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FNS歌謡祭2009

結論から言うと、近年言われている「事実上の紅白」の名に値する、優良な番組だったと思いました。

視聴率20%に執着する数少ない番組の一つなので、平日のゴールデンの時間帯を4時間半ぶち抜いてはいても、その時間その時間に最適な(=数字がとれる)内容を並べていました。出演者・選曲・曲順・名場面VTRの構成等々、作り手側が抱える理由が非常に分かりやすいカラクリになっていました。

顕著だったのは、ザッピングが増えるいわゆる「正時またぎ」の時間帯の放送内容。番組の後半、10時またぎに誰が出るのかと思って見ていたら80〜90年代名場面でした。生放送なのに、相棒と浅見光彦からの乗り換え客を迎えるのが生歌ではなくVTRだということにちょっとガッカリでした。それで、もしやと思って9時ちょい前の録画を見直したら、こちらも東方神起SMAPの長めのインタビューの後に名場面VTRという、狙いの見えやすい構成でした。

今や「HEY!HEY!HEY!」もTBSの「うたばん」も懐メロ番組になってしまって、なんじゃこりゃ?と思っていたのですが、消去法的に視聴率をとれる番組作りを考えると、音楽界の不況や視聴者の年代層の高齢化などに合わせて、古き良き時代を見せることが最も効果的かつ低予算で収まるという結論に至ったことを知ってしまって、悲しい現実を認識させられました。

でも、数字云々を抜きにして考えても、昨今の音楽業界は新しいことをクリエイトすることよりも過去の名曲をどのようにカバーするかアレンジするかという方向にシフトしています。例えは、ここで上げずとも、皆さんの記憶の片隅に懐かしい童話アニメのロックバージョンが流れていたりするでしょう。「いいないいな、人間っていいな」とか「いーつのーことーだかー」とか。であれば、音楽番組の方向性も使い回しの世界に、同じくシフトすることも道理であり、今は待ちの状態なのである、と。ふむ。

いえ、本当は音楽業界は新しい曲に売れてほしいし、音楽番組も常に最新の動向を追い続けたいと思うんですよ。でも、音楽の価値は一般の私たちの想像以上に下落してしまった。それは何故か?一般的な答えとしては、音楽のジャンルやメロディーラインの発明が出尽くしてしまったとよく耳にします。柔軟な創作活動が活発に行われていた80〜90年代までの間に斬新な発想が枯渇してしまい、それ以降はかつての流行曲を塗り直して、そこに少し違う味付けをしたほうがかえってリスクも少ない。不況という背景と相まって辿り着く先として、消去法的な妥協点である、と。

でも、本当の理由は別にあるのではないかと、私は考えます。ホントの答えは、作る側のサイクルが早くなり過ぎたことが原因なのではないでしょうか。
サイクルが早過ぎて消費者の方がついていけなくなっている。だから、本来ならじわじわと人気が出てヒットチャートにも長くいるであろう楽曲と歌手は皆無になり、週替わりのヒーローが順々に1位をバトンタッチしながら時間が過ぎていく。誰がいつTOPに顔を出すのかの予想も容易く、しかし翌週にはTOPは十数ランクDOWNするのが普通。その流れの中で今年一番人気の曲を見出すのは不可能に近い。

そんな昨今、もてはやされているのが懐メロのメドレーを放送の主旋律とする歌番組です。過去VTRメドレーはサビの美味しいところを切り貼りしたものです。純粋に見ていると次から次へとよく知った曲が出てくるので非常に気持ち良く、かゆいところをどんどんかいてくれる番組に仕上がります。これが年代を超えた幅広い視聴者にウケている。・・・残念ながら、これが今の時代の最適解なのです。

お笑いの世界ではラブストーリーさえもショートコントにまとめ、1分を過ぎると飽きられてしまう文化です。まして、音楽をフルコーラスじっくり楽しもうという余裕なんか、とうの昔に無くしてしまっているのでしょう。本当のヒット曲を見つけられない所以は、サイクルが早過ぎることと、そのサイクルが消費者さえ乗り込めないでいることなのだと思います。だから、消費者は自分のお気に入りを作って、あとはスルーする。実は、ネット社会という基盤の元、様々なデフレ要素が音楽業界には渦巻いているのです。
その憂いを勿論知った上で、テレビ放送として緻密に計算された番組を提供したことに賛辞を贈りたいと思います。

