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2008-08-27 「かわいそう」という感情は経営学の守備範囲外 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

ええですから、「ナイーブ」ではなく両立するんですよね。了解しました。

はてなブックマーク - 経営学と経済学 - andalusiaの日記

id:ohkami3 さんのブクマへの返事ですが、またしても長くなるので別途エントリーをあげて書きます。

何も前提条件がなければ「かわいそう」という感情をナイーブと切り捨ててはいけないのですが、ここには経営学の授業、という前提があるんですよね。

かわいそうという感情は、経営学の守備範囲ではないと私は思います。それは「政治」の守備範囲だと思います。

福祉に外部からリソースを投入する、すなわち介護保険料をアップするとか、他の支出(道路とか防衛とか)を削って福祉に回すとかという決定は、政治なのです。

経営学は(経済学も、かな)「適正な介護保険料率は?」や、「道路建設予算を減らして介護に投入することは是か非か?」等という問いに対する最終回答は持ち合わせていません。

そして、政治は民主主義という仕組みでは、最終的には国民ひとりひとりの決定であるべきなのです。ここで、「かわいそう」という感情が反映されるのです。

一つ前のエントリーにも書いたように、「法と経済学」という学問分野は社会の制度設計に資することを目的としていますが、それでも、

但し、資源配分の効率化、最適化を目的関数とする経済学的アプローチは当然のことながら「社会的公正」の要素を考慮しないため(資源配分の最適化経済「厚生」のみならず社会的「公正」に繋がるといった信仰に近い極端な考え方は除く)、正義の実現という価値判断も必要な法律においては、そのアプローチの限界をも十分に認識すべきであり、経済学的アプローチが普遍的に通用するものではない。

また経済モデルのような高度に抽象的なモデルから得た解が現実社会の中でうまく働くとは限らないが、法と経済学は法という現実社会に密接に関わる分野について経済学を応用する学問分野であることから、常に現実との対話が必要となる。とすると、現実の社会の中では何が経済的に合理的なのかという判断自体が経済学者の間で論争となることも多く、経済学の利用によって現実社会の中で一意に最適な解が得られるとは限らない。

法と経済学 - Wikipedia

と書いてあるように、あくまで参考に留めるべきであり、政治に優越するものではないのです。ましてや経営学をや、です。決して、学問的に正しいとからといって、民主主義なんか無視していいということはないのです。



【ここからは補足というか余談】

なお、ここでいう経営学、というのは、いま日本の大学で教えられている経営学、を指しています。id:sivad さんがドラッカーをひいて私のエントリとは逆の結論に至っていますが、私の認識は、

ところが、つづいて、何について書いているかと聞かれれば、急に歯切れが悪くなる。経済については随分書いた。しかし、決して経済学者ではない。歴史についても随分書いた。しかし、歴史家ではない。政府や政治についても書いた。しかし、政治学者として世に出たものの、とうの昔にそうではなくなっている。しかも私は、今日的な意味での社会学者でもない。だが、自分がなんであろうとしてきたかは十分承知している。はるか昔から承知している。私は「社会生態学者」だと思っている

ドラッカリアン参上/ドラッカー・ファン増殖計画:ツボ35〜ドラッカー教授の関心? - livedoor Blog(ブログ)

であって、ドラッカーという偉大な「人間」を、経営学という枠の中に押し込めることはしたくないのです。「ドラッカー」=「経営学」というのはむしろドラッカーさんに失礼なんじゃないかなーと私は思います。

ohkami3ohkami3 2008/08/28 00:25 わたくしはid:sivadさんの別の引用を読んでドラッガーの経営学は経済・財政学と両立すると解釈しました。

