Andyの雑記帳blog (andy-e49er) ⁦‪@Accurasal‬⁩

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◇「人生を変える身近な方法」

 以前、近所の小学校で「ふれあい発表会」を見た。縄跳び大会でクラスの6年生男女が心を一つにする。二人が回す縄を一人一人が順繰りに何回も跳んで縄跳び300回越えを目指す。大会に向けての練習から本番までの出来事を物語風に演じる寸劇を見た。劇中、連続でひっかかることなく跳ぶためにみんなの表情は真剣、そのもの。
 成績を上げるために一人一人が工夫をしている。
 「一列に並んだらいんじゃない?」とか、
 「後ろの人が前の人の背中を押したら?」など、さまざまな工夫をするやりとりのなかに「生産性を上げる」、 「効率化」、「ムダ取り」、数々の「改善」の工夫、をかいま見た気がした。”考える力” が一人ひとりにみなぎっている。もちろん、考えてアイデアを口にする子、それを一緒に考えながら反応を出す子、そして黙って体を動かす子、とそれぞれ個性がある。 まさにチームワーク。 コラボレーションである。
 小学校や中学校など成長期の子どもたちにとってはおそらく毎日が新たな「人生」、変化の連続すなわち進化の毎日には違いない。省みてわれわれ会社勤めの身はどうだろうか? 毎日をやらなければならないことだけに「追われて」、ただこなしているだけの自分がもしそこにいるとしたならば、これはよく考え直す必要があるだろう。
 
 数々の名選手を生んだ石川・星稜高校野球部の部室にこんな言葉が掲げられているそうだ。
「心が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる」

 大人になった今、誰しもみな人格まではなかなか変えられないと思うが、転勤、や異動、昇格などで会社での環境や立ち位置が変われば何がしか、変わることに積極的になれたり、気分一新でまた挑戦することもできるはず。人事異動の節目が多かった人ほど、進化してきた自負と確信がある。継続できる何かバックボーンのような考えと習慣を身に着けているものだ。あともう一歩、まずは明日、その1週間、次の1週間そして1カ月間、を精一杯がんばろうと思う。それが1年となって、次へとつながる。
◆2011-7-25に書いた同種の記事はこちら→
http://d.hatena.ne.jp/andy-e49er/20110725

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ルネッサンス カルロス・ゴーン語録 

企業の栄枯盛衰を見ている。2010年1・2月、Toyotaが米国リコール問題・・に直面している。toyota=JAL, nissan=ANA, ではないものの、元のチャンピオン企業とチャレンジャー企業という点は同じ。そこで、日産自動車の復活に大きな力を発揮したゴーン改革をこの機会に振り返ってみたい。

燃え盛るプラットフォーム 
●企業が抜本的変革に着手するには、燃え盛るプラットフォーム(甲板)が必要である。自分がいま、海の真ん中に浮かぶ、火事で燃え盛るプラットフォームに立っていると仮定して欲しい。早く脱出しないと船もろとも海中に没してしまう。生き延びるには、 たとえ行き着く先が見えなくとも、ある方向を選んで泳ぎださなければならない。重要な決断を下す際には燃え盛るプラットフォームが不可欠である。

トップの責任
 ●私はマネジメントの責任とは、会社が持つ潜在能力を開発し、それを100%具現化 することだと考えている。マネジメントは会社にかかわり、社員にかかわり、会社が 置かれている状況にかかわるものだ。マネジメントの仕事は、会社と社員のために、会社と社員の能力を最大限に発揮させることにある。ガイドラインや優先順位の設定もマネジメントの仕事だ。

意思決定のルール 
●私は気まぐれな決断は下さない。会議でも、この形は気に入らないとか、この色やコンセプトは嫌いだと口をはさむことはない。仕事のプロセスが尊重されるように促し、関係するあらゆる意見を聞き、そして確固たるビジネスの論理にって決断を下すように心がけている。 (中略) このバランスをとるのは難しい。周囲をうかがってばかりいる名ばかりの社長では仕方がないし、かといって支配者となって意見や決断を押しつけるのも間違っている。会社にとって最良の決断を下すために、最良の中間地点を見出す努力を怠ってはならない。

優先順位の混乱
 ●経営トップは責任を持って、優先順位が正しく守られるようにしなければならない。優先順位を正しく設定し直すためには二つのステップが必要である。第一にプランニングを中央集権化すること。 第二に、実施に際しての明確な責任系統の確立である。 社員全員が一点のあいまいさもなく、誰が意思決定し、誰が実施責任を負うのかを分かっていなければならない。

