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2019-01-27 「若者を殺し、もうけるのが戦争…語り続けた元日本海軍兵」

amamu2019-01-27

[][]「若者を殺し、もうけるのが戦争…語り続けた元日本海軍兵」 15:18 「若者を殺し、もうけるのが戦争…語り続けた元日本海軍兵」を含むブックマーク

 以下、朝日新聞デジタル版(2019年1月27日13時55分 )から。

 戦争の愚かさを子どもたちに語り続けた元日本海軍兵の瀧本邦慶(たきもとくによし)さん=大阪市東淀川区=が昨年12月28日午前6時8分、入院していた吹田市の病院で誤嚥(ごえん)性肺炎のため亡くなった。97歳だった。

 香川県出身。1939(昭和14)年に17歳で佐世保海兵団へ志願し、太平洋戦争の始まりとなる41年12月の真珠湾攻撃や、戦局の転換点ともいわれる42年6月のミッドウェー海戦に送られた。「餓死の5分前」まで追いつめられたトラック諸島(現ミクロネシア連邦チューク諸島)で敗戦を知った。

 戦後は大阪市で不動産業などを営み、2008年から語り部に。ときに軽妙な語りが評判となって府内の学校を積極的に回った。

 17年7月に脳梗塞(こうそく)で倒れたが、リハビリを重ねて18年3月に講演を再開していた。同年11月28日に再び発症。家族によると、驚異的に持ちなおして1カ月後にはリハビリのため転院する予定だった。瀧本さんは生前に献体登録をしていたため、遺体は大学病院へ送られた。

 遺言に従い遺族は死去を伏せていたが、講演依頼が今も寄せられるため公表することにしたという。「葬儀などについては遺骨が帰ってきてから考えようと思います。それまでは連絡や心遣いは遠慮させてください」と話している。

若者への言葉 拝みの響き

 戦争そのものへよりも、戦争を起こす者への怒りが大きかった。息子や夫の戦死を言祝(ことほ)ぐように強いた者に、みじめに餓死していった戦友を英霊とうそぶく者に対して、真っすぐに怒っていた。「安全地帯」から戦争をあおった政治家や官僚、軍の上層部を生涯、許さなかった。

(後略)

下地毅

[]「(私のThe Best!)自由に一人でテント張る 芸人兼ソロキャンプYouTuber・ヒロシさん」 21:22 「(私のThe Best!)自由に一人でテント張る 芸人兼ソロキャンプYouTuber・ヒロシさん」を含むブックマーク

 以下、朝日新聞デジタル版(2019年1月26日03時30分)から。

 ヒロシです。イメージとちがうかもしれませんが、キャンプが好きです。それも、ソロキャンプです。

 キャンプの様子を動画サイト「YouTube」にアップしていますが、チャンネル登録者数は32万人にもなりました。

 家族について、幼いときからキャンプをしていました。小学4年のときにはもう、子どもだけで山に入って、テントを張っていましたね。

 8年ほど前、グループでキャンプに行ったときのことです。後輩がつれてきた知らない人が「焼きそばないんっすか?」って言うんです。ぼく、気を使うほうなのでグッとこらえましたが、そこから大人数でいくキャンプが苦手になりました。時間を合わせて集合したり、おなかもすいていないのに「ごはんたべよう」となったり、不自由なのです。

 4、5年前、同じ思いをもった芸人仲間とキャンプへ。グループではなく、各自がテントも食事の準備もするソロキャンプの集まりでした。それがとっても自由で、楽しくて、心地よくて。

 動画を多くの人に見てもらうのはうれしいのですが、あくまで基本は自分が楽しむこと。ソロキャンプを始めるのにおすすめのアイテムは?とよく聞かれますが、答えません。

 自分にあった道具は何かを考え、選び、行動に移す。それもソロキャンプの楽しみだからです。ぼくが楽しみを奪っちゃいけませんからね。

 昔は「ヒロシ」と呼び捨てでしたけど、最近は「ヒロシさん」と呼ばれます。うれしいことです。(聞き手・斎藤健一郎、写真・北村玲奈)

     *

 1972年熊本県出身。本名・齊藤健一。大学卒業後、保険会社で働くが人見知りで続かず、芸人の道へ。「ヒロシです」で始まる自虐ネタでブレーク。YouTubeの「ヒロシちゃんねる」は撮影から編集までを自らこなす。近著『働き方1.9 〜君も好きなことだけして生きていける』(講談社)が好評。

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