>経済や経営はあくまでも社会のための「手段」であり、社会福祉政策にコストがかかるのは当然である、と。
>すなわち、「経済にとって負担であるから社会政策を削る」というのは、ドラッカーのいう「マネジメント」の真逆をやっていることになるのです。それは「経営」ではないのです。むしろ「反経営」なんです。
>で、fuku33さんが教えることになった学生さんたちのことを考えますと、現代日本の福祉業界というのはまさにその「反経営」が国家的にまかり通っている分野であって、最初っからマネジメントが崩壊しているわけです。
>そんなところに一兵卒としてこれから送り込まれる人たちに対して何か言おうとすると、「トリアージ」が出てくるのも分からなくはありません。「緊急事態」の中に飛びこまざるを得ないんですから。
>ただやっぱり、それは「マネジメント」でもなく「経営」でもないと思うのです。
(引用は本文でリンクされたものと同じページです)

sivadさんは「トリアージを持ち出す状況はすでに経営ではない」とおっしゃっています。
むしろ女子学生が「かわいそう」と思う事はsivadさんのドラッガー解釈に適合しているとすら思います。
おなじ学問の中で複数の学説がある場合、よりその事業の現状に則した説は私はsivadさんの解釈だと考えました。

災害医療でのトリアージの性質は、支援の物資や人間が到着するまでの有限の時間の中で最大効用を求めるものです。それでも阪神淡路大震災や尼崎の列車事故の後の医療従事者にPTSDが問題化されています。
一方で、福祉事業でのリソースの不足というものは、区切られた時間というものがありません。そこに「選別」を含むようなトリアージの概念を導入して、それは現場のモチベーション維持に本当に役立っているとandalusiaさんはお考えでしょうか?

私の地元にも介護保険導入時に某大手の会社が参入してきましたが、間も無く撤退しました。
残った業者はその撤退した業者の担当していた要介護者を分担して引き受けないといけなくなります。そうしますと今までの事業計画が一気に変わってしまいます。幸い、その会社が参入していた時期も短く顧客もそう多くはありませんでした。
撤退した会社は経営学的には正しいのかもしれません。でも信義には悖ると私は思ってしまいます。同じ事を皆がすれば福祉事業は共倒れになってしまいます。
であれば、将来福祉の仕事に役立つ経営学を授業で扱ってくださるなら、fuku33氏にはsivadさんの解釈を取り入れて授業をしていただきたいと私は強く希望します。経営学の授業で、医療であるトリアージを扱う柔軟性があるなら、経済学や社会学の隣接分野も少しは入れていただいてもいいのではないでしょうか?福祉職に役立たない知識ではないと思います。
長くなってしまい申し訳ありません。

andalusiaandalusia 2008/08/29 01:25 リソースが足りないのは介護だけじゃないんですよ。
医療だって足りていないから、後期高齢者医療制度とか導入することになったわけですし、気象衛星を打ち上げる予算がないという話もありますし、それこそ「道路」だって予算が削られて第二東名は6車線から4車線になった訳ですし、「防衛」だって、アパッチロングボウの価格が高くなったから予算の都合で調達を断念した訳で。どの分野も予算(リソース)は足りないのです。
社会全体で何を切り捨てて何を守るか、それを決めるのは民主主義による政治であるべきです。

ohkami3ohkami3 2008/08/30 00:31 そうですね。厳密な「経営学」を定義されるならそうかもしれません。
経営学を学ぶ際に政治を否定せねばならないということが理解できないのです。
件の授業の反応へは「ナイーブ」であり、「それだから数年で燃え尽きる」と断定することは経営学の外側を【否定】していると考えます。しかも、andalusiaさんのように別分野の学問としての丁寧に扱われることなく、失敗とされておられます。

私は、andalusiaさんのご意見そのものに批判をしたいわけではありません。また、もっと福祉に予算が割かれるべきと考えていますが、それ以外の決定が全て間違いと言いたいわけでもありません。でも、服屋さんと介護が目指す事業内容が同じなんですか?そんなにポンポン同じ原理で問題解決しますか?とその授業をなさった先生を支持する方に申上げたいのです。

効率化・取捨選択は多かれ少なかれ現場ではしていると聞いています。そして、それをしなければならないことがストレスである人もいるのです。また、信頼を損ねて風評が広がれば顧客を失うこともあります。だとすれば、それをし続けることはマネジメントとして正解なんでしょうか?

