Hatena::ブログ(Diary)

日日≒日キ このページをアンテナに追加 RSSフィード

 | 

2007-02-19

[][]がくえんゆーとぴあ まなびストレート!がオモシロイ

http://www.ufotable.com/manabi/

http://www.starchild.co.jp/special/manabi/

http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/manabi/

 久しぶりにアニメにハマってます。mixiの日記ではとつとつと書いてましたがやはりこのアニメはスゴイと思ったので大々的にオススメします。おおまかな感想としては「まなびストレート」の主役キャラがぷにぷになわけを考える。 - たまごまごごはんさんのところを読むといいです。たまごまごさんの感想はちゃんと作品を愛してる感に溢れててすごくいいです。細かいところまで見ているなあ〜と思いました。こういう熱っぽい感想があるのがネットのいいところですよね。評論ではなく、愛のあるレビューが私は読みたいのです。

 たまごまごさんのところでも指摘されてますが、

特に、同じ年くらいのははずの、愛光学園の生徒会長、角沢多佳子との間には10歳くらい年はなれてるんじゃないの、といわんばかりの描かれ方の違い。

 これがゾクっとしました。私もひかかっていたのですが、昨日放映した回でその理由が如実になった感があります。まなびがオモシロイと思うのは一つ一つの出来事にすべて意味がある(ような気がするが、実際どうなのかわからなかった)ところ。かわいければいい、萌えられれば好い以外の何かを感じていたのです。私の直感はかなり当たりますが、しかし、まだ7話目ですからこの作品がそういう考えのものに作られているのか半信半疑なまま見ていました。私が感じている「直感」が「確信」に変わったのは愛光学園の角沢多佳子とのやりとりがあったとろからでした。指摘されているとおり、主人公の生徒会グループのメンバーがやけに幼く描かれているのです。これは意図的でしょう。今までのエピソードの「意味」が途端にわかりだす瞬間でした。

 6話までのエピソードは個々のキャラクターの性格を説明するという感じだったのですが、7話から動いた。動くだろうと予想はしていましたが、来たな、と思った。動き的にはとても気持ちのいいストーリーの流れ方で『プリンセスチュチュ』の第一部や『ココロ図書館』を観ていた時のような既視感が。すごく良い時の『おじゃ魔女どれみ』にも通じるアニメの中に神が宿っている感がするのです。この神様は間違えない神様です。道徳的、という言葉を使ってもいい。私はこれが必要だと思っている。特に子供向けに作られているアニメには。「まなびストレート」は深夜枠のアニメですがこのアニメが向けているターゲットはどうも、集団で行動ができないタイプの人間へ、じゃないんだろうかと思う。まなびでは「生徒会」というチームで何かを作ること、一人一人が適材適所で動くことの気持ち良さ、その力の強さ、友情というよりは仲間ということをポイントにしている。また、このメンバーがやたらと学校に泊り込んだり、家に仕事を持ち帰ってまで学校のことをしすぎる。

 設定ではこの時代、

時は2035年。少子化が進み、価値観の多様化もさらに進んで、高校に進学せずに働きに出ることがカッコイイとされるような時代となり、生徒数の減少で廃校の危機に立つ学校が多くなっていた。

 と、されている。

 高校に進学せずに働きに出る=社会に出る=金になることしかしない

 という考えは非常に合理的な考え方だ。一方、まなびたちが行っていること、それは無駄、意味のない、必要のない努力ばかりである。しかし、それを「敢えて」やるということ。それがユートピア。理想なんだということ。理事長が言った「多くの若者がより楽しいことを求めて学校を去る中、あえて学生という立場を選択しているあなた達が今、楽しいだけのお祭りをする意味はなんですか?」*1に対して角沢多佳子はまなびに問うシーンの答えは人が喜んでる姿を見るのが楽しいというだけなんだけど、どうもそれだけじゃないだろう。でも、まだまなびは気がついていない? そして、もっと楽で楽しいを選択せずに、今ある環境その関係でまず、頑張ってみようという姿勢。いくらでも代わりがあるから、ではない理由。そして、それは一人で成し得ない。それぞれがそれぞれに救われていくことで、この物語に彼女達が生きている、明確な存在理由になっている。これはなんてアニメなんだと思うわけですよ。そして、その奇跡を描いてる。相手がダメで使えないから斬り捨てるという短絡的な発想じゃなく、そこに存在するのだから意味があるとして、関係を丁寧に築いて行くという。それを描くために学園モノにしているというのが、説得力ある。これが「塾」であっても「職場」であってもダメなわけで。逃げ場のない「学校」という場所であるから(と、言っても物語の中ではそこに固執しなくたっていい場所になっていて、どちらかといえば職場に近いイメージかもしれない。が視聴者の感覚では学校=気に入らないからってすぐ辞められない場所だと思う)この出会いと関係を「縁」として、意味を価値を見出していこうとする、それが今、必要なんじゃないの? という。

 んで、オモシロイのがWikipedia*2にある

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8C%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%82%86%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%B4%E3%81%82_%E3%81%BE%E3%81%AA%E3%81%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88!