JIN-仁- #06

週を追うごとにハマっていきます。なんともロマンティックなファンタジー作品であり、非常に引き込まれます。
おそらく、村上もとかのロマンティックな世界観が忠実に再現されたドラマなのだと思います。『JIN-仁-』の原作は読んだことは無いのですが、他の代表作である『龍-RON-』をいっとき読んでいました。いつどこで叶うかも分からない遠い逢瀬に想いを馳せて相手を想いやるシーンの繊細な心象描写は、少女マンガのように可憐なタッチと相まって、なんとも言えず切ない気持ちにさせられました。フィクションであり、実際にはあり得ないほどの偶然によりすれ違い続けるのですが、熟慮された時代設定により強いリアリティが感じさせられ、それもまた運命なのだと納得して引き込まれていくのです。
おそらく『JIN-仁-』の原作でもその独特の世界観が展開されているであろうことを想像させられる、魅力に溢れる作品になっています。
中でも、毎回用意されている、主人公・南方仁が恋人・未来と二人並んでいる写真を見つめながら、自らを省みるシーンは秀逸。どうして過去へタイムスリップしたのか、江戸時代で自分が何をすればいいのか、あるいは何かをしてはいけないのではないか、この先どうなるのか、そして、遠いところで眠っている恋人・未来への想い。博識ある人間であるが故の深い考察がやがて自分の存在意義にまでメスを入れ、何か事を果たす度にそれを繰り返すことで、段々と前向きな気持ちに変わっていく。その姿が、視聴しているこちら側にも伝わってきて、私自身に置き換えて考えさせられます。だからこそ引き込まれるのでしょうね。
原作を読みたい気持ちは強いですが、読んでしまうと原作とドラマとの相違を考えてしまったり、視聴する上でのノイズが生まれてしまうでしょうから、毎週のドラマに集中したいと思います。

AKB48、テレフォン史上最多の33人で出演!

冠番組を持つようになり、新曲『RIVER』もオリコン週間ランキング1位になり、ということで堂々の登場。

タモリは「せっかくだから全員自己紹介してみようか」と勧め、出演者全員が元気になぜか好きな漢字と自己紹介を行なった。タモリは全員の自己紹介が終わると「ご苦労様でした」とメンバーに伝えた途端、「時間となってしまいました」と自己紹介のみでコーナーがほぼ終わる形になってしまった。

http://www.sanspo.com/geino/news/091112/gnj0911121232026-n1.htm

いつも置かれる大きなカレンダーも取っ払って舞台いっぱいに並んでもまだ収まらない状態で、タモリの居場所も狭くなってしまい、ほぼ立ちながらのコーナーとなっていました。おそらくAKB48的には、数で圧倒することが一番の見せ場であり、タモリの進行とともにワーっと出てきてワンコーラス踊って歌った時点で立派な出オチとして成立していたと思います。
ただ、その後を任されたタモリも、ここからどうつなげりゃいいんだ!?といった感じで困惑。ジャニーズ33人とかハロプロ33人とかなら、まだピンポイントでキャラが立っている人に話を振ってやり取りできるけど、こちらさんたちはほぼ団体芸*1なので、出てきちゃったら手の出しようがない状態。でも、それをなんとかするところがタモリの匠の技で、しれ〜っと「じゃあ、一人ずつ自己紹介しようか」と淡々と進行。自己紹介が始まると、間もなく、勘の良い観客たちが「尺に収まるの?」的な雰囲気でざわざわしていて、とても共感しました。
まあ冷静に考えりゃ、タモリのアドリブではなくあらかじめ台本が用意してあったのでしょうね。案の定、自己紹介の終わりとともに予定調和のようにジングルが鳴り、観客の「え〜っ」の声のままCMへ。この出来の良さ、作り手のファインプレーでしょう。

