2011-11-21 ドラマ「カレ、夫、男友達」
人は合理的に*1行動を決められるわけでもない、という前提に立って相手の価値観や信念に沿った行動決定を支援していく、そのための介入の研修。
価値観や信念に沿った行動決定を支援するためには、従来使われがちな合理的判断の指標である利益/不利益の両方を引き出す事が重要なので、不利益に関する認知を聞いていくことを重視している。
さて。がらっと話を変えます。(けど関係のある話。)
11月から放送されている、NHK「カレ、夫、男友達」というドラマ。
江國香織の「思いわずらうことなく愉しく生きよ」という小説が原作。
このドラマと小説、3姉妹の物語。他人の行動を受け入れ、相手を傷つけず、自分の選択に責任を持ち、自分に起きる様々な事を受け入れようと工夫できるがために、却って苦労したり不器用だったりする話。
例えば長女の麻子。徐々にエスカレートするDVをひたすら受け入れ、取り繕う。そうすることでいずれ解決できるのではないかと盲目的に思っているのか、いないのか・・?
この小説でおもしろいなぁと思ったのは、父親を大学教授、かつ再婚をするために離婚をしたという設定にしたこと。そうすることで、三姉妹に共通する考え方「自分の選択に責任を持ち、工夫することで切り抜ける」が醸成されていることの説得力を持たせている。
例えば、三女は彼氏が他の女性とデートしているのを見た後のデートで、「じゃあ曜日を決めてつきあう?」と提案する。これって、如何にも変な応答なんだけれど、「そういう彼氏と付き合うことにした自分の責任」を考え、「相手を傷つけず」「工夫する」と、曜日を決めてつきあう、になる。三女はこの工夫が高度で、皮肉に受け取れる知性化された対処になっている。けど、同等の知性を持つ人でないと皮肉を半端にしか理解できず、恥をかかされたと思うか意味のわからない奴と思われちゃって、結局関係がうまくいかなくなる。
長女の場合。DVをうけても「相手を傷つけず」「工夫する」と、DVの存在を隠す事になる。残念ながらこの方法は奏功せず、却ってDVをエスカレートさせる。なぜって、おそらく夫は情緒的な関わりを求めているのだ。泣いたり笑ったり、例えばDVに対して怒って叱られたり、または事実を明らかにするため後片付けをしなかったり。ところがDVを受けている麻子は夫に情緒的な関わりができるはずもなく、恐怖心を隠そうとして、でも一方でDVにも対処できる自分を表明したくて行動している。それが却って、夫のDVを抑止できなくさせているようだ。
この小説とドラマを通じて、僕が感じることは何かと言うと、負の感情は負の感情で、取り扱い方があるのだ、ということ。負の感情を持ってもそれを他人に見せてはいけない、それはアホのすることなんだ、みたいな信念が3姉妹にありそうなのがおもしろい。自分の能力や選択の適切さを否定したくないという考えによってどんどんおかしな意思決定がおきていくというところが、非常におもしろかった。
それと、こころの機微を扱うフィクションは女性が主人公の方がおもしろい。男性でこういうテーマを扱うと、企業ものとか時代ものになりそうで、利益対立とか職場内権威関係とかがでてきて、心情が見えにくくなるんだもん。
夜更けなこともあって収拾がつかない文章になってきたので、この辺で終了。。
2011-11-08 金ヶ崎で講演しました
きょうは、午後から金ヶ崎町へ行き、地元の民生委員さんや町内会の方、当事者の方、ご家族などの方々に向けた講演会を行いました。
民生委員さんも、町内会の方も、当事者の方も、ご家族も、私と利益関係がなくお聞き下さる方々ですし肩書にも無頓着でいてくださるので、そういう意味では、非常に目の肥えた聴衆なのです。