業界初の試みとしてチーム監督制

 ネットでしか探してないので、これが意味するのがどういうことかイマイチよくわかってないんだけど、アニメーションの制作というのは共同作業である。とはいえ、監督が絶対というヒエラルキーが存在している(で、あろうと視聴者は感じている)から、チームで一緒に何かを作り上げていく感じではないんじゃないんだろうか、と想像する。もちろん私が知っている偏った知識でのアニメ制作(具体的に言えばジブリや『アニメがお仕事!』、AKIRAの制作の様子などで知った知識などだ)が実際の現場に近いのかはわからない。ただ、わざわざこうやって「業界初の試みとしてチーム監督制」と明記されているところに、このアニメ制作の現場とのシンクロを感じる。

 要は『まなび』がいいたいのは、「理想的なチームプレー」というものは何か、ということなんじゃないかと。なぜ、今、それを伝えなければならないのかと言えば、技術の進歩で一人でも何かができる世界になってきた。即ち、一人で何もかも抱えなければならない。誰にも迷惑をかけずに「個」として存在するが、美徳とされていたムードに対するカウンター。自己責任という重い枷を背負わされた状況では、行動することそれ自体が愚かしいこととに成りかねない。よく訊くうんざりするセリフ「やらなきゃ良かったのに」「そんなことをしたって無駄」ということが、どんなに世界をつまらなくしているのか。そして、今すでにそこにある存在に対してどんなに残酷な考えなのか。おまえはそこにいる必要がない。未熟なおまえは必要ない。価値がないからいなくなれ。否定から生まれるものは何もない。

 成熟するまで何もするな、は賢い生き方かも知れない。しかし、まなびたちのように、自分たちの個性を知り、できる部分を活かして、何かを成し遂げていこうとすること、そして、実際、作り上げてしまう「経験」の積み重ね。カタルシスがおきる瞬間が待っている。ここで出てくる理想のリーダーはまなびであるが、彼女は「全肯定」の人なんである。大丈夫。まっすぐなら大丈夫。そこには何の根拠もないわけである。根拠がないからそこに生まれる。理由が価値を決めるのは何かが生まれたあとだ。信じることは救われる。きれいごとではなく、そういうところからしか何かが生まれる気はしない事実だ。

 ということで、まなびが今、熱い!と思うわけです。時代にマッチング。なのでリアルタイムで観るといいと思います〜。声優も豪華だし、単に動くアニメーションとしても気持ちいいです。良質。私はこういう話に弱いのであった。

 | 

すべて書きました。

ヨシダマガジン 03 大島弓子無限大

一人の作家の作品を年代順に読んでいくことではじめて分かることがあるのでは? 受け手2.0の一つのかたち。今までにないそして今までの血肉を受け継ぐ大島弓子批評です!すべてはわになったぁ!
●取扱店※随時更新
バサラブックス(吉祥寺)タコシェ(中野)

ヨシダマガジンVol.2 『マンガ読んでる?』

多読、それが愛。これは、一人のマンガ狂のドキュメントです。今まで書いたマンガに関するレビューと論考を中心に一口感想など、口当たりまろやかなものから読み応えあるものまでさまざま。作家別の紹介コーナーでは、『ゆずシリーズ』から見える作家の姿・須藤真澄、早すぎた天才・ロクニシコージ(!!!!)などを取り上げています。2008年はマンガソムリエ元年!を提唱する私として、どこからどの切り口で知らないマンガに出合っていくべきか? を模索する初手・一手として!

ヨシダマガジン創刊号『吉田アミは書きました。』

今までのインタビュー、論考、レビューと『サマースプリング』の続編にあたる文章を掲載しています。ライブ会場などで手売りしてます。残僅!

サマースプリング/吉田アミ

自分が想像できる一番、酷いことをしなければならない。 処女作が発売中!平成少女の新定番★美化と共感を許さない少女のリアルとドキュメント。少女の“ほんとう”を覗いてみませんか? 入手困難だと大絶賛中なのでこちらからポチっと!救済ボタン。

書きました。

ロクニシコージ「こぐまレンサ」

復刻に携わりつつ解説も書きました。自信をもっておすすめできる隠れた名作!2009年の今、いっきに一冊読むことではじめて分かる?物語?があなたとの出合いを待っています。[詳細]

雪ちゃんシリーズVol.3「蒼空願望」

パンドラ Vol.3 SIDE-A(講談社BOX)に寄稿。引き続き挿画はロクニシコージ先生!5万円が神様じゃないなら私たちは何を信じればいいのでしょうか。シリーズ完結編で、まさかのボーイミーツガール!信ジタイモノヲ信ジマス……。