算数で2+2=4は間違いありません。
でも化学で水2Lとアルコール2Lを同じ容器に入れると4Lより体積は少なくなります。
数学者も化学者もまともな人なら「相手がおかしい」とは言いません。お互いに自分の学問には暗黙の前提があり、それぞれ異なっていると知っているからです。
政治と経営が違うのは全くその通りなんです。しかし、本来政治に左右される福祉の世界に経営学を持ち込むことそれ自体がナイーブで注意深くなされるべき問題だとご理解いただけますでしょうか?

andalusiaandalusia 2008/08/30 10:25 まず、私の認識では政治は学問ではないのです。
もちろん「政治学」というものはありますが、それはメタとしての学問であり、個々の政策に答えを出すものではありません。「政治」では、中卒の人だって大学教授だって、同じ1票でありそこに優劣はないのです。
なお、私は福耳先生の授業のやり方を支持しているわけではありません(エントリを読んだ範囲で、の話ですが)。私の理解ではトリアージは「純粋」に経営学的なアプローチであり、前提として政治的な方法が取り除かれています。少なくとも初学者に対しては、まずは両方の方法があるシチュエーション(それこそ、介護でいいと思います)を提示した上で、「こういうアプローチは政治の範囲」「こういうアプローチが経営学的」とまず切り分けたほうが適切な理解がされるのではないかなと思います。
数学と化学の話は、適切なたとえ話と思いますが、私は福祉の世界は「本来政治に左右される」だけではなく「経営学的手法も有効である」と考えています。両方大事ということです。ですから、こと「経営学の授業」では、政治は守備範囲外、ということです。
服屋だけでなく、介護でも経営学的アプローチが有効であることは「非営利組織の経営」でドラッカーさんが書いている通りです。もしお読みになっていなければぜひ読んでみてください。

ところで、id:ohkami3 さんはドラッカーの著書は何を読まれていますか? ドラッカー流を推薦する点は私も同意なのですが、前提となるドラッカー理解がだいぶ私とは異なるように思われるので・・・

ohkami3ohkami3 2008/08/30 16:52 すみません。ドラッカーさんの本は読んでいません。

読んでいないのですが、ずっと感じていた違和感を失礼かと思いますが書かせてください。
andalusiaさんは、福祉の現場で「選択」をされることを、服屋さんで例えるならマーケティングの差別化とか付加価値を付けるような画期的なソリューションとお考えではないでしょうか?
私は「選択」とは、服屋さんで例えるなら、売れ残ってしまい在庫管理の経費をなくすためだけに赤字で販売する作業に近いのではないかと思っています。
戦略的に販売するなら、見切って赤字覚悟でも売ることも実際の経営でも必要でしょう。でも、「利益を出す」という目的には適っていないですよね。
福祉の「選択」でも、現実はそれをせずにはいられない。だけれども、それをしている現状は事業の目的そのものには反したものです。続けて行くことで更に経営が厳しくなるし顧客の質だって落ちるかもしれません。
「服が売れないなら値下げすればいいじゃない」「福祉の人手が足りないなら切り捨てればいいじゃない」たしかに現実はそれをせずにはいられないです。でも「有効」という言葉の意味のイメージが違うのかしらと思ってしまいました。

もしかしたらドラッカーさんはそこまでカバーしてらっしゃるのかとも思います。ただ、私の穿ちすぎた読み方であってほしいのですがandalusiaさんの「経営学的アプローチが有効」というお言葉になんとなく、そういう目的度外視感を感じてしまい何度もコメントをしてしまいました。

