天野 翔のうた日記

2017-07-23 漱石の俳句作法(7/8)

オリオン・ブックス

蕪村との類似性

ところで俳句における漱石と蕪村との類似性を詳しく分析したのは、森本哲郎が最初であった。中でも現代なら剽窃だとされかねない多くの類似句をあげているが、以下のような例がある。

     二人してむすべば濁る清水哉          蕪村

     二人して片足宛(づつ)の清水かな        漱石

     菊作り汝は菊の奴(やつこ)かな         蕪村

     菊作る奴(やつこ)がわざの接木(つぎき)哉    漱石

     名のれ名のれ雨しのはらのほととぎす      蕪村

     時鳥名乗れ彼山此峠(かのやまこのとうげ)    漱石

     若竹や夕日の嵯峨と成にけり          蕪村

     若竹の夕に入て動きけり            漱石

     雪解や妹(いも)が炬燵に足袋(たび)片(かた)し  蕪村

     靴足袋(たび)のあみかけてある火鉢かな     漱石

しかしこうした結果は漱石や子規が忌み嫌う事態ではなかった。単に俳句に精進する過程で生じた謂わば必然でもあった。子規は『俳人蕪村』を書いて、蕪村俳句の特徴と素晴らしさを説いた。子規に俳句の教えを乞うた漱石は、俳句修業において当然のように蕪村を手本にした。子規自身も蕪村の類似句を作っている。

『俳人蕪村』において、子規は蕪村句を詳細に分析していたので、森本が指摘するような漱石の類似句には当然気付いていたはずである。だが子規は漱石の句稿を添削する際に、そうした指摘は一切せず、良いと思う句には○や◎を付けている。

俳句的小説へ

 漱石の言う俳句的小説とは、漱石の俳句観に基づく筋立て・情景描写(自分自身を含め全てを客観視する)であり、俳句を文章にしたような小説。俳句的な叙景文。俳句を鑑賞しているような小説。漱石自身の言葉では「自然を写す文章」である。

 漱石は国内外に照らして新しい小説を開拓するに当たって、俳句のセンス(笑い、ユーモア、侘び・寂、憐れ、運座の関係)を取り入れようとした。その実作が『草枕』であった。漱石の自解によれば「美を生命とする俳句的小説」を試みたのである。

『草枕』の文章は、大変歯切れが良い。散文ながら漢語漢詩文の読み下しや俳句の片々をちりばめ、また時に和歌長唄の一節を引用する。芸術論、文明論、人生観なども展開されているが、七音五音の息継ぎを交えて書かれているので、文章にリズム感が出て読み易い。そして日本人の韻律に馴染んでいるので読んでいて心地よい。漢詩や俳句には漱石自作のものを含む。

『草枕』のラストシーンは、子規が俳句で分類した「人事的美」に対応して読者を感動させる。

 ところで漱石が俳句的小説を構想する契機になったのは、蕪村の『春風馬堤曲』であろう。これは十数首の俳句と数聯の漢詩と、その中間をつなぐ連句とで構成されてる。こういう形式は全く珍しく、蕪村の独創になるものである。(萩原朔太郎『郷愁の詩人 与謝蕪村』)

2017-07-22 漱石の俳句作法(6/8)

ラム著

(三) 謡曲の内容を俳句に詠んだ。なお謡と俳諧の関係については、すでに蕉門筆頭の宝井其角はじめ、蕪村の一番弟子であった几董も「謡は俳諧の源氏也」と『新雑談集』で述べている。