メルマガα-Synodos vol.16(2008/11/15)に短編小説「くーねるさん」を寄稿

を寄稿。お料理ホラーです。そんなジャンルはありません。今作りました。インテリ度数200%のメルマガの箸休め的存在?料理で何も解決しないものをと思って書きました。料理で何でも解決しすぎなんだよ!解決とかどーでもいいんだよ!問題提起オンリーでいいんだよ!という話。ではない。

Xamoschi(ゼロアカ道場同人誌)に小説「1989年の地方都市 五万円の神様」を寄稿

2008年、盛り上がりを見せるゼロアカ道場!地方都市というテーマで依頼をいただきました。発行主の批評家・藤田直哉氏にセクハラまがいのインタビューを遂行した結果で出来上がった雪ちゃん2.5ともいえる物語です。

雪ちゃんシリーズVol.2「何でも持っていた、夏。何も与えたくない、春。」

パンドラ Vol.2 SIDE-A(講談社BOX)に寄稿。挿画はあのロクニシコージ先生!不穏さの伏線ばかりが目立つまま「回収しないのかよ!?」というツッコミが幻聴で聞こえてきますが3まで我慢してください!(ヒドイ……)

野性時代 第59号 62331-60 KADOKAWA文芸MOOK (KADOKAWA文芸MOOK 60)

「子宮で考えない大島弓子論」を寄稿しました。位置づけとしては橋本治さんの『花咲く乙女のキンピラゴボウ』に呼応するかたちになっております。その続き。そして、はからずしも橋本治さんのトリュビュートエッセイも載っていたので、繋げてくれた!という想いが溢れました。続いていく。繋がっていく。永遠は、あるよ。

STUDIO VOICE10月号 写真集の現在2008

追悼文「拝啓、赤塚不二夫さま。あなたを愛しております。」を寄稿しました。「バカにみえるためになるには」を脱稿した時には想像できなかった訃報。前衛家の大先輩・赤塚不二夫先生に最大級の敬意と愛を込めて。些細な矛盾をあげつらうより面白さを楽しみたい! そういうことを忘れがちな神経症の時代(by.宮崎駿)にこそ、ユーモアが欲しい。

追悼 赤塚不二夫 (KAWADE夢ムック 文藝別冊)

「バカにみえるためになるには」を寄稿しました。私たちを自由にしてくれた赤塚不二夫先生に最大級の尊敬と感謝の念を込めて。赤塚批評やエッセイなどはかなりあるので、ちょっと趣向を変えて書きました。赤塚不二夫入門編としても最適な一冊。

リリースされました。

『薔薇のかたちのシ』イメージサウンドトラック

11曲目に Asian Beauty名義で一曲「深沈浸透」を提供しました。このアルバムは鈴木志保先生の新作のイメージサウンドトラックです。

中村としまる×吉田アミ「蕎麦と薔薇」

音楽に詩はない。感情がない。ならば、あえて「文字」をクローズアップ。CDには蕎麦×薔薇テキストが付属されています。無関係な情景が音の中で化学反応を起こし、世界が瓦解する。

VOICES/Fredy Studer

2004年にスイス、チューリッヒにて、フレディと録音したアルバム「Duos 21-27」というのがあるのですが、そのときに収録されなかったテイクがCDになりました。曲名を付けたのは私ではありません。

14 Girls' Life

14人の女性ボーカルが参加、異種交配的組み合わせな豪華アーティストたちが共演するアヴァンギャルド〜ポップの往復切符。「Lion feat.Serph」で、まさかの歌姫参加しています。プロデュースはヒデノブイトウ!

BLICK IMAGE LIMITEDにAsian Beautyで曲提供

ニコニコ動画や初音ミク等の普及で同人音楽なるジャンルにスポットが当たる昨今、東方アレンジCDに群がるヘッズ(クラブ風に)を横目にしつつ巷の空気を全然読まずに作られ、萌え系電波ソングはおろかボーカロイドもケルト風味も強烈なハードコア要素も一切ないこの「コンピレーション」は、果たして同人音楽か何なのか?(BLICK IMAGE LIMITED より)

佐藤実(m/s, SASW) + 吉田アミ / COMPOSITION for voice performer (1997 and 2007)

物理的な現象とその概念をテーマに制作活動を行うレーベルとして、その圧倒的なまでの作品群によって国内外で絶大な支持を得た『WrK』を運営してきた佐藤実 (m/s, SASW)が、ハウリング・ヴォイスという特異な奏法によって、即興演奏/音響シーンのみならず各方面で異彩を放ち続ける吉田アミのために1997年(!)に作曲・録音された作品' COMPOSITION for voice performer 'が、10年の時を経て8cmシングルCDとしてリリース!(ao to ao より)