2012-01-07
終焉
父、今、逝きました。
享年90歳。
1月3日が誕生日でした。
結婚して初めて、父の誕生日を、父のそばで過ごしました。
そのとき、きっと、これで生きている父に会うのは最後だという、残酷な予感がしました。
冷たい娘でした。
ひどい父でした。
でも、好きでした。
実家へも病院へも、もう足がありません。
明日の始発、4時43分に乗ります。
ですので、しばらく、コメントのお返事や、訪問ができないかと思います。
それから、お悔やみの言葉とか、言われるの嫌なので、コメントしないでください。
私は大丈夫です。
★すみません。一時的にコメントを閉じさせていただきます。ご容赦ください<(_ _)>
賀状なき友
新年も7日を過ぎましたが、どうしていますか?
ごめんなさい。
喪中になるかもしれないと思ったので、新年のご挨拶をしませんでした。
そうかと思っていました。
私も出せなかったので、今頃、メールしています。
そうかもしれないと、私も思っていました。
今日になって、そんなやりとりが2件あった。
ひとりは、中学からの親友で、数年前、私の父と似たり寄ったりの重い痴呆の父親を癌で亡くした。
そのとき、私は、お悔やみを言わなかった。
ただお疲れさまと。
やれやれ、だねと。
「ご愁傷さま」と「元気出して」に応えるのに疲れたと、彼女は言っていた。
今また、ひとり残った母親が、癌で入院したという。
メールには、働き方を再考しなければならないようだと書かれてあった。
彼女は独身。
大手の会社の部長代理を務めている。
もうひとりは、ネットの友人で、それでももう7年目のつきあいになる。
やはり、父親は痴呆。
母親は癌で、治癒と再発を繰り返している。
別居だが、姑は難病で自宅療養。
大晦日に、その姑を看ていた舅が倒れて、入院したという。
ひとりで4人は無理だよと書いて寄越した。
その彼女は、数年前、母親の妹も看取っている。
そのとき、フルタイムの仕事は、もう続けられなくなって、午前中だけのパートに替えた。
そして、ブログに書いていた。
「親戚がたまに見舞いにやってきて、みんな言う。
○○ちゃんがいて良かったね。
女の子がいて良かったね、って。
もしも自分が男に生まれていたら、ここまで介護しなくて良かったんだろうか。」
賀状を出さなかった私の手元に、ツレの分と合わせて100枚を超す「おめでとう」がある。
私は、かなりの量をほとんどメールに替えてしまったけれど、ツレの仕事関係はそうもいかず、例年は、150枚ほどの賀状を出している。
いつも出してくれる人、うちのが着いてから書いてくれる人、出しても返って来ない人、いろいろいる。
毎年、賀状は、年が明けてから、くれた人にだけ出そうとツレは言うのだが、こればかりはふたりの共通した性格なのか、前もって準備しないと気が済まない。
元日に着かないのが、自分でゆるせない。
なので、12月に入ると、掃除よりも何よりも、賀状だけは早めに投函している。
その我が家の賀状が届かないというので、賀状をくれた友人からも、問い合わせメールが何件か来ている。
実は、そこにもまだ未返信のものがある。
なぜ未返信か。
私の怠慢にほかならない。
こんなものを書くくらいなら、それを先にせよ、と自分で自分に言ってはいるものの・・・
心の中で詫びながら、お願いだからと思っている。
お願いだから。
賀状なき友を、今は責めないでくれと。
賀状なきそのわけを、今は問い詰めないでくれ。
同級生、年の近い友人・知人のその親は、みなそういう年になった。
けれども、生きるのがたやすい人とそうでない人がいる。
生きやすい親、生きにくい親、それと死にやすい親と、死ににくい親。
寒に入った。
節分までに、寒中見舞いを出そうと思っている。
しかし、そこに書くべき言い訳の言葉を、自分で考えながら自分で否定し、困惑し、躊躇っている。
きっと、あなたもそうなのですね、と、そう思える相手なら、メールの返信もたやすいのだが。
