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2011-10-25 TPPで日本は台湾化する? このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

TPP反対・中野剛志の解説がわかりやすすぎる! : 座間宮ガレイの世界

グローバリストを信じるな (内田樹の研究室)

主にTPP反対派のブログが、多く HotEntry にあがってきています。これらの意見にはブックマークコメントに書いたとおり否定的な私ですが、他方TPP賛成派も「乗り遅れるな」とか「平成の開国」とか抽象的な意見が多くて、地に足の付かない空中戦の様相を呈しています。


私の賛同できるまともな意見は、

輸入自由化消費者にとって消費に必要な支出の減少をもたらすとともに、価格低下による消費量の増加によってさらに追加的な利益を得ることを可能とする。これは、生産者(農家)の被る損失を大きく上回ることとなり、このために輸入自由化はその国に大きな経済的利益をもたらすことになるのである。

輸入自由化がもたらす経済利益(砂糖を例にとって) - 大川研究室Blog

の通りなのですが、なかなか「輸入自由化はその国に大きな経済的利益をもたらす」といわれても、その具体的イメージが湧かないというのも正直なところと思います。


一般に、先進国付加価値の高い工業や商業が強く*1農作物は輸入をするのが有利というのが普通です。そこで、アジアで日本より(一人あたり購買力平価ベース)GDPが高い国/地域を、自由化後の日本に近いイメージの国、ということで以下に挙げてみます。

購買力平価ベースGDP(US$)名目GDP(US$)
シンガポール56,52243,117
ブルネイ48,89231,239
香港45,73631,591
台湾35,22718,458
日本33,80542,820

見るとわかるのは、日本以外は、購買力平価ベースのGDPのほうが、名目GDPより大きいということです。これは、国内の物価が安いと言うことです。これらの国に実際に行くと、物価、特に食料品は日本よりもかなり安いことがわかるでしょう。そして、これらの国/地域は共通して日本より食糧自給率が低いです。

ということで、これらの国に旅行や仕事で行ったことのある方は、物価水準や生活水準的に「こういう感じの暮らしになるのかな」くらいのイメージが持てるのではないかと思います。シンガポール香港都市国家だし、ブルネイはマイナーかつ、産油国で特殊なので、台湾が一番イメージに近いかもしれませんね!


*1米国オーストラリアのような広大な国土を持ち、大規模な機械化営農をしている例外は除く。

2011-03-31 市場原理が推進する太陽光発電のイノベーション このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

という tweet が叩かれていたようです。

残念ながら、典型的な「イノベーションのジレンマ」に陥ってしまった例と言えると思います。

まさに、下記の BLOG の記述の通りです。

歴史的に見ると、この流れは、巨大発電所を「メインフレームコンピュータ」、発展途上国太陽電池発電を「PC(キット)」と考えると破壊的イノベーションと言う認識が分かりやすいかもしれない。PCが誕生した頃、メインフレームを作っていた会社は、PCを「おもちゃ」としてみていた。しかし、PCは進化し、価格が下がり、ネットワーク化して、メインフレームの性能を凌駕してしまった。今はおもちゃにしか見られていない太陽電池も、現在の巨大な発電所に対して同じような流れになると言うわけである。

八木博のシリコンバレービジネスブログ - 【米国スマートグリッド その2】発展途上国のスマートグリッドは破壊的イノベーション

現在、太陽電池の生産量で上位を占めており、価格低下の急先鋒にいるのは、First Solar (NASDAQ: FSLR) や、Q-Cells (FWB: QCE) といったベンチャー企業です。

当時無名で、「PCなんておもちゃを作っている」と言われていた Microsoft (NASDAQ: MSFT)Apple (NASDAQ: AAPL) と言った企業が、パーソナルコンピュータの急激な性能向上と普及により急激に成長していく中で、Wang LaboratoryData GeneralDEC というミニコンメーカーは衰退していきました。

