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2012-12-12

選挙雑感

 おそらく自民党投票するでしょうね。現在の自分の「熱意の配分レイヤー」( http://d.hatena.ne.jp/amourix/20100526/1274890806 )としては、1.経済政策が70%くらい、2.外交政策10%、あとはその他諸々といった感じ。基本的な見立てとしては、finalventさんのhttp://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/12/post-2895.htmlに非常に近い印象を持っていて、

三党合意の(1)消費税増税だが、私は、基本的には反対。

 だが、政権が安定しない状態となった今、単に反対というわけにもいかないし、長期的には消費税増税は避けられない。

 するとそこでの一番の問題は名目成長率を上げることで、最低でも2パーセントのインフレターゲットが欠かせない。

 その点で安倍自民党は、この間の話を聞いていても信頼に足るように思えた。ただし、自民党の他の政策はというと、相も変わらぬ状態。それでもその部分は次期参院選で、以前の安倍政権のように是正されるだろうし、実質三党合意以上の政治に手を出す余裕など日本にはないだろう。

という感じ。

 でも根源的に、私には経済政策がわからない。付け焼き刃の金融経済学に関する知識からは、【何が本当に円滑な経済運営に取って正しい政策なのか】が見えてこない。というのは、学問的に厳密な意味で、最適解が自分には把握不可能だし、それらを専門としている研究者には適わないという意味で、根源的な無力感に襲われている。この無力感は、超絶的に根源的である。リフレ経済が良くなるの?そんなの知らんがな。経済学を専門にしている人間より精度の高い判断が下せるはずがない。原理的に。

 そもそも、【何が(どの政策が)事実問題として(合理的に)正しいのか】という「factsの確定」問題においては、プロ研究者に適うわけがないのだ。事実の認定は科学的に行われるべきだ。経済問題に関して、私の出る幕ではない。「市民感覚」なんてくそ食らえだ。その意味で、極論すれば、あらゆる人間はこの領域において無力である。私がなし得るとすれば、「どの問題領域が重要なのか」を決める「熱意の配分レイヤー」における意思決定、ないしは「(事実の問題ではなく、価値観倫理イデオロギー規範の問題として)何を為すべきなのか」という規範的な意思決定である。これは、事実科学の問題を超えて、己の意志によって、時に非合理的に道調べを選び取るべきだということ。この領域においてしか、市井市民ポジション確立しえないのではないか。

 「〜である」という事実の認定においては、自分の専門領域以外は口をつぐめ。科学を基本的に信頼する私は、本当にそう思うのだ。おまえが真剣に頭を使ってなし得る貢献がありうるとすれば、「何が重要な問題かに関する優先順位の振り分けという意思決定(熱意の配分)」、ないし己の価値に基づいてどうしても選び取るべき価値観を擁護するための「〜べきである」という規範的な意思決定以外にあり得ないのではないか。何が大事かを考えろ。どうすれば解決できるかは考えるな。そんな、悪魔の囁きが重くのしかかる。

2011-01-20

[][] リベラリストリバタリアン宗教左派保守主義者の5つの認知道徳的基盤 in USA

 試みとしては好きです。いくつかメモ。


Haidt, J., Graham, J., & Joseph, C. (2009). Above and Below Left–Right: Ideological Narratives and Moral Foundations. Psychological Inquiry: An International Journal for the Advancement of Psychological Theory, 20(2), 110 - 119.


イデオロギー科学研究は3レベルに分けられる


レベル1:傾向的特性(dispositional traits) - イデオロギーを支えるもっとも低次な認知的要素であり、文脈から影響を受けにくい。たとえばパーソナリティ特性のBig5、disgust sensitivityなど。

レベル2:特徴的適応(characteristic adaptations) - イデオロギーを支えるレベル1よりは高次な認知的要素であり、文脈や条件などに影響を受ける。values, goals, attatchment styles, defense mechanisms(価値、目的、愛着スタイル、防衛機制)など。

レベル3:ライフストーリー - 個人が自らのイデオロギーをどう認知しどう語るのかについての次元(なぜそのイデオロギーを持つに至ったのか、そのイデオロギーはどのようなものか、自分はどう関わっているか、についての語り)。


・レベル1の認知的要素は、実験的な操作によって影響を受けにくい。したがって、それは独立変数としては用いられない。他方、レベル2の認知的要素は、実験的な操作によって影響を受ける。したがって、それは独立変数や従属変数両者として用いられる。

・レベル3のライフストーリーもある個人のイデオロギー(の認知やそれに基づく行動)に影響を与えるという意味において行動科学研究対象となるべき(トラウマ経験について物語を語ると記憶適応的に書き換えら健康に良い影響が出るという研究結果(Pennebaker, 2000)を参照


