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三国志 Three Kingdoms 24、25、26

赤壁の戦いの後、荊州の支配をめぐって孫呉劉備の間に緊張が走る。荊州獲得を急ぐ周瑜を牽制するかのように、諸葛亮は油江口に兵を集める。劉備勢の動きを訝る周瑜劉備の陣営を訪れ、その真意を測るが劉備孫呉にこそ優先権があると明言、周瑜を煽る。周瑜は30日の間に荊州南郡を手に入れると豪語、諸葛亮周瑜が失敗したら、その時は劉備の手中に収めると言質をとった。
周瑜曹仁のこもる南郡を激しく攻め立てるが、激しい抵抗にあう。曹仁配下の牛金らの奮戦により、周瑜自身が矢傷を負うなどして陣を後退させる。周瑜は自らが戦死したことにして陣中で葬儀を催し、曹仁らを誘いこんで撃滅、南郡は周瑜らの手に落ちたかに見えたが、戦の成り行きを読んでいた諸葛亮曹仁の隙を付き、南郡のみならず襄陽まですでに占拠していた。城壁の上に翻る劉備の旗を見て激高した周瑜は血を吐き、撤退を余儀なくされる。しかしなおも荊州攻略を諦めない周瑜は主君・孫権に増援を要請した。
周瑜の容態を心配する孫権魯粛に諮って一計を案じ、合肥方面を攻め、そちらに周瑜の軍を合流させようとする。
その間、魯粛劉備の陣営を訪れて荊州の領有に付いて交渉を行う。荊州孫呉支配下に置かれるべきとする魯粛に対し、諸葛亮劉表の長子、劉キが存命の間は劉キの同族である劉備が代理で収めるべきと譲らない。そして余命いくばくもない劉キが亡くなったあと改めて討議することとした。
周瑜の撤退を見て諸葛亮荊州各地に軍を派遣する。零陵では刑道栄の偽降を見破って屠り、劉度を傘下に収めて改めて太守に任じ、ついで桂陽では趙雲が陳応を一蹴する。おそれをなした太守趙範は投降するも、未亡人となっている兄嫁を趙雲に目合わせ、曹操へ帰順するよう説き、趙雲の逆鱗に触れて縛り上げられてしまう。
長沙攻略を志願した関羽は長沙太守韓玄配下の老豪傑、黄忠と一騎討ちを繰り広げる。300合撃ちあってもなお決着が付かず、黄忠の馬がよろめいた際に、関羽は追い打ちをせず、黄忠の一命を助け帰陣させる。翌日、再度出撃した黄忠は百発百中の弓を空撃ちして関羽の礼に応えたが、それを見た韓玄は内通を疑い、黄忠を処刑しようとする。韓玄の無道に憤った魏延は反乱を起こし、韓玄を殺害、長沙もまた劉備の元に下った。
降将の礼をとる魏延に対し、諸葛亮は不忠であると処刑を命令。劉備諸葛亮に助命を促し、魏延は一命をとりとめて退出した。
劉備は降伏を恥として自邸に閉じこもる黄忠の元に出向き、説得に応じた黄忠劉備の臣下となった。
荊州各地を制圧した劉備の元へ、劉キが死去したとの報が届く。これで荊州の領有を巡って孫呉と争うことが必定となる。
一方、孫権合肥で大敗し、股肱の臣であった太史慈を失う。敗戦に肩を落とす主君孫権魯粛は劉キが亡くなったとの吉報をもたらす。
周瑜は軍を興す気勢を見せて劉備を牽制し、魯粛の交渉を支援する。粋に感じた魯粛諸葛亮相手に譲らず、劉備が蜀を得た際は荊州孫権に変換するとの誓紙を獲得する。
一定の成果を得た魯粛周瑜と痛飲し、昔話に興じる。周瑜魯粛諸葛亮を天が定めた宿敵と認めていることを明かし、魯粛は嘆息する。
劉備の妻である甘夫人が亡くなる。訃報を知った周瑜劉備孫権の妹と娶せ、劉備孫呉支配下に篭絡する計略を立てる。



まさかの合肥戦スルー。張遼哀れ。太史慈も一言だけで死んだことに。全部入れてたら尺が足りないもんな。
関羽vs黄忠はまあまあ見応えアリ。鐙を利用したアクロバットなど、歴史的にはあり得んことだが、そんな事言ったら青龍偃月刀や方天画戟も無くなっちゃうし。
甘夫人逝去の方を受ける際、劉備双剣演武が見られるのは珍しいといえよう。
魏延の声は大塚芳忠さん。あの声で「誰が俺を殺し得んや!」が聞けると嬉しい。