同じことが、原子力発電と太陽光発電でも起きていくのではないかと思います。


このように、新興ベンチャーが急速なイノベーションを牽引してきた背景には、発達した資本市場の存在があります。


First Solar, Inc. は (中略) 設立当初は、そのVCから1億5000万ドル以上の投資支援を受けている。

MMRC DISCUSSION PAPER SERIES NO.285 ドイツ太陽光発電産業はなぜ急速に発展したのか. ―産業政策の観点から―

ベンチャーキャピタルのApax Partnersは前述のQセルズに14億円投資し、同社が2005年に上場した際390億円に上る上場益を得た。

急増する「太陽光発電ベンチャー」〜黒い電池パネルをイメージするようでは遅れてます:日経ビジネスオンライン

ベンチャーキャピタルによる投資IPO による巨額な資金調達。このような市場原理とアントレプレナーシップのもとで、スピード感あるイノベーションが起こっているのです。

もちろん、現在の太陽光発電政府による補助金なしでは成り立ちませんが、特定の技術・業者を補助するのではなく、技術に中立な固定価格買取制度(FIT)を用いることで、競争原理を損なわずに太陽光発電(に限らず再生可能エネルギー全般)は発展してきました。日本でも、4月から非住宅用(=事業用)の買取価格が 24円/kWh → 40円kWh に大幅増額されます。市場は拡大し、さらなるイノベーションが誘発されるでしょう。


もちろん、一点集中型のベンチャーが全てというわけでもなく、日本企業の総合力が生きるときもあるかもしれないと思います。(参考:中田 行彦,「太陽電池産業のターンキー・システムとアーキテクチャ 単モジュール産業における競争戦略」,経営情報学会 全国研究発表大会要旨集, Vol.2010f (2010) pp10

まだまだ、これからが面白い市場だと思います。「男は黙って原子力」と切り捨ててしまうのは残念な姿勢ですね。

2008-12-27 「水平分業」は必然か? このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

最近 blogosphere(笑) で、トヨタ自動車の赤字転落と結びつけて、垂直統合から水平分業へのビジネスモデル転換みたいな論をよく目にします。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ef3717e9e0e6567129692656b0d8bfd9

http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10183862948.html

上記の両方とも、いくらかの事実誤認や、あんまりな希望的観測が含まれていると思います。

まず、トヨタ自動車は、水平分業で市場に参入した新会社に負けてシェアを落として赤字になったわけではありません。IBMが凋落した時とはここが根本的に違います。MSとIntelに相当する会社がないのです。池田先生は印 Tata Motors の Nano を引き合いに出していますが、私は Tata が水平分業とは思わないし*1、何より Nano は今現在まだ販売にこぎ着けられていません。*2 *3

また、電気自動車になれば水平分業になるという堀江さんの論もありますが、残念ながら私はこれが現実化するとしても、もう1回くらい不況と好景気の波をかいくぐった後と思います*4。堀江さんは「この不況はそのような構造改革を推進する好期となろう。」と書いてますが、ちょっとさすがに無理過ぎね? と私は思います。

あと、そもそも内燃機関だけの問題でもないと思います*5。自動車はモジュール間I/Fの部分にきっちりと決まった規格がない*6から、すりあわせが必須なのです。堀江さんは元プログラマーなのでわかると思いますが、多くのSIerがやろうとしているような、設計と製造の水平分業*7は、設計書をきちんと書いて承認してから次工程へ進む Watarfall 型のシステム開発でないとなかなかうまくいきません。Livedoor さんみたいな会社では、恐らくスピード的な要因で、Watarfall 型のシステム開発は採用していないでしょう。実は、製造業も一緒なのです。車や航空機のような「でかい」物を作る会社は、Waterfall 的にやっていては途方もない時間がかかってしまいます。トヨタ自動車と ISO9001 の長年にわたる不和は有名です。「すりあわせ」というのは「工程間の情報伝達はレビュー済み書類で行う」というISO9001的手法に対するアンチテーゼなのです。航空業界でも、米 Boeing 社がこのような手法を取っていることを5月4日のブログでご紹介しました。*8

もちろん、コモディティ化するにつれ、水平分業モデルになっていくと言うのは一般論として正しいと思いますし、それが消費者の利益にもなるでしょう。でも、現実性は別問題ですから。


*1:そもそもグループ内に鉄鋼会社まで抱え込むという Tata のコングロマリット体質は、水平分業とは真逆でしょう。

*2:今年1月の発表会では、今年の第二四半期に発売する! と言っていたんですがねぇ・・・

*3:池田先生は「インドでもタタが30万円以下の自動車を出した。」とか、まるで既に販売されているように受け取れる書き方をしますが、これってどうなの? 発表会をしたから「出した」ってこと?