だから、私は、こういった場で話す事が好きです。
自分の表現、自分の考え、自分の行動が、最も試される時間。
専門用語でけむに巻いたりしない主義の私。
平易な言葉で誤解を招かないようにするのは、けっこう集中力を必要とするのです。
規範による統制が難しい理由、対立が起きた時の状況判断の仕方など、表面的ではないテーマを扱いました。
冒頭よりも終演時の方が大きくなった拍手を聞いて、自分の普段の仕事にエネルギーをもらって帰宅しました。
世の中は、変わっていきますよ。身近なところから、少しずつ。
2011-11-07 DVDの撮影をしました
2011-11-05 imagineするより
最近、あなたのおかげで、震災後数カ月は感じなくてすんでいた出来事に晒されてる。
それは、私達の住んでいる地域の外のあなたたちが、支援と言いながら自分たちの名を上げようとやってくること。
そういう人たちは、得てして「協力」を言いながら具体的なプランを持たずにやってくる。
パートナーシップを言葉ではいうくせに、相手(わたしたち)を理解しようともしていない。ただただ不躾で無礼な振る舞いをしてくるんだね。
そういうことを私が言うと、あなた達はこういうでしょうね。
「いやー君達のことを想像しようとしているよ。だからこそ、協力しようと言っているんじゃないか。パートナーシップだと言っているじゃないか。」
あぁ、悪い冗談はやめて。
ノーガードの状態で「自由意思」に基づいた「自由な意見の往来」をしたらどうなるか、あなたたち、それはわかるでしょ?
強者の論理の方が声が大きくなり、弱者の論理が踏みつぶされるの。
しかもそれは、実際の強者と弱者じゃない。
自分たちが強い偉いと思いたいという、欺瞞や誇張に満ちた、自己主張の強者の論理が大きくなるの。
本当はコンプレックスや成長欲求の強い奴らの欺瞞に満ちた論理でさえ、声の大きさのせいで通りやすくなるの。
私たちや私達の近しい人たちはね、弱者の論理をかき消してしまわないように、小さめのコミュニティやソーシャルの中で、一人一人を大事にしながら生きているの。
辛かった出来事の再体験に侵されないように、たくましいけれどつつましく生きているの。
勝手に私達を弱者よばわりして、勝手に自分を強者化してヒーローになろうとするのは、やめてくれないかな。
imagineできないんだったら、つつましくアクションしてみてよ。
もう、imagineの時代は終わったの。
actionすれば、imagineよりリアルな実感が得られるんだよ。
私達のことをエンパワメントしてみてよ。
人格や文化を護り、安心や安全を保てるようにしてよ。
欺瞞に満ちた利益行為のために、私達がいるんじゃない。
ねぇ。
2011-11-03 「ねばならない」の断捨離
きょうは、研修に参加してきました。
メンタルヘルスの当事者とそれ以外の人が一緒になって考える研修。
後半の時間に、「地域支援で大事な事って?」というテーマでディスカッション。
パートナーシップに関する事、安心と安全に関する事など、いろんな話題が出てきて面白かったんだけれど、そのなかでなかなか抽象化が難しいものがあった。
例えば「ひとりのエネルギーやリソースには限界があること」「一人で抱え込まない」のようなこと。
うーん、どういう風に考えればいいんだろう・・と思った頃、ある参加者が・・
「日本の社会って、『ゆとり』とか『ねばならない』とか、そういう概念にとらわれているんじゃないか。」とコメントして書き込み。
あっ! そうか!
『ねばならない』といった狭い視点から脱却することが大事なんだ!
