留学生・横田等のロサンジェルス・ダイアリー =9= 8月24日 木曜日


   きょうは真紀に電話をかける日だから、話はあまり進まないかもしれない。いや、横道にそれてなきゃ、きのうだって先へ進んでいたんだろうけど、あれこれ頭に浮かんでくることがみな重要なことに思えてしまったもんだから。
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   今夜の[フレンズ]も再放送だろうな。最初には聞き取れなかったことが二度目には分かったりするから、(だいたいのところ)五月から九月までのオフ・シーズンのプライムタイプに人気番組を再放送するというこちらの慣行は、僕らみたいな、英語力がまだまだの外国人にはけっこうありがたいんだよ。…もちろん、ビデオテープに録画して何度も見るという手もあるわけだけど、そこまでやっちゃうと、ほら、勉強そのものになってしまって、ストーリーやユーモアが楽しめなくなりそうじゃない。
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   秀人君のけがの話に戻るよ。
   前に言ったように、英語学校に歩いて通っているぐらいだから、想像できるよね。ああ、遼子さんは自動車を持っていないんだ。すぐにも日本に行けると信じているからか、リチャードさんもおなじだ。
   アメリカ中を転々とする柴田さんも(持っていた[フォード]のピックアップ・トラックを二年ほど前に売り払って以来)車は持たないことにしている。よその都市でそうしているように、〔必要なときには借りる〕という考えなんだ。…柴田さんをレンタカー会社まで運んでやるのは、まわりにいる(僕のような)車を持っている人間の仕事になるわけだけどね。
   このホテルには、自動車を持っている日本人が、もちろん、ほかに何人もいるんだよ。そうそう、だれよりも先に、ロビーで秀人君のことを心配していたもう一人の人物、武井さん。…自分で大小のヴァンを運転しながら日本人観光客を案内して回るのが仕事だし、ロサンジェルス空港の近くにあるガイド会社まで毎日自分の車で通っているんだから、あの月曜日の夜は、武井さんが秀人君を病院に連れて行くこともできたはずだったんだよね。なのに、柴田さんは僕の部屋のドアをノックした。
   それは、たぶん、僕がほかの人たちよりはいくらかましな英語をしゃべるからだったんだと思うよ。これから秀人君を病院に連れて行こうというんだから、できれば、なるべく英語をしゃべる者がいっしょの方がいいじゃない。
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   ホテルの長期逗留日本人のあいだには(気の合う者どうしがいくつかのグループに分かれて、ではあるけれど)たとえば、車を持っているものは車を、時間が余っている者は時間を、腕力のある者は腕力を、経験を積んでいる者は経験を、知恵のある者は知恵を、みたいに、それぞれが持っているものを互いに提供し合うようなところがあって、あの夜はたまたま僕の英語力が(車といっしょに)求められていたわけだ。
   武井さんが車を、僕が英語力を、という分業にならなかったのは、そうしたんじゃ、いくらなんでも頭数が多くなりすぎる、と柴田さんが判断したからだったと思うよ。…その柴田さんがつき添ったのは、ほら、あの人は何かと〔経験〕を積んでいる、面倒見のいい人だから…。
   遼子さんとスティーブさんが〔見送り組〕に入ったのは…。(車がなくて英語力もまだまだといったところらしい)遼子さんには、いつものように、腐るほど〔時間〕が余っていたらしいんだけど、あのときはそんなことが求められていたわけじゃなかったし、(あの夜は警備の仕事がなかった)スティーブさんは、英語は完璧でも日本語ができないから、医者だか看護婦だか受付の職員だかに秀人君が何かを質問されても通訳してやることができないから、だったんじゃないかな。
