大磯八景
宮代謙吉(旅籠「百足屋」主人)が1895(明治28)年に大磯町長就任後、観光行政に尽力し、大磯の景勝地を選んで斎藤松州画伯に依頼して絵はがきとして出版したのが起こりという。また1937(昭和12)年に大磯小学校第二代校長朝倉敬之が八景を詠んだ自作の歌碑をそれぞれの場所に建立した。このうち「小淘綾の晴嵐」を詠った碑は、残念ながら残されていない。
化粧坂の夜雨 雨の夜は静けかりけり化粧坂松の雫の音はかりして
唐ヶ原の落雁
霜結ぶ枯葉の芦におちてゆく雁の音寒し唐ヶ原
花水橋の夕照
高麗山に入るかと見えし夕日影花水橋にはえて残れり
高麗寺の晩鐘 さらぬたに物思はるゝ夕間暮きくそ悲しき山の手の鐘
小淘綾の晴嵐 小松原けむる緑に打ちはれて見渡し遠く小余綾の浦
鴫立澤の秋月
さやけくも古にし石文照らすなり鴫立澤の秋の夜の月
照ヶ崎帰帆
いさり火の照ケ崎までつづく見ゆいかつり船や今帰るらん
富士山の暮雪
くれそめて紫匂ふゆきの色をみはらかすなり富士見橋の辺
それぞれの現地の写真については、大磯町のホームページを参照されたい。