ーOOO-俺とポーキーと闇のドラゴン

 以下、MOTHER3に関する思いっきりネタばれな話をするので、そのつもりで。
 (06/07/24)ちょっと書き直しました




 さて。
 物語の最後、主人公に倒されそうになったポーキーは、「絶対安全カプセル」に閉じこもります。
 「絶対安全カプセル」に閉じこもっていれば、絶対安全。
 どんな攻撃を受けても、絶対に安全。
 カプセルの外で何が起こっても絶対に安全。
 宇宙が滅びようとも、絶対に安全。
 ただし、そのカプセルに入ったものは、永遠にカプセルの外に出ることが出来ないのだ。
 そのカプセルの中に閉じこもったポーキーは、一人ヘラヘラと笑っている。カプセルの外でどんなことが起ころうと、彼だけは絶対に安全。ずっと永遠に。


 そんなカプセルに一人で永遠に閉じこもっていて、ポーキーはさびしくないのだろうか?


 小さな絶対安全カプセルの中に閉じこもって、小さい窓を通して、世界のすべてをにやにやと眺めている… という行為は、小さな部屋に引きこもって、テレビの画面を通して、世界のすべてをにやにやと眺めている… という行為と似てはいないか?
 つまり、「ポーキー」=「ひきこもり」、なのだ。
 そして「絶対安全カプセルの小窓」=「テレビ」なのだ。


 部屋にひきこもって、ゲームで遊ぶ。
 ひきこもっていれば、絶対安全。
 ゲームでどんな攻撃を受けても、絶対に安全。
 テレビの向こうでどんな事件が起こっても絶対に安全。
 映画の中で宇宙が滅びようとも、絶対に安全。
 部屋にひきこもったポーキーは、一人ヘラヘラと笑っている。テレビの画面の中で…テレビの向こうでどんなことが起ころうと、彼だけは絶対に安全。ずっと永遠に。


 さらに言うなら、
「もっと歯ごたえのある敵が出てきてほしい。それでいてあまり強すぎなくて、ギリギリで勝てるような敵じゃないと」
と考えているのは、実は他ならぬ「ゲームプレイヤー自身」=「俺」なのではないか、と。
 どんなヒドいことが起こったってゲームなんだから、自分は絶対安全なんだから。もっと大変な事件が起こればいいのに、そうすればもっと面白いのに…。


 なんのことはない、あの憎ったらしいポーキーは、俺のことだった。


 MOTHER3の序盤、ささやかな幸せに包まれていた村が、ある日どこかの世界からやってきた侵入者に襲われる。
 侵入者がその村に目を付けなければ、誰にも知られずにその村は平和でいられたはずだったのに。
 その破壊は、ポーキーによってもたらされた。
 つまり、俺自身がその村の破壊を選んだのだ。俺が「MOTHER3で遊ぼう」と思ったことによって、その村に悲劇が起こったのだ。
 MOTHER2以来、ポーキーの復活を待ち望んでいたのは、他ならぬ「俺」自身だ。


 それは、こう言いかえることも出来る。
 俺が新しいRPGを始めれば、どこかの世界に悲劇が訪れる。
 俺が新しいRPGで遊ぶと言うことは、どこか全く見知らぬ世界の悲劇を俺はゲームとして弄んでいるということだ。
 ポーキーは、様々に姿形を変えて… あるときはDQ,FFのラスボスとして表われる。
 自分自身は絶対に傷つかない安全な世界から、俺はテレビの向こうの惨劇を楽しんでいる。更なる悲劇を望む。歯ごたえがあってギリギリで倒せるような敵を望む。
 その世界に最後に平和が訪れれば、俺はまたどこかの世界に旅立つ。もっと手強い相手や更なる悲劇の待つ新たな世界を探し、新しいゲームをプレイする。


「あちこちの世界がめちゃくちゃになるのを楽しんできたポーキー」とは、そういうことだったのではないか。
 ポーキーは、すべてのゲームのラスボスであるととらえる事が出来る。
 あるいは、ゲームに限らず。テレビ、映画、事件…、そういう出来事のすべての黒幕、ともいえる。


 ゲーム終盤の目的は、闇のドラゴンの復活だった。
 このMOTHER3の世界はすべて、地底深くに針によって封印された闇のドラゴンの背中の上に乗っかっているコトになっている。
 ある日この世界に突然やってきた侵入者が、ドラゴンの針を抜き始めて封印を解こうとしている。
 封印が解かれたとき、ドラゴンは復活して、この世界はすべて滅び、作り直される。
 最後に封印を解くもの自身の心によって、ドラゴンの心は善にも、悪にも染まるのだという。
 どうやらMOTHER3の世界の闇のドラゴンとは、他ならぬ「俺」自身であった、ということらしい。


 俺は、テレビの向こうで起こる惨劇を面白がる「闇のドラゴン」になったのか?
 平和を望む「闇のドラゴン」となったのか?
 それは、最後の選択肢に「はい」と答えたか、「いいえ」と答えたかによって決まってしまった。
 初プレイで「いいえ」と答えた俺は、MOTHER3の世界を「悲劇」ではなく「しょせんゲーム」として楽しんでいた「闇のドラゴン」である。


 しかし考えてみれば、MOTHER3をクリアして、「つまらねぇ…」「もっと歯ごたえのあるゲームを」と言いながら別なRPGで遊び始める者は、別な世界に破壊をもたらす侵入者「ポーキー」なのである。
 また、「はい」と答えて平和を望むと言ったとしても、今も何度もMOTHER3を遊んでいる者は、平和を望んで作り直されたまっさらな世界にもう一度「侵入者」がやってくるのを楽しんでいる「闇のドラゴン」に過ぎないのである。




 自分の心の中の闇のドラゴンを封じることは出来るのか?
 テレビの向こうの悲劇に、更なる悲劇を期待しないこと。
 テレビの向こうの出来事に痛みを感じ、心の底から平和を祈ること。
 この世界は…MOTHER3は、それを願って作られたのだから。