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久幸繙文の中の人『久樹 輝幸』による覚書

2009年01月09日

同人イベントの「安心社会」も崩壊したのかな

書きたいことを余り溜めすぎるとよろしくないので、ちょっとメモ書き。


イベスレで面白いやり取りがあって、「地方のイベントで共同購入を組みたい」といふ申し出に、トラブルの元だから止めた方が良いと言ふ助言が相次いだこと。具体的には >>785-824 辺り。

これで思ひ出したのが、安心社会から信頼社会へといふ記事。少々長くて申し訳ないが以下に引用する。

普通、常識として信じられていることに、「日本は信頼社会であるのに対して、アメリカは信頼よりもドライな契約関係が重要視されている」ということがある。しかし、調査によればこれとは全く逆の結果があらわれている。

「たいていの人は信頼できると思いますか」に「はい」と答えた人
アメリカ47パーセント、日本26パーセント
「他人はスキがあればあなたを利用しようとしている、と思いますか」に「そんなことはない」
アメリカ62パーセント、日本53パーセント
たいていの人は他人の役にたとうとしていると思いますか」に「はい」
アメリカ47パーセント、日本19パーセント

また「社会的ジレンマ」実験の結果も興味深い。

「社会的ジレンマ」とは、「お互いに協力しあえば皆が利益を得ることができるのに、各人が自分の利益だけを考えて行動すると、結局は誰もが不利益をこうむってしまう」という状況のことである。

こういう状況をモデル化したものが、「社会的ジレンマ実験」と呼ばれる社会心理学の実験である。

この社会的ジレンマ実験が明らかにした最も重要なことは「他の人が協力してくれるという期待が持てないときは、ほとんどの人が協力的な態度をとらない」ということである。

実験に参加した大多数の人たちは、「自分だけの利益のために他人に迷惑をかけても平気でいられる」ほど利己的ではなく、「もし皆で協力しあえるのならば自分も協力したい」と思っていた。しかし、そう思っている人でも、「他の人たちは協力する気がないのではないか」と心配になると、結局は協力しなくなってしまうのである。

よく「日本人は集団主義的でアメリカ人は個人主義的だ」と考えられているが、それは浅薄な「常識」である。

日本人が集団主義的なのは、一言で言えば、日本社会には「相互監視・相互規制のしくみ」が存在しているからである。だから、その「しくみ」から解放されたところでは、日本人は「旅の恥はかきすて」的な行動をとることがしばしばあるのである。

とはいうものの定義からしてコミットメント関係の解消は難しい。

これはコミットメント関係を続ければ続けるほど、「よそ者を信じられなくなる」という心理的状態になってくるからである。これを「安心の呪縛から抜け出せない状態」と呼ぶ。

この「安心の呪縛」から抜け出す推力となるものが「一般的信頼」なのである。「信頼の解き放ち」とはそのことである。

日本人はいままで「安心の呪縛」にとらわれていたため、莫大な機会費用を支払い続けるというムダを行ってきたのである。だが今やその状況が「崩壊」しつつあるわけである。

これはそっくりそのまま今の大規模同人イベント界隈――コミケとか例大祭とかに当てはまると思ふ。信じられない行動をとる輩や、懐古的な意見だとか、不毛な新参叩きの類も本論で簡単に説明出来るからだ。

となると、最早大規模同人イベントを「仲間内の暗黙の了解」で運営するのは限界に来てゐるのかも知れない。といふより、昨今の叩きの大半は、『仲間内の』といふ前提があるからこそとすらいへる。

誰が悪いとわけではない。記事は社会全体の話をしてゐるのだから、強いて言へば時代に無理があるとしかいへない。そして、この記事にはどうすれば良いかといふ「解」がない。「信頼社会」への移行は、同人界隈だけの問題ではないのだから。

何だか哀しい話だが、時間がないので、今は胸に留め、また後日考へてみようと思ふ。

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