協力で日本語翻訳がされています。


リンク先に行って全文翻訳を見ていただきたいと思います。

ここでは、ポイントのみ引用、ダイジェストしておきます。



デモクラシー ナウ オルグ ドット コムによる

プルトニウムファイル」の著者アイリーン ウェルサム氏へのインタビュー


登場人物

番組司会者:エイミー グッドマン  (以下、「司会」)

著者:アイリーン ウェルサム (以下、「著者」)


司会 デモクラシー ナウのグッドマンです。

マサチューセッツ州の学校で、73人の障害児が、放射性同位体入りのオートミールを食べさせられておりました。介護者にスプーンで口に運んでもらっていたのです。

ニューヨーク州の病院では、18歳の女性が、脳下垂体の異常で治療を受けていると思っていましたが、実は、プルトニウムを注射されていました。

テネシー州医療機関では、829人の妊婦ビタミンカクテルを飲んでいると思っていましたが、そのカクテルには放射性の鉄が含まれていました。通常の治療の一環として処方されていたのです。

これらのことは、テロリストや犯罪者によって行われたことではありません。アメリカ政府が秘密裏に、疑うことを知らない自国民に行った放射能に関する実験の一部なのです。これらの実験は、原爆製造計画の一環として、数十年にわたって行われました。

身の毛がよだつような企みが30年も続きました。アメリカ原爆製造計画に参加した医者や科学者は、被験者になることを望んでもいないし、知ることさえなかった何千人もの人々を有害な放射性物質に曝し、その影響を調べようとしたのです。


アメリカ政府による実験については、そして、誰がモルモットにされたのかは、これまでずっと隠されていましたが、6年もの調査を経て明らかになりました。ジャーナリストのウェルサムさんが、18人の人間モルモットが誰であったかを突き止めたのです。これらの人々は何も知らずに、1940年代に、アメリカ政府科学者プルトニウムを注射されました。

ウェルサムさんは、自らの調査結果をまとめ、アルバカーキトリビューン紙に連載し、ピューリッツアー賞を受賞されました。また、さらに6年を費やして本にまとめました。「プルトニウムファイル ー 冷戦下におけるアメリカの極秘医学人体実験」です。


(略)


まずお伺いしたいのですが、何がきっかけで、このような実験が行われていたのではないか、と思われたのですか。


著者 えっと、初めにご紹介頂きましたように、私は、アルバカーキ トリビューン誌の記者でした。そして、アルバカーキ空軍に関して調査しておりました。空軍基地が、なにかの片付けをしていたのですが、ある書類に目が留まったのです。それには、空軍基地の放射性動物の集積所について記されていて、好奇心にかられました。どんな動物が集積所にいるのか、なぜ放射性動物なのかと。ですから、空軍基地に参りました。

当時は、「空軍特別武器研究所」と言われていました。そこに参りましたら、大きな書架からホコリだらけの動物実験に関する報告書を出してくれました。それらの文献をななめにざっと読んだのです。まあ、こわかったですよ。ビーグル犬にガンを発生させ、その進行を観察し、何年生きるのだろうかと見守り続けるとか、放射能が引き起こす疾病の進行に関するグラフを書くとか書かれてありましからね。

でも、新聞記者としては、報道すべき話題はないな、と思いました。古い実験でしたし、ぞっとするような話であったとはいえ、新聞記事のネタとしての価値はないなと。金曜の5時だし、家に帰りたくてたまらなかったのですが、せっかくここまで来たのだし、無駄足踏んだとは思いたくなかったので、文献に目を通そうかと報告書のページをどんどんめくっておりました。そうしたら、脚注に目が留まってしまったのですね。その脚注には、18人の人々にプルトニウムが注射されたと書いてありました。


もう椅子から転げ落ちんばかりに驚いて...本当にショックでした。だって、政府が18人の人々にプルトニウムを注射したのですよ。それで、急いでできるだけ多くのことをメモしました。

