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久幸繙文の中の人『久樹 輝幸』による覚書

2009年02月14日

HTML5.xの解説の邦訳2

去年の今頃にでてゐた解説が最新版になった模様。去年も言及してた。文体が何か懐かしい。

とはいへ、改めて読み返してみると、そこまで複雑化したわけではないなと思ひ直した。APIだのパーツだのを本家の方で利用するつもりは更々無いが、解釈が整理されたと言ふ点では評価して良いのかも知れない。

取り敢ず、去年の記事は一旦白紙に戻して、改めて雑感を並べてみた。

article要素の追加
section要素やhn要素との関連性が謎。
aside要素の追加
ページの主題とあまり関係のない内容って広告の事? そんなものわざわざ指定する人ゐるの? デフォルトで非表示にしたいけど。
nav要素の追加
ここでいふナヴィゲーションって目次のことで良いのかしら。それともaccesskey属性リスト? それともパンク屑リスト?
output要素の追加
samp要素との使ひ分けが謎
link要素にsizes属性を追加
この属性はrel属性の値iconと組み合わせ、参照するアイコンの大きさを指定するために利用されます。っていふけど、それってHTML文書が指定しなきゃならないの事なのだらうか。
ol要素にreversed属性を追加。降順の明示が可能に
むしろ今まで何故無かったのが不思議なくらゐ。
data-*属性の追加
ページ作成者が好きに定義することのできるらしい。今class属性でやってゐる事を改めた、といったところか。
b要素は文章において(略) i要素は文章において(略) small要素は、脚注や法的条項などの細字部分を表すようになりました。
慣例的な表現に意味を付加するといふ方向。現状追認といった感がある。
acronym要素の削除
多大なる混乱を引き起こしたことからといふ理由が感慨深い。
link要素とa要素のrev属性とcharset属性が削除
結局rev属性って何だったんだらう。
table要素のsummary属性が削除
個人的には一番驚いた。今までアクセシビリティ的には強く推奨されてゐたのにねぇ。
td要素とth要素のaxis属性とabbr属性が削除
テーブルについてのアクセシビリティは随分簡略化される模様。
charset属性を持つmeta要素は、文書の先頭512バイト以内に記述さなければならない
挙動を考へれば真っ先に記述すべき。
ruby, rt, rp要素の追加
おk。
q 要素が再び変更され、引用符はユーザーエージェントが挿入するものという前の定義に戻されました。
なんでやねん! 引用符のやうな文章記法的なものはマーク付けで対応すべきではないだらうに。dialog要素の括弧とかどうすんだよ。ulの連番にしてもさうだが、スタイルが無効化された時に意味が通じなくなるやうな仕様はをかしい。ruby要素との整合性も立ってないぢゃないか。li要素のvalue属性とか、ol要素のstart属性とか、徒に混乱を招きかねない仕様は止めるべき。

2008年12月31日

本年総括

さて、取り敢ず部屋の片付けは何とか終了することが出来た。肩がぶっ壊れた次は腰までピチュってしまひ、暫く腰痛ベルトのお世話になりさうであるが、まあそれは良しとする。

今年一年を総括すれば、もう完全に「同人」の一言に尽きるであらう。今まで細々と、一部分だけでのんびり関はってきた同人に、まさかこの一年でどっぷりつかるとは私ですら予想出来なかった。

以下は去年の総括を読みながら、今年の出来事などを振り返ってみたい。酒呑んでるのでいつもの如くグダグダになるとは思ふが、読みたい方はどうぞ。今年に入ってうちの雑記を読み出した人は、「東方」が見出しに出てくるまで飛ばした方が良いと思ひます。

「闇黒日記」復活とさとみかん停止

紆余曲折あって、闇黒日記は元の鞘に収まることとなった。「義」による嫌がらせ行為は今も続いてゐるやうだが、どんな状況であれ、今の姿勢が一番良いのではないかと言ふのが私なりの思ひである。

闇黒日記を店仕舞ひするの記で投げかけられた問題は、結局今年一年を経ても解決する兆しは見られなかった。むしろ、同人界隈に深く関はるやうになって、余計にこの問題は深刻さを増してゐるのではないかと言ふ気さへ感じられた。

