天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

声を詠む(10/10)

プラネタリウム(webから)

  日が落ちて遠く野に呼ぶ声のあり人か獣か木霊か知れず
                      渡辺幸一
  声をもてこの身を包みくれたりき秘すればたのし電話の後も
                     山本かね子
  鬼やらふ声遠々に雪ふかしそのはるけさにわれはゐるなり
                      郷原艸夫
  ああいやだいやだわというこの声も半世紀ほど生きてきたりぬ
                      佐伯裕子
  いま生れしみどりごのこゑ細けれど雲間を分けて日は差し出づる
                     工藤こずゑ
  変声期の声絞りゐし少年がプラネタリウムの底に居ねむる
                      青野里子
  電話にて苛立つ声のまだ響き紫陽花色の夕焼けが来る
                      高瀬隆和
  草葺き屋の昼なお暗き座敷より母の読経の声透りくる
                      高瀬隆和


山本かね子は電話の相手にやさしい声で慰められたのだろう。その内容は内密にしていてこそ楽しいものであった。
郷原艸夫の歌にある鬼やらふ声とは、節分の豆撒きで唱える「鬼は外、福は内」という声である。鬼やらいは疫病を追い払う「追儺」と呼ばれる儀式のことで、古く平安時代に大晦日に行われた。
佐伯裕子には「ああいやだいやだわ」という口癖があったのだ。
高瀬隆和の場合の電話は、山本かね子の場合と正反対であった。