そして、次の日の土曜日に、大学の図書館に行って、科学者達に関する報告書を探すことから始めたのです。本当にそこから始めたのです。

脚注に目を留めた理由をぜひ申し上げておきたいのですが...脚注に目が行ったのは、脚注には都合の悪いことが書いてあるということを経験上知っていたからなんです。それ以前、私は、企業の会計報告書を扱かっていたのですが、会社がなにか悪いニュースを記載しなければならない場合、必ず脚注に書くのです。それで、脚注に目が行ったのです。


(略)


とにかく、私は、これらの報告書を手に入れ、片っ端から電話をかけました。そうしたら、18人の人々がプルトニウムを注射されたということがわかったのですが、識別番号が付けられているだけで、名前等はわかりませんでした。

ですから、調査にあたっての問題は、30年から40年前にプルトニウムを注射された18人を、何百万人もの中からどうやって見つけるか、ということでした。これは不可能だなあ、と思いました。

それで、ええっと、非常に大ざっぱなやり方をしました。レポート用紙1枚に識別番号の1つを書き、18枚の用紙を用意しました。そして、文献から得られた情報と番号とを突き合わせました。「この人のことは、この番号かな」と、番号別の用紙に書き込んでいったのです。このような作業を続けていったところ、彼らの年齢、注射された日、どのような病気であったのか、解剖または生検が行われたのか、そして亡くなった日などがわかったのです。


(略)


私は、ジャーナリストとして特別研究員となっておりましたので、連邦政府に情報自由法に基づく情報開示請求をしておりました。そして、この実験に関する小さなファイルを受け取りました。


(略)


テキサス州イタリー」という言葉が、私の目に飛び込んできました。そのときまでに、私は「CAL-3」について、かなり知っておりました。「CAL-3」というのは、黒人男性で、80歳で、プルトニウムの注射をされてから3日後に左足を切断された人なのです。ですから、この人は、テキサス州イタリーに住んでいたのであろうと思った訳です。それで、そこに行って、家という家をすべて訪ねて、この男性を探し出そうと決めました。



(略)



娘さんは、電話口でとても静かでした。これまでのことをお話ししたら、「家にいらして下さい」と言われました。それで、テキサス州イタリー市に飛び、娘さんの家の食卓でお話しました。インタビューが終わる頃には、私も、彼の家族も、「18人のうちの1人が、初めて見つかったのだ」と思いました。

司会 彼というのは、アレンさんのことですね。

著者 アレンさんのことです。

司会 アレンさんについてお話しください。アレンさんは、病院でプルトニウムを注射されて、どうなったのですか。

著者 アレンさんは、鉄道ポーターでした。奥さんと、1940年代半ばにサンフランシスコ湾岸に住んでいました。その前は、テキサス州に住んでいたのですが、より良い生活を求めてカリフォルニア州に引っ越したのです。2人の子供に恵まれたのですが、アレンさんは、シカゴで列車から落ちてしまい、足を怪我してしまいました。そのため、医療制度に組み込まれることになりました。アレンさんが実験に参加することになったのは、怪我をして病院に行ったからなのです。

アレンさんの足は回復しなかったので、医者に通い続けました。そうしたら、何の因果か、カリフォルニア州立大学サンフランシスコ医学部付属病院に廻されました。そこでは、アレンさんを放射能に関する実験の被験者として選び...それであのう...


司会 でも、アレンさんは、そのことを知らなかったのでしでょう。

著者 ええ、ええ、もちろん知りませんよ!知るはずがないのです。病院に言われたことは、膝に骨肉腫があり、命を救うためには足を切断しなければならない、ということだったのです。

本当に膝にガンがあったのかという疑問は残りますし、それには私もお答えできません。でも、足の切断の3日前に、医者は、アレンさんのふくらはぎの筋肉にプルトニウムを注射したのです。


(略)


著者 ええ。アレンさんは、テキサス州イタリーの友達に「医者達がしょっちゅう僕の病室に出入りし、医療行為をするフリして、実は僕のことを観察していたんだ。僕をモルモット扱いしていたんだ」と話しておりました。