といふか、ある日突然神主がこれと同じ様な話を書いて、東方を「店仕舞ひ」する可能性だって無いわけではないのである。神主は尋常ではない懐の持ち主であるし、そこらのはてな村民を一山集めても敵はない程のスルー力の持ち主であるが、さういふ個々人の「寛大さ」に依拠するこの界隈の現状は、決して理想ではないと思ふ。挙げ句に、古参だにわかだニコ厨だと、お前ら東方の何を見てるんだと疑問に思ふやうな主張まで出てくる始末……。

話がそれた。ともあれ、闇黒日記はめでたく復活を遂げた。その一方で、さとみかんがCGIの高負荷や諸々の要因で停止し、現在もなほ再開されてゐない。ありみかさとみさんも仕事や家庭で忙しいのだらう。去年産まれたゆきなたんが元気で、今年の正月に書かれた記事の通りであれば、それで十分。

CSSコミュニティ消滅と「文章構造から見るHTML」の終焉

前項に引き続いてであるが、かつての「CSSコミュニティ」……所謂「某方面」は、今年をもってほぼ消滅したと言って間違ひではないだらうと思ふ。

HTML5だのXHTML2だのと言はれてゐるが、昨今の議論を見るに、HTMLの議題は完全に「機能」に移ってしまったと言って良いと思ふ。さう、HTML3.xから4.xに移る際に「『表示』から『文書構造』」へと視点が移ったやうに、HTML4.xからHTML5.xへの移り変りは「『文書構造』から『機能』」への本質的転換であると私は思ってゐる。

W3Cは何年も前からセマンティックウェブ(意味的Web)をWebの目標として掲げてをり、その視点で見れば、表示が構造に包括されたやうに、構造が機能に包括され、最終的に機能が意味に包括される流れは一貫してゐるやうに思ふ。

逆に言へば、私のやうに、文書構造からHTMLを捉へ、シンプルで、互換性を何よりも重視すると言ふ立場は、今日のWeb技術から見れば傍流の議論なのである。正しいHTMLで書かれてさへゐれば変換方法は幾らでもあるのだから、規格自身の直接互換性に拘るのは「時代遅れ」なのである。

HTMLはこれから、BlogツールやWikiツールによってTCP/IPであるとかHTTPであるやうに、単純にツール間で通信する際のプロトコルの一部としてブラックボックス化していくだらう。

その恩恵は、私もじわじわと実感してゐる。一昔前のやうに屑HTMLを出力するツールもあるが、まあ取り敢ず許せるくらゐのツールも増えてきた。何より、屑HTMLを書く人を説得するより、便利なツールを紹介する方がずっと楽なのだ。World Wide Webにおけるエントロピーを考へれば、確実にこちらの方が利に適ってゐる。

まともなHTMLを書くと言ふのは、ある意味伝統工芸のやうなものになりつつある。ツール作者がいちはう一通りの仕様を知ってゐれば、取り敢ずは困らない物が出来る。何とも虚しい気もするが、さういふ事なのだらう。

だからこそ、最早旧来のCSSコミュニティの役割は終了したのだと私は思ふ。後は技術屋・設計屋の分野であり、私のやうな「素人」が議論する分野ではない。私にとってのHTMLの議論は、シンプルで合理的なHTML文書作成法入門:基礎編で終了したのである。

FFTの十年祭とコミュニティの崩壊

今年の第一四半期はFFT一色であった。十周年祭はいよいよ佳境を迎へ、オフ会もたくさんやったし、オンリー即売会もやった。楽しかった。それなのに、その中心となったコミュニティは崩壊したのである。あれだけグダグダな末路を辿って。

東方にはまってから私と付き合ひを持った方々から見れば、私のこの態度は淡泊で不思議に思はれるかも知れない。幻想板の管理人が変るだけであれだけ大騒ぎした私なのだから、もっと事細かに経緯をまとめ、事実を求めた記事を書いてゐてもをかしくはない。といふか、まあ、私が今の東方界隈くらゐに「部外者」であれば、さうしてゐたかも知れない。