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   というようなわけで、月曜日の夜、僕はパッセンジャーシート(助手席)に柴田さん、リアシート(後部座席)に秀人君を乗せ、(柴田さんが調べていた中ではリトル東京からいちばん近いところにある救急病院)[ホワイト・メモリアル・メディカルセンター]に向けて僕の車を走らせた。…恨みがましげな表情で三人を見送った遼子さんのことは、(気の毒だったかなって気が、いまはするけど)ファースト・ストリートを(東に向かって)右折したころにはもう忘れてしまっていたような気がする。
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   秀人君がけがをさせられた状況が分かりやすくなるはずだから、あの子が最近どう暮らしていたかを先にしゃべっておくと…。
   サンタモニカの砂浜でふと〈電子工学がなんだ〉と思ったあと、なんとなくロサンジェルスに居ついていた秀人君は、実は、二か月ほど前から、ダウンタウンにある(あの子がいうには)〔弁当屋〕で〔コック見習い〕として働いていたんだ。「英語学校に通っているって嘘をついて送金してもらいながらただ遊んでるだけじゃ、親に申し訳ないと思ったもんですから」というのが、まあ、動機といえば動機だったそうだ。…そんな求人があることは、リトル東京のウェラー・コートにある[紀伊国屋書店]から持ち帰ってきた(無料の)ローカル日本語情報誌に出ていた広告で知ったんだって。
   その弁当屋は、オフィス・コマーシャル・ビルディングが建ち並んでいるヒル・ストリートにあって、〔シュリンプ・テンプラ〕や〔テリヤキ・チキン〕などをメインにしたコンビネーション料理を十種ぐらい用意しているんだそうだ。客は(事実上、みな)周辺のビルで働く(人種はともかく、ふつうは倹約家の)アメリカ人だし、近くの〔ハンバーガー屋〕などと差が大きすぎてはいけないというので、値段は「けっこう安くしてありますよ」ということだったよ。…僕自身は(一度は、と思ってはいるものの)まだ顔を出したことがないんで、比較ができないんだけど。
   二週間ほど前にロビーで顔を合わせたときの話では、秀人君の仕事の内容はまだ(コック見習いからはほど遠く)、出来合いの料理をテイクアウト用のスタイロフォーム(発泡スティロール)の器に盛るだけで、「米とぎもさせてもらっていません」ということだった。…もっとも、実際にコックになる気は初めからなかったんだろうね、秀人君は、そのことに不服はまったくなさそうだったな。
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   秀人君の勤務時間は(店が開店する三十分前の)午前十時から(だいたい)午後八時まで。といっても、あいだで(ふつうは二時から五時まで)無給の昼休みを取らせられるから、実働時間は七時間ぐらいだ。
   その三時間もの昼休みを秀人君は、たいがいは、ダウンタウンをぶらぶら歩き回ることで過ごしてきた。西は([ロサンジェルス・コンベンション・センター]がある)フィゲロア・ストリート、東は(ダウンタウンのバスターミナルがある)ロサンジェルス・ストリート、北は(「ブロードウェイを上がってチャイナタウンまで足を伸ばすこともありますけど、ふつうは、まあ、ロサンジェルス郡の裁判所のビルなんかがある」)テンプル・ストリート、南は(「なんとなく、ダウンタウンの中心部というのはこの辺りまでかなって気がする」)ピコ・ブルバードまでが、秀人君の一人歩きの区域らしい。
   (こちらは、たまたま、先週金曜日に聞いていた話だけど)秀人君はちょっと前までは、ラジカセから大きな音でスペイン語のラブソングなどが聞こえてくるジーンズショップなんかをのぞいたりしながら、ブロードウェイを宛てもなく、ラティーノの人たちに混じって、南北に歩くのが好きだったそうだけど、最近は、ロサンジェルス市役所前にある広場が気に入っていたんだって。木陰に座ったり寝転んだりしていると、「これが、なんだか、気持ちいいんですよね」ということだったよ。
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   で、そう聞いたとき、僕は、ほとんど反射的に、というか、深い考えもなしに、というか、とにかく、秀人君の言葉が終わりきらないうちに、「危なくない、あの辺り?ホームレスの人が多くて?」とたずねてしまったよ。秀人君は静かに「そんなことはありませんよ」と答えると、ひと呼吸したあとほほ笑みながら、「ぼくもホームレスみたいなものですから」とつけ加えた。