司会 私どもの番組では、娘さんにも何回かお話を伺いました。娘さんも、お父さんがそのように仰るのを聞きながら育った、と話されていましたね。そして、娘さんが大学進学のために家を出るとき、お父さんに「気をつけろ。決して、アメリカ政府モルモットになってはいけない」と言われたのだそうです。娘さんは、お父さんが怒りや恐怖で震えているのではないか、政府の実験台にされたという被害妄想を抱いているのではないか、といつも思っていたとのことでした。

著者 ええっと...悲しいことにですね...アレンさんにとって悲劇だったことは、まわりの人が誰も彼の言うことを信じてくれなかったということなのです。

アレンさんは、医者に行き、なにかを注射された思うと言ったのですが、医者はアレンさんのことを、偏執病で統合失調症だと診と診しました。その一方で、その医者は、オレゴン国立研究所の原子力科学研究者達に連絡を取って、「細胞の標本を送りましょうか」と...

司会 ちょっと、ちょっと待って下さい。その医者は、アレンさんを偏執病で統合失調症だと診断した上に、アレンさんの細胞の標本を政府の実験担当研究者に送ったのですか。

著者 その通りです。医療記録にもそのように記されています。アレンさんは、1947年に、放射性同位体を注射されたときに使われただけではなく、その後も亡くなるまでモルモットとしてずっと使われ続けたのです。

司会 例えば、ニューヨーク州ロチェスターに送られたとかですか。

著者 ええっと、実験には、二段階ありまして...ええっと...70年代に...70年代の原子力科学者の第二世代は、この実験のことを見つけてしまって、すべてを掘り返したくなったのですね。つまり、プルトニウムを注射されて亡くなった人たちについて、調べ直したいと思った訳です。また、まだ生きている人たちを実験室に呼び戻して、さらに調査したいと考えたのです。それで、アレンさんも、追跡調査のために実験室に呼び戻されました。

司会 どのような口実で呼び戻されたのですか。だって、アレンさんは、自分がアメリカ政府モルモットだったということは知らなかったのでしょう。

著者 科学者達がアレンさんに言ったことは、医療記録にも記されていますが、あのう、なんと言ったかというと、「あなたには進んだガンがあったというのに、なぜこんなにも長生きしているのかを知りたい」と言ったのです。


(略)


司会 デモクラシー ナウのグッドマンです。今日は、冷戦下でアメリカが秘密裏に行ったプルトニウムに関する実験についてお話を伺っております。コロラド州のボールダーのスタジオには、ピューリッツアー賞を受賞されたウェルサムさんにお越し頂いております。今は、デンバーにお住まいとのことです。

私達が、歴史を教訓とし、過去の悲劇を繰り返さないためには、市民一人一人が知識を持つということが大切でしょう。

では、プルトニウムを注射された人々の人生についてお話を伺うとともに、彼らに注射した人たちの人生についてもお話をお聞きしたいと存じます。まあ、この実験は、タスキーギの実験に少し似ているところがありますね。

まず、教えてください。誰が中心となって、この実験を行ったのですか。


著者 この実験の発端は、マンハッタン計画です。ご存知のように、マンハッタン計画は、原爆製造計画で、1940年代の初めに始まりました。物理学者達と医学者達が強力しあったのです。彼らは、武器製造工場/格納庫の労働者をどうやって守るかということに関心がありましたし、また、新らたに見つけられた放射性同位体が、人体にどのような影響を与えるのかを突き止めたいと考えていたのです。

ですが、基本的に彼らは...科学者医学者は、ノーベル賞受賞者フェルミ氏や、原爆の父といわれたオッペンハイマー氏などの下という位置づけでした。


司会 フェルミ氏やオッペンハイマー氏は、このような実験が行われていることを知っていたのでしょうか。


著者 明らかに、記録には、オッペンハイマー氏が患者にプルトニウムを注射することを承認した、と示されております。なぜかというと、当時ロスアラモスでは、深刻な汚染問題と格闘しており、ロスアラモスの研究所で働いていた研究員達が、自分の健康について心配していたからです。

司会 おもしろいですね。オッペンハイマー氏は、バークリーの出身だったじゃないですか。そして、先ほど取り上げたアレンさんは、カリフォルニアで注射されましたし...