だが、それをするには今のFFT界隈は狭すぎるし、何より私は色々な人と親密になりすぎた。縁は糸であるし、鎖でもある。

ただ、誰が悪いわけでもないのだと思ふ。私は少なくともさう思ふ。本当に悪意のある人なら、もっと色んな手があったはずなのだから。だから、誰が、何が悪かったのかは判らない。歯車が噛み合はなかっただけかも知れない。こんな末路を回避出来る道もあったかも知れない。ただ、全ては事後であり、結果論である。

たまたま私は祭の終結とともに東方に傾注するやうになったため、「亡我郷」の思ひはあまり感じずには済んだ。でもそれは、哀しいことだと思ふ。

FFTといふ幻想

FFTの名を冠した作品は色々登場したが、私にとってFFTは、最初のPS版のFFTが一番だと思ってゐる。それは何故かいつも不思議に思ってゐたが、東方にはまってからやっと朧気に理解することが出来た。

私がはまったのは、FFTが持つ世界観なのだ。腐敗した貴族と、それに立場は違へど共に抗ふラムザとディリータ。影で進む陰謀。それとは並行して進む個々人の想ひを込めたサブイベント。そして儲け話を読み解けば、鮮やかに広がる、戦争に暗く沈みながらも日々の暮らしを楽しく生きるイヴァリースの民の(突っ込み溢れる)輝き。さういふ世界観に私は惚れたのである。

しかし、続篇であるFFT-Aは世界よりも「人」に着目したストーリーだった。そもそも世界観は継承されてゐない。FFTのPSP版に至っては、何ら旧来の世界観との統合も持たぬままに新システムや新ストーリーが混入されて、私は戸惑ふ一方だった。

確かに、単なるシステムとして見れば面白い。対戦が出来るFFTは、私も昔から待ち望んでゐた機能ではある。あのシステムは、言はば「ファンサービス」的なものだった。でも、その一つの機能が、ああも今まであった世界観を壊す物だとは思はなかった。FFTの良いところは、今までのFFにはない、ストーリーと世界観の繋がりの深さがあったと思ふ*1。なるほど、神主がスペカプラクティクスの導入にあそこまで躊躇した理由が、まさにそれだったのだ。

それは古参ファンの我儘なのかも知れない。いや、我儘なのだらう。

まあ、別に本篇から離れたところで、FFT自体は好きだ。続篇が私に受けなかったからと言って、「原点」が失われることはない。今は東方に注力してゐるものの、今まで私がFFTで書きためてきたものは、いつか必ず実を結ばせたいと思ってゐる。それが夏こみトレが、来年の冬こみトレになるかは分らないが、さういふ意思だけは持ち続けたい。それが私の、PS版FFTに対する愛なのだから。

東方との出会ひ

去年の今頃は、確かひぐらしをずっとプレイしてゐただらうか。それが一段落して、FFTも取り敢ず一段落して、さうして始めたのが東方である。新参も新参。歴で言へば1年も経ってゐないのである。その癖に偉さうな事ばかり書いて、実は赤面の至りなのである。書きながら、もっと含蓄深い人に「このが」と突っ込まれさうで怖かった。何で「例大祭に参加するための心得〜」なんて書いたのだらうと、今でも不思議に思ふ。

だから、東方幻想板の昔のスレや、旧幻想掲示板の話や、東方Wikiの知らない記述を根掘り葉掘り読み返して、必死に古参に追ひつこうとした。今では、取り敢ず、永夜新参が騒がれた頃(例大祭2ぐらゐ)まで一部は振り返ることが出来た。

ただ、私と同じ新参に対して、私と同じ事をしろとは言はない。私はどちらかといへば特殊な事例だと思ふ。第2回最萌トーナメントでのゆゆ様事件の経緯を知る必要は無いし、そもそも最萌えトーナメント自体知らなくても良いのである。

新参は新参なりに、古参は古参なりに東方を楽しめば良い。最近幻想入りした神様方を見てゐると、さういふ風に思へるのである。

結局妖々夢のHardをクリアしたのが最高で、後は全部Ex止まり。魔理沙に至ってはNormalもクリア出来てゐないものもある*2 来年は全Hardクリアを目標にしよう。