イデオロギー心理学研究は花盛り


・レベル1とレベル2についての研究は進んでいる(Braithwaite, 1998; Jost et al., 2003; Sibley & Duckitt, 2008)

・たとえばレベル1の研究とは、パーソナリティ特性とイデオロギー嗜好との関係を調べた研究Big Fiveにおける「経験への開放性」スコアが高い人はリベラル価値観を持ちやすい(相関している)(Jost et al., 2003)

・しかし、レベル3についてのイデオロギー研究はほとんど進んでいない(例外はHammack, 2008; Jensen, 1998)

・本論文では、筆者(Haidt)お得意のMoral Foundation Theory※とイデオロギーについてのライフヒストリー研究(レベル3)を結びつけてみせるよ。


※人々の倫理的思考や道徳価値観を支える5つの認知的基盤があるとする仮説的理論。若干不正確ながらも以下と下表を参照 http://plaisir.genxx.com/?p=187



■Moral Foundation Theory(以下MFTと略記;道徳的基盤理論)について注釈をいくつか


・5つの道徳的基盤は味の受容器(甘みの受容器、苦みの受容器etc)のようなもの。誰もが5つの受容器をもっている。しかし、道徳的な料理法(cuisines)は世界中で異なっている。

世界中のさまざまな文化は、種々の方法で5つの基盤の上に独自の(道徳的)文化価値規範、美徳、悪、制度宗教etc...)を打ち立てている。

・5つの道徳的基盤をオーディオのイコライザーの5つのスライドスイッチみたいなものだと想定してみよう。各スイッチが11段階調節可能だとすれば、理論的には161,051通りの道徳的パターンがありうることになる。


・5つの道徳的基盤を測定するための質問紙(心理測定尺度)はちゃんと作ったよ(MFQ)

Graham, J., Haidt, J., Nosek, B., Iyer, R., Koleva, S., & Ditto, P. (2010). Mapping the moral domain. Manuscript submitted for publication.

・5つの道徳的基盤自体はさきほどのイデオロギーの3レベル分類でいえばレベル2に相当する。

・しかしわたしたちのイデオロギー体験を十全に明らかにするには、3つのレベルすべてでの研究が必要。


■今回の研究では


Webを使ってアメリカ合衆国在住の実験参加者のみから約25,000人分のデータを集めてMFQ(5つの道徳的基盤を測定するための質問項目)をやらせた。

・目的は、MFQのスコアに基づいて実験参加者をいくつかのクラスターに分類し、その後、それぞれのクラスターをさまざまな要素(たとえば人口統計的要素、パーソナリティBig Five, 他のイデオロギー尺度など)によって特徴付けることだった。

・つまりクラスター分析にかけた。

・結果のグラフを以下に示す。


■どういう結果か


・早い話が、25000人のデータから約4つのクラスターが抽出された。

グラフの縦軸はMFQ(5つの道徳的基盤を測定する質問項目)のスコアを、横軸は4つのクラスターを、各グラフの棒線はHが「Harm/Care」という道徳的基盤を、Fが「Fairness/Reciprocity」という道徳的基盤を、Iが「Ingroup/Royalty」という道徳的基盤を、Aが「Authority/Respect」という道徳的基盤を、Pが「Purity/Sanctity」という道徳的基盤をあらわしている。

・抽出された4つのクラスターは、他の質問項目との関連から、以下のように(研究者によって)ラベル付け(命名)された。

・Secular liverals(世俗的リベラル主義者)、Libertarians(リバタリアン)、Religious Left(宗教左派)、Conservatives(保守主義者)。


・上のグラフが示しているのは、それぞれ左から、リベラリストリバタリアン宗教左派保守主義者が、それぞれ5つの道徳的基盤スコアにおいてどれくらい得点したのか、ということ。

リベラリストは、Harm/CareとFairness/Reciprocityを重視するけれど、Ingroup/Royalty、Authority/Respect、Purity/Sanctityを軽視する傾向がある。つまり、他者を害することを拒むこと、他者を助けること、他者を公正に扱うことを重視するけれど、内集団への忠誠心とか、権威への尊敬だとか、神聖なるものの神聖さを保つことへの配慮に欠けている。これは以前ブログに書いた先行研究と一致する結果。

保守主義者は、Harm/Care、Fairness/Reciprocity、Ingroup/Royalty、Authority/Respect、Purity/Sanctityすべてを等しくバランス良く重視する傾向がある。ただし、リベラリスト宗教左派比較すると、Harm/Care、Fairness/Reciprocityの得点ががくっと落ちている。つまり、他者を害することを拒むこと、他者を助けること、他者を公正に扱うことを、リベラリストよりも相対的に重視しない。これらも先行研究と一致したデータだ。