   暮らし方や暮らしの質という面から見れば、秀人君とホームレスの人たちとの距離は実際にはずいぶん遠かったはずだよね。でも、ロサンジェルスで中途半端に暮らしている自分を、そんな人たちへの同情や親近感から〔ホームレスみたいなもの〕という秀人君の気持ちは理解できるような気がしたから、僕はそれ以上は何もいわなかった。
   それに…。僕の問いには〔ホームレスだから何か悪いことをすんじゃないか〕って、いわれのない偏見が含まれていたことに気づかせられて、僕、そのことをしきりに反省していたし…。
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   あのとき、あんなふうに理解したり反省したりするんじゃなくて、〈観光の名所でもあるサンタモニカの砂浜でなら分かるけど、あの市役所前の広場で寝転がっていると〔気持ちがいい〕というのは、やっぱり、変なんじゃないか〉あるいは〈あの広場に限らず、ダウンタウンではどこででも、だれに対してもでも、警戒を怠らないのがほんとうなんじゃないか〉〈アメリカでは、特に僕らみたいな外国人は、十分過ぎるぐらいに用心しながら暮らすべきなんじゃないか〉というふうに考えていれば、僕は秀人君に何か違うことを言っていただろうし、三日後の月曜日のあの事件も起きていなかったかもしれないのにね。
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   思うんだけど…。
   僕自身の(ホームレスに対する)偏見のことは忘れて言うと、(このごろでは、移民が急増しているヨーロッパでもそうらしいけど)難しい国だよね、アメリカは。
   平和で安全に日々を過ごしたいという大多数の気持ちが誤って表現されると、ほら、日米戦争中に日本人、日系人が収容、隔離されてしまったように、いつの間にかマイノリティーへの偏見や差別という形にまとまってしまいかねないし、その一方では、月曜日の〔秀人君がホームレスにやられた〕事件にも表れているように、マイノリティーに対する理解や思いやり、優しさなどといったものが、意図したとおりに機能するとは限らないみたいだから。
   そういう難しさを抱えていても国全体がダイナミックに動いているところが、また、この国の魅力でもあるわけだけど…。
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   (おなじ金曜日に聞いたところによると)秀人君がいまもらっている給料は一時間あたりで五ドル一五セントだそうだ。だから、日給としては三六ドルぐらいになるわけだ。テイクアウトが中心の店だし、秀人君の仕事はカウンターの中に限られているから、チップを客からもらうことはないんだって。
   月曜から金曜日まで五日間働いて、秀人君が手にする額は一八〇ドルほどだ。これは、僕のいまの週給よりは二〇ドル少ないんだけど、あの子は別に、四ドルほどの〔弁当〕を毎日食べさせてもらっているそうだから、現実的には、僕の週給とほぼおなじ額になるんだよね。…もっとも、僕の方は、勤務時間があいまいなまま、超過勤務手当なしで、週に〔六日間〕働くんだけどね。
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   何もたずね返されなかったから、僕の給料がいくらだなんてことは秀人君に告げなくてもすんだけど、僕は内心で、〈なるほど、こういうふうに比較してみると、広い世間の物差しが当たって、『南加日報』がどういう経営状態の企業であるかが浮き彫りになる、というか、よく分かるじゃないか〉なんて、変に感心してしまったよ。
   ついでに言っておくと、この店のオーナー・経営者は日本人だ。オレンジ郡のどこかに大きな日本食レストランを持っている人で、先でファストフードのチェイン店を展開させるための実験として、この〔弁当屋〕を始めたんだって。