同人と東方

東方との出会ひは、私の同人観も大きく変へることになった。いや、元々漠然と持ってゐたものを、よりハッキリと自覚させられたといふべきだらう。

自分に出来ることは何だらうとずっと考へた一年だった。少しでも理想的な一般参加者にならうと知識を集めたこともさうだし、色付き配置図を作り出したこともその一環だった。

同人と商業の境界は、これからもっと議論されていく事だらう。東方がここまで大きく流行したことも、何かの象徴であると思ふ。ここまで大きくなったからには、私よりも賢い人たちがもっと正確に東方の現状や、同人と商業のあり方について述べてくれると期待してゐる。そこに異論が有れば、私も積極的に突っ込んでいきたいと思ふ。

新しい出会ひと新しい挑戦

新しい界隈に入って、新しい出会ひも出来た。ケビンMcさんや、まいさん(id:maisan)、mokiさん、有我悟(id:arugha_satoru)さんやTaryun(id:Taryun)さんや、こちらから名乗ることはなくても色々な人と出会ってきた。

そして来年は、いよいよ一つのサークルを背負って活動をしていくことになった。まだまだ不安一杯で、もしかしたら色々失敗があるかも知れない。

それでも、自分なりに出来る限りの表現をしたいし、読まれた方々にもそれを感じていただけたらと想ふ。これまで以上に色々な人と関はりを持てると期待してゐる。人との繋がりは良いものだと思ふ。例へ今年のFFTのやうに、それが足枷になるやうな事態が起ったとしても、私は色々な人と縁を持ちたい。それが今の私を支へてゐるのだから。

今はただ、それだけを願ひたい。

総括

そんなことを書いてゐれば、あと5分で年明けである。

何だか暗い話ばかりしてきたやうに思ふが、私としては今年一年は、今までにないくらゐ楽しい一年だった。嗚呼、同人だけで一体幾ら使っただらうか。考へるだけでも恐ろしいが、それ以上に楽しいのである。

つまり残念なことも多かったが、幸も多き一年であった。もう少し個人的な話をすれば、「信仰」について、今まで以上に考へる事が出来たと思ふ。まあ、それはあくまで個人的な話。

来年も恐らく東方一色な一年になるだらう。出来ればFFTの話ももう少ししたいが、そこまで余力があるかどうかは分らない。あったら良いなあ、とだけ書いておく。


今、『明日ハレの日、ケの昨日』*3が流れてゐる。さうだよなぁと思ひつつ、酒を呑む。明日がハレの日で、昨日がケの日なら、一体今日は何の日だらう。ハレとケの境界。大晦日は、さういふ日なのだらう。

PCのファイルの整理は結局終らなかったが、まあ、部屋は片付いたから、歳神は無事にお迎へられるだらう。式の事は式に任せれば良い。初日の出を浴びて、それから後々の事は考へやう。来年のことを想へば鬼が笑ふ。きっとこみトレだの例大祭だので第一四半期は死にさうになるだらうが、来年のことは来年考へれば良いのである。

最後に

やっぱりグダグダになってしまったが、まあ、それはそれで私らしい。

それでは皆様、良いお年を。そして来年一年が、全ての人に幸多き一年でありますように。

*1:ちなみに、私がFF6を好きなのは、あの暗い中で希望を求めるあの世界観そのものが好きだったからだ。

*2:地霊殿、永夜抄の一部。

*3東方風神録 〜 Mountain of Faith. エクストラステージ

2008年02月03日

手塚治虫の「全作品」が合法的に二次利用可能という画期的試みがあるらしい

Open Post.JPといふ経済産業省主催のサイトがある。何とここでは、手塚治虫の作品が自由に二次利用可能なのだと言ふ。

Open Postでは、クリエーターは作品制作の際に、コミュニティのために一時的に提供された「テーマ作家」の作品(キャラクター、ストーリー、ロゴデザイン、美術設定など)を素材として使用することが出来ます。或いは、完全にクリエーターのオリジナル作品で登録することも出来ます。