*4:「20世紀に間に合いました!」というキャッチコピーをひっさげて世界初の市販向けハイブリッド車プリウスが販売されたのが、11年前の1997年です。電気自動車が新車乗用車販売台数ランキングの上位5位に入るのは何年後でしょうね?

*5:ついでに言うと、電気モーターの部分なら容易に水平分業になるとも思ってないけどね。

*6:言うまでもなく、iPod の調達価格の大部分を占める Flash memory は規格化されています。

*7:プログラミング工程は中国・インドのオフショアに発注、みたいな。

*8:ここまで読んでご想像の通り、Waterfall = ISO9001 と置き換えてもほぼ正しいです。どちらかの言葉しか知らない方のご参考まで。

2008-08-27 「かわいそう」という感情は経営学の守備範囲外 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

ええですから、「ナイーブ」ではなく両立するんですよね。了解しました。

はてなブックマーク - 経営学と経済学 - andalusiaの日記

id:ohkami3 さんのブクマへの返事ですが、またしても長くなるので別途エントリーをあげて書きます。

何も前提条件がなければ「かわいそう」という感情をナイーブと切り捨ててはいけないのですが、ここには経営学の授業、という前提があるんですよね。

かわいそうという感情は、経営学の守備範囲ではないと私は思います。それは「政治」の守備範囲だと思います。

福祉に外部からリソースを投入する、すなわち介護保険料をアップするとか、他の支出(道路とか防衛とか)を削って福祉に回すとかという決定は、政治なのです。

経営学は(経済学も、かな)「適正な介護保険料率は?」や、「道路建設予算を減らして介護に投入することは是か非か?」等という問いに対する最終回答は持ち合わせていません。

そして、政治は民主主義という仕組みでは、最終的には国民ひとりひとりの決定であるべきなのです。ここで、「かわいそう」という感情が反映されるのです。

一つ前のエントリーにも書いたように、「法と経済学」という学問分野は社会の制度設計に資することを目的としていますが、それでも、

但し、資源配分の効率化、最適化を目的関数とする経済学的アプローチは当然のことながら「社会的公正」の要素を考慮しないため(資源配分の最適化が経済「厚生」のみならず社会的「公正」に繋がるといった信仰に近い極端な考え方は除く)、正義の実現という価値判断も必要な法律においては、そのアプローチの限界をも十分に認識すべきであり、経済学的アプローチが普遍的に通用するものではない。

また経済モデルのような高度に抽象的なモデルから得た解が現実社会の中でうまく働くとは限らないが、法と経済学は法という現実社会に密接に関わる分野について経済学を応用する学問分野であることから、常に現実との対話が必要となる。とすると、現実の社会の中では何が経済的に合理的なのかという判断自体が経済学者の間で論争となることも多く、経済学の利用によって現実社会の中で一意に最適な解が得られるとは限らない。

法と経済学 - Wikipedia

と書いてあるように、あくまで参考に留めるべきであり、政治に優越するものではないのです。ましてや経営学をや、です。決して、学問的に正しいとからといって、民主主義なんか無視していいということはないのです。



【ここからは補足というか余談】

なお、ここでいう経営学、というのは、いま日本の大学で教えられている経営学、を指しています。id:sivad さんがドラッカーをひいて私のエントリとは逆の結論に至っていますが、私の認識は、

ところが、つづいて、何について書いているかと聞かれれば、急に歯切れが悪くなる。経済については随分書いた。しかし、決して経済学者ではない。歴史についても随分書いた。しかし、歴史家ではない。政府や政治についても書いた。しかし、政治学者として世に出たものの、とうの昔にそうではなくなっている。しかも私は、今日的な意味での社会学者でもない。だが、自分がなんであろうとしてきたかは十分承知している。はるか昔から承知している。私は「社会生態学者」だと思っている

ドラッカリアン参上/ドラッカー・ファン増殖計画:ツボ35〜ドラッカー教授の関心? - livedoor Blog(ブログ

であって、ドラッカーという偉大な「人間」を、経営学という枠の中に押し込めることはしたくないのです。「ドラッカー」=「経営学」というのはむしろドラッカーさんに失礼なんじゃないかなーと私は思います。

ohkami3ohkami3 2008/08/28 00:25 わたくしはid:sivadさんの別の引用を読んでドラッガーの経営学は経済・財政学と両立すると解釈しました。

