天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

松の根っこ(1/15)

「春を病み」の句碑

はじめに
西東三鬼終焉の地、葉山町堀内五六二番地を訪ねて森戸海岸かから仙元山へ向けて歩く
逗子駅から海岸廻りのバスでは、元町で下車する。森戸川にかかる木ノ下橋の逗子側が堀内五六〇番地になっている。浄土宗長江山相福寺を探してゆけば、その横並びに三鬼邸跡がある。堀内五六二番地は現在駐車場になっており、壁際に三鬼終焉の地として、絶筆になった次の俳句の碑が立ってぃる(右の画像)。
   春を病み松の根っ子も見あきたり
葉山町俳句協会の手になるこの碑には平成十一年四月一日建立とあるが、三鬼は昭和三十七年四月一日午後十二時五十五分に息を引き取った。
三鬼俳句の根源にあるモチーフは、生と死といってよい。実存の生々しさ・不気味さを俳句形式で表現した。題材、色、情景、季語などに現れる特徴が、生と死を比喩しているからである。例えば、赤、炎天、雷、処女 などは生の象徴であり、黒、枯野、寒、老婆 などは死の象徴と捉えられる。そして絶筆の句は、精一杯生きて、やることはやったし疲れたというアンニュイな気分が漂う。生と死のモチーフを締めくくる句として、絶妙な作品であろう。
俳人としては、俳句に取り組み始めたのが三十三歳と遅いが、その後は、京大俳句事件から終戦までの五年間の断筆を除き、俳句に全人生を捧げたような没入の仕方であった。ことに山口誓子への傾倒は激しいものがあり、その亜流の作品が多いこともつとに指摘されている。しかしながら、評価の高い作品は、三鬼独自の領域を切り拓いており、後続の俳人に与えた影響は大きい。この評論では、三鬼に特徴的な題材の俳句を鑑賞しながら、三鬼工房の秘密に迫りたい。