そしてそのテーマ作家が「手塚治虫」なのだと言ふ。

サイトに登録したクリエーターは、提供された手塚治虫のアニメ作品やマンガ作品のキャラクター、ストーリー、ロゴデザイン、美術設定等をOpen Post内で自分風に自由にアレンジし、全く違った表現にする事などが出来ます。アトム、ブラック・ジャック、サファイア姫を新キャラクターにしたり、商業デザインやイラストとして発表したり、FLASHによるストーリーのある動画やマンガ、シナリオも受け付けます。

新しい才能とテーマ作家の才能。二つが融合することによって生まれる新たな表現を、Open Postで公開いたします。

どう考へてもこれは素晴らしく画期的な試みであるし、あるいはこれが大成功を納めれば今後の国の知的財産戦略にひとつの事例を提供することになる。

だが、サイト内の随所に漂ふ何とない敷居の高さといふかぎこちなさは何なんだらう。人が少なく盛り上がりに欠ける点や、お行儀の良さなのだらうか。冒頭の件の記事ではアピール不足とサイト構造の問題を指摘してゐた。はてブのコメントにもあったが、紹介動画をニコ動にでもUpしたらどうだらう。

ともあれ、是非成功して欲しい試みである。

Yahoo!コミック

Open Post.JPで知ったのだけど、Yahoo!コミックって、作品の一部を無料で讀めるのか。全く知らなかった。GyaOアニメイトTVでも1〜2話は無料で試聴できる*1

つまり、先日の納得してお金を払ひたいといふ記事は、全くの的外れ・流行遅れだったといふことになる。自分の見識の狭さが恨めしい。大いに利用したい。

ゲームの場合はどうだろう

一方、TVゲームの世界では品切れゲームをニコニコで見ることはゆるされるか? - Something Orangeみたいな問題提起も。

*1:こちらは知ってはゐたがUIの問題が深刻で二の足を踏んでゐた

2008年01月23日

HTML5.xの解説の邦訳

昨年頃から話題になってゐたHTML5について。

ざっと讀んだ感じだと、現状追認の色がかなり濃い印象。

XMLとの互換性は、一時期某界隈で議論になったMIME Typeの実装問題*1を解決する上でも有効だらう。

新たに追加された要素は、殆どがHTMLに『機能』を追加するものである。所謂ブログなどのCMSツールを始めとした、Webアプリケーションとしての活用の幅を広げやうとしてゐるらしい。言ひ換へれば、辞書やテキストエディタを利用して手動でHTML文書作成する時代が終ったことを明確に表してゐるといへる。

次に興味深いのは『意味づけが変更された要素』の部分。

address要素については、かつてISO-HTML論争の頃に登場した仮定(といふか想像)が正式に採用された様子。hr要素やi要素、small要素も、何だかどこかで見たことのあるやうな落としどころ。strongが文章全体の強調と再定義されたが、つまりこれはブロック要素になるといふことだらうか。

要素以上に整理されたのが属性。

link/a要素のrev属性のやうに今一使ひ分けされてゐなかった属性はともかくとして、これまでアクセシビリティ業界で重用と言はれてきたtable要素のsummary属性、th/td要素のabbr属性や、多次元テーブルを実現する上でのheaders属性、axis属性が削除されたのは意外。処理体系を簡略化したいのだらうか。

総じて、文書記述言語としてより、アプリケーションへのインターフェイス定義言語として拡張したのがHTML5、といふのが久樹の印象である。今以上に『何でも出来る』『出来てしまう』言語になりさうだ。そもそもまともに実装されるのだらうか。

W3Cもその辺りは認識してゐるやうで、HTML 5 仕様は、少なくともふたつの完全な実装が登場するまでは完成したとみなされません。と言ひ切って、きちんとした実装をUI側に求めてゐる。

正直、ここまでするくらゐなら、文書マーク付け用言語とインターフェイス定義言語とで完全に分離した方が、実装面でも運用面でもメリットが大きいと私は思ふのだが。はてさて。