漱石の場合を以下にいくつかあげよう。

平家物語』から

     時鳥弓杖ついて源三位

     山伏の並ぶ関所や梅の花 

     六波羅へ召れて寒き火桶哉 

川中島合戦を詠んだと思しき句として、

     枚をふくむ三百人や秋の霜

     短夜や夜討ちをかくるひまもなく

     朝懸や霧の中より越後

他にも謡曲の言葉使いを入れた句もかなり作った。例えば、「候」

     時鳥物其物には候はず

     去ん候是は名もなき菊作り

     海鼠哉よも一つにては候まじ

漱石は謡曲には熊本時代から入り込んだ。漱石の親しんだのは、宝生流の謡であった。謡の様子を詠んだ例を三句次にあげる。 

     鼓打つや能楽堂の秋の水

     隣より謡ふて来たり夏の月

     永き日を太鼓うつ手のゆるむ也

 講釈と落語については若年の頃から関心があり、寄席にもよく通った。子規

も落語が好きであった。子規と漱石の交友のきっかけが落語であったと漱石が

回想している。漱石句に多く見られる俗語には、その影響が強く出ている。


(四) シエクスピア劇の一場面のセリフの意味を反映したことも。

文科大学の学生・小松武治がラム姉弟の『シェイクスピア物語』を邦訳

した時、その序文を漱石に依頼した。彼の序文は、シェイクスピアの劇

の中のセリフの一節を取り出し、それに俳句を取り合わせたもの。次に

いくつか例をあげる。

“Lady, by yonder blessed moon I swear, that tips with silverall

these fruit-tree tops.”

これは『ハムレット』5幕3場(墓堀りの場、道化の髑髏と対面して)、

それを次のように俳句にアレンジした。

     骸骨を叩いて見たる菫かな

前書の英文の一節を省いて、更に三例をあげる。

マクベス』2幕1場(ダンカン王殺害の場)から

     小夜時雨眠るなかれと鐘を撞く

オセロ』5幕2場(寝室、デズデモーナ殺害の場)から

     白菊にしばし逡巡らう鋏かな

ヴェニスの商人』5幕1場(法廷の場、新妻ポーシャ男装して判事

扮す)から

     女郎花を男郎花とや思いけん

2017-07-21 漱石の俳句作法(5/8)

夏目漱石

材料: 狐狸、怪異を連想させる動物、広い地名、不浄の物、上流社会の様 など。以下、該当箇所を太字に示す。

 蕪村の例句

    戸を叩く狸と秋を惜みけり

    蝮(くちばみ)の鼾も合歓の葉陰かな

    いばりせし蒲団干したり須磨の里

    一つ鼠のこぼす衾(ふすま)かな

 漱石の例句

    武蔵下総山なき国の小春哉

    三日月や野は穢多村へ焼て行く

    辻君に袖牽(ひか)れけり子規(ほととぎす)

    春の夜や金の無心に小提灯


蕪村に学ぶ二

別の角度から漱石の作句態度をまとめてみる。

(一) 蕪村は無頓着なくらい字句に拘らなかったが、漱石も自由気ままに当て字を使用した。例えば、

    雪霽たり竹娑婆と跳返る    「ばさばさと」

    奈良七重菜の花つづき五形咲く   「御形」

    立ん坊の地団太を踏む寒かな    「地団駄」

    病む人の巨燵離れて雪見かな    「炬燵」

    阿呆鳥熱き国にぞ参りける     「信天翁

    去ればにや男心と秋の空      「されば」

    朧故に行衛も知らぬ恋をする    「行方」

(二) 先にも触れたが、漱石は漢語を用いたり漢詩を踏んだ。漱石の場合、漢詩の情景を多々俳句にしているが、代表的な作品が、『蒙求』を出典とする一連の俳句である。ちなみに漱石という雅号もこの書にある故事から出ている。以下では、句の右に『蒙求』の原句を示す。

    塵埃り晏子(あんし)の御者の暑哉     「晏御揚揚」

    梁上の君子と語る夜寒かな        「陳寔遺盗」

    春寒し墓に懸けたる季子(きし)の剣    「季札挂剣」

    剣寒し闥(たつ)を排して樊(はん)かいが 「樊かい排闥」

    行春や瓊觴(けいしょう)山を流れ出る   「劉阮天台」

    屑買に此髭売らん大晦日         「陶侃酒限」

『蒙求』について註釈しておくと、著者は李瀚。伝統的な中国の初学者向け教科書である。日本でも平安時代以来長期にわたって使用された。日本で人口に膾炙している「蛍雪の功」や「漱石枕流」などの故事はいずれも「蒙求」に見える。

2017-07-20 漱石の俳句作法(4/8)