面白いのはここから


・今回の研究面白いのは、リベラリスト←→保守主義者という従来の右左の軸を超えて、新たにリバタリアン宗教左派というクラスターを抽出したところ。

リバタリアンは、Ingroup/Royalty、Authority/Respect、Purity/Sanctityを重視しないという点においてはリベラリストに似ている。しかし、Harm/Care、Fairness/Reciprocityをどれだけ重視するかという点においては、保守主義者とほぼ同じ傾向を示した(!)。

・つまり、リバタリアンは、他者を害することを拒むこと、他者を助けること、他者を公正に扱うことを(リベラリスト比較した場合相対的に)重視しないという点においては保守主義者と同じである。しかし、内集団への忠誠心とか、権威への尊敬だとか、神聖なるものの神聖さを保つことへの配慮に(保守主義者比較した場合相対的に)欠けているという点においてはリベラリストと同じなのである。

・他方、宗教左派は、Harm/Care、Fairness/Reciprocityを重視するという点においてはリベラリストに似ている。しかし、Ingroup/Royalty、Authority/Respect、Purity/Sanctityをも高い水準で重視するという意味においては、保守主義者に似ているという傾向を示した(!)。

・つまり、宗教左派は、他者を害することを拒むこと、他者を助けること、他者を公正に扱うことを(保守主義者比較した場合相対的に)重視するという点においてはリベラリストと同じである。しかし、内集団への忠誠心とか、権威への尊敬だとか、神聖なるものの神聖さを保つことへの配慮を(リベラリスト比較した場合相対的に)重視するという点においては保守主義者と同じなのである。


■続いて、レベル3のイデオロギーについての物語的な語り(ライフストーリー)とMFTの絡みについて書かれているが、以下略

2010-11-05

[]DeScioli, P., & Kurzban, R. (2009). Mysteries of morality. Cognition, 112(2), 281-299. doi: S0010-0277(09)00114-0 [pii] 10.1016/j.cognition.2009.05.008

いくつかメモ。

Sum:道徳性(morality)は良心(conscience)だけから説明しようとしたら難しいねん。良心それ自体によって道徳的な行動を説明できるわけやないねん。己の行動をチェックする第三者の存在があるからこそ自己の行動を自身でモニタリングする良心なんてものに適応的意義が生まれてくんねん。また、moralityと利他性は異なるものやねん。

■1.Introduction

適応主義(適応論的な考え方)を採用すれば、機能から構造を、構造から機能を推測できるようになる。したがって本論文では適応主義を採用する。

・morality(道徳性)は、他者からの激しい非難/有罪宣告(condemnation)を避けるために存在しているのであり、良心(conscience)は第三者(他者)からの有罪宣告に対する防御システムとして機能している。すなわち、非難/有罪宣告メカニズム(condemnation mechanisms)が良心因果的に先行していることを明らかにする。

道徳的な非難システム(moral condemnation systems)の機能についての研究と議論はこれまでほとんどなされていない。本論文ではそれを取り扱う。

■2.The moral dimention

道徳的な善悪が議論されるとき、「善←→悪」という軸(次元)自体は自明視されている。近親相姦が「悪」、利他的行為が「善」だとされるのはなぜかについての研究と、なぜ人間は「善←→悪」という軸(次元)を持っているのかについての研究は異なる。本論文では軸(次元)そのものを研究対象とする。

・「善←→悪」という次元は、「許可/禁止」(permissible/forbidden)、「合法/不法」(lawful/unlawful)という次元と同一ではない(Macnamara, 1991)。主要な証拠は発達心理学の知見に基づく。3歳くらいの子供は、道徳的な規則を、権威・慣習・明示的な規則とは別物だと見なす。たとえば子供たちは、権威者によって他者に危害を与えるよう命じられたとしてもしばしば従わない。髪型のような個人的な事柄に対して規則を押しつけられた場合には突っぱねる。さらに、子供たちは、不公平な法律を侵犯した人間を非難しない。

・つまり、「善←→悪」という軸(次元)自体が、たとえば近親相姦が悪とされるのはなぜかといったcontent domain(対象レベル)の説明とは別に、説明される必要がある。

・軸はどうやって進化してきたのか。軸自体にかかった淘汰圧は何か。

■3.The problem of morality

道徳的な相互作用は、意志決定し相互に影響を与え合う複数の個人を含む。ゲーム理論のタームでこの状況を記述することができる。犯人(perpetrator)、犠牲者(victim)、第三者としての有罪宣告者(third-party condemner)が織りなす戦略的状況について考察する。