>経済や経営はあくまでも社会のための「手段」であり、社会福祉政策にコストがかかるのは当然である、と。
>すなわち、「経済にとって負担であるから社会政策を削る」というのは、ドラッカーのいう「マネジメント」の真逆をやっていることになるのです。それは「経営」ではないのです。むしろ「反経営」なんです。
>で、fuku33さんが教えることになった学生さんたちのことを考えますと、現代日本の福祉業界というのはまさにその「反経営」が国家的にまかり通っている分野であって、最初っからマネジメントが崩壊しているわけです。
>そんなところに一兵卒としてこれから送り込まれる人たちに対して何か言おうとすると、「トリアージ」が出てくるのも分からなくはありません。「緊急事態」の中に飛びこまざるを得ないんですから。
>ただやっぱり、それは「マネジメント」でもなく「経営」でもないと思うのです。
(引用は本文でリンクされたものと同じページです)

sivadさんは「トリアージを持ち出す状況はすでに経営ではない」とおっしゃっています。
むしろ女子学生が「かわいそう」と思う事はsivadさんのドラッガー解釈に適合しているとすら思います。
おなじ学問の中で複数の学説がある場合、よりその事業の現状に則した説は私はsivadさんの解釈だと考えました。

災害医療でのトリアージの性質は、支援の物資や人間が到着するまでの有限の時間の中で最大効用を求めるものです。それでも阪神淡路大震災や尼崎の列車事故の後の医療従事者にPTSDが問題化されています。
一方で、福祉事業でのリソースの不足というものは、区切られた時間というものがありません。そこに「選別」を含むようなトリアージの概念を導入して、それは現場のモチベーション維持に本当に役立っているとandalusiaさんはお考えでしょうか?

私の地元にも介護保険導入時に某大手の会社が参入してきましたが、間も無く撤退しました。
残った業者はその撤退した業者の担当していた要介護者を分担して引き受けないといけなくなります。そうしますと今までの事業計画が一気に変わってしまいます。幸い、その会社が参入していた時期も短く顧客もそう多くはありませんでした。
撤退した会社は経営学的には正しいのかもしれません。でも信義には悖ると私は思ってしまいます。同じ事を皆がすれば福祉事業は共倒れになってしまいます。
であれば、将来福祉の仕事に役立つ経営学を授業で扱ってくださるなら、fuku33氏にはsivadさんの解釈を取り入れて授業をしていただきたいと私は強く希望します。経営学の授業で、医療であるトリアージを扱う柔軟性があるなら、経済学や社会学の隣接分野も少しは入れていただいてもいいのではないでしょうか?福祉職に役立たない知識ではないと思います。
長くなってしまい申し訳ありません。

andalusiaandalusia 2008/08/29 01:25 リソースが足りないのは介護だけじゃないんですよ。
医療だって足りていないから、後期高齢者医療制度とか導入することになったわけですし、気象衛星を打ち上げる予算がないという話もありますし、それこそ「道路」だって予算が削られて第二東名は6車線から4車線になった訳ですし、「防衛」だって、アパッチロングボウの価格が高くなったから予算の都合で調達を断念した訳で。どの分野も予算(リソース)は足りないのです。
社会全体で何を切り捨てて何を守るか、それを決めるのは民主主義による政治であるべきです。

ohkami3ohkami3 2008/08/30 00:31 そうですね。厳密な「経営学」を定義されるならそうかもしれません。
経営学を学ぶ際に政治を否定せねばならないということが理解できないのです。
件の授業の反応へは「ナイーブ」であり、「それだから数年で燃え尽きる」と断定することは経営学の外側を【否定】していると考えます。しかも、andalusiaさんのように別分野の学問としての丁寧に扱われることなく、失敗とされておられます。

私は、andalusiaさんのご意見そのものに批判をしたいわけではありません。また、もっと福祉に予算が割かれるべきと考えていますが、それ以外の決定が全て間違いと言いたいわけでもありません。でも、服屋さんと介護が目指す事業内容が同じなんですか?そんなにポンポン同じ原理で問題解決しますか?とその授業をなさった先生を支持する方に申上げたいのです。

効率化・取捨選択は多かれ少なかれ現場ではしていると聞いています。そして、それをしなければならないことがストレスである人もいるのです。また、信頼を損ねて風評が広がれば顧客を失うこともあります。だとすれば、それをし続けることはマネジメントとして正解なんでしょうか?