著者 そうなのです。原爆製造計画には、巨大な構成要素がありまして...サンフランシスコ湾岸にです。

司会 具体的にはどこですか。

著者 カリフォルニア大学バークリー校と、カリフォルニア大学サンフランシスコ校です。

司会 では、軍と大学が協力したということですね。「軍学協同」とでも申しましょうか。

著者 ええ、まったくその通りです。マンハッタン計画の時には、大変奇妙な混成体で、いろいろな人々がおりました。軍人、軍関係者、そして大学のモルモットにされている人々の混合体でした。

司会 墓泥棒をしていたということはあったのでしょうか。つまり、墓を掘って死体を盗み出すというようなことは...


著者 あのう、そのようなことがあったか...えっと、それについては...そのような直裁的な言い方をして良いものか、私にはわかりかねるというか、ちょっと私には出来ないのですが...でも、死体を掘り返したのは確かです。

((onodekita)死体の掘り返しのことは、プルトニウムファイルに書かれています。なぜ、言い淀むか不思議。髪の毛を分析して、プルトニウムを検出したとも書かれています。つまり、ごく微量のプルトニウムでも検出することは十分可能だという証拠です。日本政府は、明らかにプルトニウムの飛散状況・測定について、隠蔽しています)


(略)


司会 マンハッタン計画は、原爆製造計画ですよね。

著者 そうです、原爆の。でも、それ以降というか、最近の調査を行った科学者達は、これらの実験調査は...うーん...核兵器工場/格納庫の労働者を守るために重要であったと述べたり、または、無害であったと述べて、擁護しておりました。

司会 では、実験について見て参りましょう。えっと、18人がプルトニウムを注射されたのですが、そのことを、誰一人として知りませんでした。そして、実験は、それだけでは終わらずに続けられました。マサチューセッツのファーノルド校では、73人の障害児に、介護者達が放射性同位体入りのオートミールを食べさせましたね。どうなったのですか。


著者 えっと、このケースでは、これは、栄養学上の調査であると説明されました。放射性カルシウムと他の放射性同位体が与えられていたのです。

司会 毎朝ですか。

著者 ええ、オートミールに混ぜられていたか、ミルクに入れられておりました。男の子達は、何を食べさせられているか知らなかったし、親達も知りませんでした。それどころか、「この食事は、とても栄養があるんだよ。子供のためにいいんだよ」と、言われていたのです。

その一方で、血液のサンプル、尿にサンプル、便のサンプルなどを提出するように求められていたのです。

司会 どのくらいの期間続けられたのですか。

著者 何年も続きました。この男の子達は成人しましたが、1990年代になるまで、自分たちに何をされたのかを明らかにすることはできませんでした。


((onodekita):このような実験に参加する見返りとして、様々な特典があった−クリスマスのプレゼントや旅行など−とプルトニウムファイルに書かれています。)



司会 ニューヨーク州の病院では、18歳の女の子が脳下垂体の異常で治療を受けていたと思っていたのですが、プルトニウムを注射されていたのですね。

著者 えっと、この女の子の場合は、先ほどのアレンさんと同じように、医療制度に組み込まれてしまいました。行った病院も、行った時期も、悪かったということなのです。それで、注射されてしまいました。

司会 テネシー州医療機関では、829人の妊婦が通常の治療の一環として、放射性の鉄を飲まされていました。その人達は、何を飲んでいると思っていたのでしょうか。

著者 これは、第二次世界大戦直後に行われた調査なのですが、病院にやってきた女性達は、ビタミン剤を飲んでいると思っていました。お腹の赤ちゃんにいいと思っていたのです。でも、実際は、どのくらいの早さで、放射性の鉄が妊婦胎盤に到達するかを調べる実験だったのです。