2008年1月27日追記

実際問題2000年以降のW3Cの迷走ぶりは異様。ネット普及と性能向上によって潜在圧力はどんどん高まりつつあったのに、仕様が全く追ひつかなかった。幸ひだったのは、業者側が独自タグの追加などをせず、あくまでも既存のHTMLを尊重しながら辛くも今日まで堪え忍んできたこと。状況が異なるとはいへ、HTML3.x時代の教訓が余り活かされたやうには思へない。とにかくしっかりしてほしい。

*1:意外なことに徒委記にまとめられてゐなかった

2008年01月14日

NHKが番組ネット配信の準備を開始

HNKが2008年度中にも番組をネットで配信するやうに準備を進めてゐると言ふ話。大きく分けて

  • 過去の番組を視聴できる有料の「アーカイブサービス」
  • 見逃した番組を放送から一定期間視聴できる「見逃しサービス」

の二本立てになるとのこと。NHKスペシャル - ワーキングプア*1の時のやうに、番組について強い反響が出ても、それを初めて知った人にとっては既に放送された後でどうしようもない、といふ事態は大きく改善されるだらう。

本来、視聴料を払ってゐるのだから、言はばその番組を「買って」ゐるのであって、一定時間もなにも好き放題見せてくれよと言ひたいところであるが、ひとまづ大きな前進であり、評價したい。よっぽどのことがない限り、ドキュメンタリは1度見たら十分だし。

*1:この番組に関しては紙屋研究所といふサイトに秀逸な感想がある

2008年01月09日

光学メディアの立ち位置自体が中途半端になりつつあるのでは?

池田信夫 blog 東芝のチャンス

次世代DVD戦争はブルーレイディスク(BD)陣営の勝利が確定的になりさうだが、そもそもDVD自体が過去のものであり、東芝は経営方針を一大転換するチャンスだと言ふ話。

だが、ニコニコ動画が、あれだけ画質音質を落としても日本のトラフィックの12分の1を占め、サーバ資源も限界すれすれで運用してゐる*1といふのに、ディスクを買いに行かなくても、インターネットで映画もダウンロードできる。といふ考へはやや楽観的すぎるのではないか。

一般者が利用する通信速度がもう一桁上がるのも、その厖大な通信要求に耐へられるサーバやシステムが普及するのにもまだ数年〜十数年はかかりさうである。ニコニコ動画が人気と言はれつつも、それでも会員数は500万弱*2。日本の総人口の7.9%弱に過ぎない。高速インターネット通信衛星の打ち上げと商用化が波に乗れば、もっと多くの人間がブロードバンドコンテンツを利用し始める。もし動画配信ビジネスが今後も拡大、更には高画質化を目指すのであれば、インフラの整備がどこまで追いつけるかが重要な視点になるだらう。

ところで、データの記録媒体として光学メディアを求める理由は「容易に書き換えられない」事とと「(HDDと比べて)長寿命、堅牢」の二点であると思ふ。

しかしながら現行DVDの4.7GBといふ容量は、テキストデータはもちろんのこと、写真データや音楽データの保存用途としては十分な量である。久樹のMyPictureフォルダは7.61GB、MyMusicフォルダも10.2GBしかない。10枚組のセット品を買っただけであまってしまふ計算である。

困るのは、高画質で録画した動画や片面二層の動画DVDをダビングしようとしたときくらゐで、焼くためにはどこかを削るか画質を落とすかしなければならない。それでも1番組あるいは数話単位でDVDを焼いていくと手間もコストもばかにならず、結局、大事で劣化させたくない動画データはHDDで保存しようと言ふことになる。

BDが容量単價で現行のDVD並みに價格が下がれば話は別だが、そんなのを待ってゐるうちにHVD*3が実用化され、その頃には技術的に枯れつつあるHDD*4との勝負が始まりさうである。となると、矢張りBDは過渡期の技術として現行のDVD並みの普及は見込めまい。その点に関しては池田氏と同意見である。