前に書いた。
愚痴には、共通の土壌が必要なのだと。
そして、苦悩する人を癒すのは、苦悩する人なのだと。
賀状なき人になってわかった、賀状なき友のその心のひとかけ。
エレベーター、怖い
イタリアは、迷子好きにとっては堪えられない土地だ。
わけてもヴェネチアは、迷子に最適な街である。
迷いたくない、迷ってなんかいられない、という固い決心と、綿密に組まれた予定を打ち砕くことを、街が楽しんでいるとしか思えない。
観光客に媚びない見上げた根性だ。
写真が古くて恐縮だが、海の向こうに見えているのが、「サン・ジョルジョ・マジョーレ島」で中心の建物は「サン・ジョルジョ・マジョーレ教会」である。
この教会に鐘楼が併設されている。
「ナントカと煙は高いところが好き」のナントカである私は、各地で塔だの鐘楼だのに上るのを無上の楽しみとしている。
大抵は、狭くて急な階段をただひたすら上がる。
すれ違う人がくると、立ち止まって会釈と微笑みの交換をする。
「もう少しですよ」
「頑張って!」
などと、言葉が通じなくてもわかるものだ。
そこからもう楽しみが始まっている。
話は変わるが・・・
エレベーターとエスカレーターがあったら、迷わずエスカレーターを選ぶクチだ。
閉所恐怖症とまではいかないが、エレベーターの箱に入るときに漠然とした不安がある。
ひとりでも不安だし、見知らぬ誰かと一緒でも、それはそれで別の恐怖もある。
いや、恐怖を感じているのは相手のほうかもしれないが。
以前、エレベーターの不具合問題で、この箱に乗る人の不安は一気に増大したと思われるが、そのずっと以前、私はその箱に乗ることすらできない恐怖を味わった。
「サン・ジョルジョ・マジョーレ教会」の鐘楼には、珍しくエレベーターがついていた。
地上の乗り場には、係員がいて、料金を徴収しエレベーターに乗せてくれる。
本島から船が着くと、ドッ(というほどのことはない、ちょろっと)とお客が来るので、大抵はそれで箱が定員となり、エレベーターは上昇を始める。
お客の頭数が揃わないと、動かすのがもったいないのか、次の船まで待っているようだった。
鐘楼の展望台(ではないが)に着き、扉が開くと、まさに絶景である。
わずかな海面を挟んで、対岸の本島の赤い屋根の連なりと、蛇行する大小の運河を見て、大抵のお客は、歓声をあげ、ため息をつく。
そして時間を忘れる。
そのときだ。
頭上の鐘が、すさまじい勢いで打ち始めた。
脳天から轟音が突き刺さり、鼓膜を破って耳から出て行きそうな感触である。
鐘楼なのだから、当たり前なのだが、みんな「展望台」だと思っているので、中には文句を言うヤツまで現れた。
オイオイ・・・。
鐘が鳴ったのは、お昼だからである。
1回のフレーズが決まっていて、それを12回繰り返す。
長い。
耳を塞ぎ、頭を抱え、しゃがみこむ。
具合が悪くなった子供が泣いている。
「降りよう」
みんな一斉にそう思った、と推測する。
言葉は通じなくても見つめ合った目と目でわかりあえる世界だ。
「下り」ボタンを探す。
・・・・・ない・・・・・。
その場に居合わせたすべての人が、一度は探したに違いない。
目を疑い、指で触れまくる。
が、大理石の壁は、どこまでもつるんとしていて、そんな出っ張りがある気配もない。
もしやこのエレベーター、次にお客が乗って上がってくるまで来ないのではないか!?
しかし、昼休み。
島には食事を摂れるような店はなかった。
間近に見える本島の広場のテラスでは、それぞれがゆったりと食事を堪能し始めた。
で、気づく。
「係員は?」
係員とて、昼食を摂るのではないか?
さっきの船で、本島に渡り、今頃は冷えた白ワインとイカ墨のパスタなんぞ食っているのではないか?
お腹が空いてきた。
南ヨーロッパでは、昼食のあと「シエスタ」というお昼寝をするのが通常である。
商店や教会や一部の美術館なども夕方まで休みをとる。
係員、ワインの酔いにまかせて、シエスタなんぞとるのではあるまいか?