*1:私は大島・前田しか知りません。笑

朝まで生テレビ - 「激論!若者に未来はあるのか?!」


十数年ぶりにこの番組を見ました。すったもんだしながらの討論でしたが、面白かったです。
結果的に今日のクサビの役割を務めることになる東浩紀氏が冒頭で投げやりに言っていた通り、若い世代が勝てない「設定」があらかじめ用意されていたので、建設的なお話ができませんでしたね。若者に主張させるテイを取りながら、それを片っ端から蹴散らす舞台とシナリオが用意されていて、テーマの正解が出ないまま終わってしまいました。制作側の悪意さえ感じます。
若手はおとなに何を言いたいんだ? ほれ、言ってみろ という乱暴なヒアリングからスタートして、何か言おうとすると横槍が入り、30代前半の市議会議員さんが「若者の意見を聞いてほしい」という主張が出ると、「だから聞いてやってるんだよ、具体的な年金政策を提示してみろ、ほれ、ほれ」と言った具合。田原総一郎議長が若手パネラーの意見を聞いてはその度に脱線して、一巡するまでに2時間半。ようやく話に血が巡り始めた頃には、残り時間があとわずか・・・。
しかし、そういう設定でのアドリブ芝居−−カタいテーマのスリーシアターみたいなもの−−だと念頭に置いて斜めから見ると、そこそこ面白く見えてしまうんですよねえ。困ったことに(笑)
特に、番組の最後に発表された電話・FAXのアンケート結果で、おとな世代に言いたいことの1位が結局「若者の意見を聞いてほしい」だったというオチが用意されていて、それを見た田原総一郎が「だからこういう場で聞いてやってるんじゃないか」みたいな堂々巡りに陥ったのは、偶然というか必然というか、よく出来ていて面白かったです。聞いてやっているじゃないかといいつつ、ロレツが回らない老齢にも関わらず議長の座を後進に譲らないアナタのような おとな世代 に、忙しい時間を割いてでも教えてあげようという献身的な若者達がお話をして差し上げているんですよ、と言ってあげたい気持ちを視聴者に持たせたままエンドロールに入ったのはお見事でした。
あと個人的にはJoe氏vsモリタク氏が見どころだったので、後半になってきて丁寧にもぐら叩きをしている姿を見ては、ブラウン管のこちら側は手を叩いていました。本来ならまだアナログなままの自分には見られない端の人たちの表情が、今回は地デジサイズでの放送だったので、ちょいちょい見切れていたので、もぐら叩きを始める前の様子も分かって面白かったです。

C.ロナウドとはんにゃ

さほどサッカーも若手芸人も詳しくはないですが。
クリスティアーノ・ロナウドがサイドを上がったところでいったん立ち止まって左右に揺れるフェイントって、はんにゃ・金田っぽくないですか? 金田のどのキャラとかじゃなく、雰囲気的に。マッチ棒みたいな頭部から上半身にかけての揺れ具合は、カクカク感がモーションキャプチャーっぽくて、けっこう紙一重だと思います。
もうちょっとこじつけると、ドリブルで中央突破して相手守備陣を4人抜いて最後にかろうじてキーパーにセーブされるあたりは、ジョセフィーヌのお稽古で4人がびんたされて最後に川島がのってこないくだりとかぶってないこともないかなと。
大した話じゃないのですが、誕生日が1日違い(年は一つ違うけど)だそうなので、軽くメモ書き。(C.ロナウドはんにゃ) どっちのファンにも怒られそうですね。まあどちらもファンタジスタということで。

こち亀(第7回の再放送)

今夜の最終回SPを控えて、前回の白バイ警官ホンダの恋愛話の再放送。
ホンダ役にウッチャンを持ってきたファインプレーは感動さえさせられました。漫画のホンダは、その二重人格の豹変ぶりに実写不可能かとも思われるキャラクターですが、それを驚くほど忠実に再現していました。これぞ「憑依芸人」と言われるウッチャンならではの熟練の業でしょうね。お得意のカンフー風味を織り交ぜた仕上がりは素晴らしく、「ドラマ以上、コント未満」のエンターテイメントとして求められた仕事をきっちりとこなしていました。
思えば、かつての孫悟空×沙悟浄です。ドラマ『西遊記』は、ジャニーズとお笑い芸人がトップ女優や若手俳優と同じ目線で作品作りをするナイス・コラボが見られました。「俳優」「女優」に加え、「タレント」「アイドル」「芸人」「文化人」「MC」がそれぞれ自分の力に+αすることで新たに生まれるエンターテイメントは、まだまだ今よりも先にすそ野が広がる可能性が感じられて楽しみです。