経験の心理的時間 
●ビジネスの世界では、会社の業績にどれだけ貢献できたかがゲームのすべてである。このゲームに積極果敢に挑戦し多く貢献した者には、将来大きな機会を与えるべきである。(中略) 重視するべきは年齢や経験ではなく、貢献度と業績の卓越性である。もし「管理職年齢」というものがあるとすれば、それは勤続年数ではなく、経験の密度、さまざまな状況下での貢献度、とりわけ困難な状況下での貢献度にもとづいて判断すべきである。

カルロス・ゴーン 著 ルネッサンス 再生への挑戦 (ダイヤモンド社
2001年10月25日初版発行( 中川治子 [ 訳 ] )より抜粋

◇ベイエリア生活(2000年夏〜2002年夏)


 米国勤務時の話。オフィス外の私生活で言えばボストンから転勤引越しをして今。丸二年間が経過してようやくここシリコンバレーで周囲に溶け込み、ほんとうの友人が出来そうになってきたところだが、皮肉なもので帰任することになった(2002年10月)。通常4〜5年間をひとつの土地で海外駐在すると見込んでいれば、結果的に途中で転勤し東海岸から西海岸へ「入場」した自分としては、真剣に誰か友人を見つけ、私生活を充実させ、ストレスを発散させようという動機がなかなか起きなかった。余裕もなかったかもしれない。私にとってアメリカでのプライベート生活と言えば同じカリフォルニア州でも、サクラメントやローズビルのより素朴な土地での、87年から92年の20代末期から30歳代の若く、もっと楽しかったころのイメージ・記憶がより鮮明だ。

 ベイエリア、とりわけシリコンバレーと呼ばれるこの土地は競争意識が極めて強く、実際のところ競合他社が南北40〜50マイルの範囲にひしめく。 競争環境の中にあって、自らも否応無しに経営構造改革(リストラ)に手を染めて、多分そんな気分でもなかったろう。 またボストンには未練があり、子どもたちも5歳と1歳で赴任したので子育てと言う人生で楽しく充実した大きなイベントの真っ最中だった記憶がある。


松坂ダイスケのBoston Redsox 優勝パレード
 ボストンに残してきたプライベートの友人・家族ぐるみのお付き合いも多かった。 真の心は、心から交流が出来て楽しかったボストンの地に置いたまま、西海岸への単身赴任を余儀なくされたような、心と体を引き離されたそんな妙な感じではあった。一方で家族はと言えば、すぐにこちらでの学校の友達も出来て、なんとか無難に仲間入りを果たした。東よりは温暖な気候の中で、明るく楽しい生活を送れたのでほとんど不満など持っていないようだ。
 ボストン時代には一度もしなかった休出。ここシリコンバレーでは幾度となく休日出勤で仕事した。 その方がマイペースで予算の数字作りなど没頭・集中が出来る。 冬が長くて暗いボストンの土地では休日に暗く不気味な会社へ一人出て行くことは全くもって考えられなかった。 
 西では逆に明るい太陽が照るドライな気候の中、プレゼンテーション資料作成などのため金曜の夜とかでもお構い無しに長時間居残り、一人キュービクル(仕切られた執務スペース)で構想を練り上げたりしたものだった。 まさに自分の責任でこの組織をよりよくしていこう、次の一手はこうしようとあれこれ策を巡らす日々。これは決して苦痛でなかった。 むしろ裁量の幅が大きく仕事はとても充実していて楽しかった。 成長の実感も持っていた。
 冬のボストンでは決して考えもしないような深夜残業、徹夜でも暖かい気候と乾燥している道路で、家まで車で15分のサンタクララでは何回でもこのような深夜残業や休日出勤を行なうことができた。会社が好きだったというより一緒に遊ぶ相手もいないし、シリコンバレーでは皆が会社の接待や仕事漬けで余裕がないのだ、と自分で納得し言い聞かせ、楽しいことから背を向けていた。 リストラの罰(経営責任の一端)とでも言わんばかりに?自ら苦しいこと、孤独に何かに没頭したかったのかもしれない。 あるいはボストン時代からの、ひとりで考え行動する癖が抜けなかったということだけだったかもしれない。
 不思議なもので人間はないものを追い求める習性があるようだ。 寒くて寂しいボストンでは友人達との温もりで仕事と孤独のストレスを癒すことを切に求めていた。かたや気候が温暖で暮らしやすいシリコンバレーにあっては生活面の不安やストレスがほとんどないため、躊躇することなく仕事に没頭できた、ということになる。 ともあれ会社のこと、自分の東西の職場を考えるのがなにより一番の優先順位だった。 ローカルコミュニテイにおいて家族それぞれの世界でそれなりにちゃんとやっていけた。私の特別な世話が要らなかったということも大変ありがたかった。二度目のアメリカ生活で家計や学校のことを切り盛りしてくれたPartnerの力に負うところが大きい。感謝したい。

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