算数で2+2=4は間違いありません。
でも化学で水2Lとアルコール2Lを同じ容器に入れると4Lより体積は少なくなります。
数学者も化学者もまともな人なら「相手がおかしい」とは言いません。お互いに自分の学問には暗黙の前提があり、それぞれ異なっていると知っているからです。
政治と経営が違うのは全くその通りなんです。しかし、本来政治に左右される福祉の世界に経営学を持ち込むことそれ自体がナイーブで注意深くなされるべき問題だとご理解いただけますでしょうか?

andalusiaandalusia 2008/08/30 10:25 まず、私の認識では政治は学問ではないのです。
もちろん「政治学」というものはありますが、それはメタとしての学問であり、個々の政策に答えを出すものではありません。「政治」では、中卒の人だって大学教授だって、同じ1票でありそこに優劣はないのです。
なお、私は福耳先生の授業のやり方を支持しているわけではありません(エントリを読んだ範囲で、の話ですが)。私の理解ではトリアージは「純粋」に経営学的なアプローチであり、前提として政治的な方法が取り除かれています。少なくとも初学者に対しては、まずは両方の方法があるシチュエーション(それこそ、介護でいいと思います)を提示した上で、「こういうアプローチは政治の範囲」「こういうアプローチが経営学的」とまず切り分けたほうが適切な理解がされるのではないかなと思います。
数学と化学の話は、適切なたとえ話と思いますが、私は福祉の世界は「本来政治に左右される」だけではなく「経営学的手法も有効である」と考えています。両方大事ということです。ですから、こと「経営学の授業」では、政治は守備範囲外、ということです。
服屋だけでなく、介護でも経営学的アプローチが有効であることは「非営利組織の経営」でドラッカーさんが書いている通りです。もしお読みになっていなければぜひ読んでみてください。

ところで、id:ohkami3 さんはドラッカーの著書は何を読まれていますか? ドラッカー流を推薦する点は私も同意なのですが、前提となるドラッカー理解がだいぶ私とは異なるように思われるので・・・

ohkami3ohkami3 2008/08/30 16:52 すみません。ドラッカーさんの本は読んでいません。

読んでいないのですが、ずっと感じていた違和感を失礼かと思いますが書かせてください。
andalusiaさんは、福祉の現場で「選択」をされることを、服屋さんで例えるならマーケティングの差別化とか付加価値を付けるような画期的なソリューションとお考えではないでしょうか?
私は「選択」とは、服屋さんで例えるなら、売れ残ってしまい在庫管理の経費をなくすためだけに赤字で販売する作業に近いのではないかと思っています。
戦略的に販売するなら、見切って赤字覚悟でも売ることも実際の経営でも必要でしょう。でも、「利益を出す」という目的には適っていないですよね。
福祉の「選択」でも、現実はそれをせずにはいられない。だけれども、それをしている現状は事業の目的そのものには反したものです。続けて行くことで更に経営が厳しくなるし顧客の質だって落ちるかもしれません。
「服が売れないなら値下げすればいいじゃない」「福祉の人手が足りないなら切り捨てればいいじゃない」たしかに現実はそれをせずにはいられないです。でも「有効」という言葉の意味のイメージが違うのかしらと思ってしまいました。

もしかしたらドラッカーさんはそこまでカバーしてらっしゃるのかとも思います。ただ、私の穿ちすぎた読み方であってほしいのですがandalusiaさんの「経営学的アプローチが有効」というお言葉になんとなく、そういう目的度外視感を感じてしまい何度もコメントをしてしまいました。