経営学も知らない素人が本当に失礼なことを申上げてすみません。
andalusiaさんはとても頭のいい素敵な方なので、またドラッカーさんを読んで興味を持ったらそのことでお話できたら嬉しいです。

andalusiaandalusia 2008/09/02 00:16 「選択」を服屋に例えるなら、S,M,Lサイズの服しか売らない、とかいうことになるかと思います。
(ドラッカー的には)服屋の目的(ミッション)は、服を消費者に販売することです。しかし、おっしゃるとおり営利企業では赤字の事業を続けることはできません。非標準的な体型だったり、非標準的な服の好みの客は切り捨てざるを得ません。(もちろん、多くの事業者がXXSやXXLを切り捨てているとき、あえてXXSやXXLを売る戦略はあります。いわゆる「ニッチ」です。でもやっぱり選択肢が少ないという意味では切り捨てられているし、もっと非標準的なKONISHIKIレベルの方は完全に切り捨てられちゃいますね。)
ただ、もしXSやXLの服を置くよりは、S,M,Lの服のバリエーションを増やしたほうが「よく売れる」のであれば、それだけ満足する顧客が増えるわけですから、「最大多数の最大幸福」を目指す意味でその選択は有効と言っていいかと思います。
非営利事業では、選択権がこちら(サービス提供側)にありますから「よく売れる」という基準は使えませんが、やはり最大多数の最大幸福を目指すのであれば、トリアージの場で赤タグを優先することや、特養ホームが要介護レベルの高い人を優先するのは適切かと思います。私の言う「経営学的アプローチが有効」というのは、そういう意味で言っています。

という私の下手な説明を聞くより、ドラッカーを読んでみたほうが得るものが多いと思います。ぜひ読んでみてください。「非営利組織の経営」はお勧めです。

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2008-08-19 経営学と経済学 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

地域により差があるように「現実のリソース」と呼ばれるものが本当に不足して当然なのか、燃え尽きてしまうのはナイーブで要領が悪いための自己責任なのか、どちらの考えが長期的に問題解決につながるかという問題だと考えました。

http://d.hatena.ne.jp/andalusia/20080817#c

id:ohkami3 さんのコメントへの返事ですが、長くなるので別途エントリーをあげて書きます。

リソースを増やす」議論はもちろんアリと思います。ただし、それは別個に切り分けて議論すべき話だと思います。

経済学では、各主体(個人・企業、およびそのほかの組織体)の行動が市場原理にゆだねられた場合の帰結(均衡)と、そこでの資源配分の効率性や社会的総余剰の適切さについて分析したり、社会システムの構造を物象化の機序を明らかにしつつそこに生起する論理と動態を明らかにすることに重点が置かれる。それに対し、経営学は、いかにすれば企業(およびそのほかの組織体)がその業績や効率性を向上させることが出来るかを明らかにしようとする(Caves, 1984年)。つまり、社会全体を見るか、一組織を見るかの違いである。

経営学 - Wikipedia

Wikipedia の記述にあるとおり、社会全体を見るのは、経営学というより経済学の範疇*1と思います。

一組織としての「ある特別養護老人ホーム」もしくは、「災害現場に駆けつけた医療チーム」が、どうやってそのパフォーマンスを最大化するか、という考え方が「経営学」であり、そこに外部からリソースを供給*2という話は「経済学」もしくは「政治」の範疇と思います。もちろんどちらも大事だし、相矛盾するものではないと思います。

トリアージ議論の発端となった福耳先生のエントリーにも、以下のように書いてありますね。

ちなみにここでいう「全体最適」とは、経済学的な社会全体の最適ではなく、文脈からもおわかり頂けると思いますが経営組織論的な、「災害支援組織と被災地域全体での最適」という意です。

ケーキ - 福耳コラム


*1:そのなかでも、現象観察的な経済学を脱皮して、社会制度・法制度の整備を論じるのは特に「法と経済学」の分野ですね。

*2:例えば介護保険料率をアップして財源を確保するとか

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2008-08-17 いまさらながらトリアージのこと このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

b:id:andalusia それ言い出したら、今の要介護認定制度だって切り捨てじゃね? 「福祉に優先順位はあっても切り捨て可能はないわ」 って、「優先順位」と「切り捨て」って何が違うの?