   そんな大きな計画のある人なら、例の〔三時間もの無給昼休み〕なんてケチ臭くて、働く者に不便なことは考え出さなくてもよかったろうに、みたいなことを(同情のつもりで)言ったら、秀人君は「そんなふうに〔ケチ臭く〕なかったら、大きい事業はできないのかもしれませんよ」って、みょうに大人びた口調で答えたよ。
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   で、月曜日。リトル東京からほんのちょっと東に当たるボイルハイツにあるその病院に着くまでに説明してもらったところでは、秀人君はこんなふうに〔ホームレスにやられた〕んだって…。
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   あの日は、秀人君がその一八〇ドルの週給を受け取る日だった。…正社員である日本人の店長と(二、三人が交代で七時ぐらいまで働く)パ−トタイムのラティーノの女性たちは、二週間ごとの金曜日に小切手で給料を受け取るようだけど、(不法就労者である)秀人君は毎週月曜日に現金(つまりは、たぶん、帳簿外のカネ)で払ってもらっていたんだ。
   受け取った給料をズボンのポケットに入れて、秀人君はいつもどおりに、夜八時ごろ店を出た。その時間になるとダウンタウンの店はほとんどが閉まっているから、どこといって寄り道するところもない。ヒル・ストリートを北に上がった。あとはシックススかフィフスを東に向かうだけだ。その夜は、前の週とおなじように、西向きに一方通行の、つまりは、自動車が秀人君の方に向かって走ってくるフィフスを通ってホテルに戻ることにした。あとは、ホテルのあるスタンフォード・アベニューまで一直線だ。
   歩道の端に、ともに背の高そうな痩せたアフリカン・アメリカンが二人うずくまっているのに、秀人君は気づいていた。けれども、もう何回も通った道だったし、そんな光景は見慣れていたから、恐いというふうには感じなかった。ポケットの中の現金を一度にぎりしめてみたぐらいで、特に警戒もせず、その二人の前を通り過ぎた。
   背後から襲われたのはウォール・ストリートとの交差点の近くだった。一人に組みしかれた。両腕を背中でねじ上げられ、顔を路面に押しつけられた。すっかり無防備になった秀人君のズボンのポケットに、もう一人が手を差し入れた。ポケットが破れた。
   二十秒とはかからなかった。二人はウォール・ストリートを北に向かって(秀人君がいうには「人を襲って現金を奪ったにしてはのろい走り方で」)去って行った。
   左手の中指がひどく痛かった。左のこめかみ辺りから少し血が流れていた。
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   秀人君には、ホテルまでの道のりがいつもの数倍に感じられた。でも、急ぎ足にはならなかった。
   [ムスタング]の中。(僕がロビーに降りて行くまでに着替えていたのだろう、路上にねじ伏せられた形跡などどこにもない、さっぱりした服装になっていた)秀人君は苦笑まじりで言った。「ズボンのポケットが破られ、顔にもすり傷を負った、いまだれかに襲われたばかりだってことがありありの人間を〈俺も襲ってみよう〉なんて考える者なんかいないと思いましたからね」
   秀人君はつづけた。「ぼくがいけなかったんです。市役所前の広場でホームレスの人たちと顔見知りになり、そのうちの何人かとは、片言の英語でですけど、ちょっと話をしたりするようになって、ぼく、あの人たちのことは、たいがいの日本人よりは分かっている、と思っていました。…いい人が多いんですよ。ほんとうですよ。…絶対に、進んで罪を犯すような人たちじゃないですよ。なのに…。ふだんはそう思っているのに…。ずっとそう思っていたのに… 。
   「ぼくは今夜、少し現金を持っていました。持っていたから、あの二人の姿を見たとき、思わず、ポケットに手を入れてしまいました。…さっきは〔特に警戒もせずに〕っていいましたけど、やっぱり、警戒しちゃったんです、ぼく。あの人たちのことを、疑ってしまったんです。…ぼく、あの人たちのこと、ちっとも〔分かって〕はいなかったんです。