司会 どこで行われていたのですか。

著者 ナッシュビルバンダービルト大学です。


司会 それで、担当は誰だったのですか。

著者 バンダービルト大学の科学者です。

司会 それで、妊婦さんたちは、どうなったのですか。

著者 多くの症状が出ました。皮膚疾患、ガン、血液の異常などです。生まれた子供達、つまり、実験中にお腹にいた子供達のなかには、後にガンで亡くなった子供もおりました。この子達がかかったガンというのは、普通、幼い子供がかかるガンではなく、たいへん奇妙なものだったのです。

司会 医師や看護士のなかで、内部告発をする人はいなかったのですか。

著者 内部告発する人なんて、誰もいませんでした。医師達は、閉鎖的でしたし、この実験は、科学的に価値があり、自国を守るために必要だと考えていたのです。

司会 患者達が、夜中に病院の地下室に連れて行かれて実験されたというのもありますが、どこの話ですか。

著者 この実験は、オハイオ州シンシナティで行われました。これもまた、軍と医学界との混合体で行われた「半軍半医」による実験でした。

(訳注: 「シンシナティでは、200人もの患者が15年以上の期間にわたって放射線を照射された。http://en.wikipedia.org/wiki/The_Plutonium_Files より引用。)

「半軍半医」が行う実験には、多くの場合、問題があります。どういうことかというと、医学的には患者に良いことであっても、軍事的な観点からは最善な実験ではないということがしばしばあるのです。

ですから、この実験は、ガン患者に対して行われたもので、患者達はガンに効きますよ、と言われていました。でも実際には、医者達は、原爆が炸裂した場合、兵士達がどのくらいの期間にわたって生きられるかを見極めようとしていたのです。




司会 ピューリッツアー賞受賞者のウェルサムさんにお話を伺っております。ウェルサムさんの記事は、アルバカーキ トリビューン紙に連載され、その後、「プルトニウムファイル」という本にまとめられました。

この告発本は、クリントン政権のときに、発行されたのですね。クリントン大統領は、放射能の人体実験に関する諮問委員会を設置し、数百もの人体実験プログラムが明るみに出されました。

注目すべきことに、諮問委員会の報告書、つまり最終報告書は、1995年10月3日に発表されましたが、この日は、O.J.シンプソン事件の判決が下る日でしたね。

(苦笑しながら)報告書について報道されたとか、報告書に人々の関心が集まっているということはなかった、と記憶しているのですが。

著者 (首を振りながら)本当に残念なことなのですが、あのう、国中の人々は、みんなO.J.シンプソン事件に関心を寄せていて、あのう...

司会 あの頃は、みなが毎日O.J.シンプソンに対する判決を今か今かと待っていたときです。明らかに、あのう...政府は、国民の関心が他のことに向いていることを承知の上で、報告書を発表しました。

((onodekita)規模は異なりますが、この手法原子力村プレスリリースにも使われます。いつ、地方議会が開かれるか、その日何があるかを調べ上げた上で話題にならないようにリリース。一日の新聞の紙面量、ニュース時間は限られていますので、注目が少なくなります。全米が何かの事件に夢中になったときには、その意図を考える必要がありますね)


(略)


著者 基本的に確認されたことは、アメリカ国民に対して何千もの実験が行われたということ、そして、被験者になったのは社会でも一番の弱者であったということです。つまり、子供、若者、公民権のない人、貧困者、有色人種であり、質問をするということさえ知らない人々だったということです。

言葉を換えて申せば、被験者は、医者の子供ではなかったし、医者の友人ではなかったのです。弱い立場の人々が被験者になったのです。

司会 アメリカの何カ所で行われたのですか。マサチューセッツのファーノルド校、シンシナティの実験...アレンさんは、カリフォルニア大学バークリー校で注射されましたし...何カ所の場所で、政府科学者達は働いていたのでしょうか。

著者 何百もの場所でです。私立病院、公立病院、軍事施設、孤児院など、医者の職場であるなら、どんなところでもです。放射能を扱っており、研究予算を得て論文を書けるところなら、どこででもです。