2008年1月10日追記

「勝者はBlu-rayでもHD DVDでもなく、ハードディスク」--シーゲイトCEOが発言:ニュース - CNET Japan

一般者が取り扱ふファイルのデータ量と、一般向けの記録媒体容量の増加スピードを考へれば良い。

デジタル動画ですらこれ以上の品質は趣味レベルと言へるのだから、より画期的なデータ形態が生れる(動画は縦横時間の三軸なので、立体動画などが登場すればまたデータ量は爆発的に増加する)までは、当面この傾向は續くだらう。

*1ニコニコ動画がテレビの座を奪う日は来ない--ひろゆき氏の分析:マーケティング - CNET Japan

*2「ニコニコ動画」08年4〜9月期黒字化・会員1000万目標 ゲーム・音楽展開も - ITmedia Newsより。 YoutubeやMyspaceVideoなどの利用者数はよく分らなかった

*3Holographic Versatile Disc - Wikipedia:ホログラム技術を利用した光ディスク。実用化すれば容量1TB、転送速度は1Gbpsに達する

*4:一方、1年ほど前に富士通がITmediaニュース:2010年にはHDD容量は「1けた上」に?なんてニュースを飛ばしてゐたが

2008年01月07日 仕事始め

Firefoxのメモリ消費量を猛烈に減らすツール "FUO"

Firefoxのメモリ消費量を猛烈に減らすツール"Firefox Ultimate Optimizer" - あまたの何かしら。in はてな

久樹はおぺらーでありFirefoxを使はないので良く分らんのだが、さういふツールとか拡張とか設定などをどうこうするだけで、メモリ消費量がノーリスクで「劇的」に減ってしまふアプリケーションと言ふのは、そもそも基本設計に問題があるやうに思へてしまふのだけど。


なんか物理メモリ消費量が減る代はりに、CPU処理量が増えるらしい。

id:m-naze氏のはてブコメントによるとディスクI/O低減のためにFirefoxが行っているワーキングセット管理を破壊するツール。なのださうで。それあさうだよなあ。

1月9日追記

奇しくも似たやうな話がIE方面でも登場。

IE7.js登場 - IEのCSS/HTML非準拠はこれで対応 | エンタープライズ | マイコミジャーナル

Dean Edwards氏は7日(米国時間)、IEの動作をW3C標準仕様へ準拠させるためのライブラリIE7.jsの最新版を公開した。IE7.jsはJavaScriptで開発されたMS Internet ExplorerのHTML/CSS表示を調整するライブラリ。IE7.jsを使うことでMSIEのHTML/CSSまわりの表示処理をよりW3C標準規約に準拠したものにする。IE5やIE6で透過PNGを表示できるようにもなる。

まあでも、IEならまだ分る。利用者が多く、互換性をとても大切にしてきた歴史もある。

うちはそんなに困ってないから使はないけど。

2008年01月05日 有給休暇消費日

有害サイト削除、民主が独自法案・プロバイダーに義務化

※タイトルが間違ってゐました。お詫びして修正します。

日経ネットの記事を全文引用する。強調は全て久樹による。

民主党は18歳未満の若年者が犯罪に巻き込まれるのを防ぐため、インターネット上の違法・有害サイトの削除をプロバイダーなどに義務付ける法案の国会提出に向け、党内調整を始めた。自殺勧誘や、児童買春の温床とされる出会い系や児童ポルノなどに簡単にアクセスできないようにする狙い。与党との共同提出も視野に入れており、今月召集の通常国会での成立を目指す。

検討中の法案では、サイト開設者やプロバイダーは違法情報を発見し次第、削除しなくてはならないと規定。違法かどうか明確でなくとも、有害な恐れがある場合は児童が閲覧できなくなるような措置を講じるよう義務付ける。罰則を設けることも視野に入れる。 (09:18)

この記事での記述から、法案の方針をまとめると次の三つに集約される。

  • 「違法情報」は見つけ次第削除しなくてはならない。
  • 「有害な虞のある場合」は児童が閲覧できなくなるよう措置しなくてはならない。
  • これらに違反したら罰っする。

