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日々:文音体触 〜compose&contact〜 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-10-16

[]午前10時。人差し指で、手をつなぐ。 22:57 午前10時。人差し指で、手をつなぐ。を含むブックマーク 午前10時。人差し指で、手をつなぐ。のブックマークコメント

今日家族三人で八王子の街を散歩した。抱っこ紐で息子を抱く係を妻に取られてしまったので、手持ち無沙汰な僕は息子の手を触って遊ぶ。息子は五本の指で力いっぱい僕の人差し指を握る。

◇というわけで昨日、妻の実家から八王子に帰ってきた。息子は移動中眠っていたけれど、眠る前と起きた後で違う家に居るということがわかっただろうか。実家の柴犬、奈々は、僕らが滞在していた部屋に入り、寂しそうに匂いを嗅いでまわっていたらしい。祖母が、もうみんな帰ったのよ、と言うと、渋々部屋から出てくるのだという。犬は死と不在の違いを知っているのだろうか、というのは江藤淳の疑問だった気がする。

◇そのまた前日、金曜日は会社の休みをとって、妻と息子の一ヶ月検診に付き添う。僕は息子を、妻はマザーズバッグを抱え、混み合った院内を行き来するのは結構くたびれたが、家の外で息子と歩くこと自体がとても嬉しい。妻の実家に帰宅してしばらくすると、腰が相当痛くなっていることに気付く。

◇並行してアラザル原稿を終わらせる。『ラッパー宣言』というエッセイを連載形式で書いているのだけれども、今回はラップについて、原理論的なことを書いた。書いている最中は物事が整理されていくことに快感を覚えるのだけれど、書き終えてみると、当たり前のことを今更何を言っているのだという気がしてくる。人間認識というのは順応がものすごく早いので、だからこそ早計や焦慮などは危ないんだろう。

◇そういえば、3000メートル泳いで以降、水泳には行っていない。土曜日は移動、日曜日は母の訪問などがあったので、結局来週辺りから八王子の週末が始まるんだろう。今日はまだまだリハーサルである。であるが、息子は最初から本番のつもりでいるらしい。息子が声をあげるたび、妻がやさしい声色で返事をしているのを聴いている。

テレンス・マリックツリー・オブ・ライフ』。上映期間も終わりかけの時期に駆け込んだ。そのときはまだアラザル原稿を書いている最中だったので、どうしてもそっちのテーマに惹きつけて観てしまう。つまりこれは、時間自分のものとして掴む映画だ。

 生命起源を語る映像連続は、一歩間違えればやたら大仰で野暮ったい。これらは様々な生命連鎖を順番に描いていき、そのままひとつ家族物語へと流れていくのだが、この流れは見ようによっては、あるひとつ家族物語を、この地球誕生の歴史になぞらえるようでもあり、尊大だと受け止められる節もあるだろう。ただ、これを長男による記憶、太古の昔から脈々と受け継がれてきた記憶として捉えてみると、全くもって凄まじい時間認識で何かが語られようとしていることに気が付く。別にネタバレどうこうが問題になる映画ではないのでためらわずに書くけれども、これは始めから終わりまで長男視点で語られ続ける映画だと思う。生命起源から両親の記憶、そして二男との思い出。これらは全て長男の肉体のなかに潜在する記憶という意味では一緒なのである。

 「自分人生を掴む」というのは、父親が息子たちの前で話す台詞である。その裏で、父親自身もまた自分人生を掴もうと躍起になっている様子が描かれる。音楽家になる夢をあきらめた過去と、仕事がうまくいかない現状。過剰なまでに息子に抑圧的な態度を取るのは、彼の人生の続きを息子に託すからである。長男は、自分人生を父の人生から切り分けようと、次第に反発を強めていく。

 だが自分時間を掴むために幼い長男が試みるのは、結局二男を支配することでしかない。それ以外の術をまだ知り得ない彼は、しかし自分が父と全く同じ行動を取っていることに無自覚でいられない。愛する弟を傷つけることでしか父から逃れられない彼は、常に引き裂かれるような感覚を覚える。二男の死を思うとき、彼はその念をより一層強くしているのだろう。

 だが映画、つまり彼の記憶とされている映像を観れば、彼は父の想定する「人生」とは別の時間を、様々なところで見つけていることに気がつく。風に舞うカーテン女性の足元を揺れるスカート、川に流された下着。あるいは特徴的な歩き方を真似てみたり、ターンテーブルに手をつっこんでレコード変速してみたり。つまりここでの時間認識とは、ある大きな唯一の時間自分の元へと引き寄せるのではなく、あらゆる方向に向かう流れを受けながら自分がどのような表情を見せるかなのである。それに気が付いた時、彼は複数の時間交錯する地平へと一気に開かれる。この複数の時間交錯が、自分の編み上げた自分時間であり、つまり言葉であり、フィクションである。河口で記憶のなかの人物と出会い、語り、別れながら、彼は自分物語自分の手で紡いでいることに気がつく。僕らが夢想するエデンの園には、生命の樹が深い永遠のなかに根をおろすのである。

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