   「そういうしぐさって、〔ここにカネがあるよ〕ってわざわざ告げるようなものですよね。そんなところを見せられれば、カネを奪うつもりなんかなかった人でも、ふとその気になっちゃうかもしれませんよね。…ぼくが犯罪を誘ったようなものです。
   「貧しいとか、カネがないとかいうのは、行き着けば、そういうことですよね。個人的にはいい人だとか、気持ちの優しい人だとか、そういうことに関係なく…。困りきってしまえば…。
   「結局は、ぼく、一つの国の中で貧富の差が大きいというのはどういうことなのか、とか、アメリカって国はどんなところなのか、とかが、よく分かってはいなかったんですよね。
   「ホームレスの人たち何人かと知り合って、ぼく、もしかしたら、そのことを心のどこかで密かに自慢にさえ思っていたかもしれません。ほかの人たちにはできないことを自分はやっているんだ、みたいに…。そのくせ、さっきは、何より先に、ポケットに手を入れたりして…。
   「ぼくがいけなかったんです。ぼくの考えが甘かったんです。間違っていたんです。だから、こんなことになっちゃったんです」
   一気に、というほどじゃなかったけれど、つづけてそれだけことをしゃべったんだから、秀人君は、やっぱり、まだいくらかは興奮していたんだろうね。
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   秀人君のそんな話を聞きながら僕は、〈あれ、ちょっとの間に、秀人君は児島編集長とおなじように考えるようになっている〉と思ったよ。だって、ほら、ハロウィーンの日に拳銃で撃たれて死んだ日本人留学生について編集長は〔アメリカがそんな国だと知らないで暮らしていた当人が悪い〕って主張していたじゃない。考え方、似ているよね。…秀人君が思いやりみたいなものをベースにして自分を責めているのに対して、編集長は(そこは新聞人らしく)現実主義に徹して第三者を批判していた、という大きな違いはあるにしても。
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   柴田さんはそのどちらとも違っていたよ。    秀人君の話を聞き終えると、あの人はこう言った。「秀人ね、そんなことをいうやつがいるから、この国では犯罪が、減らない、どころか、増えつづけるんだ。お前は人が良すぎるよ。優しすぎるよ。他人を襲ったやつが悪いに決まってるじゃないか。他人を傷つけてカネを奪ったやつはみな死刑にしちゃえばいいんだよ。そうすりゃ、この国はもっと住みやすくなるんだ」
   すしを握るという〔特殊な技能〕が必要な仕事に就いてとっくに永住権を手に入れていて、しかも、働き口に困ることがない、つまりは、アメリカでいちおうは好きに生きることができるようになっている柴田さんならではの意見だ、と思いながら僕は聞いていたよ。
   いや、柴田さん自身は、経済的に成功しているわけではないし、新参日本人移民(〔新一世〕)の一人で、あくまでもマイノリティーに属している人間なんだけど、〔好きに生きることができる〕という点で、意識はすっかり〔マジョリティー〕になっているんだね。…身分上の保障や経済的な見通しがないまま(違法と知りながら)働きだした秀人君がホームレスに同情的になってしまう理由が理解できないほどに〔マジョリティー〕にね。
   柴田さんが(日本人以外の)犯罪者に対して厳しいことをいうのは、(一般的に言って)犯罪に走ることが少ない日本人を、自分を含めて、全体として優越視しているから、という面も一方にはあるのかもしれないけど…。
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   柴田さんのコメントに秀人君は答えなかった。
   僕も何もいわなかった。
   秀人君の考えが小島編集長の考えと通じるところがあるとすると、柴田さんの(少しよじれた)意見は、マジョリティーである白人でいながら、そのことの恩恵を十分には受けていないらしいスティーブさんのに似ていると思ったよ。…アメリカでいま、だんだん勢力を強めているというエクストリーミズム(極端・過激主義)っていうのかな?