司会 監獄はどうですか。

著者 ええ、本当に本当にむごたらしい実験がありました。あの...あのう、囚人の睾丸に放射線が照射されたのです。

司会 その実験は、どこででしたか。

著者 えー、主にオレゴンですね。この実験は、NASAのために行われたのです。アメリカ航空宇宙局は、宇宙飛行士が宇宙で受ける放射線に関心を持っていたからです。


(略)


司会 今という時代をどう思われますか。私たちは、なにかの教訓を得たのでしょうか。今、お話を聞いている人々のなかには、疑問を抱き始める人も多くいるだろうと私は思うのですが。

著者 ええっと私が...私が思うに...自分自身を守ること、患者としての自分や大切な人を守るということは、質問をすることによってなし得ると思います。また、自分たちを守るためには、このような恐ろしいことが二度と起きないようにするためには、日々の生活で行われていることがl隠されておらず、情報が公開されているようにすることが大切だと思います。なぜなら、情報が公開されていることにより、恐ろしい芽が摘み取られることになりますし、過去の非道で非倫理的な人体実験が繰り返されないようになるからです。

司会 でも、以前よりずっと情報が隠されてしまう時代になったと仰っていますね。

著者 その通りです。実際、この本を書いていたときに気づいたことなのですが、直感したことなのですが、「あっ、小さな窓が閉じつつあるんだ。私は、その窓が閉じてしまわないよう抗っているんだ」と思ったのです。本を書いていたときに入手できた資料のうちのいくつかは、今では入手できない、と思います。

司会 兵士達についてお聞かせください。

著者 兵士...何千もの...何千もの兵士がネバダ核実験場に動員されました。

司会 どのようにですか。

著者 えっと、彼らは、爆発直後の爆心地に行かされましたし、空軍パイロットは、キノコ雲に突入させられました。太平洋では、核実験が繰り返されましたが、兵士や水兵は、放射能汚染を受けた道具等を回収するよう命じられました


司会 では、個人的に放射性同位体を与えられた人たちの他に、つまり、マサチューセッツのファーノルド校の子供達や、ビタミンカクテルと称する放射性物質入りの飲み物を飲まされた女性たちの他に、不特定の人々も被爆させられたのですね。大気放射性物質拡散されたということですね。その空の下には、街や学校があるというのに。


(略)


司会 ウェルサムさん、今日は、ありがとうございました。最後にお伺いしたいのですが、調査を進め、「プルトニウムファイル」にまとめるにあたって、意外に思われたことはなんですか。

著者 私がもっとも意外に思ったのは、非常に高度の教育を受けた医師が、自分の患者に対してどれほど残酷で非道になれるのか、ということでした。

司会 知らせずにね。

著者 知らせずにです。

司会 そして、現代の医学界は、過去に実験を行った医師を支持しているのですか。

著者 私が調査していた時点においては、医学界は、相変わらず、実験を重要なものであったとして擁護しておりました。

司会 ウェルサムさん、ありがとうございました。

(訳注:読んで下さる方々に申し上げたいことは、「ぜひ動画を見て下さい」ということです。私の日本語の筆力では、筆者のひたむきさ、誠実さ、「あなた、本当にジャーナリストとしてやっていけるの?」と心配してしまうような人の良さ、を描くことはできません。ですから、動画をご覧になることで、著者の魅力を味わって頂きたいのです。

著者の子供のような純真さと好奇心があったからこそ、人体実験の全貌を暴くことができたのでしょうし、本にまとめることができたのでしょう)



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地震多発の日本に原子力の平和利用とか言って、原発を推進させたおおもとはアメリカです。

この日本に54基もの原発を作らせたのは、日本を実験場にするつもりだったんだとか言う話を聞いたことがありますが、

自国民にこんなことをする国は、ジャップの国など国ごと実験場にすることも平気だろうと思わせられたことです。


また、福島の汚染された土地を世界中で困っている核廃棄物の処理場にする企みだということも、あり得る話のような。

日本は島国ですから、この島中を核廃棄物の処理場にしてもいいじゃないか、なんて思っていたり?

妄想しないわけにはいかないような、そんな話です。