(回想)ミャンマーのおばけ退治

男子回転がんばってますね。メダルも期待できそう。
2時20分に第2回目がはじまるというので、このネタを書こうと思ったら、間違えて
昼間に書いた「イナバウアー」ネタを消してしまった。
まだ機能に慣れていないので仕方がない。


(以下ミャンマーネタです)
さて、急に昔のことを書きたくなりました。
1998年、長野五輪が終わってすぐにミャンマーへ渡りました。
一旗上げにいったのですが、結果的に旅行会社に拾ってもらい、日本からの旅行客の受け入れや、日本の駐在員の旅行手配などを1年ぐらいしていました。

その時に、住んでいる家のおばけ退治に立ち会うという貴重な体験をしたので、思い出してまとめてみます。


その旅行会社は、一軒屋の1階がオフィスで2回が社員の部屋。僕とミャンマー人の1人がそれぞれ別の部屋に住んでいた。それぞれが個室でした。
その家には常時10人ぐらいのメイドさんが働いていたのだけれど、以前2階でインド系の女性のおばけが現れたという噂を聞きました。
それを聞いても僕は「ふーん」という感じでした。
僕の霊感は、そろばんで言うと、たぶん4級ぐらいなのですが(どんな基準だ?)そのころは心身とも充実していたので、あまりその手のことは怖くなかったのです。

さて、ある日曜の朝のことです。たぶん9時ごろおきて部屋をでると、同居人のタンジン君の部屋のドアが開いていて、中では彼とその友人が呆然と座っていました。
「どうした?」と聞くと、「おばけが出た」ミャンマー語で「タイェーシーデー」といいました。具体的には、夜中じゅう天井やドアをガリガリやったり、ドアをどんどん叩いたりされたそうです。
ちなみに、僕はまったく気づきませんでした。
そして、タンジン君の言うことを、冗談だろうともうそだろうとも思いませんでした。

そして、まあその話は終わったのですが、次の週、タンジン君の顔に変な出来物が出来てしまいました。
僕はなんとなーく直感で、これは何かに取り付かれてるなと感じました。
で、上司である日本人の所長に話し、「御祓い(おはらい)をしましょう」と提案しました。それから1週間ぐらい過ぎて、「やっぱり御祓いなんかしないのかなあ」と思いつつ働いてたのですが、タンジン君の顔はますますひどくなってきます。

やばいなあと思ってたときに、突然現地人のマネージャーのミョーさんが「明日の朝お坊さんが5人来る」と言ったのです。


「なんで朝の5時???」という疑問はこの国では通用しません。
なんと言ってもお坊さんが一番偉い国なのです。
さて、ミャンマーでお坊さんが来る、イコール飯を食わすということなのです。

僕はなにしろ、会社の2回に住んでますから、がんばって5時に起きればいいわけです。
そこで眠い目をこすって起きると、ミャンマー人の社員が全員そろって食事の用意をしているのではないですか。
日本だったら絶対ありえません。
ちなみに、この国でお坊さんが御祓いや何かで来るときには、まず食事を振舞ってから御祓いをしていただくのです。

驚いたことに、そんな朝早く早朝手当てもないのにかり出された彼らが、嬉々として食事の用意をしているではないですか。

食事の用意はできました。
5時半ごろ、本当に5人のお坊さんが来場しました。そして、おばけ退治という重大な仕事の前に、おもむろに飯を食べだすのです。その光景は、なかなかカルチャーショックでした。

さて、食事も終わりいよいよ儀式です。
10畳ぐらいの板の間に、お坊さん5人がこちらを向いて座ります。
ミャンマー人、日本人の総勢約25名がお坊さんに対峙して正座します。
そのあとで、僕が一番感動したことが起きました。
てっきりお坊さんがお経を唱えるものと思っていたのですが、そうではなく、ミャンマー人の中のリーダー格がおもむろにお経を唱え始め、他の社員がそれに続いて復唱し、しばらくそのようなインタラクションが続いたのです。

僕は、国に宗教が根付いているというのはこういうことなのだなあ、と感心しました。
そのあと、もちろん5人のお坊さんの読経があり、最後に「これがおばけを追い払う紙だ」と言って紙切れを取り出し、それをかざして最後のお経を読み上げて、すべては終了しました。

それで、かわいそうなタンジン君はどうなったかというと、それから1週間以内には、顔の出来物は無くなりました。御祓いは見事効いたわけです。


ミャンマーに行くときは、現地の嫁さんをもらい、骨をうずめるぐらいの覚悟でいったのですが、結果的にその年の12月には帰国し、当時出来たばかりのスカパーの1番組の広報担当として働き出したのでした。
1年に満たなかったけれど、楽しい思い出ばかり(おばけの話も含めて)で、そのあと残念ながら再訪はしてないのだけれど、ぜひまた旅行で行きたいと思っています。