という、http://d.hatena.ne.jp/ohkami3/20080816 に対する私のブックマークに対して、

b:id:y_arim id:andalusia 優先順位はつけるが、必ず全員救うってことでしょう。後回しと除外は違う。

というIDコール付きのブクマがきたんですが、やっぱり「優先順位を付ける」も「見捨てる」も同じじゃないのかなぁ。

本来のトリアージだって、優先順位を付けているだけなんですよね。一旦黒札付けられたって、(もし)そこに急に医療スタッフが大挙して駆けつけて来てくれてリソース不足が解消したなら、当然救命措置の対象になるわけですから。

介護保険の要介護認定制度だって、残念ながら、現場には実際に介護が必要なのに認定を受けられなかったり、低いレベルの認定しか受けられなくて凄く苦しんでいる家族の人とかがいるんですよね。そういう当事者は「見捨てられた」と感じてしまうのは残念ながら事実でしょう。「いつか必ず救ってもらえる」なんて決して考えないですって。

ということで、

  • トリアージ」⇒「見捨てる」⇒「緊急時以外許されない」
  • 「要介護認定」⇒「優先順位」⇒「平常時でも許される」

という理屈*1には、私はとっても違和感を感じてしまうのです。


*1:言い換えると、トリアージを例外的で特別なものとして処理しようとする切断処理

ohkami3ohkami3 2008/08/17 20:12 言及ありがとうございます。
医療のトリアージは重傷者から治療にあたるのではなく、治療しても無駄な人ではなく助かる人に物資や時間を回すという話だったと思います。
対して、福祉は誰に対しても困ったときに受ける権利があるというものと言いたかったのです。
「リソースを回さなくても仕方ない」という前提の話と「リソースは受け取る権利がある」前提の仕事変わってきます。
とはいえ、現実にすべての人にちゃんとサービスを届けられているわけではないようです。
介護保険制度も、措置制度時代からやっている母にしてみれば不満はたくさんあるらしく仕事の電話でよく漏らしております。
また、私の母は在宅介護をしておりますが、デイケア施設、ホームについては事情が異なると思います。

言葉足らずで、自分の見聞き出来る範囲での狭い考えで申し訳ありません。

andalusiaandalusia 2008/08/18 02:27 家族が希望するレベルのケアを全員にできれば良いのですが、「リソースが足りないので」そうすることはできないんですよね。現実問題。
結局、「より切迫度が高い」≒「より要介護認定レベルの高い」人にリソースを重点配分する仕組みであり、本質的にトリアージと類似点が多いと思います。トリアージも黒タグは例外ですが、黒以外は、重傷順に治療しますよね。
特別養護老人ホームが全然入居できない現実が存在している訳で、「福祉は誰に対しても困ったときに受ける権利がある」「リソースは受け取る権利がある」なんてマジで考えていたら、それこそケアマネはやってられない(壊れちゃう)と思いますけど・・・

ohkami3ohkami3 2008/08/18 03:50 この件に関して「黒タグ」とおっしゃるものを分別できる人間の能力というのは完全なのでしょうか?ということも含めてトリアージに異議申し立てをしています。

私の地元は元々革新政党が強く、昔から採用されてる福祉職の雇用は安定していて(最近は非常勤ばかり募集ですが)施設も有り余る程ではないにしろソコソコあります。なので不治の病なんかしても働き続けていけるんですが。
地域により差があるように「現実のリソース」と呼ばれるものが本当に不足して当然なのか、燃え尽きてしまうのはナイーブで要領が悪いための自己責任なのか、どちらの考えが長期的に問題解決につながるかという問題だと考えました。

私自身は介護を実際にしているわけではなく、当事者から見て甘い考えをしていると思われるかも知れません。
また、発言に失礼がありましたら申し訳ございません。
長文コメント失礼いたしました。

andalusiaandalusia 2008/08/19 20:50 前段については、必ずしも完璧ではないと思います。要介護度の認定についてもいろいろ問題のある話をいろいろ聞きますね。ただ、トリアージに関しては事後の検証を見る限り、私はそういった問題点を踏まえてもやらなければいけないこと、という印象を持ちました。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080414.html
http://blog.hashimoto-clinic.jp/200704/article_6.html