そういう発見をした私達は、そのグループを「『ねばならない』の断捨離」と命名。
いやーこの発見はおもしろい。
そうかーパートナーシップとか安心と安全とか、そういう「当たり前っぽい事」をするのが地域での支援なんだけれど、そういうことをやればやるほど、「ねばならない」の考えになりがちなんだ。
これって大事だなー。すごーく大事だなー。
いやーいい発見した。
2011-08-28 SDMとコンコーダンス
「精神科看護」11月号に原稿を書いているのですが、事前に言われていた文字数を超えてしまったので、だいぶ内容を詰める必要があるなーと思っているところ。
掲載するかどうか決めかねている内容を、ちょこっとここに書いてみる。
Shared Decision Making(SDM:シェアード・ディシジョン・メイキング)はアドヒアランスやコンコーダンスの概念に則った診療行動で、医師と患者の共同による治療方針決定を示す言葉です。SDMで重視していることは、患者と医師による現状の把握、治療法に関する情報提供、治療選択肢の提示などで、実は「患者の状況」「治療の特徴」「治療の選択肢」といった情報提供が重視されています。これほどに情報提供が重視されている理由は、医師が患者から敬意を持たれるには医師による情報提供が重要であると分かってきたためです。
例えば米国で2006年に発表された調査研究では、患者の診療への満足度と患者の医師への敬意をアンケート調査し、診察時の医師の行動を観察して診療時の医師の対話技術との関連を調べました。その結果、患者の診療への満足と医師への敬意には強い相関があり、診療の満足に影響を及ぼす医師の対話技術には「情報提供」があるものの「発話量」「うなずきや相槌の量」は影響しない事が明らかになりました*1。つまり、医師が診療の際に最も重視するべきことは「情報提供」であること、そのことで患者が診療に関与していると思い診療満足を高め医師に対する敬意をもつようになる、ということです。この例以外にも複数の調査から医師に求められる治療態度は「情報提供」に基づく診療方針の共有であることがわかってきており、そのことが「Shared Decision Making(診療方針決定過程の共有)」と言われるようになりました。
SDMは医師と患者が診療方針を決定する際の考え方として有益です。かつて情報提供に基づく治療方針の決定は「インフォームドコンセント」「インフォームドチョイス」と呼ばれてきました。しかしコンセント(医師が決定し患者が同意する)もチョイス(選択肢を出して患者が決める)も医師か患者のどちらか一方が決めることに是とした表現になってしまいます。そこで両者で決めることを重要視した、シェアード(Shared:共有して)という表現になりました。この考え方はコンコーダンスの概念とも共通する点があり、Grayらによるコンコーダンスの考え方でも「原則的に患者が治療の決定権をもつ。ただし患者が医師に委ねたいと思うならばそれもよい。」とされており治療方法(服用する薬物の決定)を一致して決める点が重視されています。
私達が医師と患者のSDMを支援するためには、医師と患者の関係作りに有効な「医師による情報提供」を医師が行いやすくすることと、患者の経験や考えに対して適切な対応をすること、が有益です。ただし他の研究(今日は紹介しない)ではコメディカルが信頼を得るにはうなずきや相槌の量が関係あるようだったので、情報収集だけではなく適切な応答、つまりコミュニケーションスキル(特に聴く技術)が必要そうです。
SDMとコンコーダンスの関連を書いておく必要がありそうだと思ったので、こういうくだりも書いてみました。
箱庭屋
なかなかおもしろかったです。「インフォームドコンセント」「インフォームドチョイス」からSDMに変わりつつあるという話しは新鮮でした。なるほど・・・。
そして、もう1点。医師とコメディカルでは信頼を得る方法が違うのも非常に興味深かかったです。
でもこの文章。今でも十分端的になっているのに、これ以上、詰めると言っても、下手に詰めてしまっては何を言っているのか伝わらなくなってしまうのでは?と思いました。ワードみたいに文字のポイントをいじるとか、余白を狭くするとかで何とかならないでしょうかね。
ambohiro
どうもありがとう!
結局、この文章の多くは「精神科看護」11月号に掲載しました。ホントに、文字を小さくしたり余白を狭くしたりの工夫でなんとかなりました。
2011-08-19 夜更かし
大阪に来ている今日、完全に夜更かし。
3DRerun: Orienteering Analysis the Fun way
↑このサイトが面白すぎたせいです。
このサイトは、オリエンテーリングの地図情報やルート図等が閲覧できるもので、
時間がいくらあっても足りないです。





研修とドラマの感想も興味深く読ませてもらいました
学位取得まで長いですね(笑)
意外と多様な読者がいるらしいこのブログ、ハセさんとのつながりを感じられてラッキー。
学位取得、応援してますよー!