さて、この法案の有効性や実効性については既に各所から突っ込みが上がってゐる。代表例を紹介。

有害サイト規制の前に議論すべきこと - 雑種路線でいこう

  • 「違法情報削除」は既にプロバイダー責任制限法で規定されてゐる。
  • 「有害サイト」の定義が曖昧。ホワイトリスト形式を取れば殆どのサイトにアクセスできなくなる。
  • そんなことしたってPCと使用者は結びつかない。実効性がない
  • 第一、有害排除だけで健全な子供が育つとは思へない
  • フィルタリングの必要性を否定しないが、それを国家が強制するのは反対

部分的に違和感のある箇所もあるが、概ね主張としては同意できる。フィルタリング技術の導入自体は自衛手段として妥当なところだ。だが、それが国家的に義務づけられるといふのが問題である。

「匿名論争」とか「嫌いなものは見るな論争」とか「表現の自由論争」とか、この手の問題の本質は、今のインターネットはフラットな世界であることにある。18禁のエログロ画像だらうと高尚な哲学議論であらうと無為な井戸端コミュニケーションであらうと、全てが同じ次元で平等に公開されてをり、自主的な「棲み分け」が行はれてゐるに過ぎない。

だから、時々その「一線」を飛び越してきた闖入者によって容易に價値観が衝突するし、場合によってはコミュニティの崩壊すら起こり得る。

ならば、インターネットを物理的に階層化するのが正解なのかと言へば、さうではないと思ふ。そこで重用になってくるのがフィルタリングといふこと。情報の取捨選択。Googleが支持されるのもこの取捨選択が秀逸だからである。一方、Google八分問題で分る通り、フィルタリング機能に依存しすぎると、気付かぬうちに情報統制される危険がある。一企業ですら問題視されるのに、国家がやるとなると中国政府の情報統制と何ら変はりないではないか。

閑話休題。出会い系サイトを利用するな、といふ通達だけなら、既に学校から何度も出されてゐるだらうし、その結果として大多数の子供は「利用するなと言はれてゐる」と認識してゐるだらう。利用者も被害者も減らないのは、結局その声が届いてゐないだけで、周知が足りないといふことではないと思ふ。ならば考へるべき問題はそこにあるのではないか。

そもそも、大人の言ひつけを守らずに洒落にならないことに巻き込まれた、なんて事は、恐らくインターネットが普及する前からたくさんあったことだらう。取り返しのつかない事態にまで至らなければ、それも経験だと私は思ふ。情報リテラシー教育*1などともっともらしく言はれるが、私のへぼい情報リテラシーは試行錯誤の末に身についた。誰かに言はれて身につくものではないと思ふ。

最低限、致命的な事態にならないための心得と、致命的な事態にまで至らないためのセーフティネットさへあれば、あとはどんどん失敗するべきだ。失敗に対して大人が冷静に過ちを指摘すべきだ。そんな規制のなかった時代に育った人間は、皆歪んで育ったか? そんなことはない。


ところで、それとはまた別の視点から考へるのだが、日本の場合「違法情報」といふか、「違法」といふ定義自体がかなり曖昧な部分がある。曖昧と言ふか、グレーゾーンが広すぎると言ふべきか。著作権法問題など、商賣からむものほどこの傾向が強い。

強権的に運用すれば二次著作界隈は根絶やしにされたってをかしくない。今はそれらが消極的に運用されてゐるから、まだ極端な問題にならずに済んでゐる。

件の有害情報云々についても、余程ひどいものでなければ、結局のところスルーされて終了ではないかと思ふ。「児童が閲覧できなくなるよう措置」といふのも、今でも殆どのサイトは「18歳未満の方は閲覧禁止」みたいな警告文を載せてゐる(閲覧者の年齢を直接的に調べる方法はないし、あったら困る)

悪意的に利用されない限りは、大山鳴動鼠一匹のやうにも思へる。そしてそんな法案は、今まで何十本も通ってゐるし、運用されてゐる。もちろん、問題点を指摘するのは極めて重要なことなので、どんどんしていただきたい。それがリーガルリテラシー*2の向上にも繋がるだらうし。

あとは、実際の法案が出てこない以上は何とも言へない。

*1:リテラシー(literacy) 読み書き能力。また、ある分野に関する知識やそれを活用する能力。

*2:リーガルリテラシー(legal literacy) 法律に対する知識と、それを活用する能力のこと。