・ある個人は、道徳的な戦略的状況において、犯人、犠牲者、第三者としての有罪宣告者のいずれにもなり得るし、事例ごとに立ち位置を変化させている。

・本研究では道徳的非難に焦点を当て道徳的賞賛(praise)は扱わない。というのは、大人においても子供においても非難の方が賞賛よりもずっと数多く人々の話題に上ることが実証的に明らかになっているし(Wiessner, 2005)、法システムは宣告する存在だから。

・第三者としての有罪宣告者が直面する問題は、犯人の違反行為を検知し判断し罰を与えること、そしてさらなる他者のサポートを集め逆襲を防ぐこと。罰するコストを最小にするため他者の助けを集める必要がある。

・犯人が直面する問題は、第三者に違反が検知され罰されないよう違反を隠すこと、そして被害者に復讐されないようにすること。

被害者が直面する問題は、犯人からの被害をできるだけ小さくすること、そして第三者の援助を可能な限り集めること。

被害者が助けを求めたとき、助けを与えるか否かを決めるのは第三者。被害者道徳的判断はあくまで派生物なのであり、実効力のある(犯人を打ちのめすことができる)道徳的判断を下すのは第三者

・恥、当惑、罪悪感といった自己意識的な感情は(三項関係の戦略ゲームにおける)犯人というポジションにて進化したのだろう。軽蔑、怒り、嫌悪という他者批判的な感情は、第三者というポジションにて進化したのだろう。

・シグナルを受容するシステム(たとえば言語を理解するシステム)が進化しなければ、シグナルを発するシステム(たとえば言語を産出するシステム)は進化しない。アナロジカルにいえば、非難(condemnation)システムはは言語産出システムに、良心(conscience)システム言語理解システムに相当するのだろう。

■4.Is morality conscience-centered?

歴史的に進化理論研究者は、道徳認知に対して、良心中心主義("conscience-centered")の説明を行ってきた。どのような良心によって彼/彼女は近親相姦を避けるのだろう?といった具合に。すなわち、犯人のポジションにいる存在が持つmoralityという良心によって道徳的行動が生じるのであり、第三者による非難はあくまで副産物にすぎないと考えてきた。

・主に良心中心主義的な説明がなされてきたからこそ、moralityと利他主義を結びつける議論が数多く存在してきた。現代の理論家の数多くはmoralityとは利他性を生み出す装置だと考えている。

・しかし、利他性の理論をmoralityを説明するために用いる理論は古くさい。本論文では新しい見方を提示する。

人間良心は、第三者による非難から切り離して説明することはできないのである。

良心(conscience)とは、「善←→悪」という道徳概念(軸)を用いる認知システムに与えられた名称である。

道徳的な意志決定は、結果だけではなく、意図や行動そのものに着目するという特殊性を持っている。この特殊性は他の意志決定領域ではみられない。moralityの外側で、結果ではなく行為それ自体に執着する人は、強迫性障害だとみなされてしまう。

・進化の淘汰圧は結果に対してかかる。それでは、意図や行動そのものに着目するという道徳意志決定の特殊性はどうやって進化しえたのか。

利他性によってmoralityを説明する理論は疑わしい。なぜなら、morality(良心)は先述したように、非結果主義的な特質をも持ち合わせるものだから。

人間以外の動物では、利他性は結果主義的に(包括適応度の上昇という結果に従う形で)進化してきた。

道徳的判断が道徳的な行動を実際に動機づけていることを実証した研究は驚くほど少ない。他方、道徳的判断が道徳的であるように見せかけようとする行為を動機付づけていることはしばしば実証されている(Batson, 2008)。

・非結果主義的なmorality(conscience)が進化した謎を解く鍵は、犯人、被害者、第三者としての有罪宣告者という3者が織りなす戦略的関係にある。

■5.Condemnation-centered morality

良心は非難(condemnation)を説明しない。しかし、非難は良心を説明する。

・他者のある特定の行動を非難する人々の間では、その行動を避けるよう個人を導く防御システム良心が進化するだろう。このシナリオでは、良心は、善悪概念を適用することにより第三者としての有罪宣告者からの非難をかわすよう自己の行動を規制するためにデザインされていることになる。

・この「防御システムとしての良心」という考え方は、個人の道徳価値観や基準と、その個人の実際の行動との間にある乖離をうまく説明する。

・逆に言えば、第三者としての有罪宣告者が存在しない状況では、良心は非道徳的な行動を阻害しないだろう。

道徳偽善(moral hypocrisy)は実験実験でたびたび確認されてきた。

■6.Moral judgement

・なぜ人々は(自分が影響を受けないときでさえ)無関係な他者の道徳的行動をモニタリングするのだろうか?

