天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

面白くない

 二月号の「俳句研究」に発表されている俳句作品を読んでいるが、さっぱり面白くない。うまい、すごい、といったものがまったく見当たらないのだ。
例えば、ベテランの高橋睦郎が五十二句をまとめて出しているが、どこが良いのやらわからない作品がある。


        咲き満つは散りはじむなり山櫻
    *この「なり」は、終止形についているので伝聞か推定
     であるが、理屈を感じて感心しない。当り前のことを
     何をもったいぶっているか、何が新しいのか?

        鬱鬱と八重のさくらや日の光
    *鬱と八重桜は付きすぎて、これも感心するところ更に無し。

        木となりし我を出で入る百千鳥
    *「木となりし我」と言ってしまっては身も蓋もない。
     それを言わずに、木になった自分を詠うのが匠というもの。


        初雪の溶け残りたる斎庭(ゆには)かな
        白鳩や一樹にむれて春を待つ
        初雪や燈籠の列あきらけく
        雪しづり大樹の下のしとどなる
        初雪の残れる闇のなまぐさき