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蛯原硝 anesti日記

2018-11-06

やっぱりカッコいい孔雀明王様:おんまゆらぎらんていそわか

当方の守り本尊は誰なんだろうか。カトリックでは誕生日で守護聖人が決まるから話は早い。真言宗の場合だと正式な方法として曼陀羅に花を投げて花が落ちた場所で本尊を決める投華得仏の儀式が知られているが他に生まれ歳で決められる場合もある。ただ現実に強烈な宗教体験をした人々と御本尊との出会いは圧倒的に偶然の縁の導きの結果なんぢゃなかろうか。んな感じで真言宗には御本尊との出会いの形は色々と想定されている。これは逆に密教で自分の本尊を知ることの難しさを意味してもいるようだ。この意味では日蓮宗ラクだ。とにかく何かのときには唯一の本尊のチカラが働いて色んな守護神が必要に応じて自主的に動いてくれるから守り本尊なんかを選んだり探したりする苦労もない。真言宗日蓮宗から見たら無意味に複雑すぎるんだろうが実は無駄なくらいな複雑さこそが密教の強烈な魅力の本質だと白状せざるを得ない。ときに当方は大学受験の野望を抱いていたころには虚空蔵菩薩真言を唱えながら退屈な毎日を乗りきっていた。触れ込み通りの超人的な記憶力や巨万の富は得られなかったけど浪人時代に集中的に勉強した漢文のせいで確かに経典が読みやす
くなっていて空海が記しているとおりに仏教の教えの理解が意外にラクになっていた。それでも自分の本尊だという実感とか手応えみたいなのは得られない。だからと言って生まれ年別の本尊には特に引かれない。し期間を決め手色んな神仏の真言を唱えてさせてもらったが何か萌えるものがない。さりとて正式な儀式で決める度胸もなく本尊なしの年月を虚しく過ごしていた。ところが今年になって急に思い出したのは20代のころに天台系の山伏が唱えていた孔雀明王様の御真言だった。おんまよらぎらんていそわか!これが物凄くカッコよかった。しかも少年のような顔とか孔雀の尾羽根の後光とか孔雀色に統一された飾りとかも美しい。おまけに心の毒を取り去り神通自在を得られるという功徳にもグイグイと引き付けられる。そこで不調に陥っていたときの朝のオツトメに期間を決めて真言を唱えてみたら唱えれば唱えるほど気持ちいいぢゃないか。もう息を呑むドライブ感!そればかりか偶然や気のせいぢゃ済まないレベルで周囲の状況が動いて効率的な立ち直りも助けてもらえるのだった。やはり孔雀明王様が当方の御本尊なのかという予感もしている。
でも今のところ何かあったときや気合いを入れたいときだけ期間限定で真言を唱えている。もしホントに孔雀明王様が当方の御本尊なら毎回のオツトメに必ず真言を上げるべきだとは思うが完全に確認できていない現在の状態では機会あるごとに実感を確かめる今のペースが自然な感じがするし手応えがある。

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