蕪村の肖像

人事的美: 十七字の小天地に変化極りなく活動止まざる人世の一部分なりと縮写せんとするは難中の難に属す。ひとり蕪村は思うがままに写した。時間を写すことができたのは、一人蕪村のみ。

 蕪村の例句

    旅芝居穂麦がもとの鏡立て

    身に入(し)むや亡妻(なきつま)の櫛を閨(ねや)に踏む

    沙弥(しやみ)律師ころりころりと衾(ふすま)かな

 漱石の例句

    春の川故ある人を脊負ひけり

    手向くべき線香もなくて暮の秋

    なに食はぬ和尚の顔や河豚汁

用語俗語): 蕪村は極端の俗語を取って平気に俳句中に挿入した。しかもその俗語の俗ならずしてかえって活動する。

 蕪村の例句

    酒を煮る家の女房ちよとほれた

    蚊帳の内に蛍放してアア楽や

    化さうな傘かす寺の時雨かな

 漱石の例句 

    どこやらで我名よぶなり春の山      

    明月や御楽に御座る殿御達        

    三どがさをまゝよとひたす清水かな    

句調: 五七五調の外に時に長句を為し、時に異調を為す。蕪村にも漱石にも

六七五調が五七五調に次いで多い。芭蕉漢詩の風韻を俳諧に取り入れることで俳諧の革新を図ったが、初句の字余りが新鮮な感じを与えた。

 芭蕉の例句

    櫓声波を打つて腸(はらわた)氷る夜や涙

    芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな

俳諧に漢詩的表現や表記を取りこむ傾向は、蕪村らによる蕉風復古運動でも見られた。

 蕪村の例句

    花を踏みし草履も見えて朝寝かな

    独鈷鎌首水かけ論の蛙かな

    山人は人なり閑古鳥は鳥なりけり

 漱石の例句

    三十六峰我も我もと時雨けり

    山は残(ざん)山(さん)水は剰水(じようすい)にして残る秋

    路岐(みちわかれ)して何れか是なるわれもかう

2017-07-19 漱石の俳句作法(3/8)

講談社文芸文庫

蕪村に学ぶ一

漱石俳句を薦め添削までした子規は、周知のように芭蕉よりも蕪村を称揚して、蕪村俳句を世に知らしめた。

子規は明治24年から没頭した俳句分類を通して、蕪村に着目した。句会などにおいて蕪村の特徴をみんなに話すことがあったであろう。さらに明治30年には、子規が新聞『日本』に「俳人蕪村」を連載して、蕪村の特徴を分析し彼の俳句作法を高く評価した。そうした過程において、漱石は大きな刺激を受けたと思われる。

子規の『俳諧大要』「俳人蕪村」の線に沿って漱石俳句を分析すれば、類似性が明確になるはず。漱石が蕪村及び蕪村一派の俳句に親しんだことは、倫敦留学に『几薫集』(蕪村門の高井几薫の句集)、『召波集』(蕪村門の黒柳召波の句集)を携帯したことで分る。(『漱石日記』明治33年9月12日)ちなみに、『ホトトギス』がロンドンまで届けられていた。

漱石俳句の特徴は、子規の分類でいう積極的美、人事的美、客観的美、理想的美、精細的美、用語俗語)、句調、材料などの広い範疇に現れる。漱石は分類を意識して作句したのではないか。

特に理想的美、人事的美、用語(俗語)などのカテゴリで顕著である。蕪村が始めた作法を漱石はさらに極端と思えるほどに推し進めたのである。以下にそれぞれについて、子規の定義を参考に、蕪村と漱石の例句をいくつかあげよう。

理想的美: 人間の到底経験すべからざること、あるいは実際有り得べからざることを詠みたるもの。

 蕪村の例句

    河童(かわたろ)の恋する宿や夏の月

    名月や兎のわたる諏訪の湖

    雪信が蠅打ち払ふ硯(すずり)かな

 漱石の例句

    真倒しに久米仙降るや春の雲

    枯野原汽車に化けたる狸あり

    海棠の精が出てくる月夜かな