オイオイ・・・。
船が着いた。
固唾をのんで見守る。
誰も降りない・・・。
12回のフレーズが終了し、残響が耳にこびりついていた。
子供は泣き続けている。
なだめる母親の声にも苛立ちがまじる。
そして誰かのお腹が鳴る。
人は、空腹だとわけもなく苛立つものである。
文句を言いに来た人にはまずお茶と食事を出せと言われるのは、それで一息つくとともに、お腹が満たされると心も穏やかになるからだ。
また、気づいた。
もし、あの係員が寝過ごしたらどうか。
イカ墨の食いすぎで、起き上がれなくなったらどうか。
身寄りもない係員は(なんで決め付ける?)孤独のうちに死を迎え、我々の存在を知るものはない。
あたりを見回す。
頑強な体格の男がこちらを睨んでいる・・・ような気がする。
私はうまそうか?
脂分も肉もほどほど、食材としては適当かもしれぬ、と思う。
ふと「空中の孤島」という言葉が浮かんだ。
「空中の密室」でもよい。
ここで、凄惨な死闘が繰り広げられても、誰にもわからない。
生き残ったものが口裏を合わせれば、何事もなかったことになるのではないか。
不都合なやつは、この塔から転落・・・という「事故」だってあるのだ。
食うか、食われるか。
食いたくはないが、食われるよりはいい。
風が雨の匂いを運んできた。
ヨーロッパの春は、雨が告げる。
避雷針、ついているか?と今度はそっちが気になった。
「大丈夫ですよね?」
と「死闘」の相手に同意を求める。
フクザツで屈折した関係だ。
そして、また鐘。
1時間がたったのだ。
しかし。
今度は1回きりの鐘の音のあと、なんだか別の音がする。
モーター音だ!
「遅いよ、お兄さん!」
お兄さん、何してたのよ!みんな心配してたのよ!と文句のひとつも言いたいが、そんなことを言える語学力があれば苦労はしない。
参考までに、お兄さんの口元には、イカ墨はついていなかった。
このあと、大雨。
運河はあふれ、地盤の低い街は水浸しとなった。
私は生き残り、以来エレベーターのボタンのありかは必ず確認している。
でもって、これは、花梨さんの記事へのコメントに書いた、ボタンのないエレベーターに乗ったことがあるという長すぎる解説(笑
http://d.hatena.ne.jp/hate7510/20120107/1325902980
注1 : これは20年近く前の話。今は、改善されているやもしれぬ。誰か、見てきて〜。
注2 : この旅の顛末、当時「君よ知るやブーツの国」という紀行文にまとめ、旅仲間に配った。
1億が1、この話読んだ!という人がいたら、内緒で知らせてね(笑)。
ランチ雑景
私の仕事始めは5日だった。
たまたま外出する用事があったのをいいことに、わざと昼時にぶつけて、お気に入りの店でランチ。
持参のお弁当か、コンビニのおにぎりが多い私にすれば、3食分に該当する贅沢。
だけど、まあいいか、という気になった。
年末年始は、あまり楽しいものではなかったのだし、せめて仕事始めのときのランチぐらいは。
キッシュ・ロレーヌ。
本日のランチのほうがお買い得(お食べ得)とはわかっていたけれど、ここに来たらいつもこれを食べる。
キッシュをちゃんと作るのは、自分では面倒だから(^_^;)
本当は、ランチワインをつけたいところだが、必死に思いとどまって、カフェにしておいた。
斜め前の席に、姉妹と思われる女性二人と、小さな女の子が座っていた。
少女ではなく幼女というべきか、その判断に迷うほどの年頃。
かろうじて、子供用の高い椅子ではなく、大人と同じ椅子に腰かけていて、そのせいで、できる限りに伸ばした背筋が、痛々しいような、ほほ笑ましいような愛らしさだった。
母親とその姉か妹は、家族の誰かの噂話をしているようだった。
ときおり、固有名詞が出て、その人はどうこうだと品定めがある。
私より先に、オーダーしたものが運ばれてきた。
姉妹はランチ、女の子はキッシュだった。