リソースが不足して当然なのか、という話は、他でも聞きますので別途エントリーをあげます。よろしければぜひお読みください。

なお、私も自身、介護に携わっているわけではありません。かなり近い身内に、介護を生業にする側も、介護される側もいますが…

2008-08-03 保険と宝くじの経済学 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

宝くじが「非論理的な行動」であるなら、保険も「非論理的な行動」であるはずです。

で。

この「非論理的な行動」は効用逓減の法則で説明できるかと思います。

宝くじは貧困者への罠か - 不動産屋のラノベ読み

いえ、そうは思いません。限界効用逓減則では、保険は説明できるが宝くじは説明できないと思います。

単純化のために、以下のように定義します。

  • 私は、今 100ゴールド(以下 G)持っています。
  • 「保険」は 10G で、8% の確率で起こる「災害」の損害を完全にカバーしてくれます。
  • 災害」が起こると、100G を失います。
  • 「宝くじ」は、1Gで、0.001% の確率で当選し、当選金額は 8万G です。
  • 「幸せ度」は、所持金の平方根で表されます。(限界効用逓減則より)

このとき、お金の期待値は、計算すればわかるとおり、「保険」も「宝くじ」も、購入金額の 80% しか戻って来ません。胴元は大数の法則で儲けを出すことができるでしょう。

しかし、これを効用で考えると、

【保険のケース】

  • 保険を買ったとき
    • 災害が起こる起こらないに関わらず、所持金は 90G となるので、幸せ度は 約9.49
  • 保険を買わなかったとき
    • 災害が起こらなかったとき 所持金 100G なので、幸せ度は 10
    • 災害が起こったとき 所持金 0G なので、幸せ度は 0
    • なので、幸せ度の期待値は、10×0.92+0×0.08 = 9.20

つまり、保険を買ったほうが幸せになれます。


【宝くじのケース】

  • 宝くじを買ったとき
    • 当選したとき 所持金は 79999G なので、幸せ度は 約282.9
    • 当選しなかったとき 所持金 99G なので、幸せ度は 約9.950
    • なので、幸せ度の期待値は、282.9×0.00001+9.950×0.99999 = 約0.9953
  • 宝くじを買わなかったとき
    • 所持金は 100G なので、幸せ度は 10

なので、宝くじを買わないほうが幸せになれます。

今は宝くじの胴元が20%取る(80%還元)計算でしたが、例えこれが0%(100%還元)でも、やはり宝くじの効用の期待値はマイナスになります。

じゃあ、なぜ人は宝くじを買うの? という疑問については、以下のリンクが参考になるかと思います。

投資における心理学 行動ファイナンス入門

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2008-07-05 Ruby屋さんの収益 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

ぶこめに「肝心の社員数が書いてない」って話が出てて、「あれ? それじゃ損益計算書見ろって言ってもあまり意味ねーじゃん」と思ったんだけど、見たような気がしてたんで探したら、ちゃんと書いてあった。

おごちゃんの雑文 » Blog Archive » NaClに何が起きているか

ありがとうございます。プレスリリースまでは見てなかったなぁ。もっとわかりやすいところに書いてほしいところです。

per head 売上1千万円くらいですか。うーん。厳しい数字ですねー。

Ruby を前面に打ち出している上場IT企業というと ec-one がそこそこ有名ですが、あそこは per head 18百万くらい売り上げてますからねぇ。で、ec-one の従業員の平均年収が570万(31才)。NaClは推して知るべきか?

そんなに有名人がめちゃくちゃ多いわけでもない(失礼!)ec-oneさんに楽勝で負けているあたりが情けないですね。経営の問題か、営業力の問題か・・・4番バッターをたくさん抱えながら勝てない巨人軍みたいなもんですかね?

せっかくなんで宣伝しておきましょう*1

EC-Oneでは、より低コストかつスピーディーにお客様のビジネスを実現するため、RubyおよびRuby on Railsでの開発にも取り組んでいます。

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*1株主だしw