・ヒーローものの映画が示すのは、逸脱者がきちんと罰される筋書きを人々は欲望していると言うこと。

・人々は他者の不正な行い(wrongdoing)(決してpraiseに関する情報ではない)に関する情報を求め、集め、評価し、他者とその情報コミュニケートしようとする。なぜ?

■7.Moralistic Punishment

当事者による仕返し(目には目を、歯には歯を;second-party punishment)と、第三者によるpunishmentを区別する必要がある。

自然界ではsecond-party punishmentが広く見られる。人間以外の動物では、第三者によるpunishmentはほとんど見られない(動物は普通やられたら仕返しをする)

・第三者による罰行動にはコストがかかる。そのコストを埋め合わせるだけの進化的意義は何?

・人々は第三者として逸脱者を罰するためにコストを払う傾向があることが研究によって示されている(Research in social psychology on bystander intervention(Latan〓 & Nida, 1981) shows that people are often willing to incur costs to stop others’ violations. Studies have found high rates of third-party intervention for wrongdoing, including assault (65%, Shotland & Straw,1976; 44%, Fischer, Greitemeyer, Pollozek, & Frey, 2006),rape (65%, Harari, Harari, & White, 1985), theft (57%, Howard & Crano, 1974; 28%, Gelfand, Hartmann, Walder, & Page, 1973), and graffiti and littering (49% and 63%, respectively, Chekroun & Brauer, 2002).)

囚人のジレンマゲームにおいて、自分が決めた配分額を第三者に伝えると教示された実験参加者は、第三者に伝えると教示されなかった実験参加者にくらべて、3倍もの金額を支払った。興味深いことに、実験参加者は誰一人として、audienceの存在の効果を意識的に自覚してなかった。

・1.逸脱者が罰される状況を願うこと、2.逸脱者を罰したいと願うこと、の区別は見過ごされがちだが重要。

・かかるコストが異なるため(1<2)、両者の根底に存在するメカニズムは異なっている可能性がある。

歴史的には、権力者見せしめとして逸脱者を罰することによって、1が満たされてきた(というのが通例だった)。

■8.Moral impartiality

道徳的な公正さ(impartiality)を願うという現象は特殊だ。なぜなら、道徳的公正は、血縁者や友人や内集団(という自分にとって大切な他者に便宜を図ること)を時に無視せよと迫るから。loyalityと衝突する。

・二者関係でみれば、道徳的な公正志向の対極にあるのはselfishness。しかし、三者関係でみれば、道徳的な公正志向の対極にあるのはfavoritism(親族、友人、所属集団に忠誠を誓うこと)

・(二者関係でみれば、道徳的な公正志向利他性とおおまかに一致するが、三者関係でみれば、道徳的な公正志向利他性は時に背反する)

動物自然界)では道徳的な公正志向がほとんどみられない。(争いが起きれば血縁者や地位の高い者の味方をする)

・大切な関係を損ねてしまうリスクを背負ってまで、なぜ人々は家族・友人・所属集団よりも時に道徳公正さを大事にするのか?

・(第三者のcondemnationを導入すれば道徳的な公正志向に説明がつく?)

道徳的公正さという理想は通文化的に幅広く存在する。

利他主義と道徳的公正志向はしばしば衝突する。moralityと利他主義は別物だし分けて考えよう。

社会関係資本をめぐる格差拡大

 本来,社会関係資本経済資本文化資本とは相対的に独自でありうる.リーらも「70年代は二つのタイプの社会関係資本に分化しており,それぞれ異なる階層に強く根付いていた」と述べているが,それはまさにP.ウィリス(1977)が『ハマータウンの野郎ども』に描いた”野郎ども”の生活世界そのものであろう.彼らが経済資本においても文化資本においても不利な立場に置かれながら,その位置にあえて留まり,客観的には階層の再生産への寄与を,主観的には誇りある生活を続けた背景には,彼らの親密な仲間関係に体現される社会関係資本があったと考えられる.これに比すれば,近年生まれているのは,社会関係資本経済資本文化資本の従属変数化しつつある状況であるとも考えられる.

HIRATSUKA, M. (2006). Dividing the Youth Transition System, the Concept of Competence, and Social Capital(<Urgent Special Issue>A Society of Widening Disparities and its Challenge to Education). Japanese journal of educational research, 73(4), 391-402.