経営学も知らない素人が本当に失礼なことを申上げてすみません。
andalusiaさんはとても頭のいい素敵な方なので、またドラッカーさんを読んで興味を持ったらそのことでお話できたら嬉しいです。

andalusiaandalusia 2008/09/02 00:16 「選択」を服屋に例えるなら、S,M,Lサイズの服しか売らない、とかいうことになるかと思います。
(ドラッカー的には)服屋の目的(ミッション)は、服を消費者に販売することです。しかし、おっしゃるとおり営利企業では赤字の事業を続けることはできません。非標準的な体型だったり、非標準的な服の好みの客は切り捨てざるを得ません。(もちろん、多くの事業者がXXSやXXLを切り捨てているとき、あえてXXSやXXLを売る戦略はあります。いわゆる「ニッチ」です。でもやっぱり選択肢が少ないという意味では切り捨てられているし、もっと非標準的なKONISHIKIレベルの方は完全に切り捨てられちゃいますね。)
ただ、もしXSやXLの服を置くよりは、S,M,Lの服のバリエーションを増やしたほうが「よく売れる」のであれば、それだけ満足する顧客が増えるわけですから、「最大多数の最大幸福」を目指す意味でその選択は有効と言っていいかと思います。
非営利事業では、選択権がこちら(サービス提供側)にありますから「よく売れる」という基準は使えませんが、やはり最大多数の最大幸福を目指すのであれば、トリアージの場で赤タグを優先することや、特養ホームが要介護レベルの高い人を優先するのは適切かと思います。私の言う「経営学的アプローチが有効」というのは、そういう意味で言っています。

という私の下手な説明を聞くより、ドラッカーを読んでみたほうが得るものが多いと思います。ぜひ読んでみてください。「非営利組織の経営」はお勧めです。

2008-05-11 インハウスへの回帰 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

この違いはどの辺からきているかというと、結局のところ雇用流動性だ。米国では要らない社員をいつでも切れるから、プロジェクトの中核には技術を分かった人間をインハウスで採る。そういう連中を必要に応じて雇える労働市場の厚みがあり、要らなくなったらクビにしても問題ない。

SI業界もネット業界も世界に打って出られない理由 - 雑種路線でいこう

これは重要な指摘だと思います。

昔は、コンピュータシステムというのはメインフレーム上でCOBOLを動かすものであったわけです。この頃は日本でもユーザ企業さんがインハウスで開発要員を抱えるのが結構当たり前でした。なぜなら、技術の幅が(メインフレームとCOBOLと)狭く、インハウス要員でも十分対応できたからです。

それが、「オープン化」の進展により、技術の幅が非常に広くなり、インハウス要員ではすべての技術に対応できなくなってきて、ユーザ企業は自前での開発力を失い、外部資源(SIer)に頼らざるを得なくなった、というのが現状と思います。

ここで、超個人的な感覚なんですが、このメインフレームの「古き時代」は、日本の(エンタープライズ)コンピューティングは、海外より優れていたのでは、と思います。

現在でもメインフレームを使用しているところというと、まず「銀行」が思い浮かびますが、はっきり言ってアメリカの銀行のシステムはひどいものです(http://www.chikawatanabe.com/blog/2005/01/post_6.html など参照)。日本の銀行のシステム(特にリテール向け)はかなり優秀と思います。

また、製造業の生産システムも、いまだメインフレームが幅を利かせている分野でしょう。日本の製造業の強力な競争力を支える要因の一部に、手に馴染むよう作りこまれた生産システムがあると思います。多くの企業で、生産システムをERPに乗せ変えようとして大失敗をしていますが(失敗事例はあまり表に出てこないものですが、ここだけの話ほんと多いです)、これは逆説的にメインフレーム上で作りこまれたシステムの優秀さを示しているものと思います。

ちょっと前に、製造業の海外進出がブームになりましたが、今は逆に国内回帰の動きが進んでいます(http://www.asahi.com/money/topics/TKY200410170064.html など参照)。何事も行き過ぎには必ずゆり戻しが来るものです。システムも内作回帰の動きがあってもよいと思います。何より、アジャイル的手法を開発に取り入れようとすると、契約の問題がどうしてもネックになりますが、それを根本から解決するには、ユーザ企業がIT技術者を抱えて内作するのが一番手っ取り早いです。

アジャイルの「武器」は Seasar2 でも S2Struts でも Ruby on Rails でも何でもいいと思いますが、せっかくIT技術者とユーザを近づけることができる「武器」が世に出てきているのですから、ユーザ企業も武器を手に取るべきだと思います。

プログラミングは、プロだけのものであっちゃいけない。だって、エンジニアはユーザーと話をして始めて仕事ができる。お互いがお互いを知るためには、エンジニアは業務を学ぶべきだけど、ユーザーは技術を学ぶべきだと思う。そして学んだ技術で、その先を考える。

Groovin' High:ユーザーよ武器をとれ - livedoor Blog(ブログ