   たしかに、柴田さんが言ったように、〔他人を襲ったやつが悪い〕のだし、スティーブさんが町役場の仕事に就けなかったのは〔白人に対する逆差別〕なのかもしれないんだけど、襲った者を死刑にし、マイノリティーの優先雇用を全部やめてしまったからといって、それだけじゃ、問題は解決しないんじゃないかな。新たな問題が別に起きるだけなんじゃないかな。この国は〔住みやすく〕はならないんじゃないかな。
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   で、病院でのこと。
   着いてみると、(秀人君と看護婦さんなんかの会話を通訳することも僕の仕事のうちと、いちおうは心構えしていたのに)僕の出番は事実上、どこにもなかったよ。柴田さんが豊富な経験と度胸に物をいわせて、何もかもてきぱきとすませてしまったんだ。…僕は〈こんなところはやっぱり、この人、大人だな〉って、ずいぶん感心させられてしまった。
   〔事実上〕というのは、受付の窓口にいた男性に向かって柴田さんが(秀人君に左手を差し出させながら)、「アイ・シンク・ジス・ヤングマン・ニード・〔レントゲン〕」と言ったのを、(〈〔ニード〕はやっぱり 〔ニーズ〕にして、〔ニーズ・トゥ・ゲット・ヒズ・レフト・ミドルフィンガー・エクスレイド〕というふうにつづけた方がいいな〉と思いながら)その〔レントゲン〕を〔エクスレイ〕と訂正したことがあった、ということなんだけど、僕が口をはさんだのは、とにかく、そのときだけだった。
   柴田さんがホテルで僕に声をかけてきたのは、(僕の車、運転のことを別にして言えば)思うに、言葉が通じないこともあるかもしれない、だから〔念のために〕、という考えからだったんだろうね。…その〔エクスレイ〕のひと言で、柴田さんが期待していた役割を十分に果たしたんじゃないかな、僕は。
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   真紀に電話をかける八時が近づいているから、あとは大急ぎになってしまうけど…。
   三十分ほど待たせられたあと撮ってもらったXレイ写真で、秀人君の指は、脱臼しているだけで、骨折しているわけではないことが分かった。アフリカン・アメリカンのドクターが、第一間接のところで人差し指の方に曲がっていた秀人君の中指を、あの子が痛がっているひまもないうちにまっすぐにして、その指に軟膏みたいな薬をぬり、ガーゼとプラスティックの固定板を当て、そこを包帯で巻くと、手当てはそれで終わりだった。
   ドクターは、あとですごく痛むようだと[アドビル]か[タイラノール]を買ってのむようにと口頭で指示してくれただけで、処方箋は別に書かなかった。左のこめかみのところのすり傷については(秀人君が診てくれといわなかったからか)、手当ては何もしてくれなかったよ。
   緊急の診断・治療費は全部で一二〇ドルだったそうだ。…三週間ほどの予定でやってきていた旅行だったから、日本を発つ前にかけていた([東京海上火災]の)海外旅行者保険はとっくに期限が切れていて、全額が秀人君の自己負担だった。あの子はそれをトラベラーズ・チェックで払ったよ。
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   当人のチェックであることを確かめたいから身分を証明するものを何か見せてくれ、とキャッシャーに求められたとき、秀人君は一瞬ためらったようだったな。…差し出したパスポートを詳しく調べられると、不法に長期滞在していることがばれてしまう、とでも思ったのかもしれない。
   (秀人君にとっては幸いなことに)キャッシャーはパスポートの名前と写真にちらりと目をやったあと、サインをチェックのものと見比べただけで、入国日付などには(もちろん)まったく関心を示さなかった。…悪質な罪を犯したのでもない限り、警察だって(間違って人権を侵害してしまうことを惧れて)人のビザ上のステイタスがどうなっているかなんて調べない国なんだから、病院のキャッシャーがそんなことに関心を示すなんて(まして、秀人君が不法滞在者だってことを移民局に通報するなんて)ことはありえなかったわけだけど、やっぱり…。
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   僕は〈フィニックス行きをやめ、学生ビザが切れたあとも『南加日報』で働きつづけるとなると、僕もあんなふうに、何かにつけて怯えたり、気後れしたりしながら暮らすことになるんだろうな〉と、その瞬間は考えてしまったけど、「ひどいけがでなくてよかったな」みたいな話をしながら三人で病院の駐車場に戻ったころには、そのことはもう忘れていたような気がする。
   僕自身にとってはまだ現実の問題じゃなかったからかな。
   
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(ストーリー中の人物、企業、団体などはすべて創作されたものです)

*参考著書*
アメリカの日本語新聞」田村紀雄(新潮選書)
「藤井整の言論活動 - 『加州毎日』創刊から日米開戦まで」関宏人(慶応大学卒業論文

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