子供が食べるには、ちょっと量が多い。
彼女は、鮮やかな手つきで、その一部を切り分けると、母親のランチの皿にそれを加えた。
そして、残った自分の相応の量のキッシュを、やはり器用に切り分けて、小さな口元にせっせと運んだ。
私から、ちょうどその横顔が見える。
なんとなく、つい、見惚れてしまった。
姉妹は、食べるよりもおしゃべりに夢中だった。
眼前の料理が、すこしずつ冷めていく。
そのとき、彼女が言ったのだ。
「ママ、お料理が冷たくなっちゃうよ。」
女の子は、二人の大人より先に、料理を食べ終えた。
膝にかけていたナプキンで、紅のない唇を拭い、きちんとたたんで、皿の脇に置いた。
そして、懸命に延ばしていた背筋をようやく緩めるように、椅子の奥深くに腰かけなおした。
それから、母親と伯母(叔母)の食べ終わるのを、特に飽きたふうも焦れた様子もなく待っていた。
傍らのトートバッグから、大きめの着せ替え人形の洋風の顔が覗いていたが、それを手に取って時間をつぶすこともなかった。
久しぶりに。
久しぶりに「レディ」を見た、と思った。
小さな淑女。
そうして、私はとてもせこいことに、こういう客が来る店なら、ランチに普段の3倍の料金を払っても惜しくないという気になった。
昨日は、会社の帰りに、婚家に行った。
先日、逃げてきたせいで、予定していた姑の白髪染めをしなかったので、夜に実行した。
そして、頭からつま先までの丸洗い(笑
今日、内職を理由に、また逃げた。
ツレが実家近くの友達と、夕方飲みに行くというので、出かけるまでツレに任せることにして、ひと足先に戻らせてもらったのだ。
途中、紅茶を飲みに寄り道。
また、贅沢をしてしまった(アップルパイも食べてしまった)。
出がけに姑が、これまでの精算とお礼ということで、いくらかつつんでくれたのだ。
実費を差し引いたら、残ったのは大した額ではないが、ないよりはありがたい。
でも、そこが私の根性悪で、なんとなく持っていたくないような、とっとと使ってしまいたいような気持ちになった。
嬉しいのだが、同時に、むしゃくしゃする、というようなフクザツな感情(^_^;)
午前中ということで、客は少なく、静かで落ち着いたティータイム。
この空間と時間と雰囲気にお金を出していると思った。
もちろん、アールグレイもアップルパイも美味しかったけれど。
自宅近くの駅まで来て、夕食の買い物をしているうちにお昼を過ぎ、お腹が空いてきた。
こんなことなら、さっきアップルパイではなく、ちゃんと食べておくんだった。
ちょっと小奇麗なラーメン屋さんに入る。
店は満席で、前のテーブルに若い親子連れがいた。
驚いたことに、ファミリーや女子高生の多いこの店は、昼食客で満員のときも、禁煙ではないのだ。
そして、もっと驚いたことに、前の席の母親は、1歳になるかならないかに見える幼子を隣に座らせて、タバコを吸っているのだった。
そして、向かい合っている亭主に文句を言っていた。
「お母さんに、来てほしくないのよね。ちゃんと言ってよね。」
お母さんというのは、たぶん亭主の母親のことだと察する。
別居の姑の訪問を、憤慨しているのだと思われた。
すごいなぁ、と、それだけでいっぱいになった。
姑の悪口を、その息子である亭主に言える妻、というのを、私は別の銀河系から来た人のように感じる。
すごいなぁ。
でも、亭主は聞いていなかった。
ケータイのゲームに夢中なのだ。
聞こえないのか、聞きたくないのか、両方なのか。
これもまた、すごいなぁと。
この店の、そのラーメンは、けして不味くはなかったが、そして、他のラーメン屋さんと同じような値段だったけれど、私は高いなぁと思った。
写真は、撮らなかった。
帰りに、説明のつかないむしゃくしゃ感が残り、姑からもらったお礼の残りで、3950円のワンピースと薄手のタイツを買った(^_^;)
それで、もらったお金は消えた。







